遅れてきた英雄 ~田中源蔵(73)~

青野海鳥

第1話 少年の心を持ち、老人の身体を持つ地上最強の男

「……俺は誰だ?」


 小さな和室で、猛烈な頭痛と共に一人の老人が目を覚ました。敷きっぱなしの布団の横には、小さな仏壇が置かれ、上には線香が添えられていた。骨ばった左手の薬指には、鈍色に輝く銀の指輪が見えた。先日亡くなった最愛の妻、トメから貰った結婚指輪だ。


「いや、トメって誰だよ」


 彼は突っ込みを入れながら身を起こす。記憶の中にトメという老婆は存在しなかった。当然だ。なぜなら彼は彼では無いのだから。


 未だに覚醒しきっていない頭をなんとか稼動させ、彼は一つの記憶に辿りついた。高校へ向かう途中、大雨により荒れ狂っていた川に飲み込まれた事実。そこまで思い出すと、彼は深く息を吐いた。


「そうか……俺は死んだのか」


 稼動し始めた彼の頭脳は、ようやく自分が死んだ事を認識した。あのような災害に巻き込まれては、間違いなく助からないだろう。


 そこまで認識した途端、彼の心の準備を待っていたかのように、別の記憶が津波のごとく押し寄せて来た。かつての記憶と知らない記憶が混ざり合い、襲い掛かる頭痛に必死で耐えた。長い沈黙の後、彼はゆっくりと瞳を開く。


「俺の名は源蔵、田中源蔵だ。享年七十三歳。つい先日、嫁のトメを亡くし生きる希望を無くし首を吊ったのだ。死に掛けていた俺と源蔵じいさんの魂が繋がり、今の俺として蘇った……か」


 理屈ではなく魂で、源蔵は己の状況を把握した。普通は取り乱しそうな物だが、元々の源蔵の記憶と肉体がベースになっているせいか、その声は落ち着いている。


 だが、実のところ、彼はひどく興奮していた。それは恐れや恐怖からではなく、希望から来るものだ。何故なら、今しがた手に入れた源蔵の記憶の中には、転生前に彼が欲した物が眠っていたからだ。


「この世界には、魔法がある!」


 その言葉を口にした瞬間、彼は歓喜に包まれた。かつて学生として生きていた生前の世界で、彼は魔法に憧れた。だが、それは空想の産物であり、妄想に過ぎなかった。


 しかし源蔵の記憶の中には、科学の変わりに魔法の知識がたんまりと詰め込まれていたのだ。肉体的が朽ち掛けた老人であることは残念だったが、彼はもう一度、理想の力を行使出来る世界で人生をやり直すことが出来る。これを喜ばずして何を喜べばいいのだろう。


「よし! こうしちゃいられねぇ! 行動開始だ!」


 完全に田中源蔵(73)と化した彼は、天井からぶら下がっていた自殺用のロープをちゃっちゃと片付けた。魔法が主流の世界に来られた事は嬉しいが、源蔵の肉体しなびた野菜のようなもので、残された時間がどれだけあるか分からない。


 無論、自殺をしている暇などありはしない。源蔵の記憶を頼りに通帳をタンスから引っ張り出し、これ以外着るものが無いので、よれよれのシャツと長ズボンのまま家を出た。


「へぇ、あまり変わらないんだな……」


 源蔵は築四十年の我が家を出て、そう呟いた。彼の記憶の中には家の前の光景も記憶されていたが、生まれ変わった源蔵にとっては、見るもの全てが懐かしくも新鮮で、何とも不思議に感じられた。


 魔法が支配する世界なので、さぞやファンタジックなのだろうと思っていたが、彼が生前住んでいた国と街並はほとんど変わり無かった。地面はしっかりと舗装ほそうされているし、少し離れた場所には市街地と、ビルらしき物も存在している。


 ぱっと見で違う点といえば、電柱が全く存在しないことと、遥か遠方を我が物顔で飛ぶ、竜の群れくらいだった。


「竜……この世界の絶対強者か……」


 源蔵は記憶を掘り返しつつ、空を飛ぶ巨大な生物を見上げた。かつての世界では、人間は何十億人も繁殖し、星の支配者だった。


 しかし、この世界の人間はそうではない。竜、魔獣、大海獣、果ては不死者に至るまで、ありとあらゆる脅威に晒されている。そんな高等種族らの機嫌を伺い、生態系の合間を縫いながら、人間はこそこそと命を繋いでいるのだ。


 その時、一匹の竜が遥か上空を通過した。圧倒的な高みから下等種族を見下すように、竜は源蔵をちらりと一瞥いちべつすると、そのまま人類未踏の原生林へと飛び立った。源蔵はその眼光に怯える事も無く、逆に睨み返すと、街の方へと歩みを進めた。


 源蔵はありったけの貯金を下ろすと、繁華街の片隅の学校に来ていた。ここは人間の数少ない武器である魔術を洗き、竜や多種族に対抗するエキスパートを育てる機関、早い話、戦闘者を育てる魔法学校だ。


 それほど綺麗とは言えない建物の中で、受付嬢が気だるそうに座っていたが、源蔵の姿を確認すると、慌てて前へと向き直った。


「この学校へ編入したいんだが」

「はい。では、お孫さんのお名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」


 受付嬢は営業スマイルで源蔵に話しかけるが、源蔵は内心で舌打ちした。ただ、これはある程度予想した対応だったので、源蔵も落ち着いた態度を崩さずに答えた。


「違う。入学するのは俺だ」

「えっ? お、お爺ちゃんが……ですか?」

「別に問題は無いだろう? 入学資格には年齢も学歴も不問と書いてあるし、この通り入学金は一括で持ってきた。身分証明書も持参している」

「そ、それは、確かに問題無いですけど……でも、でもぉ……」


 歳若い受付嬢は一応プロとして対応しているが、このようなケースに対応したことは無いのだろう、ボケ老人の奇行かと思ったのか、可哀想なほどに狼狽ろうばいしていた。


 しかし、源蔵の言っていることは理屈では間違っていない。この魔法学校は、こう言っては何だが、この街で最低レベルだった。入学に厳格な規制をしていては客を逃してしまうので、ほぼ無制限に編入を受け入れている。


 そこを狙って源蔵は来たのだ。といっても、やはり学校という施設は若い人間が圧倒的に多いし、源蔵としても高度な魔法を学べる環境に身を置きたいのは事実であったが、贅沢を言ってはいられない。現状でベストの選択がここしかなかったのだ。


 源蔵はロビーでかなり長い時間待たされたが、暫くすると半泣きの受付嬢と、校長らしき人物が出てきた。うちは老人ホームではなく、戦闘のプロを育成をする機関であること。お爺さんは騙されて、振り込め詐欺に遭っているのでは無いか等、源蔵に質問を浴びせかけてきたが、源蔵の受け答えがはっきりしていたことと、校長自身が決めた入学規約に逆らえず、最後には受付嬢と同じ泣き出しそうな表情になりながら、源蔵の入学をしぶしぶ許可した。


「で、では源蔵さん。本当に……本当にいいんですね?」

「源蔵君で構いませんよ」

「源蔵、く……君。貴方は今日から1年G組に編入となります。初日は説明日となりますので、今日は簡単に校内を案内しましょう……」


 もうどうにでもなれ、といった感じで、やけくそ気味に校長が先導する。本来なら担当クラスの教師にさせる役割なのだが、源蔵は余りにも異質なため、校長自らが奇怪な老人――源蔵を案内することになった。学園長の頭髪には白髪が何本か生えていたが、今日一日で数本は増えたであろう。


 学長に付き従う源蔵は、既に爺さんの服を脱ぎ捨てており、ぱりっと糊のきいた新品の学制服に着替えていた。紺をベースにしたブレザーに、涼やかな青のネクタイは若々しい一年生の象徴である。


 ただし、服を着ている人間がいかんせんジジイなので、アンバランスで異様な雰囲気だ。廊下ですれ違う他の生徒たちも奇異の眼差しを向けるが、源蔵は歯牙にもかけていなかった。


「源蔵……君。最初に言っておきますが、君はこの学校ではかなりの特例になります。くれぐれも他の若い生徒たちに迷惑をかけないで下さいよ。問題を起こした人間は、校則で処罰されますからね」

「わかってますよ。俺は魔法に関する勉強が出来ればそれでいいので」


 学長は『問題を起こして出て行ってくれ』と願いをこめて源蔵に釘を刺したが、源蔵が涼しい顔で流したので、校長は何十回目かのため息を吐いた。


「だからさぁー、君、一年生でしょ? 俺が魔法の使い方教えてあげるって言ってるじゃん? 知ってる? 魔力って強い奴と交わると能力が上がるんだぜ? 俺なんかもう最適だよ?」

「け、結構です!」


 それほど広くは無い校舎の案内が終わり、微妙な雰囲気から校長が開放されようとしていた矢先、なにやら揉め事のような声が廊下に響いた。声のトーンからして若い男女であろう。源蔵と校長が声のした方へと足を向けると、廊下の隅にある階段の前に人垣が出来ていた。


「離してください! 先生を呼びますよ!」

「呼べばいいんでない? ま、俺に何か出来るとは思えないけど」


 人垣の中心部には、髪を真っ赤に染め、装飾の指輪をごてごてと着けた、背の高い男が女子生徒の肩を掴んでいた。掴まれている女子の方は対照的に、艶やかな黒い短髪を綺麗に揃えた小柄な子だ。源蔵と同じ色のネクタイをしている所、入学したばかりの一年生らしい。


「呼べばいいんじゃない? あ、ほら、あそこに居るぜ? おっす校長ちゃん! 元気ぃ~?」

「う、卜部うらべ君……! き、君、あんまり乱暴は……」

「あん? 何か文句あんの? 決闘するぅ?」

「い、いや、それは、その……」


 校長の顔を見つけた男子生徒が、全く敬意の篭らない軽薄な口調でににやけた笑みを浮かべるが。それに対して校長は、顔を蒼白にするだけで、まともな返答が出来なかった。


「校長先生、あれは問題を起こしているうちに入らないのですか?」

「ああ、それはそうなんだけど……彼はちょっと、ねぇ……」


 源蔵の問いに対し、校長が曖昧な返事をする。それで興味は失せたとばかりに、卜部と呼ばれた赤髪の男は再び女子へと手を伸ばす。


 今は目の前の獲物を狩るのに集中し、源蔵には気付いていない。最初は知り合い同士なのかと思っていたが、周りの様子と彼女の態度――明らかに嫌がっている姿を見れば、それが違う事はすぐに理解できた


「あの子、可哀想に……よりによって『紅蓮』の卜部に捕まっちゃうなんて……」


 人垣の中の誰かがぽつりと呟く。紅蓮の卜部、それがあの赤髪の男の通り名だった。


 源蔵は知らなかったが、卜部はこの学校で最強の実力者だ。本来ならより上位の学校へと編入できる実力を持つ卜部だったが、彼はそれをしなかった。卜部は強い物に揉まれ、プライドを捨てて己の力を磨くより、生まれ持った才によって、弱者を蹂躙することに快楽を見出すタイプだったからだ。


 人間が支配者として君臨しない、倫理よりも実力が優先されるこの世界では、魔法力の強い物は、それだけ強い権力を持つ。それが学生であってもだ。


 卜部は、魔法学校という閉鎖空間において、事実上の覇者であった。そんな彼に楯突く者などこの学園には誰も居なかった。


 ――ただ一人を除いては。


「その子を離せ」

「あん……? な、何だてめぇは!?」


 快楽を貪る遊戯に水を差された卜部は、身の程知らずの馬鹿の声に振り向き、そして仰天した。目の前に立っていたのは、真新しい一年生の制服に身を包んだ、干物のような老人だったからだ。


「お、おい、校長ちゃんよ……何なのこのジジイ、何で俺らの制服着ちゃってるわけ?」

「ええと、それはその……」


 校長はどう答えた物かと迷っていたが、答える前に源蔵が人垣を抜け出し、一歩前に進む。源蔵は卜部をまっすぐ見据え、言葉を紡ぐ。


「聞こえなかったのか? その子を離せ、と言っている」

「……おいおい爺さんよぉ。あれですか? ボケちゃったんでちゅか? 老人ホームはここじゃないでちゅよー?」


 一通りの驚きの次に卜部を襲ったものは、喜悦だった。妙ちきりんな爺さんを指差しながら、赤ちゃん言葉で源蔵を挑発するが、源蔵は微動だしない。


 澄み切った湖のような佇まいと、その瞳に厳格な光を湛えたままだ。その態度は、暴君の心にいらだちを生じさせるには十分であった。


「何だかわかんねーけど、消し炭にされたくなかったら、とっとと消えろやジジイ。それとも火葬されてーのか?」

「どうしてもその子を離さないと言うのなら、お前に決闘を挑む」

「はぁ!?」


 源蔵は淡々とした口調でそう言い放ったが、源蔵たちを取り巻いていた生徒たちは色めき立つ。


 決闘とは、話し合いで解決が出来ない場合、魔法勝負にて白黒を付けるというルールだ。人間一人の命がそれほど重く無いこの魔法世界において、揉め事に対していちいち裁判を開いてはいられない。


 強力な多種族に対抗できる種の保存に役立つ、実力のある強い個体こそが正義とする極めて原始的なルール。それこそが『決闘』である。


 そして、お互いが合意の上の決闘であれば、相手を殺してしまっても罪には問われない。そんな厳しいルールで、死にかけの老人が、あの紅蓮の卜部に決闘を挑む――蟻と象の戦いのようなものだ。


 対する卜部は、あまりにも堂々とした態度に一瞬だけ動揺したが、考え直すと、すぐに愉悦の光を目に浮かべた。自分に挑んだ愚かな者を叩き伏せるのは、彼にとって久しぶりの快楽だ。女遊びはいつでも出来る。


 卜部は掴んでいた女子生徒を突き飛ばし、舌なめずりをしながら源蔵へと向き直る。


「いいぜジジイ。この『紅蓮』の卜部が、お前の決闘を買ってやるよ。世の中のためにも、いつまでも天下気取りの老害は処分しておかねぇとなぁ!」

「1年G組、田中源蔵。それ以外の名は無い」


 ――お互いの名乗りを上げて決闘は開始された。


「行くぜオラァ!! 燃え尽きろォ!!」


 開始早々、卜部は高々と片腕を天へと掲げる。即座に彼の指に嵌めていたルビーの指輪が、卜部に呼応するようにまばゆい光を放つ!


 瞬間、凄まじい熱が彼の手のひらに集まり、人間の頭部ほどの火球が生成された。卜部はバレーボールのアタックのように、源蔵へためらい無く火球を投げつける。情け容赦の無い火炎が源蔵に襲い掛かる!


「……水よ。我が元に集い、守れ」


 源蔵の小さな詠唱と共に、左手の薬指が輝く。月光のような輝きと共に、小さな水球が出現し、源蔵を優しく包み込んだ。剛速球の火炎弾は、水の障壁にぶつかると凄まじい蒸気と共に掻き消えた。


「ヒュウ! 意外とやるじゃねえかジジイ! テメェの属性が水で相性が良かったとはいえ、俺の火炎を防いだ奴を久しぶりに見たぜ! じゃあよ、こんなのはどうだい?」


 卜部は面白いおもちゃを見つけた子供のように目を輝かせた。卜部は、だらりと広げていた指を纏め、各指にはめていた指輪が一列になるよう、手刀のような奇妙な手の形を作る。


魔力連結エーテルリンク!」


 卜部の叫びと共に、彼の五個の指輪が一斉に赤い輝きを放つ。先ほど卜部が火球を生成した時とは比べ物にならないほどの熱量に、周りの生徒たちが慌てて後ろに下がる。


「お爺ちゃんよぉ? 魔力連結って知ってるか? 戦前の教育じゃ教えてくれねぇかもしれねぇが、自分に相性のいい増幅石ブースターを沢山着けると、魔力ってのは爆発的に増すんだぜぇ?」

「知っている」

「ひゃははははは! 知ってるってか! でもまぁ出来るわけねぇわな! これは才能って奴だ! 銀の指輪一個しか付けられないポンコツジジイじゃ全然駄目だ!」


 卜部は狂ったように笑う。彼の言うとおり、大量に身につけている指輪はただの飾りではない。魔法使用者の魔力を増幅する役割があるのだ。


 さらに、複数の宝石の相性や組み合わせにより、様々な能力を生み出すことが出来る。それが魔力連結と呼ばれる技術だ。ただし、本人の能力にも強く左右されるため、使える者はごく僅かだ。


「久々にいい気分になったんでな。ジジイ、特別に俺がお前を火葬してやるよ。葬儀代が省けて嬉しいだろォ?」


 大人を包み込むほど巨大な火球を生成し終わると、卜部は楽しげにわらった。卜部は炎の属性であるルビーを重点的に装着し、五連結させることで尋常ではない熱を生み出すことが出来る。それゆえ、付いた渾名は『紅蓮』、彼は性質こそ残虐ではあるが、魔法の才に於いては間違いなく上級だった。


「う、卜部君! さすがにそれはちょっと!」

「も、もうやめてください! お爺さんは関係ないじゃないですか!」


 このままで大惨事になりかねない。見かねた校長と、先ほど卜部に絡まれていた女子生徒が懇願する。


「二人とも、下がっていろ」


 凄まじい熱量から校長と女子生徒をかばう様に、源蔵は一歩前へ出た。もう少し近づけば、魔法耐性のある制服すら消し炭となってしまう熱量に対し、源蔵は一歩も引かない。


「卜部と言ったな。一つ言っておくことがある」

「なんだぁ? 今更命乞いかぁ?」


 卜部は楽しくて仕方ないといった様子で、耳まで裂けそうなほどの笑みを浮かべている。そんな炎の怪物に対し、源蔵は一言だけ言い放つ。


「ここで引かなければ、お前のプライドをへし折る事になるぞ?」

「な……!?」


 それは卜部にとって、余りにも予想外な台詞であった。誰が誰に対し許しを請うのか。この老人はそれすら理解できていないのか。そしてその言葉は、卜部にとって最高の侮辱となった。


「こ、のっ、ジジイッッ!! 死にやがれえええええええぇぇぇえぇぇええ!!!」


 卜部が吼える。並の魔獣なら、骨まで焼き尽くす地獄の火焔が源蔵に迫る。校長も、女子生徒も、源蔵以外の全ての取り巻きが、少しでも被害を抑えようと廊下に伏せる。源蔵は相変わらず、全てを見透かす瞳で火球を見据えると、静かに口元を緩めた。


「魔力連結」


 誰も、何も分からなかった。ただ目の前の現実には、まるで煙のように消滅した地獄の業火と、何事も無かったようにゆるりと立つ源蔵、そして、間抜け面で呆然と立ち尽くす卜部が存在した。燃え盛る炎によって蹂躙された物などどこにも存在しない。


「悪いが、お前さんご自慢の炎は消させてもらったぞ。あのままだと校舎や、他の生徒にも被害が及びそうだったんでな」

「消させてもらったって……て、テメエ……テメエっ! 何をしやがった!?」

「別に難しいことはしていない。魔力連結で魔力を強化し、お前以上の力で俺の魔力を上書きした。簡単だろう?」

「だ、だからっ! な、何で指輪一つしか持ってねえジジイが魔力連結を使えるんだよっ!!」


 卜部が喚き立てるが、誰も源蔵の行為を理解できなかった。魔力連結は触媒である増幅石を、物理的に連結させることで発動できる。卜部が己の手を手刀の形にしたのも、指輪同士をぴったりと接触させるためだ。対して源蔵は、そもそも左手の薬指に銀の指輪一つのみ。連結させることすら出来ない。


「何を驚いているんだ。あるだろう。人間にはもう一つ連結している場所が」

「足の指か!? あんな場所に輪を取り付けたら動きづらくて仕方ないだろ! バカかてめぇは!」

「違う」


 ここで源蔵は、初めて笑みを浮かべた。そして、卜部は源蔵の秘密に気が付く。


「い……入れ歯……だと……?」

「そうだ。今のは下十六本の入れ歯を使用させてもらった。五本の指に指輪を嵌めるより効率的だろう?」


 そう、源蔵は自分の銀の入れ歯を触媒とし、魔力連結を発動させたのだ。魔力連結は連結数が多ければ多いほど威力を増す。しかし、人間の体で連結させられる部分は意外と少ない。


 現実的なラインとして、両手の指を使うのが関の山だ。それを源蔵は、入れ歯を使うことでクリアした。両手が自由に使える上に、他の部位と比べ、連結数は比較にならない。


「ふ、ふざけるな! そんなデタラメあっていいわけがねえ!」

「あるんだから仕方ないだろう。さて、と……では、こちらからも反撃させてもらおうか」

「な、何だと!」

「では行くぞ……お前のちっぽけなプライドを、炎と共にかき消してやろう!」


 卜部は息を呑む。源蔵は今、下十六本の入れ歯を使ったと言っていた。となると、今の二段階目の魔力連結は――。


「そうだ、察しがいいな。今度は上十六本も加えた。上下合わせて三十二連結。お前も全力を出したんだ。こちらも全力で撃たせて貰うぞ?」

「ち、チキショオオォォォ!!!!!!」


 卜部は涙目で五本の指を連結させ、苦し紛れの火球を放つ。相変わらず凄まじい火力を誇る一撃であったが、源蔵の馬鹿馬鹿しいほどの魔力の前では、まさに風前の灯だ。源蔵の遥か前方で消滅する火球。絶望の表情を浮かべる卜部。源蔵が嗤う。


神罰砲メギドファイヤ!!」


 源蔵の口から白き炎が解き放たれる。いや、もはや炎では無い、純粋な魔力の塊だった。紅蓮すら焼き尽くす、神話に説かれる浄化の炎。


 源蔵の口から解き放たれた魔力のビームは、耐魔法コーティングのされた学校の天井を、水に塗れた紙を破るように貫き、遥か上空の分厚い雲を蒸発させた。


 人間たちの生活圏など蟻の巣と同程度に考えていた竜族達は、謎の魔力の柱が天に昇っていくのを見て、得も知れぬ身震いをした。


「さて、と……」


 源蔵が肩を鳴らすが、周りの人間は微動だにしない。これだけの人間が居るにもかかわらず、水を打ったような静けさだ。


 ただ、天井にぽっかり空いた穴と、地べたにひっくり返った卜部のみが、今起こった現象が現実であることを示していた。


「卜部」

「は、はひ……!」


 卜部は、ばね仕掛けのおもちゃのように上半身を起こし、己を見下ろす怪物の顔を見た。源蔵は特に勝ち誇った風でもなく、先ほどと同じ、淡々とした口調でこう告げた。


「次は命中させる。もう一度だけ言うが、ここで引かなければ、お前のプライドどころか、命をへし折る事になるぞ?」

「ひ、ひぃいいぃぃ!!」


 最早プライドも何も無く、卜部はその日のうちに学校を出て行った――。



「あ、ありがとうございました。お爺さん」


 先ほど卜部に捕まっていた少女、先崎茜せんざきあかねと名乗る少女が、ぺこりと源蔵に頭を下げた。


「お爺さんはやめてくれ……俺も君と同じ一年生なんだから。学友として扱って欲しい」

「え、ええと……おじい、じゃなかった、源蔵さん、あんなに強力な魔法を使えるのに、その、何で学校に――?」


 そんな歳になって、と付け加えないあたり、茜の優しさであった。


「まぁ、ちょっと訳ありでな、もし俺に恩義を感じてくれているのなら、色々と教えてくれるとありがたい」

「はい! それはもう喜んで! 私に出来ることはあんまり無いかもしれませんけど……あ、そうだ! 学校の案内とかしたほうがいいですか?」

「いや、それはさっきして貰ったからいい。それよりも今必要なのは……」


 源蔵は深いため息を一つ吐き、ちらりと上を眺めた。茜も源蔵に引っ張られるように視線を上に向ける。


「この大穴の件で、一緒に校長に謝って欲しいんだが」


 源蔵としてはこれでも相当手加減をしたのだが、それでも易々とぶち抜かれてしまったボロい校舎を根性無しと罵り、どうしたものかと頭を抱えるのだった。



 後にこの一撃は、反逆の狼煙のろしと称される事になり、魔法世界に激震をもたらす、遅れてきた英雄、田中源蔵の英雄譚の始点として末永く歴史に記される事になるのだが、それはまた別の話である。

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遅れてきた英雄 ~田中源蔵(73)~ 青野海鳥 @Aono_Umidori

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