第2話

 翌日は大忙しでしたの。母が作るのは草餅だけではありませんしね。遠くから帰省する遠縁の者もおりましたし、普段よりも食事の支度だけでも大変でした。いまのように便利な道具などございませんからね。煮炊き一つするのも大変な苦労でしたわ。

 わたくしのような子どもも、水を汲んでは廊下をせっせと拭いたり、甘く煮たお揚げさんにすし飯を詰めてお稲荷さんを作るお手伝いをしたり。

 もちろんよもぎを茹でてつきたてのお餅と混ぜて草餅も作りました。中には甘い粒あんを入れましてね。牡丹餅は中日にと母が言いまして、それはそれで楽しみでしたが、それよりもわたくしはなんとか家を抜け出して、お宮さんへ草餅を持っていかなければと、朝からずっとそわそわしておりました。

 すると、町からやってきた若い衆が、草餅を喜んであらかた食べてしまいましてね。母が困ったというものですから、わたくしはさっそくよもぎ摘みに行ってくると、籠をつかんで外に飛び出したのですよ。

 ちゃあんとお宮さんに行くと申しましたので、嘘は言っておりません。ただ籠に入れた布巾の下に、草餅を三個隠してしただけで。


 鳥居の前に行きますと、前の日よりも時間が早かったせいか、鳥居の影は当たり前に境内の中に伸びておりました。

 わたくしはスカートのポケットからヒキガエルに借りた扇子を取り出して、開いてみました。薄墨色の扇子には何も描かれておりません。

 どうしたらいいかしらと、小さな声でね、呼んでみましたの。

「ヒキガエルさん。くさもち、もってきたわ。どうすればいいの?」

 すると笹の根元からノソノソと大きなヒキガエルが出てきました。

でも、四本足で背中にイボイボがついている、普通のヒキガエルです。裃なんてつけておりませんし、袴もつけておりません。もちろん二本足で立ってもいません。

 さあ、困りました。このヒキガエルが昨日のヒキガエルだとしても、これではお話しもできませんもの。

 ヒキガエルはわたくしの足もとまで来ると、じっとこちらを見上げています。

 わたくしはその場にしゃがみこんで、籠の中身を見せてやりました。

「くさもち、三つもらってきたわ。それから、おせんす、ありがとう」

 ヒキガエルは答えません。

 でものそのそっと向きを変えると、ついてこいとでも言うように鳥居をくぐりました。わたくしも草餅と扇子をもって後を追いました。

 どこにどんな境界があったのか、思い出そうとしてもよくわからないのですけれど。急にあたりの景色が水に絵の具を溶かしたように滲んで、瞬きを繰り返していたら、すっかり夜の境内になっておりました。赤い提灯の揺れる市の立った境内に。


「もう来ないかと思っていたが、いやはや本当に草餅を持ってきたのじゃナァ」

 ヒキガエルが呆れたような感心したようなしわ嗄れ声で言いました。その時にはもう、わたくしはヒキガエルと同じ背丈になっていましたし、ヒキガエルは後ろ足で立って扇子をパチパチとしておりました。

「やくそくしたもの。あたし、やくそくしたことはちゃんと守るわ」

 わたくしは胸を張りました。約束は守らなければいけませんと教えられていましたからね。

「うむうむ。しかしあの飴を一度に三個も食べるつもりカネ?」

「ちがうの。ひとつはあなたに。ひとつはあたしに。いっしょに食べようとおもったの。だから、あめの分はひとつよ」

「拙者と一緒に? それはまたなんとも嬉しや」

 ヒキガエルはお腹をゆさゆさ揺すって笑いました。夜市には他にもいろいろなものが売られていましたし、自分とあたくしの分で飴以外のものも買うことはできたでしょうにと言って、クォッ、クォッと笑うのです。

「でもひとりで食べるより、たくさんで食べたほうがおいしいわ」

 あんまり笑うので、わたくしは少しばかり拗ねてしまいました。

 ヒキガエルは済まなかったと頭を下げて、カラスの飴屋さんまで手を繋いでくれました。


 境内は夜店と人混みで前の晩よりも賑やかです。

 ああ、そうねえ、人混みというのはおかしいかしら。だって純粋に人と言えるものはわたくししか見ませんでしたから。

 きれいなお姉さんかと思ったら立派なふさふさの尻尾が出ていたり、肌の色が緑色のおじさんは額に角がありましたし。ええ、鬼ですわねえ。黒と黄色の縞の着物を着た蜘蛛女や、足がなくて代わりに蛇の尻尾を持つ男前のお兄さんもいましたわ。

 怖くなかったかですって? それがねえ、いくら幼くても絵本の中でした見たことないような異形の者たちを見たら怖がるのも当然だとは思うのですけれど、その時は怖いと思わなかったのですよ。仮装行列を眺めているようでしたわ。ヒキガエルが手を繋いでくれたからかもしれませんけれど。

 その人混みをかき分けるように歩きながら、ヒキガエルはあの飴について話をしてくれました。

「お嬢ちゃん、あれは実際のところ飴ではないのだナ」

「あめじゃないの? 食べられないの?」

 ええ、先に申しました通り、わたくしは食いしん坊の子どもでしたわ。

「うむ。口に入れたら甘いかもしれん。だがナァ、あれはそのォ、お嬢ちゃんと同じ人の子の涙なんじゃ。魂のようなものじゃナ」

「たましいって?」

「うむ。人は死んだらどうなるかな?」

「ええっと、おはかにはいる?」

「体はナァ。だが魂は?」

「あの世に生まれかわる?」

「そうじゃ! だがナァ、幼くして死ぬとすんなりとはあの世には行けぬのでナァ。賽の河原というのを聞いたことあるかナ? 親に先立つ子の不孝というが、それはちいっと違う。まだ生まれて魂の形が定まらぬ幼い子たちは、あの世に行く前に賽の河原で修行を積むのじゃ」

 わたくしはようやく少し怖くなって、足を止めました。もうカラスの飴屋は見えてます。提灯の明かりに照らされた飴が艶々と光るのも見てとれました。でもそこに行く前にヒキガエルの話を聞いてしまおうと思ったのです。

「おじぞうさまが、助けてくれるって聞いたのに」

「うむ。しかし地蔵さんもそういつも来てくれるわけではないのだナ。賽の河原で鬼どもにいじめられた幼子は、涙を流すじゃロ。その涙を集めたのがあの飴というわけだナ」

「そんな」

 わたくしは恐ろしくなって、ヒキガエルの手をぎゅっと握りました。この冬の初め、一番の仲良しだった幼馴染をなくしたばかりでしたので。

 あの子の涙もそこにあるのかと思うと、もう、胸が苦しくて痛くて怖くて、たまらなかったのです。

「イテテテテ。まだ話は終わっておらん。慌てるな慌てるな。あの飴には、涙になって流れた幼子たちの記憶が込められておるのダ。誰かが飴を味わってやれば、元の幼子たちの記憶はきれいさっぱりなくなって、地蔵さんを待たずとも魂は洗濯されてあの世に生まれ変われるというわけなんじゃヨ」

 ヒキガエルの話が全部飲み込めたわけではありません。でも飴玉には死んだ子どもの記憶が込められていて、なめれば、その子が救われるというところだけは、なぜかすんなりと腑に落ちたのです。

「だれがなめても、いいの?」

「うむうむ、もちろん。拙者のような妖でも人でもかわらぬヨ。十二年に一度の夜市の間だけカラスに許された商売でナァ。賽の河原で集めた涙の飴は、妖どもにとってはなんともうまいのだが、人にとっては甘いのか苦いのか、さてさて。ともかくも供養になるからということで、神仏もお目こぼしをしているのじゃ」

 わたくしは、籠の中の草餅と、夜店の台に並んでいる飴を見比べました。草餅は一つ、でも飴はまだ十はあったでしょうか。

 幼馴染の顔が目に浮かびます。元気ないたずら坊主でなんども泣かされましたが、にかっと笑う顔は嫌いではありませんでした。あの子も賽の河原では泣いているのだろうかと思うと、お腹がぎゅっと縮むような気がいたしました。

「いこう、ヒキガエルさん」

 今度はわたくしがヒキガエルの手を引いて、カラスの飴屋の前に立ったのです。


「こんにちは、カラスさん」

 わたくしは精一杯笑顔を浮かべました。けれどとても……そうですねえ、緊張していたと思いますよ。この時になって初めて、ここはいつも遊んでいるお宮の境内とは違うんだって、心の底から思い知りましたから。

「おやおやおやおや、いらっしゃいませ、お嬢さん。お代は持ってきたかい?」

「ええ、このくさもちをあげる。だからあめを一つ、ちょうだいな」

 カラスは真っ黒の目でじっとわたくしを見つめました。艶々とした羽根は提灯の灯りを反射しているのに、目だけは本当に真っ黒なんですよ。

 わたくしは繋いだままのヒキガエルの手をぎゅっと握りました。

「お嬢さんはこの飴がどんなものか、そこの蝦蟇に聞いたかな?」

「うん。だからね、この冬にしんじゃった、藤吉さんのあめがほしいの」

「さて困りました。どれが誰の飴かなんて私にもわかりませんよ。名前がついてるわけじゃなし」

 カラスは低い嗄れ声で答えました。確かにどの飴も少しずつ違っていましたが、名札はついておりません。

 供養になるなら知らない子でも構わないと思うには、その頃のわたくしの世界はとても狭くて。だからたった一つの機会ならば藤吉さんのがとしか思えなかったのです。

「お嬢ちゃん、草餅は三個あるんだから、三回試せばいいだロ」

 ヒキガエルはちょんと籠をつつきました。

「ふたつはいいわ。あたしはまたおうちで食べられるもの。カラスさんにあげるのとあたしので、ふたつよ」

「いやいや、拙者の分はまたいずれ。お嬢ちゃんのお家に行って何かを貰いましょう」

 ヒキガエルは喉を膨らませてクォと小さく笑いました。

「でもここから出たら、あたしにはあなたがわからないわ」

「わかりますヨ、大丈夫」

 わたくしはこの二日間ですっかりヒキガエルのことが好きになっておりました。だから、ヒキガエルが突き出たお腹をポンとたたいて請け合ってくれたのがとてもうれしかったのです。

「そんなに、その藤吉って子が気になるんですか?」

 カラスはそんなわたくしの様子を見て言いました。

「さてさて、しかしながら今ここにある十四の飴のうち、いずれがその童のものであるかは私にもわかりませぬな。それでもよろしいかな?」

 わたくしは並んでいる飴をじっと見つめました。どの飴もきらきら光っていて、涙を集めたと言われればなるほどそうかと思われました。でもその色合いだけで幼馴染の涙など見分けられるものではありません。

「カラスよ、せっかくの市に人の子がわざわざ来たのだ。三つと言わずもう少し融通をきかせたらどうだナ?」

 ヒキガエルが言うと、カラスの店主は首を左右に傾けてから、黒い目をわたくしに向けました。

「そうですねえ。市が終わればこの飴は持ち主のところに戻り、次の市に飴を買われるか、地蔵菩薩に救われるまでは賽の河原で石を積むことになりますし。しかし草餅三個で飴十四はいくら何でもおまけがすぎますよ」

「それなら」とわたくしは必死に頼みましたよ。

「それなら、ヒキガエルさんといっしょに、あとで、くさもちを食べにきてくれたらいいわ」

「カラスは追い払われるでしょうに」

「あたしがよんだら、だいじょうぶよ」

 だから藤吉さんの飴をちょうだいと、わたくしは食い下がりました。だって、どうしても欲しかったのですもの。ましてや次は十二年後だなんて、幼いわたくしにとっては遥か先のことに思えました。

「口約束だけではなんとも」

 でもカラスもすぐにはウンと言ってはくれません。

「そうだ、こうしましょう。草餅三つとお嬢さんの髪の毛を十一本。それでこの飴を全部ではいかがです? ただし飴をなめて供養するなら、この場でしなくっちゃいけませんが」

 わたくしは、いいわと答えようとしました。でもその前にヒキガエルがぐいとカラスの前に顔を突き出したのです。

「ちょっとお待ちなさい、お嬢ちゃん。自分の体の一部をやるってぇことは、その分やった相手に操られるってことなんだナ」

「かみのけでも?」

「髪の毛でも」

「でも……」

 わたくしは困ってしまいました。


 え? 藤吉さんがどんな子だったか、ですか? それはまたお話しますけれども、とにかくそのときは本当に胸がつまるような気持ちがして、悲しさと悔しさであふれかえってしまったのです。

 藤吉さんが亡くなったのは冬の初めでしたから、まだ半年も経っておりません。だから、幼心にも思い出はまだ生き生きとしておりましたし、お葬儀のときに小さな御棺に入れられたあの子の姿も、目に焼きついておりましたもの。

 わたくしは、ぽろぽろと涙をこぼしました。

 ええ、それはもう、次から次へと、拭っても拭っても、涙は止まりません。

 するとあわてたようにカラスの店主が朱塗りの小さなお椀を取り出したのです。

「もったいない、もったいない。その涙を集めてもらえるなら、この飴は全部お嬢さんに上げましょう」

 お椀を受け取ったヒキガエルが、わたくしの頬にお椀のふちを押しつけました。

 わたくしはびっくりして涙が止まってしまいそうになりましたけど、ヒキガエルが、ほら、藤吉さんのことを思い出してと言うので、また新しい涙があふれてはこぼれて、お椀にたまっていきます。

 それでも泣いていたのは、ほんの五分もなかったと思いますよ。いくら悲しかったことを思い出そうとしても、思い出だけで泣き続けられるほど、わたくしはまだ大人ではありませんでしたからね。


「もうよろしいですよ、十分です」

 カラスはどことなく慇懃に言いました。

「生きた魂からこぼれた涙がこれだけあれば、引き合います」

 そういうものなのかしらねえ。わたくしには彼らの価値なんてわかりませんからね。

 でも大事なのは、これで残っている飴を全部いただけるということでした。

 カラスはわたくしの籠から草餅を三つ、それからお椀に集めた涙を一杯分受け取り、代わりに十四の飴をわたくしにくれました。

 それからヒキガエルが、少し静かなところに行きましょうというので、お宮の賽銭箱の前に並んで座りました。

 ええ、市はまだ始まったばかりで、あいかわらずたくさんの動物や虫や鬼やその他のよくわからない妖たちが、にぎやかに夜店をのぞいておりました。

 それはとても幻想的で不思議な世界でした。

「さて、お嬢ちゃん」

 グオッと変な音の咳払いをしてからヒキガエルはもったいぶって言いました。

「本当は、飴は誰がなめても良かったんだナ。お嬢ちゃんが一人で引き受けなくても、これだけ集まれば彼岸の明けまでには全部売れただろう」

「うん。でも」

「いやいや、わかりますよ。ただね、この飴はなめたらその涙の持ち主の思い出をなぞることになるんだヨ。子どもの短い思い出とはいえ、十四もいっぺんに思い出をなぞったら、お嬢ちゃんの頭が破裂しないかってネ」

 そんなことは考えてもみませんでした。

 怖いような気がしましたが、わたくしは藤吉さんの飴を引き当てるまであきらめるつもりはありませんでした。

「きっとだいじょうぶよ」

 そして、わたくしは最初の飴を口に入れました。

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