last episode:Like the wind 第13話「風のように 中編」
last episode:Like the wind 第13話「風のように 中編」
暫定的に凛が地下帝国に帰る日を運命の日と定めて、その規定日まであと一日と迫った朝。
前回の時間では枯れてしまった桜だが今回は打って変わって、穏やかな風により桜の花びらで道が満たされた並木道を過ぎて学校に向かう。
道中から、ある種の確信を俺は掴んでいた。
未来に繋がる可能性は前回発売中止されていたゲームが発売したこと、未だに満開の桜と……確実に切り替わっていると実感できた。
万事がいい方向に向かっているのではないか――そんな錯覚さえ抱きかねないほどだ。
学校へ到着してクラス教室までの道を思案して歩いていると、
「おはよう、神風 核くん」
後ろから芯の通った透き通る声が聞こえて、振り向く。
「おはようございます時先輩。前から思ってたんですけど俺のことは一々フルネームでなくとも……」
この人、なんでいつもフルネームで呼んでくるのだろうか。
「フルネームじゃなくていいの?」
むしろなぜフルネームなのか。
「どうしてそこまでフルネームに拘るのかわかりませんけど、神風でも、核でも先輩なんですからご自由に」
「そう、じゃあ神風くんって呼ぶわね。それより、何を考えてたの?」
案外すんなりと受け入れてくれたあたり、別にフルネームに対して拘りはなかったらしい
「いえ……」
言いにくくて、言葉を濁す。
時先輩に未来の話をしてもいいものだろうか。
凛の死亡、谷風の死亡という脳裏にいつまでもちらつく失敗という実体験はいつでも俺を思案に誘う。
いい方向に向かっている……飽きるほどそう言い聞かせても、少ししたら元の木阿弥だ。
濁した言葉に、時先輩は首を傾げた。
「なによ、気になる言い方ね。なにかあるの?」
「……」
「言いたくないならいいけれど、迷って迷って、自分の中で結論をだしてもまた袋小路に閉じ込められて永遠に同じ繰り返しよ。そのままいけば、きっと兎風 凛と同じようにただ悔やむことしかできなくなるわ。
己の哀しみに、慟哭に答えもだせないままになってしまう……」
時先輩は目を伏せて、まるで自分のことであるかのように哀しみに暮れていた。
「時先輩自身のことですか……? 哀しみと慟哭に答えをだせないっていうのは……」
あまりに感情のこもる言葉だったために、思わず聞いてみる。
伏せた目をそのままに、時先輩は哀しみを孕んだ声をあげる。
「そうよ……。私も袋小路で悩んだわ。誰も知り合いのいないところに放りこまれて……最初は必死だった……。
時がたつにつれて、どこと誰とも知らない私を拾ってくれた育ての親もいるし、感謝しているけれど、心の奥でどこかでまだ両親が、お姉ちゃんが生きてるんじゃないか、そう思うようになっていったの。
そんな時に、お姉ちゃんに出会って袋小路という名の思考に迷い込んだ。何をいくら迷っても自身の中で決着がつくことはない。
こうしよう! って思っても次にはまた迷ってる……私はその過程でお姉ちゃんを憎むことでどうしようもない怒りを抑えていた。
本当は両親が死んでる可能性はあるって分かってたはずなのにね。どうしても人間は感情を処理できない……だから自分で抱えて潰れて言ってしまう……。でもね」
伏せていた目をあげて、時先輩は決意という芯が灯った瞳で俺を見る。
「あなたのおかげでお姉ちゃんと私は助かったわ。今更だけどありがとう」
「俺の、おかげ……? 俺がやったことはただ時先輩と愛瑠さんを話し合わせただけ……のはずですけど」
俺がやったことは、ただ真実を知って欲しくて、二人に仲直りして欲しい。
そんなただの自分勝手――エゴで動いただけだったのに、時先輩はお礼を述べてきた。
分からない。俺がそう言いたげな表情をしていたのだろう。
時先輩は柔和に微笑んだ。
「ふふっ、それだけで十分だったのよ。慟哭に答えをだせなかった私を救ってくれたのはたったそれだけのこと……ただ話すっていうのは簡単に見えて、とても困難なことなのよ。
あなたが私を救ってくれたのなら、次は私があなたの迷いを聞いてあげる。それが私のできる唯一のことよ。話したくないならそれで構わないけどね。
あなたが私に与えた選択と同じ。最後に行動するのは自分自身だから」
静かに語り終えた時先輩は、真摯に俺を見つめてくる。
どちらでも構わない――時先輩の目はそう訴えていた。
その目を見つめるわけでもなく、自然と答えは決まっていた。
「……少しお時間お借りしていいですか」
「いいわよ。場所を屋上に移しましょうか」
「はい」
……
屋上に続く扉を開け放つ。
すると、校舎内に吹き抜ける春風が服をなびかせていく。
自然と足が向かった中央に設置してあるベンチに腰掛けると同時に、予鈴を知らせる鐘がなった。
「……鳴っちゃいましたけどいいんですか、時先輩」
「構わないわよ。一限くらいの時間で、奇襲作戦の鍵を握るあなたの心が軽くできるなら」
何度も繰り返した一限より、たった一度のチャンスしかない事柄の心配を減らすほうが先ということか。
なるほど、時先輩らしい。
ベンチに腰を預けて、点々と雲が流れる青空を見上げる。
「なんで、時間は過ぎるんでしょうね」
我ながら意味のわからない質問を空白の時間にぶつける。
少し考える時間が欲しい――そんな意図を感じ取ってくれたのか、時先輩は戯れの質問に答えてくれる。
「時の流れは未来に流れるからこそ、私たちは成長していけるのよ」
「成長するために、時間は流れるってことですか?」
「そういうこと。人それぞれの解釈だけれど、心の傷は時間で癒えるってあるでしょう。あれも成長してるってことだから、私はそういう風に解釈してるわ。
時間が流れるのは必然だけれども、そうやって自分のために流れてるって思ったほうが気が楽なものよ。自己中心的とかそういう意味ではなくね」
「時間が流れるのは自分のため、か……そんな風に考えたことありませんでした」
「でしょうね。果てしなく利己的な考え方だと思うわ。でもそうやって考えたほうが楽ってことに最近気づいてね。
誰を怨むわけでもない……本当は誰かを怨みたい人なんていない。いずれ時間が過ぎれば色々なことが起きて、それを糧にして辛いことや悲しいことを乗り越えて成長できる。
だから時間っていうのは自分のために流れている、そう思うことにしたのよ。時間が流れれば、それだけ進むことができる、とっても素晴らしいことよ」
ゆっくりとした口調で哀愁を漂わせて語る時先輩は少し前の愛瑠さんを憎んでいた頃より……ずっと成長しているように見えた。
俺だけが、手を伸ばせば届く壁の前に足踏みしているような感覚だ。
時間が流れればそれだけ進めると時先輩は言った。
未だに記憶が戻ったというスタートラインに立っただけの俺は何もできちゃいない。
時先輩は迷いを聞いてくれると言っていた。それならちゃんと、話そう。
一日後に起こりうる出来事を包み隠さず全て。
「時先輩」
「なに?」
「全て、聞いてもらえますか。俺が迷っている事柄……この作戦が失敗してしまう、そう思ってしまう根源を」
「……えぇ」
後ろから後押しするように吹きつける風に時先輩は髪を押さえながら頷いた。
それを確認したあとに、一言一句脳裏に焼きついた記憶を思いだしながら辛いものも悲しかったものも吐きだす。
今まで誰にも話せなくて溜まってきた枷を外した勢いなのか、驚くほど素直に言葉は並べられていった。
吹き抜けた屋上に並べられる言葉は未来を語ったもので、普通ならば何の意味もなさない妄想、虚言の類を想像させるものだ。
しかし、時先輩は違う。
ブラックボックスによる時間遡行があることを知っている。だからこそ、意味のある言葉で信じられる相手だ。
静寂に身を任せて時々相槌を入れる時先輩を見ることなく、ただ言葉を羅列していく。
凛の様子がおかしかったこと。
時先輩の接触があったこと。
突発的に発生した凛の地下帝国への帰還、谷風の死。
地下帝国に囚われた俺と時先輩……。
感情がただ、ただ吐露されて言って――終わった。
「これが、未来に起こりうる最悪の状況、最悪の出来事、です」
「そう……なるほどね。あなたが記憶を取り戻した背景にはそんな事情があったのね」
あまり反応がないところを見ると、時先輩のことだ。最悪の事態を想定はしていたんだろう。それに対する対処法もそれなりに考えていたということだろう。
実際に対処できるか、は置いておいてだが。
遠くの雄大に広がる青空を見つめる。そこには脳裏に映りこんだ最悪の事態が永遠と繰り返される。
「谷風の死と凛の死……これは否応なしに俺を縛り付けるんです……何か失敗したらまた二人が死んでしまうんじゃないか、今度こそ失敗なんてできないのに、そんな気がしてしまって……怖いんです」
「私も失敗は怖いわよ。任務を完遂するまでは失敗の可能性は付きまとってくるわ。もし失敗したら、なんて恐ろしいし考えたくもない。
私はお姉ちゃんの救出を諦めない。先の見えない暗闇でも突き進んで絶対に光へ踏み込んでみせる」
未来で実際に起こった出来事を聞いても時先輩の前進する心は折れることはなく、むしろ未来に起こりうることを知ってさらに愛瑠さんを救出する意思を固めたように見えた。
「強いんですね、時先輩は……。俺はもう誰にも死んで欲しくない……」
時先輩のようになることができたらどれほどに救われるだろう。
「誰にも死んで欲しくないから足踏みをしているの? それでは何も変わらない――」
俺に何かを伝えようとする時先輩の気配に、空へ向いていた意識を時先輩に。
「――あなたが私に教えたことでしょう?」
「俺が教えたこと……?」
「立ち止まっているだけでは何も解決しない。それを教えてくれたのはあなたでしょう?
私は憎しみという暗闇に立ち止まっていた……それを後押しして光に導いてくれたあなたが、そんなところで立ち止まっていてどうするの?」
時先輩は立ち上がって、俺の前に立ちふさがって励ましと叱咤を送り続ける。
「あなたは死のうとしてる兎風 凛に説教するために帰ってきて、恐怖に怯えて足踏みして全てを失敗させるわけにはいかない、そうでしょう?」
「……」
時先輩の的を射た物言いが胸に突き刺さる。
足踏み、立ち止まる。
時にそれも必要なことだと思う。でもそれは、いま必要なことだろうか?
悩む俺に時先輩は風に流れる髪を押さえながら校舎へ続く扉の前に立ち、開け放つ。
「ゆっくり、考えなさい。時間は満足いくほど余裕があるわけじゃないけどね、一時間くらい考える時間に当てても誰も文句言わないわよ。
あとは、あなたが私たちにしたように自分自身で結論をだしなさい」
重い言葉を残して校舎への扉が閉められる。
バタンとした閉じる音。それが合図のように、いま自分がいる空間と他の空間が隔絶されたように感じてしまう。
穏やかな風が凪ぐなか、海より深く、思考を没する。
自分で答えをださなければ、回答は納得できるものではなく、誰かに追従して得た答えは、それが失敗した時、誰かに失敗を押しつけるようになる。
誰も自分のせいだとは思いたくないからだ。
それに、自分で得た答えでなければ人は真に動こうとはしない。
時先輩は俺に回答の時間を与えた。
これから先に何が起こるか、その出来事を聞いても、恐怖から逃げるのか、恐怖に立ち向かうのか、選択する時間を与えてくれた。
時先輩が教えてくれたのは明確な答えというものじゃない。
どれも俺に裁量を任せるものだ。
だから、俺はどれかを選ばなければならない。きっと時先輩は俺が何を選んでも愛瑠さんを救出しようとするだろう。絶対的に硬い意思を武器に。
思考は巡り巡って何度も同じ回答を求めかける。
でも、それだけでは迷うだけで進むことのない自己満足だ。
俺は何のために戻ってきた?
凛を救うため、死のうとしている凛に説教をするため――親友を失わないためだ。
たったそれだけの事実確認に、泥沼へ沈みかけていた意識が浮上する。
答えには何度も辿りついていた。でも、その先にある不確定の未来に怯えていただけ。
自問自答を続けていると、もう繰り返しのできない問いに、答えをだす時がきたと言わんばかりに一限目の終わりを告げるチャイムが鳴る。
春独特のさらっとしつつも少しの肌寒さを覗かせた気持ちの良い風が髪を凪ぐ。
それを受け止めながらも暖かくぽかぽかとした日差しを見上げる。
「……俺は……俺の為すべきことは――!」
決意を胸に拳を天へ掲げる。
もう迷うことはしない。どれだけ迷おうとも無意味とは思わない。
だけども、不確定の未来を嘆いていま何もしなかったら絶対に後悔する。
ベンチから立ち上がって校舎へ侵入できる昇降口を目指す。
どれだけ考えようと現状が変わることは確実に、ない。
口元で不適な笑みが浮かぶ。
結局、やることは変わらないじゃないか。うだうだと悩んでる時間はなんだったんだ、そう自分に問い詰めたい衝動に駆られる。
この時間に戻ってきた時と何もかも同じ平行線だ。
俺にやれることを精一杯やればいい! 恐怖心なんか気にしないで、ただただ暴走する電車のように突き進めばいい!
新たな決断を胸に、やるべきことが満載の校舎へ進入した。
……
クラスに到着次第、一限目をぶっちしたことを谷風に罵られながらも、席につく。
「お前だって何度もサボってるだろうが」
至極真っ当な意見を言ってやる。
こいつはサボり常習犯というわけではないが、何かしらにつけて単位ギリギリまで休んだりする。
「うっ……それはあれだ。急用でだな……」
「急用で寮に引きこもる奴がいるか!?」
「いる! 現にここにな!」
まさにドヤ顔という風情で、親指を立てる。
それを引っ込めさせながら言う。
「堂々と宣言するこったないだろう……」
「んんっ……それよりだ。どこ言ってた? なにかすっきりした顔してるが」
ごまかしたか。
「俺が?」
顔を触って確かめる。ふにふにとした触感以外に、変わったところはないと思うが……。
谷風は腕を組んで顔を見定めるように眺めてくる。至って気持ちの悪い光景だ。
しばらくして、谷風は手をぽんっと叩いた。
「あれだ、憑き物が落ちたみたいな感じだ。気負ってたもんが消えてる」
谷風には俺が気負っていたように見えたらしい。
言われて見ればその通りなのかもしれない。何かにつけて躍起になって、全てを背負おうとしていた。
「そうか……その通りかもな」
時先輩に全部が終わったらお礼言わなきゃな――そんな風に思っていると数学の先生が入ってきて、点呼を始めた。
「んじゃ気合入れるか」
「いつも寝てるだろ」
「問題ない。出席するのが目的なんだ」
「サボってんのと変わらねぇじゃねぇか……」
……
何をするまでもなく流れた四限目の終了後、昼飯も早々に切り上げて職員室に向かう。
その理由はもちろん、先生に会うためだ。
入室の挨拶を述べてから、職員室に入って周囲を見渡す。
新学期ということもあってか、中はそれなりの喧騒に満ちていた。
部活のことで先生に意見を述べているもの、生徒に怒られている先生がいるかと思いきや先生に起こられている生徒もいる。生徒に怒られるってよっぽどのことをしたんじゃなかろうか。
そんなことより、先生だ。
視線を彷徨わせていると職員室の奥に先生の姿を見つけた。
どこか話しかけないでくれ、とでも言いたげなオーラを身に纏っていた先生に寄る。
真横に立つと先生はすぐに見上げてきた。
年齢はとうに四十歳くらいのはずなのだが、見た目はとても若々しく二十台前半くらいにしか見えない。
「なんだ、用か? 神風」
いつものように話しかけてくる先生。
俺が記憶を取り戻したことなんて微塵も考えていないのかもしれない。
最初に考えていたことと同じだ。いくら考えたって未知の時間に対して結論なんてでるわけがない。
だから、はっきりと先生にだけ聞こえるように告げる。
「少し、お話があるんです――地下帝国のことで」
「……」
俺を見据える先生の目が心底嫌なものを見るように不快なものに変わっていった。
……
場所を変えて先生と向き合う。
連れてこられたのは違反を犯した生徒を搾るのが目的の生徒指導室だ。
おそらくは話やすく、外部からも聞かれることのない場所として生徒指導室を選んだのだろう。
先生は対面のソファに腰掛けたあと、猫背になってしきりに苦い顔をしては、それを振り払おうとしている姿がとても痛ましかった。
俺には実際その場にいなかったにしろ、数十年前の初代観測者たちを俯瞰で見た記憶がある。
それだけでも、初代観測者たちがどれほど悩み、苦しんだのかを知っている。
苦悩する先生にどうやって続きを口頭で伝えるか迷っていると、まず口を開いたのは先生だった。
「……今更どうして、俺の前に現れた?」
吐き出すように言ってから、先生は
「すまん」
と言って思わずでてしまった一言に苦痛を示していた。
俺は酷いことをしようとしている。こんなにも苦しんでいる先生に対し、協力してくれ、と言わなければならない。
「先生」
「……なんだ?」
「地下帝国のことでお願いがあるんです。先生にしか頼めないことが」
先生は死刑を待つ死刑囚のように硬く口を閉ざし、次に紡がれる言葉を待っているようだ。
ただ伝えるだけなのに心臓の鼓動がはっきりと感じられて緊張している。
しっかりと深呼吸して鼓動を整えた。
「地下帝国の王、兎風 彗を止める手伝いをしてもらいたいんです。初代観測者の一人として」
紡ぎだした言葉に、先生の目が驚きに見開かれる。
「俺が初代観測者だということを知っているのか?」
恐る恐る聞いてくる。先生に対して悠然と受け答えする。
「はい。先生たち初代観測者に何があったのかも知っています」
先生は深いため息をついた。
「そうか……。だったら俺がする返答もわかるだろう神風。俺はもう地下帝国と関わることはできない」
逃げたい、そんなニュアンスが感じ取れそうな先生は話を打ち切ろうとする。
全てから逃げたい。
先生が過去の体験からそう思うことはなんら不思議なことではなく――むしろ正当なことだとさえ思える。
でも、俺はその逃げたいという意思を踏み倒さなくてはいけない。
人生の先輩に対して失礼な物言いであっても意見をしっかりと伝えることこそが、幸福な未来に繋がると信じて。
「関わることはできない――それは違うでしょう? 先生。あなたは関わりたくないだけじゃないんですか! 過去に縛られて……過去の因縁を断ち切れずに引きずって」
先生が歯軋って、怒りや哀しみや後悔が混ざった複雑なものを表面に浮かび上がらせる。
「……俺が兎風 彗と話したところであいつの考え方が変わることはない。俺に協力を要請するのは無意味だ」
先生はあくまで俺を諦めさせようとしているらしい。
ここで引くわけにはいかない。
「俺は先生の考えが変わるまで先生に協力してもらうことを諦めるつもりはありません。
凛を兎風 彗から解放するには先生の力が必要なんです」
「何度言われようと俺は何もできんさ……。俺は既に地下帝国から逃げた人間だ。王として責務を果たしている兎風に対して言葉をかける資格はない」
「あなたは確かに一度地下帝国から逃げたかもしれない。でも、今からもう一度向き合うことはできるはずです」
「……」
先生は硬く口を閉ざし、顔を伏せる。
このまま終わらせるわけにはいかない。ここで切り札を切る。
これに対して何も反応がなければ俺はもう先生を説得することはできないだろうという切り札。
「百合風さんと夜風さんに頼まれたことでもあるんです。先生と兎風 彗を会わせてほしいと」
ぴくっと先生は顔を上げる。
「百合風と夜風……? 二人は死んだはずだろう……。もう帰れ。何を言っても無駄だと何度も言っているだろう」
振り払うように先生は手を払う。
ダメ、か……。
「……わかりました」
立ち上がり、沈思黙考する先生を一瞥して生徒指導室から出る前に立ち止まる。
「明日、地下帝国への奇襲作戦があります。今の地下帝国を変えようとする人たちが集まった作戦です。
その作戦で俺は凛を説得します。絶対に、兎風 彗の呪縛から凛を解き放ってみせる。でも、それは俺だけじゃ為しえない。凛を真に呪縛から解放するには先生が兎風 彗をどうにかしてくれることが必要なんです。
先生――これは俺の勝手な思いです。過去の自分から逃げないでください。兎風 彗をいまの立場から救ってあげられるのはあなただけです。
俺のために力を貸してください。お願いします」
俺のエゴを、言いたいことは言い切った。あとは……先生がどう動いてくれるかだ。
……
「……くっそ!」
――は生徒指導室で、神風 核が退室したあとテーブルに拳を振り下ろした。
行き場のないやるせなさが詰まった虚しい音は彼の心情を表しているようだった。
「わかってる……わかってるさ……! 俺は過去から逃げていただけだ、先生として生徒に慕われるようになったのも困っている人を見捨てられない百合風のようにしてきたからだ……!」
地下帝国から逃げた彼は秘密基地で百合風に託された言葉――兎風 彗を頼まれた後ろめたさから人に対して最大限に親切にすることを貫いてきた。
その結果が生徒に頼られる先生という結果に繋がって、今の彼を形作ってきたものだ。
神風 核が言った語群は彼を不安定な足場から突き落とすような行為であり、彼が数十年かけて築いてきたものを瓦解させる。
「神風が言うことに間違いはない、だが正しいことでもない。俺は……」
拳を握り締める力に自然と力が篭る。
ふと、最後に神風 核が語ったものが思い起こされる。
「百合風と夜風に頼まれたと言っていたな……。あの時はあいつの言葉を疑うしかできなかったが――」
彼は宙を凝視し、自らの為すべきことに思いを馳せる。
視線の先では光と闇の道が示されていた。
このまま全てから目を逸らして後悔に沈みながら生き続けるか。
やるべきことを注視して過去からの因縁を断ち切ることを選択するのか。
片方の道が光に、またもう一つの道が闇に続いている。
どちらが真に正しい道なのか。彼は悩み続ける。
ひたすらに苦悩して……答えを捜し求める。
誰も知らない回答を得るための思考の旅。一日という短い期限でそれを彼は重ね続ける。
……
黄金と影を産み落とす夕暮れに染まる学校の廊下。
その一角で、生徒指導室からでてきた核を谷風は訝しむ。
「核の奴、俺に黙ってなにしてんだ? 生徒指導室なんて普通行く場所じゃねぇだろ……。あいつの動き、しばらく観察してみるか」
苦い顔をしながらも廊下の影に消えるように、谷風は姿を消す。
親友が何かを大きな事を為すために動いていることを理解しながらも、自分を頼ってもらえない―そんな不安を抱えながらも親友を思い彼も先行きの分からない道を模索しだす。
……
「はぁ……先生の説得失敗しちゃったな……明日、時先輩になんて言われるか」
夕暮れに沈む茜色に染まった並木道を後悔に苛まれながら歩む。
先生が頑なに俺を拒否する理由は容易に図りしることができる。
「っあー! いつまでも失敗を悔やんでても意味ねぇよな……。よし!」
頬を渾身の力で引っぱたく。
「っいてぇ!」
「……なにしてるの?」
痛みから頬を抑えていると、後ろから声をかけられて振り向く。
長い髪を馬の尻尾のようにまとめた細やかな黒髪。芸当に秀でた人間が製作した人形を彷彿とさせる体型――病んでいるかのように、生気を感じられない目が俺を射抜いていた。
「いや、なんでもない。こんな時間までどうしたんだ? 学校で居残りでもあったか」
凛は起伏のない感情を象徴するように、ただ頷いて歩き去ろうとする。
「ちょっと待てよ!」
放っておいたらいつの間にか消えそうな気がして追いかける。
「……」
世界を闇に包むべく山中に消えゆく夕暮れに目を細めながら問いかける。
「夕方までどうしてたんだ?」
「……勉強していただけ」
「誰もいない教室でか」
「……うん」
「そっか……俺でも誘ってくれりゃよかったのに」
「できない」
「なんで?」
凛は戸惑うようにしばらく間を置いたあと俺を向いた。
「神風くんは……一年の問題、わかる?」
「わかるから! さすがにそこまで馬鹿じゃないから!」
「……そう」
興味なさげに返答を告げたあと、夕日を眩しそうに見つめる凛。
少しでも感情を表してくれれば――自分で閉ざした殻を破ってくれたら言葉も心に届かせることができるはずなのに……。
ただ、見てるだけしかできないことに無力感を感じつつ歩き続ける。
「なぁ……」
「……」
無言を肯定と受け取り、穏やかに過ぎる風を感じながら独り言のように呟く。
「昔のお前はそんなんだったか? もっと――元気でみんなの太陽になれるような人間だったような気がするんだ」
「……」
「違うか? 凛」
「……」
春先の暖かな空気がしんっと冷え切ったように感じられるほどの静寂。
寮の直前でいつの間にか凛は歩を止めおり、それに気づいて凛に振り返る。
二歩先に進んでいる俺を見据える凛は、一瞬――躊躇を見せて、顔を背けた。
「……わたしは昔から何一つ変わってない。……ただあるがまま生きているだけ」
それだけを告げて凛は女子寮の中に消えた。
唇を噛んで消えた背中の幻を追うように虚空を睨み続ける。
静かな怒りがふつふつと舞い起こり、拳に自然と力がこもる。
「あるがまま生きてる……? 昔から変わってない……? ふざけるなよ! 親父に従うことがあるがまま生きるってそんなわけないだろ!
親友のみんながお前を思っているのに、どうしてお前はそこから目を背けるんだ……!
明日だ。明日、絶対にお前と決着をつける。お前の過去からの鎖、絶対に断ち切ってやる……!」
虚空へ向けられた魂の叫びは誰構わず、空気に溶け込んでいった。
……
私は核くんの魂を感じさせる叫びを呆然と聞いていた。彼は私の物言いに腹をたてて我慢できずに叫んだのだろう。
でも……。
「まさか……」
記憶が戻っている?
それを認識した瞬間に氷のよいうに冷えきっていた血が細胞が――体を形作っている様々な器官がうねり出すように活性化しだして、最後にけたたましく心臓が鳴り響いていることを知覚した。
まるで世界の音は心音だけであるかのようで、色褪せていた世界が彩色されていく。
もし本当に核くんの記憶が戻っていたのだとしたら――私はどうすればいいのだろう?
「ダメ……」
体を両手で抱き寄せる。
頭の許容範囲を飛びだしつつある状況に困惑しながらも呟く。
「希望なんて感じちゃダメ……それは心を弱くすること……っ。だからっ……!」
なんの意味もないのに表面を取り繕うための言葉を羅列する。
「私は愛瑠ちゃんにも美風ちゃんにも酷いことしたのに……そんな私が希望なんて抱いていいわけがないのっ……!」
いくら言葉を並べようと知覚できるほどに大きくなった心臓の鼓動は収まることを知らない。
もしかしたら、核くんは私を絶望から救い上げてくれるかもしれない――心の奥底では心にぽつりとした希望の灯火が現れていることを、私は理解していなかった。
last episode:Like the wind 第13話「風のように 中編」 オワリ
最終話「風のように 後編」へ続く
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