last episode:Like the wind 第12話「風のように 前編」

 last episode:Like the wind 第12話「風のように 前編」


 朝。

 それは一日の始まりであり、前日の終わりを告げる太陽が昇る時間で、意識の覚醒が促される。

 体を預けていたため、熱の篭る布団を億劫にどけて、身を起こす。


「さむっ……」


 閉じられたカーテンの隙間から覗く春先の寒空が一層、身を縮みこませる。

 まず確認することは……これか。


「午前七時、か……帰ってきたんだな」


 帰ってきたというのもおかしいか、と思い苦笑する。

 電子時計で日にちもしっかりと確認して、時間遡行が成功していることを再認識する。

 不思議と気持ちは落ち着いていた。

 やることが決まっているせいだろうか。失敗するんじゃないか、そんな不安は頭の隅で抱えているけれど、絶対に成功させる!

 その思いが俺を前へ、前へ進ませる。

 今回の時間遡行は、普段のものとは違い、俺だけが記憶を引き継いでここにいる。

 俺以外の誰もこの先に起こる出来事を知らずに、日々を過ごしている。

 静かに二段ベッドの下から出て、上にいる谷口を確認した。


「ぐがー……へへっ……おれってばもてもてだろ……? でも……おりゃあすきなのはなぁ……むにゃ」

「それが寝言でいいのか、お前」


 よかった……。

 冷静に突っ込みつつも、谷風がしっかりと生きていることに安堵を覚える。

 極力起こさないように、外にでる支度をすると同時に、クローゼットの中を少し探る。

 優衣とかがまだいる頃の時間遡行中に、恥ずかしいから見られないように、と、隠していたものがあったからだ。

「あった……優衣がいる時の探検部、日記……」

 少しずつ変化していく日常をほんの数日だけ書いた日記だ。

 どれも同じ時間軸で起きている出来事でありながら、まったく違う物語を描いてきたことがここに証明されている……。

 それに、俺が日記に書いてある出来事を知っているというものは、凛に対して有効な切り札になるはずだ。

 彼女は停滞する日常を望んでいる。それなら変わるものを?見せつければいい。

 通学用のカバンに日記を滑り込ませて、もう一個の隠し場所を探る。

 それはベッドの下にあるため、少々音を立てながらの作業になった。


「うるせ……ぇ……」


 突然の小声に、驚いて谷口を注視するも起きている気配はなかった。

 ただの寝言か、しっかし寝言ばっかりだな、こいつ。

 しかも碌な夢を見ていないらしい。強く生きろ……。

 気をとりなおし、ベッドの下から愛瑠さんがいた時の日記を引っ張りだす。

 思えば、凛の様子がおかしくなっていたのはこの頃か……それ以前にも、俺を殺したことは数十回にも及んでいたはずなのに、心のバランスをいまのいままで壊すことがなかったのは、凛の強靭な精神力のなせる業か、それとも……優衣と愛瑠さんが、いたからなのか。

 ……おそらく、後者が心を保っていたものなのだ。

 彼女は優衣と愛瑠さんを心の拠り所にしていたはずだ。それは俺が見た幼い頃に三人が交わした約束から見ても相違ない。

 その二人を命令とはいえ、消してしまったということは……、とてつもない不安と後悔の波が押し寄せたということになる。


「……よし」


 どれだけ考えたところで、結局のところ心の闇を抱えた凛が消えることはない。

 だったら俺は時間を無駄にせず、動くとしよう。

 制服を着込み、カバンをしっかりと持つ。

 玄関に向かう際に谷風を一瞥して、自室からでた。

 

 ……


 朝風に舞って桜が乱れ吹く並木道。


「風、か……涼しいな」


 両脇の桜の花びらを見つつも、心身を満たす和やかな風を懐かしく感じていた。

 そう思うのも、過去の長い数年間の記憶を垣間見ていたせいなのかもしれない。

 幻想のように美しい光景は地下世界では絶対に見られないものだ。

 もし失敗したらもうこんな光景も、もう見られないかもしれないんだよな……。

 俺の記憶は既に戻っているから、この先少しでも失敗したり正解への道を違えたりすれば、おそらくブラックボックスの意思関係なく、地下帝国に投獄されるかもしれない。

 いままで直接的な力の行使を兎風 彗がしてこなかったのは一重に、俺が記憶を取り戻していなかったからだ。

 何も知らない者を、例えブラックボックスに作られた人間である俺であっても力に訴え、自由を奪うことはしたくなかったのだろう。

 しかし、俺の記憶が蘇ったことを知れば、兎風 彗は遠慮なく持ちうる力を使ってくるはずだ。

 失敗してしまったら……なんてことは考えたくもないが、どこかネガティブになってしまうのは不安を抱いているからか。

 記憶どおりなら明日には桜も枯れてしまう。

 だから、最後になるかもしれない風景を目に焼き付けながら、コンクリートで固められた道を進んで、学食に到着した。

 早朝で人も少ない学食の座席は閑散としていた。

 さすがに部活も始まってないような始業式じゃ殆ど人もいないか。

 早起きして、学食で太陽の光を浴びながらゆったりと本を読んでいる者や朝からカレーを食って幸せそうに頬を緩ませているものはいるものの、俺のお目当ての人はいなさそうだ。

 真面目な人だから、もしかしたらここにいるかも、と期待を持ってきたのだが当てが外れてしまった。

 来てしまったものはしょうがない。


「腹も減ったし朝ごはんでも食うか……」


 食券の販売機でトーストとコーヒーを買っておばちゃんに引き換えてもらって、日がよく通る気持ちのよさそうな席を探す。


「あれは……?」


 柱の物陰で微細に動く黒髪を発見して近づいてみる。どうやら、学食の出入り口からは死角となっていて見つけづらい場所に、彼女は居た。

 物静かさを感じさせる細やかな短髪の黒髪が緩やかに揺れ動く。

 驚かせないように隣まで近づいて、声をかけた。


「時先輩」


 一見、愛瑠さんと見間違うほどに似た顔は、美人という言葉を体言しているようで、少し見惚れてしまう。


「……」


 しかし、なんだ。無言……?

 返事がない。

 時先輩らしくない不思議さに、書き物をしているノートを失礼かなと思いながらも覗き見た。


「こんな朝から勉強か……」


 ずっしり、胃もたれするほどの文字が所狭しと並んでいた。

 よく人の声も聞こえないくら集中して勉強する気になるな、この人。


「……ここをこうしてっと……え?」


 テーブル上のコーヒーを取ろうとしてやっと俺の存在に気づいたようで、時先輩はちゃっかりとコーヒーを口に含みながらも目を丸くした。


「んっ……あ、あら、こんなところで何してるの? 神風 核くん。わたしになにかよう?」

「はい、少し相談があるんです」

「私に相談? なにかしら」


 突然いることに驚いただろうに平静を装い何事かを聞いてくる。

 それだけで、時先輩は、前回の記憶を引き継いでないと理解できた。

 前回の記憶があれば、時先輩のことだ。

 真っ先に俺に接触してくるはずで、前回の反省を活かそうと対策を練ろうともするはず。

 それがないということは、つまりそういうことなのだろう。

 凛や谷風の死……前回の記憶を引き継いでいるのは俺だけで、他にはおそらく誰も記憶を引き継いでいない。

 と言っても特別やることが変わるわけじゃない。

 前回、協力した記憶がないなら、協力してもらうように頼むだけだ。


「時先輩に話があります――地下帝国のことで」


 俺の冷静な一文を聞いただけで、時先輩の表情が考え込むものに変わる。

 瞬時に自分のなかで結論をだしたのだろう、俺を真っ直ぐ仰ぎ見た。


「……あなたもしかして……記憶が戻ったの?」


 問いかけに頷く。

 さして驚いた様子はなく、いつもの時先輩にほっとする。

 この人がいれば作戦も成功に近づくだろうと確信さえもてる姿に安堵した。


「そう、わかったわ。ここで話すのもなんだから、四限目の終わりに生徒会室にきて。

 そこで、話しましょう」


 そう言って、時先輩は迅速に勉強道具を片付けて学食からでていこうとする。


「ちょ、ちょっと時先輩!」

「なに?」


 振り向く。本当になんで呼び止められたかわからないという顔をしている。

 テーブル上に残るコーヒーを指差して真面目に言った。


「これ、片付けていかないんですか」

「……それだけ?」

「それだけですけど」

「ぷっ……あはは」


 何がおかしかったのか時先輩は口元を抑えて笑いだした。


「なにがおかしかったんですか!?」

「い、いえ。慎重に話を切り出したにも関わらずそんなことを気にするのって思ってね。

 いくらあなたが記憶を取り戻したからって性急に行動しすぎたみたい。

 この時間になったら人が増え始める頃だから、あとで記憶を取り戻したときの諸々の事情は聞くとして、コーヒーは片付けておいてちょうだい」

「は、はぁ……」

「じゃあね、遅刻しないように。あとでちゃんと生徒会室に来るように。あ、あと勝手に飲まないでね」

「わ、わかってますよ!」


 言いたいことだけ告げて、学食から陽気に歩きながら去る時先輩を尻目に、俺は呆然として一言、放った!


「その場の勢いでコーヒーの片付け命じられた!?」


 ……


 午前八時の学校に校門から入って教室へと向かう。

 道中には、入学式も終えたこともあって、若々しい新入生が緊張気味に歩いており微笑ましかった。

 在校生は新しい部員確保のために努力を惜しんでいないようで、野球部は腹筋しながら「ほっ! ほっ! いい男だらけの野球部、どうだい?」と誰に問いかけているのかもわからない宣伝をして新入生を困らせたり。

 図書部は大々的に自作小説などが乗った冊子を配り、去年あわや怪我人を生みだしかけたロボット研が試作パワードスーツなどを展覧していた。

 体育祭の惨事を知ってたら、誰も使わないよな、あれ……。

 UFOと接触するために「みんなで呼びかけよう!」などと謳っている輩もおり、怪しげに声をかけては引かれている。あのままじゃ誰も一緒にやってくれる奴いないだろうなぁUFOの呼び込み。

 はたまた真面目? に宣伝している者がいる間に突っ立って道行く新入生を観察している怪しい生徒がいた。


「……」

「……隊長!」


 知的な雰囲気を持つ男がメガネをくいっとあげなら、顔立ちの整った無愛想な男に話かける。


「……」

「隊長、聞いておられますでしょうか」

「……ふむ」

「……」

「……なんだ?」


 無愛想な男は見た目どおりの渋い声で返す。


「あそこの女子を見てください! 我々を見て立ち止まっています! 我々のことを餌と思っているのでしょう!」


 ん……餌?

 わけのわからんことを口走るメガネ男(便宜的にそう呼ぶ)が集団で固まる新入生女子を見て、キンキンとした大声をあげていた。

 なんだ、面白そうだから観察してみよう。

 観察している奴らを観察するという探偵さながらの事柄が始まった。


「……うむ」


 無愛想で格好の良い男に見られて、新入生は嬉しそうに悲鳴に似たものをあげるが次の一言が決定的な運命の分岐で、非常にまずかった。

 それはもう、世界が凍るくらいに。


「……いいおっぱいだ」


 すっと新入生女子の目から光が居所を無くした。

 空気がしんっと凍ったのを肌で理解して顛末を見届ける決意をする俺をよそに、新入生女子たちは無愛想な男に近寄っていった。

 なぜ近寄る!? こんな怪しい奴がいたら俺だったら間違いなく逃げているが、新入生女子の集団は尚も足を止める気配はない。


「お! こちらに来ます! どうやら我々に話があるようです。しかし、誰を選びますか、隊長?」

「……そうだな、あの金髪ツインテール釣り目のおっぱいテンプレ少女なぞ、いいな」

「ほう! あれですか! わたしはあのピンク髪ならいいですね! まことに……じゅるっ」


 なんでこいつらそろいも揃って上から目線なんだろうか。

 獲物を見定める猛禽類のような目を浮かべる無愛想な男の眼前に、目から明かりの消えた新入生少女たちが到着したと同時に、見るに耐えない光景が始まった。


「こんの! 変態!」


 罵りと乾いたどぎつい音が晴天の空に響き渡った。

 えぇぇぇ――!?

 驚きに目を見開く俺に対して名も知らない新入生の金髪ツインテール釣り目さんは無愛想な男に平手打ちを食らわせていた。

 確かに、しょうがないことだが突然平手うちはさすがにどうなのか。


「……」


 無愛想な男は怒鳴るかと思いきや一見すると仰け反りながら恍惚な表情を浮かべていた。

 その瞬間に俺は何もかもを察した。察せざるを得なかった。


「やりましたね! 金髪ツインテール釣り目おっぱいテンプレ少女に平手打ちされましたよ!」

「……うむ」

「あんたもよ! へんったい!」


 あ、また平手打ちした。

 見るからに強烈な一撃であったのに、メガネ男もぶたれてうっとりとしていた。


「いこっ」


 金髪の女の子は不快そうなまま、駆け足で去っていったが、他の新入生女子は何を思ったのか、無愛想な男とメガネ男に容赦のない平手と罵詈雑言を浴びせて校内に入るという光景がしばらく繰り広げられた。

 あいつら、部活とかじゃなくて毎年叩かれることを楽しみにしてる特殊な奴らだ。間違いない。

 そういえば去年も見たことがある面構えだ。優衣や愛瑠さんに目をつけてはいたが、まったく相手にされず、ほかの奴からびんたを食らっていたのを見て五十歩くらい心の距離を後退させた記憶がある。


「ぶっは……隊長……」

「うむ……」

「ナイスでした……!」


 ぐっと指を立てるメガネ男。


「任せろ……」


 やっぱりこの学園は世界でどんなことが起きていようとも変わることはないんだな。

 変わらないものに安心感を得つつも、いまから凛の望む停滞を壊すのだからそんなことではいけないと気を引き締める。

 変わるもの、変わらないもの……どっちがいいかなんて主観で考えるしかないのだが、この混沌とした空間はいつまでも変わってほしくないな、と少しばかり思ってしまう。

 しっかしなんだ……。


「みんな、フラストレーション溜まってたんだな……」


 遠い目で青空を見上げる。

 何回目かの強烈な高音が静寂の空を満たす。


「空が、青いなー」


 現実逃避を行うが、視界の端と音声をありのまま脳に入れてくださる目と耳は、いまだに新入生女子や、なぜか在校生女子にまでぶたれ続ける無愛想な男とメガネ男がいると教えてくれていた。


 ……


 始業式前の奇妙な光景を一通り観察したあとに新年度のクラス割りを流し見て一年お世話になるであろう教室に入って早速見渡す。

 席に座ったりしている者はまばらで、五人程度しか教室にはいなかった。

 誰も真ん中や前の席にいないのが正直というかなんというか。

 幻無学校は大半の生徒が部活に参加しているために、朝のホームルームを知らせるチャイムが鳴る寸前までは校門にいる部活参加者は帰ってこないだろう。

 黒板には自由に座れと書いてあるので、適当に窓側の席を選んで座る。


「よっ」


 後ろから呼び声をかけられて振り向く。


「……谷風か」

「なんで残念そうな顔するんだよ!?」

「いや、朝っぱらから別にお前の顔見てはしゃいでる俺なんて想像できないだろ」


 俺自身、想像するのを願い下げたいくらいだ。


「……そりゃそうだ。そんなことされたら気持ち悪いしな」

「だろう」

「……なぁ」

「なんだ?」

「お前今日随分と早起きだったみたいだが、なんかあったか?」

「なんにもない。ただ起きてしまっただけだ。寝るにもどうかなって時間だったから外にでてたんだ」

「ふうむ……」


 谷風には珍しい腕を組んで真剣に思案する姿。


「どうしたんだよ? なにかあったか」

「いや……お前になら相談してもいいか」


 何があるのか、察するのは記憶があるからこそ簡単だ。

 谷風が言いたいことは――。


「これなんだけどよ、ここ見てくれよ。凛の文字でまだまだ頑張ろう! とか書いてあるんだぜ」


 やっぱり、か。春休みの宿題という悪魔の中に書かれた丸文字に視線が吸い寄せられる。

 優衣や愛瑠さんのメッセージもあって、懐かしさを感じた。

 この世界の凛とは違う異様なテンションと優衣と愛瑠さんという知らない人の名前が書いてあることに気づいたのは前も谷風だった。


「凛以外の知らんのもあるし、なんだろうな。こんなもの書いた記憶すらないんだが……」


 ここで、前回と同じように谷風を俺の目的に巻き込むのは簡単だろう。

 同じことを思っていた、そうやって意見をすれば、また前の繰り返しになる。


 死んだ谷風。


 大地の受け皿に広がる血を想像するだけで、吐き気のようなものがこみ上げかける。

 あの時は怒りが兎風 彗にしか向かっておらず、谷風が死んでいる姿を目に焼き付けるように見ることもなかった。

 いま冷静に思い起こすと一秒単位で絨毯のように広がっていく血は恐怖でしかない。

 震えだす心を抑える。

 もう、絶対に谷風が死ぬところを、親友が死ぬところを見せられるのはもう御免だ……!

 だから、谷風の質問には、肯定しないことを選択する。


「宿題のしすぎで頭がおかしくなってたんだろ、俺たち二人とも」

「二人とも? 核のにも書いてあったのか?」

「ああ」


 谷口は息を思いっきり吸って吐き出した。


「そうか、勉強で脳がいかれちまったか……これだから勉強は!」

「だよな!」


 どうにかして意識を勉強そのものに対する敵対心にくくりつけることに成功したらしい。


「あっはっはっは!」

「あっはははは!」


 清々しいまでの高笑いをする俺たちにクラスメイトが奇異の視線を投げかけてくるが気にするものか。

 谷風の興味が別に向いてくれればそれでいいんだ。このことを調べるなんて俺が言い出さなければ、明日にはもう忘れていることだろう、こんな些細なことは。


「ところでな――」


 頃合いを見て別の話題を振っていたらいつの間にかホームルームの時間が始まり――流れるままに四限目が終わった。

 谷風は不完全燃焼と言った感じではあったが、あれ以上、凛たちの文字に対して突っ込んでくることはなかった。

 むしろ嬉々として帰っていった。

 何か今日あったろうか……。

 これで諦めて、普通に生活してくれるといいんだが、谷風の行動にはある程度気を使っておく必要がありそうだ。


 ……


 朝、時先輩と約束していた通りに、生徒会室の扉を拳で軽く二回叩く。


「神風 核です」

「……ああ、もうそんな時間。入って」


 芯のある透き通った声が猫背になっていた背筋を真っ直ぐに伸ばさせる。


「失礼します」


 扉を開けて中の様子を窺いながら、時先輩が手を指して示す席に座る。

 生徒会室には初めて入ったのだが、いかにも小説や漫画などででてくる生徒会室! と言った場所だった。

 ロングテーブルに折りたたみ可能な黒椅子はまさに生徒会室といった情緒を感じさせる。人手が足りないのか、整理仕切れていないダンボールなんて生徒会室に似合いの最たるものだと感じられた。

 時先輩は、内容を見ずに申請書だろうか、のハンコを押し続けている。


「それ、見なくて大丈夫なんですか?」

「大丈夫よ、何十回と見てきたものだから間違いようもないわ。元から通らないものに関しては無駄な作業だから省いてあるしね。

 それより座ったら? 折角、私の左下を開けてるんだから」

「はい、そうさせてもらいます」


 黒椅子に腰を落とす。

 ……よし、時先輩と話がつけられる状況にまでなった。

 話をするのは、それほど難しいこととは思っていなかったものの、もしかしたら拒否される可能性あったわけで……前回は協力してくれたものの、今回もその体制を維持できるかわからなかったからだ。

 今朝の通り、見る限り時先輩が以前の記憶を引き継いでいることはないとこれまでの行動で断言できるだろう。

 さて、ここからが本番。

 時先輩の協力をどうにかして取りつけないといけない。

 凛のことだけではない、地下帝国のこと……そして、昔の観測者に託された使命もある。百合風さんと夜風さんと言ったか、二人からの願いで俺は兎風 彗と先生を引き合わさなければならない……。

 俺単体でこの物事をすべて解決するのは事実上、不可能だ。

 凛のことは俺がどうにかできても、その先に居る兎風 彗のことをどうにかするのは俺には不可能だ。彼に俺の言葉は届かない。


「……あなた、どこまで思い出したの?」


 思案する頭を中断して、時先輩に意識を向ける。

 疑問を投げかけつつも、彼女の両手は動きを止めることを知らないかのように働き続ける。

 よく見ると同じ場所にハンコを押している……器用な人だ。


「全部、思いだしました。自分が何であるか、凛たちがどうしてここにいるのかも」


 普通の人が聞けば意図が不明になろう言葉の告白にもさして驚いた様子はなく、平常運転を続ける時先輩。


「そっ……なるほどね。何があったかはこの際面倒――いえ、想像できるから良しとしておいて、あなたはどうして私に声をかけたの?」

「時先輩に協力してもらいたいんです。俺一人では凛を助けたあとの地下帝国をどうにもできない。例え凛を助けたとしてもその奥には兎風 彗がいる。

 それに、地下帝国までの道を俺が開けるとは限りません。だからお願いに来たんです。一緒に協力して欲しいって」


 そう、もし凛をブラックボックスの生贄という立場を本格的に嫌がっても、その奥には兎風 彗がいる。

 地下帝国の王をどうにかしなければ、力ずくでも凛が生贄にされる可能性はある。全てを良い方向に導くには二つの壁がある。ただし、どちらも破れる切り札は不確定ながらも存在する状態なのだが協力者は多ければ多いほうがいい。

 もしかしたら死ぬかもしれないことに時先輩を巻き込むのは不本意なのだが、こればっかりは俺だけではどうしようもないことだ。


「それをわたしに相談されてもね……と言いたいところだけど、丁度いいタイミングだったわ」


 丁度いい……?

 一体何を言っているのだろう? 

 首を捻る俺をよそに、時先輩は携帯を取り出して、電話をかけ始めた。


「ちょ、ちょっと!? どこに掛けようとしてるんですか!」

「あなたに関係あること、少しでいいから静かにしてて」


 有無を言わさぬ迫力に、押し黙る。

 やっぱり、時先輩は少し苦手かもしれないなー。などと思っていたら、時先輩の携帯が繋がったようだ。


「……やっと出たわね」


 呆れた様子で時先輩はわざとらしくため息をついて話相手に憎まれ口を叩く。


「元々そっちから連絡よこしてきたんだから、そっちがなんとかしなさいよ……わかってるから、こっちの本題に移らさせて。

 神風 核の協力を得られそうだからそっちも準備をしてくれない? えぇ……なるほどね。

 なら……そうね、兎風 凛が地下帝国に帰る日に行動を起こしましょう。きっと内部もごたごたしてるから……」


 耳に残る単語が脳にしつこく残る。

 凛の帰る日だって……?

 そういえば、前回の時は凛の帰る日に、彼女は俺たちと接触してきていた。確か、朝に唐突に凛が現れて探検部を始めた時のことだったはずだ。

 学食で地下帝国のことを調べている頃に時先輩はやってきて、俺たちに混ざったのだ。

 待て、何かおかしくないか?

 時先輩は囚われた愛瑠さんのために協力してくれたのだと、思っていたが、もしかして違うのか?

 疑念が渦巻く。

 俺たちと接触してきたのはどうしてなんだ? そして今話をしている相手はもしかして、地下帝国の人間だろうか。


「ふんっやっと切れたわね。お待たせ神風くん――ってあれ? どうしたの?」


 はっと時先輩からの言葉に頭を切り替える。思考を中断して、とりあえずどこと話していたのかを聞いた。


「どこと話してたって、地下帝国の人間よ」

「まさか……?」

「何がまさかなのかしらないけど、地下帝国の現状を良しとしない王政反対派の人間がおねえちゃ――んん、愛瑠のパイプを通じて私に接触してきたのよ。

 あなたの力が必要です、ってね。何が力が必要よ、私が観測者としての力を少し持ってるからってへりくだりすぎだわ」


 どうやら愛瑠さんのことをお姉ちゃんというのは少し気恥ずかしいらしい。

 そりゃあれだけ憎しみ向けててお姉ちゃんは言いにくいよな……。前回の時には自然に言っていた気がするが。

 聞かなければいけないことが増えたことに変わりはないが時先輩が先に言いたいことを述べる。


「私は王政反対派の人と地下帝国に対して反乱を起こすつもりよ。どうにかして、地下帝国の現状をどうにかする。それが彼らの主張よ」

「彼らの主張っていうことは、時先輩の主張は?」


 この主張如何では、俺と時先輩が対立してしまう可能性もある。

 もし、愛瑠さんに向けられていた憎しみが何らかの科学反応で地下帝国に向けられていたりして、地下帝国の王に君臨するだとかだとしたら、必死に止めなければいけなくなる!


「えっ……あー、えっとね……」


 照れくさそうに頬を掻く時先輩だったが、自分の中で照れを速攻で解消したと思われる彼女は口を尖らせた。


「お姉ちゃんを助けたいのよ……」


 ぶっきらぼうながら、優しさが感じられる言葉。


「それって……」

「だから、お姉ちゃんを助けたいだけよ! あなたが何を勘ぐろうとしているのかはわからないけど、私はほかに何もやろうなんてしてないわ、OK?」

「お、おっけー……」


 そうだよな、愛瑠さんを助けたいだけだよな。

 変な考え方をしてしまった。そもそも王に君臨するってなんだ、暴君か。時先輩がいくら上に立てるような人であっても、王になることを望む人じゃあないだろうに。


「とりあえず、時先輩がしたいことは把握しました。これは俺たちが協力できるってことでいいんですよね? 俺は凛を救いたい、時先輩は愛瑠さんを救いたい」

 凛を救いたい。発せられたその言葉に時先輩がぴくっと反応した。

「そうなるわね……。

 ……神風 核くん」


 今まで気軽に話していた時先輩から突如として、鋭い刃のような視線が注がれる。


「どうしました?」


 それに怯えず、聞いた。

 一体どうしたことだろう。何か余計なことでも言っただろうか?


「あなたはいま……兎風 凛のことを救いたいって言ったけれど、それはいまの現状である兎風 彗の支配からの脱却? それとも彼女の根本的な精神の問題?」

「……」

「兎風 凛は私が見てきた限りでも、停滞の日々を望んでいるのは確かよ。そんな彼女をあなたが説得できるの? 人の心は簡単に変えられない……ただの親友である、あなたが心を変えられるの?」


 突きつけられる刃に、心が震える。

 凛の望みは停滞すること。ずっと同じような日々が続いていって幸せであること。

 父親からの命令で変えてしまったこの世界に対して、罪悪感を持っている。

 凛にとってここは楽園のような場所だったはずだし、親友が揃って永遠に遊べてしまうような場所でもあった。父親からの命令とはいえ、優衣や愛瑠さんを地下に強制送還して、自らが楽園を壊してしまったことを悔いている、はずだ。

 彼女が前回、死を選んでしまったのはおそらく後悔の念と父親からの命令が後押ししたのだろうと思う。全てを壊したのが自分であるのなら、消えてしまいたい……そんな風に思うのは別段、不思議なことじゃない。

 そんな彼女に対して、記憶のない俺は何もすることができなかった。してもきっと無駄だっただろう。

 でも、今回は違う。

 俺はしっかりと記憶があるし、凛が敷いた探検部というレール上にある日記という変わる日々を綴った切り札もしっかりと回収してきた。

 やるべきことは、既に決まっている。

 だから自信満々で声を張り上げて答える!


「俺は凛の目を覚まします! 悔恨に沈んでいる凛を親友である俺が、絶対に引き上げて見せる! ただの親友だからできないんじゃない、ただの親友だからこそ凛を救いたいんです。

 あいつはいつもどこか弱虫で、でも強い心を持っていた。それを取り戻させます。俺の全力をかけて、命を、賭けて!」


 精一杯張り上げきった言葉に満足したのか、時先輩が嘆息して、穏やかな顔つきを取り戻す。


「命を賭けて、ね……あなたにそこまで覚悟があるのなら、私もそれに付き合うわ。試すようなこと言ってごめんなさいね、私はこれに失敗するわけにはいかないから……きっとこれに失敗したらお姉ちゃんとは二度と会えないかもしれない。だからどうしても真剣になっちゃってね」

「その通りだと思います。一度失敗したことを安易にまたやらせてもらえるほど地下帝国は甘い国じゃありません……」

「この一度っきりの一発逆転大一番に私の全てを注ぐ。神風くんは地下帝国の打破についての策ってある? いまところ王政反対派は武力による制圧を考えているみたいなんだけど」

「ぶ、武力って……テロってことですか!?」

「そうなるわね。私としてはできるだけ穏便に事を進めたいから他のことで全てを抑えたいんだけど……」

「一つだけ、穏便に済ませられるかもしれないことがあります」

「……言ってみて」

「先生です」

「初代の観測者……そして地下帝国から逃げだした臆病者……彼を頼ろうというの? 私も掛け合ったことがあるけど無理よ。彼は頑なに心を閉ざしてるわ」

「わかってます。俺に先生を説得するチャンスをください。きっと彼さえ説得できれば兎風 彗のことはなんとかなると思います」


 確証も何もないけれど、初代観測者たちの軌跡を見た俺に縋れるのは先生だけだ。百合風さんと夜風さんはあの二人を会わせて欲しいといっていた。

 愛瑠さんも先生を頼ってみることを推奨していた。それは、凛を助けたあとのもう一つの壁……兎風 彗のことを考えてのことだったのだろう。

 俺の言葉は兎風 彗に対して厚い壁があり届くことはない。

 ただ……先生ならば話は違うはずだ。再び先生が地下帝国に立ち向かってくれて、兎風 彗を王という呪縛から解放できれば……凛も父親という呪縛から逃れられるかもしれない。

 一度、兎風 彗と同じ目標を抱いた先生なら、兎風 彗を苦しめ続ける王という立場の重圧を断ち切れるはずだ。


「きっとって曖昧ね。……でも、わかった。二日間だけ猶予があるから、私たちの作戦が始まるまでに説得して、ここに連れてきて」


 呆れたといった仕草で言って、時先輩は大方の作戦を伝え始める。


「王政反対派が動きだすのは二日後の、兎風 凛が処刑される日よ。その時は内部でのごたごたが予想されるからその時に武力で制圧しようって算段ね。目標は兎風 彗を確保して体制を変えさせることだけど、観測者能力のリライトを兎風 凛に抵抗された場合、誰も兎風 凛に勝つことは出来ないから、神風くん、あなたがどうにかして兎風 凛を説得して。

 もしその時までに先生の説得ができていたら、兎風 彗を追い詰めたあとは先生に任せるように言い含めておくから……」

「たった二日、か……。襲撃作戦みたいですね」

「みたいというより、まさにその通り。兎風 彗の近辺にはいつも特殊部隊の黒服がついているし、それを掻い潜るのは至難の業よ、それをもし打破できても最大の防壁である兎風 凛がいる。神風くんの役割は重要よ」


 なるほど、だから前回の時に王政反対派は行動に移せなかったのかもしれない。俺の知らないところで動いていたのかもしれないけれど、全部凛にとめられてしまっていたんだろう。

 凛の能力リライトはこの世界のあらゆる物質に干渉できる最強の能力だ。太刀打ちできるものは存在しない。


「もし、事が始まる直前にでも説得できるチャンスがあれば、しても?」

「いいけれど……相手側に情報が知られる場合もあるから慎重にね」

「……わかりました」


 前回の凛は、地下帝国に連れ戻される日の朝に俺たちと最後の一日を過ごそうとしていた。そこに説得できるチャンスがある、はずだ。

 凛に関してはそれを待とう。いまの凛は心を頑なに閉ざしている。

 何を言っても、全て徒労に終わるだろう。それなら、凛が殻を開くようになるまで、最後の成功率を高めるために先生の説得を優先したい。

 身勝手だけど、俺の目的のために先生を説得する。

 ん? そういえば……。

 思考の中で、ふと、おかしいなと思うことを聞いてみた。


「そういえば時先輩はどうしてここに居られてるんですか? 愛瑠さんと同じように連行されててもおかしくないような……」

「ああ、それは王政反対派からの圧力のおかげよ。私はお姉ちゃんからなぜか供給されている観測者としての能力を行使して時間遡行の記憶を保っているわけだけど、お姉ちゃんとの接触で私を知った王政反対派が私に言ってきたのよ。古風 愛瑠は地下帝国に囚われている、助けたければ神風 核の協力を仰げってね。ま、私をあなたとのパイプとして使いたがったわけ」

「ああ、それで……」


 どうりで俺の協力が得られたとか言っていたわけだ。


「まっ王政反対派が私に接触してきたときはどうしようかと思ったけど、どうにかなりそうね」

「反対派はいつごろ接触してきたんですか?」

「お姉ちゃんが消えた頃だから……」


 よくよく考えたら、愛瑠さんが消えてから四回程度やり直しているはずだから四ヶ月くらいだろうか、が経過しているはずだった。

 確かにそりゃ申請書を適当に確認しただけで通る案と通らない案を選別するくらい余裕になるのかもしれないな……。


「四ヶ月くらいですね……」

「うん、そう。まさか六ヶ月くらいずっと同じことやらされるハメになるとは思わなかったわ」


 額に手をあてて苦労を滲ませる時先輩。

 確かに、優衣の頃から数えるともう既に六ヶ月近くは三月から四月をやり直しているのかもしれない。


「なんでこんなにやり直してるんでしょうね? なにか不手際があったりしたんでしょうか」


 素朴な疑問に、心底興味がない様子で、時先輩はいつの間にかとめていたハンコ押しを再開する。もう先ほどまでの張り詰めた糸のような雰囲気はなく、いつもの静寂でおとなしい雰囲気だった。


「さぁね、ニュース見てる限りだと総理大臣が決まらないだの派閥争いだので毎回、違う派閥の言うことを地下帝国は聞いてるのよ、やり直しの弊害ね。ブラックボックスで相手を除外認定しても次でまた総理大臣が変わるもんだから、また次のを除外して、除外した人をまた枠組みの中に戻して、でぜんっぜん終わらないのよ」


 どうやら日本は随分と不毛な争いをしているようだった。


「そもそもね――」


 ここ数ヶ月のやり直しでストレスがあったのか、矢継ぎ早に時先輩は鬱憤を紡ぎ始める。

 それを苦笑いしながら、乗り切った。


 ……


 まだ仕事が残っているらしい時先輩は「お腹すいたでしょう。この話の続きは明日にでもすればいいからご飯食べてきなさい」と言ってくれたので、時先輩に別れを告げて、校門前までやってきた。

 校門に来るまでの途中で先生を探してみたりしたが、見つからなかった。職員室の先生に聞いてみたところ、先生は今日は休みらしい。

 説得する機会が減ってしまったことに悔しさを覚えながらも、喋ることをまとめる時間ができて少し幸運だったかもしれない、と思う。

 ふと、目の前に意識を向けると、緩慢な動作をしている黒髪のポニーテールを見つけた。

 ちゃんと、生きててくれている。

 それだけで心が満たされるような気分になるが、そこで満足するわけにはいかない。

 校門によたれて、両手にカバンをもっている姿に話しかけた。


「凛!」

「……」


 前に回って話しかけるも、彼女は口を貝殻のように閉ざしていた。

 瞳からは生気と呼べるものが見つからず、絶望の淵を彷徨う愚者のようで、とても見ていられるような状態ではない。

 こんなもの、ただ生きてるだけじゃないか……満たされていた心が冷えていくのを肌で感じた。

 いますぐ、その淵から助けだしてやりたい。でも、ここで何かをしても、凛が硬く自らが閉ざした心は、破ることはできないのだから、俺ができることは心に届くようになるまで……話すことだけだ。


「どうしてこんなところにいたんだ? 俺でも待ってたか?」


 あくまでいつも通りに話しかける。

 変わることを恐れる凛にとって、いまは、いつも通りというのが一番のはずだから。


「……」


 凛は頷いたかどうかもわからない微妙な角度で首を捻った。


「そうか。んじゃ、ご飯でも食べにいくか。何がいい? と言っても学食くらいしか行くとこないが」

「……そこでいい」


 声をだすのも久しぶりだったのだろうか、潤いの足りない掠れた声量だった。

 いまも、ずっと苦しんでるのか、凛……。

 俺もお前の閉ざした心を開く努力はするけど、でも最終的にそれをこじ開けるのはお前自身なんだ、だから頑張れ、と激励を心の中で飛ばし、歩きだした。

 凛は何も言わずとも、後ろをひっそりとついてくる。


「なに食べる? 俺はハムチーズトーストなんかいいって思ってるんだけど」

「……食べられたらなんでもいい」

「なんだ、いつも通りだな? もっと栄養つけるために他のものなんてどうだ?」

「……とくにたべたくない……」

「ん、そうか。ま、とりあえず、何か腹だけ満たすか」

「うん……」


 ぽつりと興味がなさそうに凛は呟く。

 凛にとってご飯を食べることも、何もかもが作業ということだろう。

 人知れず、唇を噛んで見上げた空は、朝の透き通る青空の片鱗はなく、湿っぽい曇り空に覆われていて、凛の心を表しているかのようだった。


 ……


 凛との昼食中には特に何も目立ったこともなく、交わした言葉はあるもののどれも日常会話の範疇の事柄だけ。

 昼食のあと、女子寮に向かう凛を見送ってから、無言で男子寮室、自室の扉を開けて、明るく点灯している室内に入る。


「おっ帰ってきたか、なにしてたんだ?」

「特に何もしてないな」

「なんだつまんねーな……おっレア武器」

「なにやってんだお前……」


 ぴこぴことテレビゲームをしている谷風を見下ろしながら制服のブレザーだけを脱いで床に座った。

 振り返ることなく谷風はゲームを続けていて、こちらに構う様子もない。

 それはそれで好都合だ。

 先生をどうやって説得するか、一番簡単だと思われるのは百合風さんと夜風さんのことを引き合いにだすことなんだろうけど……それでいいのだろうか。

 約束をしたのでついてきてください、では先生は納得しないだろう。そもそも信じるかも怪しい。

 あぐらをかいて悩む俺に先ほどの返答を谷風がしてくる。


「あれだよ。この前発売した世界的人気アールピージーの金字塔だ!」


 ふむふむ、金字塔で交渉――って違う。

 それより気になる単語が羅列されていた。 


「なん……だと!?」


 脳より先に本能が、世界的アールピージーの金字塔、その言葉に、反応する!

 前回の時には開発が発売間際に中断されてしまって幻のゲームと化した"緑のトレサー"だとでもいうのか!

 緑のトレーサーとは、株式会社ファーコムの製作していたコマンド型アールピージーだったのだが……ゲーム画面を眺める。

 うん、確かに発売予定だったゲームそのものの画面が映されている。

 そうか、発売しちゃったのか……。

 ちょっとだけ、ちょっとだけやらせてもらうくらいなら……!


「た、谷風! それを俺にもやらせてくれ!」


 土下座の勢いで谷風の前に滑り込む。

 恥も外聞も何もない。俺はただ、そのゲームがしたいという熱意を込める。


「俺もやってるしなぁ……」

「やっぱり、そうだよな……」


 発売されたばかりのゲームを友人に貸す気がでないのと同じで、わかっていたことだったはずだ……!

 できない、と!

 俯いて、土下座の姿勢を解除する。

 そんな俺に谷風は男らしい笑みを浮かべた。


「でも、一緒にやることならできるだろ。やろうぜ。あーだ、こーだ言いながらな……!」

「谷風……お前!」

「へっ俺たち、親友だろ?」

「……ああっ!」


 水を得た魚のようにゲーム画面に食いつきだす俺。

 ……。

 あとからよくよく考えると第三者から見て、男が二人で肩を並べあってゲームをしている状況は異常だったと思う……。

 なにせ二人用のものではなく、一人用のものを二人でプレイしているのだからおかしいに決まっている。

 だが、やりたかったんだ、仕方ないんだよ……!

 可能性が確実に切り替わっている、そんな実感も手伝ってゲームをついしてしまった……。

 先生に対してどうやって話を切りだすか、大事なことを頭の隅で考えつつ、ゲームをしてもう戻ることのない一日は過ぎ去っていった。

 やっぱり、単刀直入に切りだすのが一番なのだろうか……先生はこれまでも真っ直ぐに生徒の悩みを聞いてきた人だ。

 だから、愚直ながらも真っ直ぐに問いかければ答えてくれるかもしれない。

 今日、先生は見つからなかったけど、明日にはしっかり先生の居所を探して相談する。職員室で明日は来ると聞いているので時間を見計らっていくことにしよう。

 これには地下帝国の未来と凛のことがかかっているのだから気を抜くわけにはいかない。

 先生に相談したところで。地下帝国と関係がないと白を切る可能性がないとも言い切れない。

 しかし、地下帝国と関係がないと言われても、俺は協力して欲しいというエゴを押し通すことしかできない。

 誰かに無理をさせなければ俺の願いは叶うことはありえない。

 だから、鉄のように崩れない覚悟で、自分勝手に挑もう。先生に。


 last episode:Like the wind 第12話「風のように 前編」 オワリ


 第13話「風のように 中編」へ続く

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