third episode:rewrite 第7話「変わらぬはずの日々」

 third episode:rewrite 第7話「変わらぬはずの日々」


 朝、それは学生にとって忌むべきもの。

 特に春の陽気は安眠を促進する作用があり、朝は快適な睡眠ライフを提供してくれている。

 春に感謝感激だ。

 もしかしたらそれは社会人であっても感じているかもしれない……朝起きればそれは一日の始まりを意味している。

 学生は学校、社会人は会社と朝から活動が始まる場所は多い。

 できれば惰眠をむさぼりたい俺としては、朝というのは憂鬱なのである。

 布団という名の安眠所に篭っていたい……すっきり眠気が取れるまで寝ていたい。

 朝とは、訪れて欲しくない災厄であるかもしれない。

 だから災厄が起きないように惰眠していたい……。

 しかし、その願いは無残にも聞き届けられることはなかった。

 一つの騒々しい音によってすべては崩壊した。

 狭い一室に、 機械音が耳を破壊しながら轟く。

 実際に耳を破壊されるほど大きい音をしていないのだが、朝の安眠を妨害されるというのは耳を破壊されるに等しい。

 目が閉じている状態での五感が働く場所は、まずは肌。

 今もやわらかく暖かい布団に包まれている。安眠を推進してくれる誠に罪な布団だ。

 そして次に耳だ。なんと言っても音で目が覚めるというのはなんとも目覚めが悪い。

 だが、起きなければならない!

 なぜならば学生という職業の関係上学校にいかねばならないからである!

 ピピピと機械的な音を鳴らす目覚まし時計を手平で止めて音をやめさせ、あくびをしながら上半身を起こす。


「あー……だるい、圧倒的にだるい」

「なんだなんだ? やっと起きたのか核」

「はっ?」

「なんだよ。俺がこんな時間に起きてたら悪いみたいな顔だな!」


 まず現在の時間確認だ。

 時計の短い針は七を示している。つまりそれは七時であることの証明だ。長い針はゼロを示しているということは現在の時刻は午前七時。

 谷風が普段起床している時間はおよそ八時(この時間に起きて五分で支度すれば学校に間に合う計算である)


「谷風が起きてるってそんなわけないな。さ、寝るか」

「いやいや! 寝るなよ! 何一人で結論だして勝手に寝ようとしてんの!? お前馬鹿なの!? 今日は始業式だよ!」


 谷風の一言で俺は底なしの地獄に落とされた気分だ。

 昨日までに、戻りたい……あの輝かしい春休みまでに……。


「はぁ……」


 四月八日――今日から幻無高校に通う仕事が始まる。


……


 憂鬱気味に起きた俺は谷風にせかされるがままに顔を洗い、朝食を食べて制服に袖を通して新入生を歓迎しているかのように満開に咲き散る桜を左右に据えた校舎まで続く整備されたコンクリート道を歩く。

 午前八時頃といえば大多数の生徒が登校してくる時間のため、生徒で溢れていた。

 多数の生徒の中には、未だに中学生の面影を残した生徒もいて新入生だというのが一目瞭然だった。

 そんな中に見知ったポニーテールがぴょこぴょこと心なしか元気なく揺れる新入生の後ろ姿を見つけて声をかける。


「おはよう。元気なさそうじゃないか」

「……」


 兎風 凛――今年から幻無高校に新入生として入ってきた子だ。

 一年前、谷風と知り合った時期に知り合った女生徒。なぜか、懐かしい感じのする女の子。

 凛はゆっくりと俺に振り返って一言だけ注意深く聞いていなければ聞き取れていないであろう朝の挨拶をしてきた。


「おはよう」

「なんかいつもと調子違わないか? なんか、元気なさそうに見えるが、何かあったか?」

「何もない。私はいつもどおり」


 俺の知ってる凛はそんな子だっただろうか――うん、そんな子だった気がする。

 いつも無口で、暗い顔をしててでも懐かしい感じがして……あれ? いつも凛の隣には誰かがいたような……。


「なぁお前の隣っていつも誰か居なかったか? えー……お姉さんとか」

「そんな人はいない。勘違い」


 凛らしい淡々とした口調。

 もっと明るく、元気な性格だったらモテただろうに彼女はひたすらに陰鬱で、ただそこに揺らめくように存在している。

 確かそれがほっとけなくて声かけたのが始まりだったっけ……?


「……」


 こちらから話しかけなければ基本的に話を降ってくることのない凛と共にコンクリート道を歩む。

 しばらくして校門を通過後、校庭を通過して校舎に進入する。

 基本的に土足進入可である校内は始業式当日でありながら異常に満ちていた。

 既に生徒でいっぱいな校舎では、なぜか腕立て伏せや背筋を鍛えている奴がいた。大方野球部やサッカーといったスポーツ連中だろうがなんでこんなところでやってんだ……。

 UFOを呼ぼうと謎の語りかけをしてくる奴もいる……いつものことながら見ていて飽きない学校だ。

 挨拶してきた友人たちに返事を返しつつ上へあがる廊下に差し掛かると凛が無言のまま教室に行こうとした。


「ちょっと待て凛」

「……」


 無感情とも言うべき視線が俺に向けられる。その視線には未だに慣れず、少し物怖じした。


「帰り早いだろ? 一緒に帰らないか?」

「ごめん……用事あるから」

「そうか。じゃまた今度一緒に帰ろうな、寮までだけど」

「……」


 言葉を聞いてか聞かずか、彼女は無言のままどこかへ行ってしまった。


「やれやれ……昔はあんなんじゃなかったと思うんだけどな」


 思わず口から漏れてしまった言葉に首を傾ける。


「昔ってなんだ……?」


 悶々としつつ二階の教室へと続く階段を昇って教室へ移動した。

 春休みを経て久しぶりに入った教室は人の気配がなく、人の生活臭というものがなくなっていたが、クラスメイトたちは変わらずそこにおり変わらない日常を演出していた。

 挨拶を適当に交わしたあと自分の席へ座る。

 久しぶりに座ると体になじんでいたように感じた椅子もどこかぎこちないものを感じた。

 背を椅子の背にもたれさせて伸びをしながら後ろを見る。


「あれ……谷風はまだ着てないのか」

「俺はここにいるぞ!」


 横から聞こえた声に振り向くと俺の隣の席に谷風が居座っていた。

 微妙な違和感を感じた俺は谷風に言った。


「なんでお前がそこにいるんだ? 他の生徒がいた記憶あるんだが」

「いや俺しかいなかっただろ……?」


 記憶には確かにそこに誰か違う人が座っていた気がするのだ。残照のように残る根底に残る記憶は思い出せと疼いていた。

 しかし、思い出すことはできない。すべてがどうでもよく感じてしまい、少しの時間考えただけで谷風が"そこ"にいるというのは普通になってしまった。

 誰か、大切な人が……そんな面影が感じられるものを忘れて……。


「そうだな、うん……。そんな気がしてきた。あーあ、もう二年か何か早かった気がするよな」

「そんなに早かったかぁ? 長かったと思うが」

「なんかすごく楽しかった気がするんだよ、凛と知り合ってからな」


 腕を組んだ谷風は頷いて得心がいった表情で言った。


「それはわかる。なんか面白かったよな

 うーん、そこだけは妙に時間が早かったような……なんでだろ」


 表情に陰りを見せる谷風はさらにうんうんと唸ると「あーやっぱわかんね」と言って机に伏してしまった。

 どうやら関心事ではないらしくすぐに考えることをやめてしまった。

 谷風の反応がなくなってしまったため、春休みにでていた課題をカバンから取り出し確認する。

 確か全部やったはずだが、なぜか気になったのだ。


「あれ……? なんじゃこりゃ」


 束になった課題を捲るとそこには見知らぬ文字が存在していた。

 丸みを帯びた文字は女性が書いたことを安易に想像できるものであり、記憶のうち課題をやったのは凛とだけ。

 しかし、この文字は凛のものではない。記憶はこの文字を知っているようだがどうにも思い出せない……。

 そうだ、谷風に聞いてみるか……答えるかわからんが。


「ところでさ」

「……」


 机に付した谷風に真実をつげるべく前方の黒板を見ながら言った。


「春休みの課題って今日提出だな」

「……」

「忘れてただろ?」

「……」


 突っ伏していた谷風は顔をあげたが、絶望の淵に満ちた顔で見てきた。


「どうしよう……さすがに課題は持ってこないといけなかったよな……」

「そりゃそうだろう。俺はちゃんと持ってきてあるぞ。ちなみにお前の分もある」

「なに!? とっとと渡せよ!」


 ひったくるように課題を奪った谷風は中身を確認していた。


「うんうん……ん? なんだこの文字、この期日までにすること! 愛瑠。

 って書いてあるんだが、核か?」

「なんで俺がそんなもの書かにゃならんのだ。不思議だけど俺のにも書いてあるんだよ。

 俺とお前が課題したのは凛とだよなぁ?」

「だな……そのはず……やっべ自信なくなってきた……」


 また「うーむ」と唸りだした谷風をよそに俺は自身の課題を捲る。

 課題が書かれた白い紙には問題が書かれている以外にもアドバイスが手書きで書かれていた。

 その内もっとも目を引くのは女性と思われる筆跡だった。

 一人は俺が知っている兎風 凛。

 丸い文字で「まだまだ頑張ろう!」と書かれている。普段の凛から想像もつかないテンションの言葉遣い。

 二人目は俺が知らない愛瑠とだけ書かれた人。

 名前と丸みを帯びた筆跡を見るに女性だと推測できるが、こんな女性と課題をした記憶がない。

 それは次の三人目でも同じであり、優衣と書かれた文字。

 書きなぐったような文字はわずかに丸みが感じられ、これも女性が書いたものだと推測できるのだがこの女性とも課題をした記憶がない。

 記憶は曖昧で、不確かだというが物体は確実だ。

 俺と谷風が何かの妄想にかかって書いた可能性はまず排除しよう。そんなことは現実的には起こりえないはずだ。

 次は凛が書いた可能性――それはありえないと考えられる。

 凛は大人しく、無口でひたすらに暗い。見ている人を底なしの闇に引きずり込む錯覚に陥れるほど暗い彼女がこんなことを書くだろうか?

 「まだまだ頑張ろう!」という言葉はあの凛には似合わない。

 元気な口調で話す凛はきっと皆の太陽になれるほど明るい存在になれるかもしれない。

 しかし凛はそうなろうとはしない。今の停滞を望んでいるように感じるのだ。

 そんな子が「まだまだ頑張ろう!」などとは書かないだろう。

 じゃあ、この愛瑠や優衣とはなんだ……?


 暗闇に落ちた気がする俺をよそに時間は進む。ひたすらに進み、今年のクラス担任である"先生"が現れた。


「このクラスを担当することになった――」


 新学期が始まるそれと同時に、複数ある複雑な歯車が一つの"物語"を動かすためにガッチリと連結し、運命が回りだした気がした。


 ……


 新学期の始まりから一日が過ぎて四月九日。

 既に日が傾き始めている夕方の時間帯――午後四時。


「――を二十日に執り行う。それまでに帰ってこい」

「……はい。二十日……はい」


 幻無高校の今は使われていない教室で、兎風 凛は震える手で耳に携帯電話を当てていた。

 暗がりの教室は、どこか不気味で今の兎風 凛に違和感なく馴染んでいた。

 連絡をしている相手は兎風 彗、彼女のたった一人の父親だった。

 凛の声色はひたすらに低く、弱弱しさがにじみ出ていた。

 それに追い討ちをかけるように覇気の強い父親の声が携帯から漏れる。


「神風 核には再三言っているが私たちのことは悟らせないようにしろ。何かしでかした時には回収しにいくことになる。余生を楽しみたかったら余計なことは絶対にするな、いいな」

「はい」


 兎風 凛は機械のように言葉を反復させる。


「美風 優衣、古風 愛瑠の処分についてだが犯した罪は果てしなく重い。神風 核に積極的接触し我らの存在を臭わせた。故に死刑――」


 死刑。

 その言葉を聞いて兎風 凛は声を荒げる。


「待ってください!」

「なんだ。お前の意見など聞いていない」


 凛はその無慈悲な言葉に引き気味になる。

 凛はずっと父には逆らえない孤独な人形。友達と居ても、その友達は今居ない。

 その友達が奪われる。

 そんな時まで死んだ魚のような目をしていられるほど凛の魂は燃え尽きていなかった。


「お願いします……。私がちゃんとしますから、せめて死刑はやめて……父さん」

「私はお前の父などではない。王だ。

 あの者たちを助けたいと願うなら、お前が"アレ"の全てを補え、次にゆくものがないように充填するんだな」


 凛は唇を悔しそうに唇を噛む。それは携帯で話してるからこそできること、今の姿が兎風 彗に映れば反感を買うだろう。

 どこまでも厳しい父に反感を買えば優衣と愛瑠がどうなるかわからない。

 だから、耐えることしかできなかった――否、凛の耐えは既に限界を超えていた。優衣、愛瑠――そして今までに繰り返してきたことで崩れていた。

 あとに残っているのは必死に動こうとする屍だけ。どうしようと動けない屍は絶望を覚えるしかない。


「……」

「命令が聞けないのか」


 父の俄然とした罵倒が聞こえるも凛は中々声にだせなかった。

 ここで答えなければ優衣と愛瑠は死刑にされてしまう。その現実がひたすらに凛を蝕む。

 折角会えた神風 核と離れ、次こそ完璧にみんなで遊んでいた記憶が兎風 凛自身から消える。

 どちらも、手が届く場所にあって掴む権利があるのに、両方は得ることができない。

 一介の十六歳である高校一年生の出す結論にしてはひたすらに重すぎた。

 しかし考える余裕はない。ここで答えをださなければ次はないだろう。兎風 凛の父親は聡明であり王としては相応しい冷静さを持ち合わせている人間だったから。

 熟考する余裕もなく、ただ大切なものを守りたくて凛は震える声で言った。


「わかり……ました。少しずつ神風 核と距離を置いてから……リライトで記憶を……消します。次は、完璧に」


 凛が答えた端から、父の満足した声が耳に流れ出す。


「それでいい。今までは監視する意味で接触を許していたが、もうそれも必要ない」

「は、い……」


 あっけなく、電話は切られる。

 特徴的な機械音が携帯電話から流れる。

 そっと耳から携帯電話を外すと兎風 凛は静かに誰も使っていない机に座った。

 そして机の上をそっと撫でて震えた独り言を呟く。


「ごめんね……ごめんなさい……。こんな弱音、私が言う権利ないのに覚悟を決めたと思ったのに、苦しいよ……苦しいよ……ッ」


 震える肩を自分の手で止めようとする。

 しかし、それは叶わない。全身が震えて止まらないのだ。

 懺悔をするように視線を学校の天井――コンクリートに包まれた灰色の天に向ける。

 彼女はそんなことで自分がしたことを許してもらえるとは思っていない。こうでもしないと彼女は潰れそうなほどに心身を衰弱させていた。

 兎風 凛を蝕むのは自責の念、そして自らが犯してきてしまった出来事だ。

 震えの止まらない凛は灰色の天を見上げて、自分を追い詰める言葉をひたすらに呟く。


「私は……優衣や愛瑠を犠牲にしたッ。ごめんなさい……例えあなたが報われたのだとしても……私はあなたが邪魔になるなら消さないといけなかった……。

 本国に送り返さないとすべての計画が狂っていたのかもしれない……きっと私たちが核くんとあった時からすべての歯車は狂ってたのかもしれない。

 ずっと一緒の時間が続くと思ってた……暴走さえ起きなければ、ただ皆が一緒に居られれば私は幸せだった……!

 自分で楽園を壊してしまった。

 こんな私が友達で居られるはずがない……だからっ……」


 すべてを吐き出すように凛は言葉を呟き続ける。

 ただひたすらに、自身の弱音と戦おうとする――否、逃げているだけかもしれない。

 人は辛い壁に当たった時、否応なく別の道を選んで逃げたくなる。それが根本的に楽な道であるから、すべての痛みから目を逸らせば自分が楽だからだ。

 全てを吐き出してしまえば、あとに残るものは何もない。


 自分の人生に後悔がなくなるほどすべてを吐露したかった。


 そして何事も考えられないほど楽になりたかった。

 しかし、それは一人の乱入者によって妨げられる結果となった。

 

 ……


 夕方、空き校舎を散策していると不気味な女性のすすり泣くような声が聞こえ、その方向へ足を進める。

 一人でなぜこんなところへ来てしまったか、というのは実際のところ俺にはわからなかった。

 なぜだか足を伸ばしてしまったのだ。

 廊下を歩く足音は近辺に人間は俺一人であることを知らせるように足を踏みしめるごとに音が鳴っていた。

 電気がついてない廊下は、夕日に照らされて幻想的にも見えたが不気味にも見える。

 そんな空間にすすり泣くような声がひそかに聞こえているのだから何気に恐ろしい。


「どうせ本当に誰かが泣いているとかなんだろうな」


 適当に自身に言い聞かせるのがこういうところでは基本だ。

 恐ろしいと思う心を消すという願掛けが一番重要なのである。

 しばらく心を鋼にして進んでいると問題のすすり泣く声がする教室へついた。

 中を少し覗いて見る。


「あれは……凛?」


 思わず首をかしげながら自然に扉を開けてしまった。

 まるでそれが自然の行為であるかのようにだ。

 扉をスライドさせる独特のガラガラとなる音に気づいた凛は振り向いてくる。

 夕方に照らされたその顔は泣いていた。

 とても、悲しい目で俺を見つめている。


「核くん……」

「……」


 思わずその泣き顔に言葉を返せなかった。

 偶然開けた扉がパンドラの箱であったかのように、開けてはならぬ扉だった気がしたのだ。


「……ッ」


 凛は乗っていた机から降りたと思えば次には教室を飛び出していた。


「お、おい!?」


 思わずそのあとを追いかける。

 無言で走り続ける凛をなぜか追いかける。そうしないといけない気がしたんだ。

 どうしても離してはいけない手が離れかけている、そんな気がして走り続ける。

 いつも無表情だった凛が唯一見せた今の泣き顔、あれには何かがあるはずなんだ。

 走る間に次第に離れていく、目には見えない握った手がするっとどこかへすり抜けていく。

 夕日に染まる廊下を抜けて、一階に降りるとそこから凛は校門を抜け、校庭へ。

 校庭の真ん中へきた辺りで俺は凛を見失ったことに気づいた。

 しばらく辺りを見回すも、影も形もない。

 校庭には足跡も残っていない。


「どこ行ったんだ、あいつ……」


 背後から背中を叩かれ、振り向く――そこで俺の記憶は途絶えた。


 …


「あ……?」

「お、やっとお目覚めか」


 灰色の天井がまず目に飛び込んできた。それと同時に聞きなれたおちゃらけた声が耳に入る。

 上体を起こして周りを見る。

 いつものように物が無造作に置かれている木の机周辺、冬の名残で未だにコタツがつくようになっている。

 テレビはお笑い番組がつけっぱなしで、テレビの前にはポテチとコーラの鉄板コンビが置いてあり谷風が爆笑しながらテレビを見ていた様子が手にとるようにわかるようになっていた。

 谷風と俺が共同で買っている漫画関連もしっかり置いてある。北斗の剣と言った有名人気タイトルが目白押しな感じで置いてある。

 見回したあと一言呟く。


「どうして寝てたんだっけ」

「知らん」


 至極真っ当な答えが反復してきた。

 そもそも帰ってきた時の記憶がないわけなのだが、確か夕方に沈む校舎を散策していて……家に帰ってきたという感じだったと思う。


「谷風、俺はいつ寝た?」

「あ?」


 何おかしいことを言っているんだといわんばかりの目で見てくるが、そんな目をしながらも谷風は答えてくれる。


「えーと、確か、帰ってきたと思ったら何も言わずに寝たんだよ」


 谷風の言葉で記憶が鮮明に描写される。

 まるで、今思い描いたかのように脳内に映し出されるのは自身が歩んだ道。

 夕日に染まる廊下を散策してから帰ってきて寝た。

 なぜ俺は廊下の散策なんてしてたんだろう。

 記憶の棚には鍵がしてあって棚が一切空かず、思い出せない。記憶の棚は何をしようとも空かず、俺に散策していた理由を与えてくれない。


「俺、なんで散策なんてしてたんだろうな」


 思わず呟いた言葉。


「いよいよ頭壊れたか……?」

「お前に言われたかねーよ……。いや、本当になんでなんだろうなって」

「そんなこと言われてもわからんけど、そーだな」


 しばらくまた考え込んだあと、思いついたように手をぽんっと叩く谷風。

 なんだかんだ言ってこちらのことに真剣に付き合ってくれる谷風はいい友達だといまさらながらに思う。


「確かどこか行くところがあるって言って散策始めたんじゃねーか? 俺は用事があったから帰ったけど……俺も確かになんか……なんだ。散策しないといけないなぁって思ってたんだけどよ」

「お前が散策してなにするんだ? 部活探すわけでもあるまいし」

「だよなー俺たちからしたら部活なんて遠い話だしなぁ。わかんねぇけど何かそうしなきゃいけないって思ったんだろ?」


 谷風の確信のついた言葉。

 そうしないといけないと思った。これは確かだ。

 散策しなければならない気がした。そしていつの間にか……空き教室に向かっていた。

 そこは誰も部室としても勉強場所としても使っていない唯一の空き教室で主人の帰りを待っているような空き教室だった。

 あの空き教室を見たあとに渦巻く思いは一つ。

 何か大切な記憶を忘れている。

 記憶があるにも関わらず、ヒントが目の前に置いてあってもそれを開ける鍵がない。ただ、ひたすらにあるだけ……そんな記憶にどれほどの価値があるのだろう。

 

 ただ、胸にある思いはその記憶を開示したがっていた。


 暗闇の先にまた絶望が見えようと鍵を掴み取れと叫んでいた。


 …


 謎の出来事があった翌日、いつものように顔を洗ってご飯を食べてから歯磨きをして制服を着て学校へ向かう。いつものように谷風は学校に間に合う限界まで寝るのだろう。

 学校についてからも勉強を受ける。

 谷風がいつものように遅刻しかけたり(実は谷風は遅刻常習犯ではなく、授業が始まる前にはいつも席にちゃっかり座っている)

 食堂で凛と鉢合わせて

 いつもと変わらぬ日々。

 出会う顔も代わり映えしない毎日。

 変化のない日常は俺の望むところではなかった。日々同じ生活をする人はいないだろう。

 学生は好きな漫画の発売日だったらわくわくすることもできるし交友関係も進む。

 社会人であっても日々同じ仕事はない。何事も前に進んでいくものだ。

 変化のない日常は退屈で、窮屈で、ロボットのように繰り返す日々に何の意味があるのだろうか。

 俺は停滞を望まず、吹き抜ける風のように新しいものを探していた。

 その風の行き先は"先生"だった。 

 二年B組の担当教師となった"先生"はあらゆる年代の生徒から信頼を勝ち取っている教師で、尊敬をこめて大体の教師から"先生"と呼ばれている。

 日々生徒からの悩み相談がくるという"先生"は俺の悩みに対しても真面目に考え、アドバイスをくれた。


「変わりばえのしない学園生活は嫌、つまりそういうことか?」

「はい。なんていうか、このままでいい気がしないんです。ただ流れるように日々を生きるより何かをしていたほうがいいって思うんです」


 先生は腕組をして感心したように頷く。


「お前みたいな奴がいて俺も鼻が高い。そうだな……部活動をやってみるってのはどうだ?」

「部活動ですか……」

「露骨に嫌そうな顔をするもんじゃない。停滞を望まないんだろう? 学校で何かできることといえば部活動じゃないか。友達と精を出して何かに取り組む。

 素晴らしいことだろう」

「部活動ですか、何かありますか、面白そうな部活」

「それはお前が考えるこった。俺はアドバイスをした、答えを見つけるのはお前だ。部活を新しく作るもよし、作らなくて既存の部活で精を出すもよし

 せいぜい悩んで答えをだせよ」

「はい……」


 さすが先生。あくまで答えは与えず、アドバイスだけを与えてきた。

 これが先生の慕われている理由の一つでもある。答えではなくアドバイスを与えることで自ら選択する権利を与えている。

 踏み出す一歩は自分で踏み出せということなのだろう。

 しかしそうか、部活か……確かに日々の停滞を望まないなら部活は最適と言えるかもしれない。

 停滞しないような部活があれば、だが……。

 先生にお礼を述べてから、三階廊下に訪れる。三階には図書室があってそこなら何かしらのヒントを得られるかもしれないと思ったからだ。


「ほら、そこッ! ちゃんと働きなさい」

「へーい」

「まったく……目を離すとすぐにサボろうとするんだから……」


 廊下の端で掲示板の内容を新しいものに取り替えているのは生徒会の面々だった。

 歩きながら目線の先で追っていたのが悪かったのか生徒会長 未風 時と目が会ってしまった。

 未風 時生徒会長は生徒からの評判は良好、何事にも真剣に取り組む姿勢、空気を読む対応……と生徒からは慕われている。

 先生からもその俊敏な動作と正確さで絶大的な信頼を置かれている生徒会長であるが、接点のない俺としてはいまいち関わりたくないものだった。


「……」

「……」


 気まずくなって目を逸らして未風 時の間をすり抜ける。

 その時彼女がいつもの生徒会長として威厳を持った声ではなく、穏やかな声で言った。


「……頑張りなさいよ」

「……え?」


 突然のことに振り向く。

 振り向いた途端、未風 時は手を叩いて言った。


「次の現場に行くわよ。予定詰まってるんだからとっとと済ませないといけないし」

「はいはーい……休みはいつですかね」

「そんなもんないに決まってるでしょう……でもそうね、これ終わったら休憩取りましょうか」

「さっすが会長! 話がわかる!」

「おだててもなにもでないわよ。まったく」


 生徒会の面々と話しなが去っていく様子を俺は呆けた目で見ていた。


「頑張れって……そんな言われるようなことしたっけ……まぁいいか。とっとと図書室だ」


 かけられた言葉に戸惑いを覚えながらも、今すべきことを言葉で脳に再認識させてから一本道の廊下を小走りで図書室へ向かった。

 

 …


 夕日が図書室に入りこんできて夜の帳が降りてきているのを感じながら図書室を漁ってみたが、どれも普通にあるような部活の資料だらけだった。

 怪しい部活として一年生の頃体育祭ででてきたロボット研があったが、俺が探しているような部活ではないので却下。

 他にもオカルト研究会、ゲーム研究会、ドS研究会、ドM研究会、菜園会などと言った部活というより同好会といったほうが正しいものが現れたりした。

 オカルト研究会には多少興味があったものの、学園の魔女が何でも叶えますというあまりにもストレートな謳い文句には抵抗を感じ、入るのを断念。


「何か面白いもの、何かないもんかね」


 寮での食後、一室で一人呟く。

 谷風は居るものの、食事をした途端熟睡して時折寝言で「まだ食べられる……」と宣言している辺りまだまだ腹が満たされないらしい。

 いっそ寝ているところにパンでも詰め込んだらもしゃもしゃと食べ始めるのではないかというほど何度も反復するように言ったりするので少し詰めてやろうかと席を立った途端、テレビから気になる言葉が飛びだした。


「日本に存在する~!? 仰天!驚き!地下に住む人々!」


 女性アナウンサーが元気よく謳い文句をさらに言い続ける。

 地下に住む人たちか……確か子供の頃には地底人は存在した!といった感じの謳い文句で始まる番組を様々なテレビ局がやっていたはずだが、最近はめっきり見なくなったな。

 以前はそれで特集番組が組まれたりするほど人気の番組だったのだが何を境にか地底人の話題についてはいつの間にか遠い彼方に行っていた。

 まぁ……暇だし見てみるか。

 内容は所謂オーソドックスなもので、地底人を見た人にインタビューしたり実際に地底人が現れた現場に行くなどのものだ。

 見続けていくうちに、気になる動画が流される。

 どうやら地底人は各地方に現れているようだが、俺たちが住んでいる近辺にもたびたび現れているのだという。

 その後も、盛り上がりなくインタビューなどが終わり、いつものように地底人はあなたの心の中に存在するのかもしれませんね……?などというふざけたキャッチフレーズと共に番組は終了していた。

 地底人特集の番組を見ている最中に頭が常にうるさいくらい警報を発していた。

 これ以上、番組を見てはならない。地獄を彷徨うことになる。

 取り返しのつかないことになると頭は叫び続けていたが、俺の記憶は思考の中断を許さない。

 熟考しなくても自然に、ずっと親しんできた言葉のように浮かんできた答えがそれを全て消していった。

 誰も考えはしないだろう。取れない錆のように記憶にこびりつくたった一つのキーワード。

 

 だから、俺は一人で作ることにしたのだ。


 地底人を探すために探検する部活。

 

 探検部……それが、作ろうとした部活の名前。


 その名前は俺に親しみと懐かしさを与えてくれて……そして離したくないと感じられる言葉だった。


 もしかしたら夏休みの課題に書かれていた優衣、愛瑠と言った名前の謎も解けるかもしれないと意気込んでいた。

 しかし、ピースが揃わないパズルは解けることはない。何かが欠けていればそれは空白になって完結しない。

 俺の行いで全てが失われると気づかずに――破滅の道を歩んで突き進んでいた。


 third episode:rewrite 第7話「変わらぬはずの日々」オワリ


 第8話「凛」へ続く

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