second episode:family 第6話「愛瑠」


 second episode:family 第6話「愛瑠」



 俺が、愛瑠さんに家族のことを聴いてから、24時間が経った。

 その間は、愛瑠さんと時先輩のことしか考えられなかった。授業を受けていても、すべてが耳からこぼれおちる。脳には何も刻まれない。

 考えていた。

 俺が、他人の問題に首を突っ込んでもいいのか?

 愛瑠さんと時先輩は幼い頃に事故で生き別れた家族だという。知らない人から見れば何ら日常と変わりない……テレビで普段からやっているニュースで起こった出来事。

 ニュースで何があろうと、一般人はそこで、酷い惨いとしか思わないのだ。それが人間の常――いや、もしかしたら本当に心を痛めてる人もいるだろう。事故に遭った人からすれば綺麗事だろうが。

 それは、当然だ。ある言葉がある。


 人は自分で体験したことでしか、本当の意味で理解しない。


 聴いたのはいつだったか忘れた。

 しかし、これは真実だとも思う。だから俺は何かがあっても――同情することはない、俺は経験してもいないし本当にその痛みを理解できたりしないからだ。

 理解できるという人はきっと――偽善者か、本当に純粋な穢れも何も知らない人だけだろう。

 何を言っても、何が変わるわけでもない。人はそれを受け入れて生きていくしかない。当然その途中で挫折し、自分から命を絶つ者もいる。

 なら、俺は愛瑠さんと時先輩――その両者のどちらの痛みも理解できない。

 愛瑠さんは真実は歪んでいるものもある。それでも、その歪んだ事実を知りたい?と言った。

 その問いに、俺は知りたいといった。それは、俺が何も経験していないし、体験していないからかもしれないが俺の心からでた言葉だ。

 愛瑠さんは、それに対しそう「私にはそれはできないわ、妹が哀しむところなんて見たくないから……私には、できないわ」と言った。

 彼女は決して自分の下したことについては意思を曲げないだろう。鉄のように折れない意思だ。

 いくら俺が何を言おうと、理屈をこねようとすべては空回りをするだろう。愛瑠さんと時先輩、あの2人にある溝は相当深い。

 他者の侵入を拒み続ける。何があろうと守り続ける鉄壁の城。難攻不落。

 俺はどうすればいいんだ?いや、俺はどうしたいんだ?

 あの2人の溝を埋めたい?果たしてそれは良いことなんだろうか――違う。良いことなんて気にすることじゃないな。

 いつの時か、愛瑠さんはこうも言っていた。


「人が、人に侵入を拒む時は……どうしたらいいんでしょう」

「そうね、カサくんは、その相手に何をどうしたいの?良いことをしたいだけ?救いたい?それじゃただの自己満足だわ」

「……確かに……」

「カサくん、私はそれを悪いと言っているわけではないわ。人はね、所詮自己満足を糧にして生きていく生き物なの。共生関係とも言っていい。

人は、相手に何かしらの者を求めている。求めてるものは人それぞれだわ。

 愛されたい、構ってほしい、褒められたい。それを友達通しが満たしていくことで、世の中は成り立ってるの、利益で成り立っているのよ。

 人が人である限りこの図式は変わらないと私は思うわ。

 当然、これを否定する人もいるでしょう。でも、そういう人たちも何かしらを求めて友達をいるはずよ、それは変わらない。

 本当に何もいらない、という人はお人好しか、聖人君子でしょうね。

 でも私はそんな完璧な人はいらない。それはつまらないことでしょう?

 カサくん、自分のエゴで動くのは必ずしも悪いだけじゃない。あなたが自己満足でそれをしようとしたって私は軽蔑しないわ。

 むしろ凄いと思うかもしれない。私にはできないことだから」


 エゴ――エゴイズムの略称であるそれは、自分の利益を中心に据え他人の利益は考えない。要は、自分勝手に生きるということである。

 人情のある人から見れば、許されざることかもしれない。でも、解釈によっては人情で行動する人は他人を助けることにより自己満足という利益をもらっているともいえる。

 人は誰しも、なんかしら良い事をしたと思えば優越感、満足感を得られるはずだ。何か良い事をして満足感を得られない人はいないと思う。それがたとえ独善的な行為であっても、だ。

 ここまで考えて我に返る。

 やっぱり、俺はエゴで動いているのだと……エゴを否定する気もないし、肯定する気もない。

 俺は、俺のしたいように動こう。

 いや、待てよ……。

 そうだ。時先輩はどうしたいんだろうか。時先輩は昨日図書室で涙を流していた。すべてが符号していっている気がする。

 確かな確証はないが、俺が図書室で読んだ少女の事件について思いだしていた。

 少女は突如道に現れて、血まみれで、泣いていたという。これは、時先輩なんじゃないだろうか。

 だとしたら、突然現れたというのは解せない。本当に――もしかしたら、地下というものがあるというのだろうか……。

 時先輩に聞いたら何か教えてくれるだろうか。時先輩は、愛瑠さんをどうしたいんだろう?復讐?

 地下のことは何かしら教えてくれても、きっとそれ以外のことは教えてくれないと思う。

 物思いにふけっていたせいだろう。授業終了を告げるチャイムが鳴る。どの学校も独特のキーンコーンカーンコーンというものだ。

 とにかく行動しよう。

 俺は席を立ち、教室から姿を消した。途中で谷風に声をかけられたが、トイレだと言ってごまかした。


……


 そういえばとふと、我に返る。

 こんな時間に図書室に行っても時先輩はいるのだろうか。相手は生徒会長だ。こんなただの休み時間にいるのだろうか、ちなみに今は3時間目が終わったばかりの休憩時間。

 5分ばかりで何が話せるわけでもないだろうが、俺の足は思考の迷いとは反して図書室へ向かう。

 俺が、時先輩と話せるのは図書室だけだ。遭遇できるのもきっとそこだけだろう。俺はほかに時先輩が向かう場所は知らない。

 速足で向かった図書室は閑散としていた。当然だ、たった5分の休憩でやってくる生徒のほうが珍しい、いや――異端と言うべきか。


「ちょっと、どいてくれる?」


 凛とした声が、俺の背筋を反射的に伸びさせる。思わず振り返る。


「あら、あなたも物好きね。こんな時間にまで図書室に来るなんて」


 短髪。特徴的なツリ目。時先輩だ。


「時先輩も相当な物好きだと思いますが……」

「ふふっそうね」


 時先輩が笑ったのを初めて見た気がする。そしてやっぱり思う。時先輩と愛瑠さんはとてつもなく似ている。笑い方もそっくりだ。

 こんな2人はなんで行き違ってしまったんだろう。片や憎しみを受ける、片や憎しむ。

 不毛とも何も言えない関係。2人の間で完結していまう関係だろう。


「時先輩、少し聴きたいことがあるんですが、時間……ありますか?」

「時間ね……私は次自習だし、いいわ、あなたはどうなの?」

「俺は大丈夫です」

「こんなところで話してても邪魔になるだけだわ。屋上にいきましょう」

「わかりました」


 彼女は俺の前を歩く。

 俺が見つめるその背中は酷く小さく、心細いものに見えた。

 俺の想像通り、予想通りなら、彼女は事故にあってから誰かに拾われたことになる。とても1人でここまで生きてこれるとは思えない。

 ……その間にも何かがあったりしたんだろうか?いや、邪推はよそう。

 でも、それだけで憎んだりするだろうか……?それだけ、じゃない。

 憎むだろう。父も母も生きていると思っている、そして双子の片割れが生きているとしたら?

 憎む。

 それを、どうとは言えない。それは、確かだ。

 彼女は、本当に愛瑠さんを憎んでいるんだろうか。あの小さい背中を見てそう思った。


……


 屋上は授業中ということもあり声も何もなく閑散としていた。風だけが吹き抜け、時先輩の短い髪がそよぐ。

 髪を抑え、屋上に万が一の転落防止用に設置されているフェンスに近づいた。


「いい風ね。こんないい風は久しぶり……」


 俺もフェンスに近づいて街を見下ろす。

 とても広い学校の校庭が広がる先には大きな街が見える。アリのように見える人々が歩いている。しかし、この時間にしては少なく見える。

 どこまでも続く景色は、どこまでも同じように見える。

 横を盗み見ると時先輩は穏やかな顔をしていた。

 聴こう。


「時先輩」

「質問があったのだったわね。なに?」

屋上から街を見下げるのをやめ、時先輩を凝視する。彼女の目はとても穏やかだった。憎しみなんて感じさせない。さっきの背中と同じだ。

「時先輩は……いま、憎んでる人がいますか?」


 彼女は目を閉じ考える。きっと今までのことを考えているんだろう。愛瑠さんに俺が聴いたこと、時先輩の、いままでの人生。

 聴いたことはないが、きっと平坦じゃない人生だったんだろう。

 親はおらず、どう生きてきたのかもわからない。

 彼女はたっぷり時間を置いて口を重苦しく開いた。


「……憎んでいる人は……いるわ。とても憎い。消したくなるような人がね」


 いま、ストレートに聴いてもいいものだろうか。


「……それは、なぜ……」


 彼女は俺に探るような視線を入れてくる。

 手をグーにしたりパーにしたりしていて、悩んでいる様子が手に取れた。


「いいわ、あそこに座りましょう」


 彼女に導かれて、屋上中央に設置されているベンチに腰掛ける。俺は右端、彼女は左端だ。


「図書館でみた本は覚えてる?」


 俺の脳髄に焼きついた本。幼い子供が突如道に現れたと書かれていた本だ。


「覚えてます」

「そう……信じられないかもしれないけど、あれは事実に基づかれた話なの。私の、過去。私の忘れたい出来事」

「……」

「ふふっそんな顔しないで、私はいまここにちゃんと生きてる。私はね、これでよかったとも思ってるの。

 私はいつの間にかあの場所にいた。親に捨てられたんだと思う。

 いまはね、断片的にしかその当時のことを思い出せないの。私はただ泣いてるだけで……きっと事故にあったのは私だけ。

 元の家族はどっかで幸せに……暮らしてるんだって。

 私はきっと弾き出されたのね、その家族から」

「そんなことはっ!」


 俺は立ち上がってしまう。それを見て彼女はさらに笑った。


「ありがとう。私のために怒ってくれて」


 違う。俺はそういうことを言ったんじゃない。俺は口に出かけた言葉を飲み込んだ。

 果たしてこれは俺が言っていいことなのか?俺が何かを伝えられる立場にあるとは思えない、逆に愛瑠さんとの仲が悪くなるだけだろう。

 なら……いま、俺がしたいことは、少しでも時先輩と愛瑠さんを近づける、それだけだ。

 その時、頭の片隅にふと案が思い浮かんだ。


「時先輩!」

「どうしたの?」


 俺が突然叫んで立ち上がったのでビックリしたのだろう。目をパチクリさせてこちらを見ている。


「時先輩にはいい話じゃないかもしれないんですが……」

「なによ?」


 時先輩が訝しげな顔になる。当然だろう、少しは時先輩と仲良くなれたという自覚があるものの、こんなことに誘って何かが良くなるとも思えない。

 でも――言う前から諦めることはない。


「探検部に入ってくれませんか?」


 時先輩が鋭い目になる。生徒会長の目だ。


「どうして?私は散々嫌味を言ってきたのよ?」

「それでもです。俺は部長ですし……あと1人メンバーが足りなかったんです。お願いします!」

「でも、私は生徒会長。そんなことをやってる暇はないわ」


 口籠る――いや、ここで挫けるわけにはいかない。


「お願いします!明日、1日だけでもいいんです、体験……ってことでお願いできませんか!?」


 俺があまりに血走っているように声をだしていたからだろう、時先輩が引いている。


「……なんでそんなに?1日だけなんです、1日だけ……」


 これで愛瑠さんへの認識が変わるとは思えない。でも、俺は少しでも動いたという実績が、自己満足が欲しかったのかもしれない。

 本当に、エゴだ。

 時先輩は盛大に、わざとらしくため息をついて言った。


「はぁ……いいわよ、明日1日だけなら。いつ?」


 さっきまで暗かった自分の顔が明るくなっていくのがわかる。


「はい!放課後に俺の教室に来てくれますか?一緒に行きましょう」

「……わかったわ。じゃあね」


 時先輩が、去り際に言葉を残すと、屋上から校舎内に続く扉がパタンと閉まった。

 無音の時間が流れる。

 これで何かが変わる?自問自答に意味はないとすぐに悟る。俺のエゴで押し通したんだ。

 やるべきところまで、責任を全うしよう。

 それは、愛瑠さんが時先輩にすべてを話してくれて……できれば仲良くなってほしいというものだった。

 本当に、自分勝手だ。でも、あの2人がこれ以上苦しんでいるようなところを見たくない。

 誰かを憎むのも、憎まれるのも終わりにしたい。

 迷っていた心に決別をつけ、俺は屋上の扉から校舎に入った。


……


 校舎の中に入り、自分の教室まで足を運んでいると都合よく愛瑠さんがいた。


「愛瑠さん」

「あら……?いま、そっちにいこうと思っていたのだけど……」


 言われて気づく、そういえば4時間目が終わってたのか。愛瑠さんは学食へ行こうと誘いに来たのだろう。


「学食に行きますか?」

「えぇ、谷風くんはどうしたの?」

「アイツは……」


 何をしているだろうか、まぁ適当にやってるだろう。学食に行っているか学食でパンを買っているか。


「たぶん、学食にいると思いますよ」

「たぶん……?」


 愛瑠さんが訝しげな目を向けてくる。


「もしかしてサボったの?」

「……えぇ、まぁ……」

「そう、まぁ私もそこまで言わないけどあんまりサボっちゃだめよ」


 俺の保護者みたいなことを言ってくる。心配してくれているのだろう。


「はい……。でも、心配してくれてありがとうございます。ところで、凛は……?」


 愛瑠さんが進む歩みが少し遅れる。

 なんだろう?愛瑠さんに凛のことを言うとなぜか避けようとしているように見える。

 しかし、杞憂なのか、すぐに元の歩みに戻る。


「今日はちょっと用事があるらしいわ」

「そうですか……」

「残念そうね、私じゃダメかしら」


 俺が暗い顔をしていたせいだろう、愛瑠さんが気を使い始めた。

 凛のことは気になるが、そういうのじゃない。なんだろうか、何か嫌な予感がするのだ。


「いえ、そんなことはありませんよ。愛瑠さんと食事をしたい奴なんて腐るほどいますから。そんな罰あたりなこと言ったらそいつらにボコられます」

「ふふっありがたい話ね」


 そういえば愛瑠さんに浮ついた話は聴いたことがないな。どうなんだろう。


 そんなこんなで、学食に到達。適当に今日の学食を注文して端の席を確保。外がよく見えるところだった。

 今日の学食の内訳は、うどん、白米、漬物と普通だった。時々とんでもない料理をだしてくる時があるのでそれは注意が必要だろう。

 愛瑠さんは食欲がないのか、何も注文していない。


「何も注文しなくてよかったんですか?」

「……えぇ。いまは食べる気分じゃないから」

「そうですか」


 愛瑠さんが自分の体調を気遣えないはずも……ないし。きっと大丈夫だろう。

 顔もやつれてはいないし。


「そういえば……愛瑠さんって彼氏とかいるんですか?」


 首を傾げる。そんな、なんで聴くの?って顔をされても困るんですが……。


「愛瑠さんは浮いた話も聞いたことないなと思って……」

「なに?心配してくれてるの?」


 さっきまでの表情とは裏腹に、顔をニヤニヤとさせてくる。


「いや……」

「心配じゃないの?」

「いや……」

「どっちなのよ」

「……あ、愛瑠さん遊んでますね!?」

「ふふっカサくん怒っちゃダメよ」

「……」


 ん?あれ、そういえばなんで俺のことをカサくんと呼ぶんだろう。凛のことはトリちゃんだし、聴いてみよう。


「ちょっと聴いてもいいですか?」

「何かしら?」

「えーと……俺のことをカサくんって呼んだり、凛のことをトリちゃんって言うのはどうしてでしょう?」

「……嫌だった?」


 少し拗ねたような顔をしている。そこまで卑屈に考えなくても……。


「素朴な疑問です。谷風にはそんなことないし……」

「ああ……。そうね、なんていうのかしらね……。私は本当に信頼している人にはそう呼ぶことにしてるのよ――のこともあるからね……」

「最後、なんて言いました?」

「ううん、なんでもないわ。まぁ親しい人にはそう呼んでるだけよ。よろしい?」

「はい。そういえば伝えないといけないことがあるんでした」

「どうしたの?いきなり笑顔になんかなっちゃたりして」

「探検部の部員が見つかったんです!明日、1日見学をさせてあげてもいいですか?その時に愛瑠さんに探検部でやることを聴きたいんですが……」


 少しビックリしたように目をパチクリさせたあと、愛瑠さんは言った。


「えぇ、いいわよ。来る人は秘密かしら?」

「いまは、言えません」

「そう、じゃあ楽しみにしてるわね」


 愛瑠さんは学食から去っていった。何かがあるんだろうか、要件は伝えられたから好しとしよう。

 結局、凛も谷風も学食に姿を現さなかった。


……


 私は校庭にある大きな樹の前で立ち止まっていた。

 以前、優衣もいた場所だ。ここの扉から開けるのはきっとまずいと思う。それならどこを開けるべき?

 私にはわからない。

 そして、優衣の惨状を目撃して脳裏にこびりついた記憶は、私を呪いのようにここに張り付けていた。

 最近、予定にないところまで改変がなされている。つまり"制御"しにくくなってきたということだ。

 そのおかげで、矛盾点が生まれてしまった。それに記憶にまで干渉し始めた。記憶にはもとから干渉していたのだろうけど……ここまでの干渉は初めてだった。

 きっと、あの人も慌てているはずだ。

 付け入る隙はいましかない。しかし、私の心に張りつけれらた呪いという名の記憶と憎しみは動くのを拒む。

 問題を解決する前に行けるだろうか。優衣は失敗してしまった――いや、失敗するべくして失敗した。それなら、そのあとを継げるのは私だろう。

 いまの兎風 凛には何もできない。それがわかっているから動こうとした。でも、やっと巡ってきた妹との再会。

 それをこのままにしていいのだろうか、何度も繰り返してきた自問自答。

 風に自分のスカートが揺れるのを肌で感じた。その時、彼女がやってきた。


「……それ以上進まないで」


 兎風 凛。彼女の声だった。


「どうしたの?こんな夜中に」

「それは私のセリフよ……ッ!なんで、またあなたはここで立ち尽くしてるの!?なんどやったって同じよ、優衣の失敗を繰り返すだけッ!

こんなことをしたって何も変わらないわッ!」

「……トリちゃん――ううん、凛は無駄なことはしないの?」

「そうよ、このまま終わらすほうが……いいから」

「あなたが、それでいいなら自分で進めばいいわ、でも……」

「私は観測者、ここであなたを送り返すこともできる」

「私も"いま"は観測者よ。何も行動を起こしてない、あなたに違反することはしてないわ」

「……そうね。そのままでいてくれると助かるわ」


 音もなく、凛は消えた。

 ギリッと歯ぎしりをする。私は、動けない。やっぱり、私は何かが解決しないと前に進めない。

 どうしたらいいのだろう。私は前に進みたい、でも進めない。

 きっと、私は妹のことに決着がつけられないと前に進めないんだ。目の前の状況――これをなんとかしないと、カサくんのこともトリちゃんのことも何もできない。

 私は、期待しているのだろう、かすかな希望を見据えて、カサくんがエゴで、自分勝手で動いてくれて妹と話すこともできて……仲直りできて。

 そんな未来が欲しいのだ、これも自分勝手……だわね。


……


 4月18日 「探検部 日記」

 どうした?ん?

 谷風はどうしたんだ……どっかいったぞ。

 まぁ、いいや。

 今日は時先輩を探検部に誘った。明日1日だけ……ということだが、体験入部といったところだろう。

 できれば、そのまま入部してほしいが、きっと無理だろう。

 どう考えたって、いまの状態じゃ愛瑠さんのいる部活に入るわけがない、それに時先輩は生徒会長だ。

 どうすればいいんだろう。

 そういや、この日記は先生に提出しないといけないんだったな、あとで消しておかないとなぁ……。

 これ、もう日記なんだろうか。


……


 翌日の放課後。

 今日は4月の19日だ。

 そう、時先輩の1日体験入部である。しかし、入部といってもほぼ部としての体裁を取っているとは言い難い。から体験入部とも言えないかもしれない。

 教室前で時先輩と合流する。

 谷風には先に行っておくように行ってあったし、先生にも伝えてある。凛には愛瑠さんが伝えてくれているはずだし……。


「よし行きましょう」

「……えぇ」


 時先輩の表情は、ツンっとしているのだが、やっぱり歯切れが悪かった。でも、愛瑠さんを本当に憎んでいるかどうかもこれでハッキリするはずだ。

 しばらく、茜色に染まる廊下を歩く。足音だけが廊下に響き渡り、それは安らかな音にも不協和音にも聴こえた。今後起こりうる、可能性について四散でもされているかのようで不安になりそうだったが、これは俺が始めたことだ。

 俺が最後まで自分の自分勝手を押し通して、責任を取る。


 探検部の部室兼空き教室の目の前に到着した。

 俺は扉に手をかけるようとして、思いとどまってしまう。時先輩は不思議そうな顔をこちらに向けている。目の前の扉の奥では、楽しい会話が繰り広げられているのか、ざわざわと聴こえる。

 このまま時先輩と愛瑠さんを会わせても、きっとしれっと2人とも周りに気づかれないようにするんだろう、と思う。

 だから、時先輩は今もこんな顔をしているんだろう。

 心にさらに整理をつけて、開ける。

 これがどんな行為かも散々俺自身に説いてきた。だから、俺はこの責任を最後まで全うしよう。それが選んだ者の責任だ。


「連れてきました」

「おー、核早かったな!」


 谷風が机に座りながら、こっちに右手を振ってくる。お前って奴は……いつもそんな感じだな。

 それが、お前である所以であるんだろう。

 こういう――何かがいつ壊れてもおかしくない状況じゃ谷風は頼りになる。

 部室へ一歩足を踏み入れる。自分の中での空気が変わった。

 俺の後ろには、時先輩が背筋をピーンと伸ばしていて、部室には谷風、愛瑠さん、凛、先生がいた。

 愛瑠さんが入室した妹に目を見開き、顔を伏せた。凛も相変わらず元気がなさそうに顔を伏せている。

 先生は教卓におり、俺に気づいて言葉を発した。


「よう、来たな」


 第一声がこれだ。先生の変わらなさも救いだ。

 しかし、先生としてはどうなんだろう。少しフランクリーすぎる気もしなくもない。

 そう思いながらも、今度厄介なことがあったら相談しようと俺は心に決めていたのだった。


「先生は……どうしてここに?」

「それはだな……お前らが部活として何かをするといったからだ」


 何かをする……?先生に探検部の活動内容を伝えられる人間、もしくは完璧に理解している人間は1人である。つまり、部活動を完璧に把握している者とは愛瑠さんだ。

 愛瑠さんは今日、何かするつもりなのだろうか。

 谷風が、俺の真後ろにいる時先輩を見て声をあげる。


「お前は……!」


 何だ、谷風はどうした。指を時先輩につきつける。先輩を指すのはやめろ。


「誰だっけ?」


 この空間が無音の境地に包まれた。


「はぁ……谷風、紹介しておく。現生徒会長の未風 時先輩だ」

「あ、ああ思いだした! しかし……まぁいいだろう」


 何がいいだろう、だ。たぶん、この前の学食のことを言っているのだろうが……谷風があまり過去にこだわらない奴でよかった。

 時先輩を促す。


「時先輩」

「……わかってるわ」


 俺の真後ろから、横にでて俺に並ぶ形になる。

 すぅっと息をすい、静かに透き通る声を周囲に通らせた。いつもの生徒会長らしい背筋を思わず伸ばしたくなるような声ではない、形容するなら優しい声だった。


「3年A組の未風 時です。今回は神風 核くんの紹介でこの部活に1日体験入部させてもらうことになりました。宜しくお願いします」


 模範的というのだろう。当たり障りのない自己紹介だった。


……


 私――古風 愛瑠は未風 時の自己紹介を聴きながら思考を巡らせていた。

 核くんはきっと私に決断をさせるために妹を連れてきたのでしょう。

 私は昨日、兎風 凛に言った「私も"いま"は観測者よ。何も行動を起こしてない、あなたに違反することはしてないわ」そう確実に言った。

 凛は私が裏切ると言ったも同然だと思っているはず、それでも動けないのは私が行動に映していないからだ。

 凛のお父さんが凛にいったのは、行動に映したものがいれば裁けということだ。

 優衣はこれに抵触して、凛に強制送還された。

 しかし、私はいまだに行動には映していないから強制送還できない。

 でも、凛にかかれば私はすぐに強制送還できるだろう。頼めるのはきっと核くんだけ、だと思う。

 もしかしたら先生にも頼めるかもしれないけど……先生はきっと無理……それに、彼が動くのは彼がでてきた時だけだと思う。

 それに……先生は見つかりたくないと思うからほっておきましょう。

 最後に頼れるのはやっぱり核くん……私がいなくなったあとのことは核くんに頼るしかない。

 とりあえず、いまは核くんが用意してくれた状況に乗っかろう。私がやることは……妹とちゃんと話すことだ。

 核くん、やっぱり憎しむのは辛い……のかしらね。

 凛はこの状況をおそらく心の底で憎んでいる。もしかしたら父のことも憎んでいるのかもしれないと思う。それを見ていると心が痛む。

 そうだわ……私はまったく同じことを妹にしている……。なら、やっぱり私は妹との問題を解決しなきゃいけない。

 心にそう決めて、妹に近寄った。


……


「未風 時さん、探検部に体験入部ありがとうございます。今日はこれから活動をしますので、是非ご覧になっていってください」


 愛瑠さんの平然とした振る舞い。そして、手を差し出す動作に

 時先輩は面食らった表情で――受け入れた。

「宜しくお願いします」


 時先輩も手をおずおずと差し出し、愛瑠さんも時先輩も手を握った。


「宜しく」


……


 探検部はその後、校庭に移動。

 校庭の隅にある大きな樹。この学校の由緒正しい樹らしいそれの根元を掘るのだと愛瑠さんは言った。


「こんなもんの根元掘ってどうするんですか……」

「意味があるから、掘るのよ。私を信じなさい」


 即答だった。考える暇を与えられることもなく、俺と凛と谷風と時先輩と……先生はスコップを渡される。


「どうして俺もなんだ?」

「いえ、先生も探検部の顧問でしたらこれぐらい手伝ってくれてもいいんじゃありません?」

「……」


 先生は少し戸惑ったような、ためらうようにスコップを手に取った。

 愛瑠さんは満足げに頷いて、全員を見渡した。


「さぁ、みんなこの大樹の根元を掘りましょう」

「ちょっと待ってください」


 俺は止めに入っていた。ただ無言でここに連れられてきて、掘れってか……?


「なによ?」


 愛瑠さんは何か?という顔をしている。


「いやいや、そんな顔されても……俺たちはなんでここに連れてこられたんですか?しかもこれを掘れって……」

「ああ……」


 納得したかのように、愛瑠さんは言葉を紡ぎ始めた。なんだ、説明した気にでもなっていたのか。


「えーとね……探検部の目的は知っているでしょう?カサくん」

「はい。地底人を……見つけるんでしたね?」

「そう。そして、この大樹からはよく人が出入りしているという情報があるわ」


 俺が知っているのには、そんなことはなかった……が、愛瑠さんは嘘をつくような人じゃない。

 なら、この話は本当なんだろう。

 それに、俺は地底人の存在という者について信じ初めている。時先輩が言っていた、外国の資料というものを見つけて読むと明らかに矛盾が生じていたのだ。

 日本の公式記録には第二次オイルショックは1度だけ存在している。当然だ。歴史は繰り返せないのだから……。

 しかし、外国の記録を見てい見ると第二次オイルショックはなぜか日本で2回起きている。

 これはどういうことだろう?

 人知を超えた力――そういう、なんていうのだろう。神様がいるかのような力が働いているように思える。

 何かを本格的に考えるには何かピースが足りない……だから、俺はこの地底人について本格的に調べたい。

 ……どうしてこんなに必死になってるんだろうと思いはするが、俺はこの先にあるものを見てみたくなった。

 地底人なんて最初は信じていなかったけど、それについて調べてみたい。


「なるほど……だから、ここを掘るんですね?掘って地底人が出入りしている"何か"を見つけようと」

「そうよ。カサくんは地底人に興味を持ってくれたのかしら?」

「はい……俺は地底人が見てみたくなりました」


 俺の発言で空気が変わった気がした。

 抑えられないほどの歯ぎしり反対に微笑を浮かべる者。

 愛瑠さんは微笑を浮かべて、俺を見た。


「じゃあ、掘ってみましょう」


 谷風が、スコップを掲げて息を吸い込み、大きく声を夕方の、金色から灰色に染まり始めた空に、響かせた。


「おー!」


 谷風は、たぶん何もわかってない……と思う。とりあえず掘れと言われたから掘る。

 まぁ、もしかしたら単純な奴だから地底人というものを信じているのかもしれない――それなら、俺も単純だ。


 全員が掘りだす。

 しばらく無言の作業で掘り進めるが、どうにも掘り進めたくない人がいるようで、一向にはかどらない。

 掘り進めたくない人、というのは凛と先生のことだ。この2人だけ妙に手が遅いし、動作も重いように感じる。

 その他にも――この場の雰囲気自体、重い。空気に耐え切れず隣で作業している谷風に話かける。


「なぁ……谷風は地底人っていると思うか?」

「……いるって思うぜ。核も小さい頃にそういうの見たりしなかったかぁ?」


 手は止めずに、そのまま喋る。


「あるな。子供心にわくわくするんだよな。ああいうの」


 ああいうの、というのは地底人を題材とした番組だ。半年に1度程度あったのを今でも覚えている。


「だから、こんな歳になってもあんな幻想みたいな、追いかけてるなんて馬鹿にする奴も居たりする……でもさ、いいんじゃね?って思うんだよ。

 俺がしたいようにするんだよ」


 考えてない、なんて俺が馬鹿だった。コイツは色々考えている。でも、単純で馬鹿なことには変わりないらしい。


「それに、地底人なんて居たらサインもらうぜ」

「ははっ、それいいな」

「そうだろっ」


 2人で笑いあう。

 その雰囲気で勢いがついたのか、凛以外が喋りだす。


「ほら、早く掘って掘って」

「いや、愛瑠さんは自分のところを……」


 と言って、俺は周りを見渡すと、俺のところだけ終わってなかった。


「なんだ……と!?」

「なんだ、とじゃないわよ。ほらっ私も手伝うから早くしなさい」


 俺の隣に時先輩が突如現れ、俺の穴を掘りだしていた。

 そういえばおかしいと思ってたんだ……俺は大樹の真下の根を掘るような形で、みんなはかなり柔らかそうな土を掘っていた……。


「ほらほら、カサくん疲れたなら休んでていいのよ?」

「そうだぞ、核。あとは俺任せて休んでおくか?」


 愛瑠さんと先生はどうしても俺を休ませたいらしい。しかし、ここでやらないのは男じゃない!


「いや、女子にそんなことさせるのはできないですから、やりますよ!」

「じゃあ、俺は休ませてもらいますね。愛瑠姉さん」


 谷風の風のような一言。訂正しよう。風じゃなく時が止まった。

 愛瑠さんも時先輩も俺も先生も時先輩もみんなが、ゆっくり谷風に向く。

 全員が無言で重圧を送る。


「……」


 だらだらと汗をかきスコップを落とす。


「はっ……は……ははは」

「……」

「……」


 凛以外の目線を執拗に受け谷風は行動に移した!

 流れるように足を地面につき、手を地面につく!

 これが!土下座!


「すいませんでしたぁぁぁぁ!」

「……」


 ガバッと谷風は顔をあげ、こちらを見るが全員がまだまだ目線を送り続けているため、再び顔を伏せる。

 しばらく何回かやり続けた。


「……」

「すいません……そろそろ許してください……」

「ふ……ふふふっ」


 全員が笑いだす。谷風も、だ。

 しかし、凛だけはその輪に入っておらず、ずっと虚ろな目でこちらを見ていた。


「あっ……」


 気づいたように時先輩は笑うのをやめる。愛瑠さんと目配せ。

 愛瑠さんもこちらの意図には気づているはずだ。

 時先輩は愛瑠さんを憎んでいるのだとは思う。でも本当に憎んでいるような人と一緒にいれるものだろうか、俺には無理だ。

 ここでこうやって笑いあっているならきっと時先輩も……みんなと笑いあえるだろう。

 きっと時先輩はそのあとが聴きたいんだろう。あの事故のあとどうなったか――。


……


 しばらく掘り進め、夕焼けが完全に沈み灰色に染まった空と月が完全に自己主張を始めた時に愛瑠さんが解散を命じた。

 凛は相変わらず虚ろな目で、解散を告げられると去った。


「凛……」


 俺の呟きに、愛瑠さんが反応し小声で話しかける。


「カサくん。少し残ってて。あと……トリちゃんのことは終わってから話すわ」

その問いかけに頷く。

「ありがと。時……少し、帰るの待ってもらえる?」


 立ち去ろうとした時先輩を愛瑠さんが止める。

 ゆっくり時先輩は振り返る。短い髪が風にそよぎ耳にかかる髪を手で押さえる動作をする。


「……」


 しばらく無言の静寂が続く。

 そして重苦しく口を開けた。


「えぇ。わかったわ」


 確かに待つという肯定の意思を見せた。

 そして谷風。


「おーい!かえらねぇのか!」

「……」

「谷風」

「先生?」

「いまからお前は勉強だ。お前は赤点だけはとったことのない男だが、このままじゃどこにも羽ばたけん。

 だから、いまからお前は勉強するんだ、わかったな?」

「えっ!?ちょっせんせっ――うわぁあぁぁぁぁぁ」


 先生が谷風が断末魔をあげるのを無視して腕を引っ張り校舎内に入っていく。

 谷風はまぁ放っておこう。問題は――愛瑠さんと時先輩だ。


……


「……残ってもらってありがとう――」


 愛瑠さんは一瞬口を開きかけ、ためらう。妹を呼ぶことに抵抗があるのだろう。

 いまから話すのだから――当然名前を呼ばないといけない――意を決したように口を開いた。


「時。あなたに話があるの」


 空気が変わるのを感じた。

 時先輩が目を細め、愛瑠さんを凝視する。


「……あなたはいいわよね。そんな幸せそうで」

「……時、それは違うわ」

「何が違うの!?あなたは私が地上に行ってからも幸せに暮らしていたのでしょう!

 それなら、幸せじゃない!」


 時先輩は声をあらげ、手を握りしめ一気にまくしたてる。


「私は!私は!あのあとも大変だったわ!

 虐げられ、誰にも相手にされない!親がいなかった!戸籍上も何もいなかった私に何ができる!?

 ただ、こうやって待つしかなかった!あなたを憎みながら!それだけが!私の最後までの生きる意味だった!

 でも――よかったわ。神の導きであなたに出会えて」


 愛瑠さんが震えている。風で愛瑠さんの細い長髪がなびき、風の止んだ頃、愛瑠さんは息を大きく吸って語り始めた。


「あなたは――あの事故で本当に、両親が生きていると思っていたの?」

「……」


 時先輩が止まる。


「……あなたが地上に行ってしまったあと、私に残されたのは絶望だけだった。

 両親は死に、妹は行方不明。

 時が歩んできた、苦難の日々を嘘だとは言わないわ。私を憎んで生きてきて、いても、それは嘘じゃない。

 あなたに認められようとは思わない。でも、私たちの両親は死んでるの!」

「…………そんな……じゃあ……」

「時、考えてみなさい。あなたが地上に飛ばされるほどのエネルギーがそこにはあった。

 なら、あなたは賢いから考えたはずよ。両親が死んでいる可能性も」

「……」


 時先輩の目がじょじょにうな垂れる。

 自分が憎んできた理由、時先輩の場合憎む理由というのが、愛瑠さんが両親と幸せに過ごしていたというものが前提条件にある。

 それなら、それが崩れた時人はどうするのだろう?憎み続けるのだろうか?答えはわからない。

 人が――それぞれ決めていくことだからだ。

 時先輩の口が震えて開く。


「じゃぁ……私は――いいえ!両親が死んだ証拠は!?」

「ないわ……」

「じゃあ、あなたの話は――」


 ざわっと大樹がざわめいた気がした。風だけじゃない。すべての物質が震えているように感じた。

 月の影でわからないが、校庭にポツンと立つ人がいる――。


「……愛瑠の話は真実よ」


 ――兎風 凛。

 先ほどまで虚ろな目をしていた彼女はそこにおらず、目に炎を宿らせたように目をこちらに凝視している。


「あの子は……兎風 凛――」


 時先輩が凛の名前を呟き、思考の頂点にいたったのか納得したように言葉を発した。


「もしかしてあの子は……」


 愛瑠さんが時先輩の前まで、でてきて言う。


「そう、兎風家の娘よ」


 兎風家の娘という言葉を聞いた途端、時先輩が崩れ落ちる。


「っ……もうっ否定できないじゃないっ!両親が死んでない、なんてっ……」


 兎風家その言葉で時先輩は崩れ落ちた。兎風家……なんだろう。頭の奥がズキズキする。


「……愛瑠。あなたを連れていきます。あなたは、もう危険だわ」


 凛が冷淡な声で発した。そこには一切の感情はなかった。

 愛瑠さんが一瞬こちらを見て、また前を向く。

 なんだ?凛がどうしたんだ?

 凛が再び月に見を隠した時――周囲に光が生じた。

 時先輩が、手を前に差し出し指パッチンをしている。指パッチンと呼応するかのように目の前に光が広がる。

 一瞬目がチカチカする。

 ゆっくり、時先輩は立ち上がる。


「……行きなさい。あなた、やることがあるのでしょう?」


 それは愛瑠さんに向けられた言葉だった。


「時、あなた……」

「兎風家の人なら私が長い間足止めできるとは思えないわ。早く行きなさい!お姉ちゃん、やることがあるんでしょ!?」


 お姉ちゃん――愛瑠さんはその言葉に動きだした。


「時!ありがとう!また話しましょう!今度は仲の良い姉妹として!」


 愛瑠さんが真後ろにいる時先輩に振りかえりながら、叫ぶ。時先輩は振り返る。

 それは俺がいままで見た時先輩の表情でとてもスッキリしたといった表情だった。


「うん!」

「カサくん!」


 俺の左手をつかみ、愛瑠さんが走る。

 一瞬足が送れるが、俺は何が起こっているかわからない、この状況に流されるまま走った。


……


「あなた……愛瑠を憎んでいたんじゃなかったの?」


 月に隠された凛が再び月光を浴びて登場する。

 他にも周囲の木陰に隠れていたのか黒いスーツの大人たちが現れる。全員が体躯のいい男性だ。

 時は笑った。


「ふふっそうね。いまもまだ、憎んでるって思ってるわ。でもね、ずっとあのままよりずっとよかった。

 両親が死んでいる、と聴けただけで十分だったわ……。

 ああ、愛瑠も一緒だったんだなって、私と違うのはただ地上か地下にいたかだけ」

「……」

「あなたにはわからないでしょうね。これでも、私たちは姉妹だったのよ。

 あの事故があるまで、本当に仲よしの」

「そう。そんなことはいい。そこを通してもらえる」

「通すわけにはいかないわ。お姉ちゃんはやることをやってくるって言ってるんだから。

 もしかしたら、あなたを救ってくれるかもしれないわよ?」

「そんなこと、あるわけない。それに私は質問したんじゃない。命令したのよ」

「そう、なら力づくでどけてみなさい」

「……そう」


 時には凛との実力差は身にしみてわかっていた。

 兎風家の娘――それだけではまだ脅威でもない。ただ権力があるだけだ。

 しかし"観測者"であれば話は別だ。


「あなたは、その能力をどこで手に入れたの?」


 時の指から放たれる目くらましをなんとも思っていないのだろう。時に一直線、猪突猛進してくる。

 相手は神だ。


「どこで手に入れたのかしらね――もしかしたらお姉ちゃんから力が流れ込んできているのかもしれないわね。

 地下の神としての力が」

「……まぁいいわ。あなたはどうせ何もできない」

「凛といったかしら?もっと、自分勝手に抗うことを覚えたら、どう――」


 時の意識はそこで途絶え、校庭のざらざらとした地面に倒れる。

 凛が言葉を紡ごうと口を開く。


「……リライ――」


 しかしその言葉は中断される。少し離れたところ、3000m先といったところか、に妙な力の発動を感じ取った。


「……」

「凛様。未風 時はどう致しますか?」


 黒いスーツにサングラスをかけた男が凛に寄ってくる。

 血の染みついたにおいが、凛の鼻に風に乗って届けられる。


「……ここから2000m付近を捜索。あの子はあとでどうとでもなります」

「了解しました」


 黒いスーツの男たちが散り散りに散っていく。

 そして誰もいなくなった校庭の月夜に凛の影だけがポツンとある。

(まるで、いまの私だな)


「……核くんだけは私が……私だからこそやらないといけない」


 凛は月に隠れ、人とは思えないほどの距離を跳躍した。


……


 どこだろう、ここは。

 俺と愛瑠さんは走り続けていた。突如意識がなくなったと思ったら、次は俺だけ白い空間にいた。

 白い、ただ白い虚無のような虚空の空間だった。

 しかし、寂しさは感じずむしろ人の温かみを感じた。


「カサくん――ううん、核くん聴こえる?」


 愛瑠さんの声が、俺の脳に反響して響く。


「愛瑠さん?」

「時間がない。聴いてほしい事があるの」


 緊迫し、早口で愛瑠さんがまくしたてる。聴いてほしいと言いつつも、こちらが口をはさむ余地がない。


「核くんに凛をお願いしたいの。あの子は……このままじゃ見てわかるとおり潰れるわ。

 彼女の使命に押しつぶされて……孤独を歩み続けて、いずれ地獄に落ちる。

 だから、核くん。

 彼女を救ってあげて。私たちの、大切な親友を――っ……」

「ま、待ってください!俺だって聴きたいことがあります――」

「もっとゆっくり進められたらよかったと思ったんだけど……そうそう。

 核くんのおかげで妹とまた話せそうだわ。ありがとう。

 言い忘れていたわ。凛に最初から近づくのはやめなさい。あの子はいま、触れれば斬れる刀のように鋭利に気を張っているわ。

 あなたじゃ……きっと無理。だから、最初は凛に思いださせるの。私たちの――思い出を――」

「待ってください愛瑠さん!凛を救うって!?それに時先輩と話してた地底人って!?俺たちの思い出って!」

「――それは――」


 俺の目の前が真っ白――いや、それすらも凌駕するような光景に襲われる。

 もう引き返せそうになくて、必死に手を伸ばしながら、叫んだ。


「くっ……愛瑠さぁぁぁぁん!」


 遠い日、俺は誰かと一緒にいたんじゃなかったか。あれ?俺って昔のこと全然、覚えてないな――。

 そういえば、凛や愛瑠さんや優衣と遊んでたような気がする――。


……


「……はぁっ……はぁっ……ディストーションがかき消されるなんて……」

「もう終わりよ。愛瑠。あなたの能力じゃ、私には勝てない」

「凛……!あなたっ!」


 夜の公園――そこに、古風 愛瑠と兎風 凛は正反対の位置で対峙するように存在していた。神風 核は公園のベンチに寝ていた。

 愛瑠は満身創痍のようで、息を切らしている。しかし、凛は余裕の表情である。余裕といっても目は虚ろなのだが。


「……もう一度忠告するわ。"観測者"の職務に戻る気は、ない?」

「っないわねっ……。あなたは本当にこれでいいの!?自分勝手で何かをやってみようとは思わないっ!?あなたの能力があればこの状況は変わるわ!

 神の力に頼る、地底の人々も――あなたのお父さんだって!」

「……うるさい!」


 凛が動いた。一瞬の跳躍。ある程度愛瑠と凛の差は開いていた。しかし凛の力は――ここでは最強だ。

 神と言ってもいい。絶対に逆らえない神の如き力なのである。

 目を瞬く間に接近した凛は愛瑠の肩に手を置いて、唱える。


「リライト」


 愛瑠が口を開こうとするが、すぐに消えてしまう。


「……さて――えっ……!?」


 凛が神風 核に振りかえると神風 核が光っていた。

 その光はこの世を終わらすとも、始まらせるとも取れるような光だった。


「くっ……」


 凛が跳躍。ナイフを腰――制服のスカートとカッターシャツの間に仕込んでいた獲物を取りだし核の胸に向けて突きだす。

 しかし、それは命中しなかった。

 胸に届く前に、それは"消えた"のである。

 凛が口を開こうした。

 それでも、ここでは神の如き力を保有する凛でも世界を突き動かす意思に反逆できず、そのまますべてが無に帰した。



 second episode:family 「END」


 In old days episodeに続く

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