第24話そうだ、探しに行こう。

 事件が起こったのは、その翌日だった。

 分厚い雲が空を覆い、空気がじめじめと湿った嫌な日だった。水野さんはまた用事があるということだったので、今日は俺も柑奈も日がな家でぐうたらしていた。

 時刻は八時前。夕食を食べ終わり、女装のままリビングのソファにぐでんと寝転がってテレビをながめていると。

 ――ピロロロロッ!

 手元の携帯がけたたましく電子音を鳴らした。思わずビクッとしてから画面に目を落とす。発信者を表示する欄には、水野璃里花の五文字。

 慌てて通話ボタンを押して応答する。

「はい」

『もしもし?』

 耳に届いたのは、まったく聞き慣れない男の声だった。

 一瞬、頭が真っ白になった。

 ど、どういうことだ? なんで水野さんの携帯を使って、男が電話をかけてくるんだ? 彼氏か? そんなわけがない。じゃあなんだ? 

 ――まさか、誘拐犯とか?

「……どなたですか?」

 顔から血の気が引いていくのを感じながら、不信感丸出しの声で尋ねる。

『突然の連絡恐れ入る。水野璃里花の父だ』

「ちち……ああ、お父さんですか」

 なんだ。びっくりした。乳かと思った。いや、そうじゃなくて。

 どうしてお父さんが水野さんの携帯を使って電話をかけてくるんだろう。

『つかぬことを聞くが、今日そちらに璃里花が行っていないかね?』

 居丈高だけど、決して不快な感じのしない不思議な口調だった。なんというか、偉ぶっているのではなく、本当に偉い人という感じがする。

「いえ、来てませんけど」

『来ていないか。それなら、もし璃里花が来たらこの番号に一報入れてはくれまいか』

「どういうことです? ……それって、水野さんの行方がわからないってことですか?」

 お父さんの発した言葉の意味するところを理解した瞬間、体に緊張が走る。上体を起こしてソファにきちんと座り直す。

 短い沈黙を経てから、お父さんが肯定した。

『そういうことだ』

 つまり、水野さんが置いていった携帯電話の着信履歴なんかから俺の名前を見つけ出し、こうして電話しているということか。

 徐々に心臓の拍動が小刻みになっていく。流れる速度を速めた血が沸騰したように熱い。こめかみの辺りの血管がドクドクと騒がしくなってきた。

「ど、どうしてそんなことに?」

『……君には関係がない』

 家庭の事情というやつか。まあいいか。今はそこに深入りする必要はない。

「今までに、この時間まで帰らなかったことはなかったんですよね?」

『当然だ。そのような非行に走るような者であれば、今こうして父を名乗ってはいない』

「警察に通報は」

『いいや。家を出たのは今朝だ。一晩も立っていないうちから相談したところで警察は動いてくれんよ』

 それはもっともかもしれないけど、どうしてこの人はこんなに悠然と構えていられるんだろう。単なる友達の俺だってこんなに動揺しているのに。

 こうやって電話してきている以上心配してるのは確かなんだろうけど、やっぱりちょっと落ち着きすぎているような気がする。一体お父さんは何者なんだろう。

「それなら、俺が探します」

『そうか。それはありがたい。もしこっちに帰ってきたらそちら連絡を入れよう。番号は今かけているこれでよいかね?』

「ええ、問題ありません。水野さんの居場所に心当たりなどは?」

『……わからん。ただ、財布も携帯電話も手元にある。遠くへは行けないはずだ』

「そうですか。それではこちらも見つけたらお電話しますので」

 それだけ言うと通話を切って、大きくため息をついた。

「どうしたの?」

 いつの間にか背後にいた柑奈が、俺の様子から事態の不穏さを察したのか眉根を寄せながら尋ねてきた。

「水野さんが朝家を出たきりまだ帰ってないらしい」

「今は……八時だね。他の人なら出歩いてることがあってもおかしくないけど、水野さんが、ってなるとちょっと心配かも」

「うん。今から探しに行く」

「私も行くよ」

 俺はソファから立ち上がると母さんに事情を説明して、柑奈と一緒に急いで外へ出た。とりあえず水野さんの家に近いという駅に向かって走る。

「柑奈、どこか心当たりは?」

「えーと、ラプレミディ……は今店長さんが旅行中なんだっけ」

 他に水野さんが行きそうな場所。駄目だ。全然わからない。

 それなら自分が家出したらどうするかを考えよう。どれくらいで帰るつもりかにもよるけど、この時間まで帰らないとなれば野宿することも考えているかもしれない。

「水野さんの家の近くの公園をしらみ潰しに探していこう。それ以外にも高架下とか、とにかく雨風を凌げそうなところを見つけたら手当たり次第あたっていく方向で」

 仮に水野さんが公園を拠点にしようと考えているとしても、今そこにいるという保証はない。でもどこかをフラフラと歩いているとしたらそれこそ探しようがない。だからとりあえず公園を探して、その道中でも一応目を配っておく、というのが最善だろう。

「わかった。手分けした方がいいかな?」

「そうだな。俺は駅の東側を探すから、柑奈は西側を探してくれ」

「了解!」

 柑奈とは駅前の大通りに出たところで別れた。すぐに頭の中に周辺の地図を思い描き、公園がある場所を洗い出していく。

 小学校の頃はあちこちの公園で遊びまわっていたからこの辺りの公園はだいたい把握している。取り壊されたり新設されたりしたやつはわからないけど。

 大通りを曲がって住宅街に入る。この辺りの住宅街には小、中規模の公園が散在している。それを水野さんの家から近い順にあたっていくことにしよう。本当は身を寄せられるような遊具があるかどうかで絞りたいけど、さすがに遊具の種類までは覚えていない。

 ようやく一つ目の公園に到着。もうこんな時間だ。さすがに子供たちの姿はない。

 ぐるりと公園内を見回してみたけど、その公園にあるのはブランコや滑り台などのごくオーソドックスな遊具ばかりで、とても一晩を過ごすことのできる場所じゃなかった。

 すぐに見切りをつけて次の公園へと向かう。

 今目指している公園は、柑奈ともよく遊びに行っていた公園だ。小さなアスレチックのような遊具があって、その中には長さ三メートルほど、高さと幅がそれぞれ一メートルほどの通路のような部分があった。外からも見えないし眠るならうってつけの場所だ。

 ほどなくしてその公園に辿り着く。幸いその遊具も残っていた。わずかな希望を抱きながら、アスレチックをこなして通路のところまでやってくる。

 しかし、覗きこんだ通路の中には虫の一匹もいなかった。

「……次だ、次」

 いくら子供用のアスレチックでも、全力疾走し続けている体にはちょっとばかり酷だ。いくらか息が上がってきた。それでも今は、立ち止まることも休むこともできない。居ても立ってもいられないとはまさにこのことだ。ただ走り続ける以外にない。

 次の公園は……ちょっと離れてるな。一キロ弱ある。

 再び次の公園に向かって駆け出す。夜闇に染まる住宅街は閑散としていて、すれ違う人もいない。聞こえてくる音といえば、時折民家から漏れてくる生活音を除くと俺の荒い息と遠くを走る電車の音くらい。

 そんなとき、正面から中年の女性二人組が歩いてきた。

 そうだ。駄目もとで聞き込みもしてみよう。

「あの、すみません」

 声をかけながら駆け寄っていき、携帯電話を取り出してこの前ラヴリーランドで撮った写真を表示して見せる。

「はい?」

「この女の子を探してるんですけど、どこかで見かけませんでしたか?」

 片方の女性が携帯電話を覗きこんで首を傾げる。

「ごめんなさい。ちょっとわからないわ。高橋さんは?」

 もう一方の女性も、かけていたメガネを外して画面に顔を近づける。

「んー? ああ、これ水野さんの家の娘さんじゃないの?」

「えっ、ご存知なんですか?」

 驚いた。まさか水野さんのことを知ってる人に出くわすとは。

「ええ、ご近所さんなのよ。そうじゃなくても有名だし」

「有名?」

「え、知らないの? お父さん、みずの自動車の社長さんなのよ?」

「みずの自動車……ってあのみずの自動車ですか!?」

 俺でも知ってるくらいの大企業。国内の自動車メーカー最大手だったはず。そういえばこの前もニュースでやってたな。新型車の発表会がどうとか。

「そうよ。娘さんも見ての通りの美人さんだし、有名にならない方がおかしいわよ」

 知らなかった。まあ、あまり水野さんの方から家族の話題を出してくることもなかったし、そもそも親が社長でも大統領でも王様でもニートでも俺には別に関係ないしな。

「その娘さんを探してるんですけど、どこかで見ませんでしたか?」

「あー、ごめんなさい。最近は見かけてないわ。何かあったの?」

「ああ、いえ。お気になさらず。どうもありがとうございました」

 この手の人に詮索されるのは面倒くさそうだ。早々に退散することにしよう。おばさんの井戸端会議に時間を取られている余裕はない。

 中年女性二人の横をすり抜けて再び走りだす。スカートが翻るのも気にせず全力疾走。

 しかしそれからいくつ公園を回っても、あるはずの遊具がなくなっていたり、公園自体がなくなっていたりと、水野さんどころか水野さんがいそうな公園すらほとんど見つからなかった。

「このままじゃ埒が明かないな……」

 ――何か事件に巻き込まれたんじゃないだろうか。

 これまで必死に目を背けてきたけど、時間が経つにつれてそんな不安が少しずつ現実味を増していく。

 走り回っているせいでただでさえ荒い呼吸が、焦燥感のせいでさらに浅くなっていく。体を動かして流れる汗とは別の、冷たくて嫌な汗が背筋を伝う。

「くそっ!」

 頭をぶんぶん振って雑念を吹き飛ばし、両頬を五回叩いて気持ちを入れ直した。

 少し方向性を変えてみよう。やっぱりずっと公園にいては寒いし退屈だ。どこかで退屈を凌ぎたいと思ってもおかしくない。水野さんが時間を潰すとしたらどこだ?

「……本屋とか?」

 水野さんが、お金なしに暇を潰せる場所として思い当たるのはそれくらいだ。一度駅前の大通りまで戻ってみよう。泉田書店の他にも新古書店が一件あったはずだ。

 自分の心と体に活を入れ、再び走りだす。

 すっかり暗くなってしまった住宅街を抜けて大通りに出る。泉田書店の前までやってくると、息を整えてから店内に入った。

 雑誌コーナーを足早に通り抜けて小説コーナーへ向かう。しかしそう都合よく水野さんの姿があるはずもない。漫画コーナーや参考書コーナーも一応見てみたけど、やっぱり見つからなかった。

 さすがに家出しといてこんな近所にいるわけないか。

 気持ちをすぐに切り替えて少し離れたところにある新古書店に足を向ける。

「ん?」

 その道中、少し先に交番の明かりが見えたところで走る速度を少しゆるめた。

 ……あー、ここのおまわりさんやる気ないし、最初からあてにしてなかったけど、どうせ通りかかったわけだし一応駄目もとで聞いてみるか。

 交番の前で足を止めて中に入る。俺の気配に気づいたおまわりさんは、いかにも面倒くさいといった感じでゆっくりと顔を上げた。

「あの、友人が家出をしてしまったみたいなんですが、目撃情報とかありませんか?」

「うーん、聞いてないねー」

 あくびしてるのかしゃべってるのかわからないくらい間延びした声でそう答えた。この人なら聞いてても忘れてそうだな。

「わかりました。どうもありがとうございます」

 やっぱり時間の無駄だ。なんかイライラしてきたので早々に立ち去ろうと踵を返したとき、交番に一人のおばさんが駆け込んできた。深刻そうな顔でおまわりさんに詰め寄る。

「お、おまわりさん!」

「どうしました?」

「東公園の池に、怪しい男が人みたいなものを投げ込んだんです!」

 人みたいなもの? 東公園は行こうと思っていた公園の一つだ。この辺で一番大きな公園で、鯉なんかの棲む大きな池がある。

「なんですって?」

「細身で、女の子に見えました」

 女の子? そんな、まさか……。

「見に行きましょう、おまわりさん」

 あるわけないと思いながらも不安にかられ、おまわりさんを急き立てる。

「えー、見間違いじゃないですか?」

「確かに見ました! 疑うのは実際に確認してからにしてください!」

「わ、わかりました」

 おばさんに凄まれて小さくなったおまわりさんがおどおどと立ち上がり、俺達は東公園に向かった。

 公園に入ると、おばさんの案内を受けて男が何かを投げ込んだ場所までやってくる。

「ウォーキングしていたら、怪しい男が何かをそこら辺にザボーンって放り込むのが見えたんです。びっくりしている間にその男は走って逃げていってしまって……」

 おばさんが指さした水面を、俺とおまわりさんが覗きこむ。

「確かに人っぽい形だね……」

 おまわりさんの表情がようやく真剣みを帯びた。水質はきれいじゃないけど、そこまで深い池じゃないから底がぼんやりと見える。

 底に肌色っぽい何かが沈んでいるようだ。

 もし、もしもあれが水野さんだとしたら、もし裸の水野さんを男が遺棄したというのなら、それは……。

「確認してきます。これ持っててください」

「ええっ!?」

 想像するだけで吐き気をもよおすような事態が脳裏をよぎり、驚きの声を上げるおまわりさんに携帯電話と財布を渡して池に飛び込んだ。

 限りなく低い可能性だということはわかっている。でも万が一のことを考えるとじっとしていられなかった。

 すぐに水底まで辿り着く。水が濁っているせいで全貌がよく見えない。手探りで冷たい腕らしき部分を掴むと、大急ぎで浮上した。岸に上がり、掴んだ何かを陸に引き上げる。

 水が入ってぼやけた目をこすり、自分がサルベージしたものを確認する。

 雑草の生い茂る岸に横たわっていたのは――生気のない目をした女の子だった。

「……ダッチワイフってやつだよね、これ」

 おまわりさんがなんとも言えない表情で、大きな人形を見つめながら呟く。

 そういえば最近どこかでダッチワイフがどうのって話を聞いた気がするけど、なんだったっけ。まあそんなことはどうでもいいか。まったく、人騒がせな。

 でもとりあえず、最悪中の最悪の事態に陥ったわけじゃなくてよかった。

「あ、そうだ。飛び込んでる間に携帯電話が鳴ってたよ」

「本当ですか!?」

「うわあっ」

 おまわりさんから携帯電話をひったくって着信履歴を確認する。柑奈からだ。

 手が濡れているのも構わず大慌てでかけ直す。否が応でも期待してしまうというものだ。心臓が緊張で大きく脈打っている。これで見つかったんじゃなかったらさすがに恨むぞ……。

「もしもし!?」

『あ、仁くん? 水野さん見つけたよ』

「おお、よかった……」

 心の底から安堵する。全身の力が一気に抜けてしまった。

『えーと、学校の裏の方にある、大きい象の形の滑り台がある公園わかる? 今そこなんだけど……』

「わかった。すぐいく」

 通話を終えると、一つため息をつく。柑奈の口ぶりからすると何か深刻な状態にあるというわけでもなさそうだ。

 俺はおまわりさんとおばさんに適当に挨拶してダッチワイフの処理を任せると、水野さんがいるという公園に向かった。

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