第21話そうだ、遊園地行ってみよう。(後編)

 次のアトラクションを物色しようとパンフレットを取り出そうとした柑奈が、その動きを止めた。視線の先にあったのは古びた木造の建物。

「あれなんだろうね」

 俺が目を凝らして看板に書いてある文字を読み取ろうとしているうちに、水野さんがパンフレットを取り出して確認する。

「お化け屋敷のようですね。『こ、このドキドキはお化けのせいなんだから! ホーンテッドラヴハウス!!』というそうです」

「なぜにツンデレ」

「……大丈夫なのかな、このテーマパーク」

 でも水野さんにそういうセリフを言わせたという点については評価してあげたい。実際は棒読みだったけど脳内で迫真の演技に変換しておいたからそこは問題ない。

「入ってみましょうか」

「ぎくり」

「辺見くん? どうかしましたか」

「いや、なんでもない」

 そう、なんでもないんだ。決してお化け屋敷が怖いというわけじゃない。そんなことは断じてあり得ない。おしっこちびったのは小さい頃の話だから大丈夫。

「そうですか。じゃあ行きましょう」

 水野さんが俺に背を向けてすたすたと歩いて行く。

「あ、ちょっ……」

 すみません、やめてください。嘘つきました。なんでもなくありません。なんでもあります。悲鳴から失禁まで取り揃えた醜態のデパートなんです。ないものはないんです。

 なんて情けないことを好きな女の子に言えるはずもなく。俺は柑奈に慰められながら泣く泣く水野さんのあとに続くことにした。

「えっと、ここの場合はじゃんけんで勝った人が好きな人と二人きりで中に入れるってことでいいのかな」

 お化け屋敷までやってきたところで柑奈が確認する。

「はい、私はそれで構いませんよ」

「お、おお俺もオカマいませんよ」

「恰好だけのオカマならいますけどね」

 本当だ。目の前にというか、座標上の原点にオカマ的な服装の人いました。

 しかし今回ばかりは柑奈に勝ってもらいたい。当然柑奈は俺が怖がりなのを知っているわけだから、今更醜態も何もないし。

 あ、でもコースターのときの約束があるから、水野さんが勝っても俺と水野さんになるんだよな。といっても約束の件がなかったら、水野さんが勝つと俺は一人でいくことになるわけか。それはそれで嫌だな。やっぱりどっちにしても柑奈と一緒がベストだ。

 そして迎える運命のじゃんけん。今までにないくらいの祈りを込め、全力で右手を突き出す。そうして迎えた結末は……。

「あ、私の勝ちですね。ということは辺見くんの勝ちです」

「わーい」

 ああ、うん。そうだと思ったよ。どうかそんなに怖くないお化け屋敷でありますように!

「じゃあ私先行ってるね」

 お化け屋敷なんてものともしない柑奈は、俺を心配するように見ながらもそう言ってお化け屋敷の中に消えた。ほんの少しでもいいから俺にもその勇気をわけてほしい。

「私達も行きましょうか」

「う、うん……」

 水野さんと二人、ホーンテッドラヴハウスに入っていく。ここがお化け屋敷でさえなかったらものすごく胸の高鳴る状況なのになあ。俺がドキドキしてるのはまじでお化けのせいだよ。ツンデレでもなんでもない。

 薄暗いアトラクション内のセットは墓地風だった。両脇に墓石がずらずらと並べられている。通路は結構狭くて、並んで歩くと肩がふれあいそうなほど。

 びくびくきょろきょろしながら歩いていき、最初の曲がり角に差し掛かる。

「ひいっ」

 何か冷たくてぬめっとしたものが頬をかすめ、早速情けない声を上げてしまった。

「……大丈夫ですか?」

「も、もちろんですとも」

 必死にごまかして角を曲がってみると、その先は真っ暗で何も見えなくなっていた。それでも水野さんは物怖じすることなく平然と先に進むので俺もついていかざるを得ない。

 二、三歩進んだところで、緑っぽい光がパッと辺りを照らす。

「どうぇい」

 突然視界に現れた生首に驚いてまたしても奇妙な叫びを上げてしまう。通路の真ん中に設置された台の上に、髪の長い女の生首が置かれていた。バッチリ血糊もついている。

 視線を感じて隣を見てみると、水野さんが暗がりの中で怪訝そうな眼差しを俺に向けていた。ほとんど確信に近い疑いの表情。

 ……ええ、隠し通せるわけないですよね。

 陰鬱な気持ちで生首の横を通りすぎようとすると。

「きええええええええええええええっ!!」

「うおおおっ」

 突如生首が発した奇声に驚いて小さく飛び上がってしまった。走って逃げだしそうになる体を懸命に押さえつける。

「……怖いの、苦手なんですね」

「……頑張ります」

 もうごまかそうという気すら起きなかった。そんなことしたって恥の上塗りにしかならないし。

 あーあ、絶対ださいやつだって思われてるよな……。

 でもまだ終わったわけじゃない。ここからなんとか立て直して、逆に怖がる水野さんを抱きしめて安心させられるくらいになってやる……!

 決意を新たにし、再び曲がり角に到達。次は何がくるんだ? そろそろキャストが脅かしにくるか? でももう何が来ても驚かないぞ。そんな覚悟を胸に角を曲がった。

 その瞬間、上から死体が降ってきた。

「んひいいいいっ」

 声を上げるまいと口を必死に閉じていたら、馬の鳴き声みたいなのが出てしまった。普通の悲鳴より数倍かっこ悪い。ラヴリーゴーランドであんなことしたせいかな……。

「本当に大丈夫ですか?」

 本気で心配してくれているらしい水野さんの優しい声音が、今は逆に情けなさを増幅する。

「大丈夫じゃないかもしれません……」 

 もうやだ。泣きそう。というかすでに涙目だよ。本当帰りたい。

 緊張の糸は張り詰めきって、もう切れる寸前だ。この調子じゃ最後まで耐えきれる気がしない。さすがにちびっちゃったりするのは避けたいなあ……。

 ほとんど死人のような精神状態で、それでもなんとか気力を振り絞って探索を続ける。

 天井から吊るされている死体人形を避けて通路を進んでいく。するとまたも徐々に照明が暗くなっていき、やがて完全な暗闇になった。

 今度はすぐに明かりがつく仕掛けではないようだ。代わりに通路の床には夜光塗料でラインが引かれていて、道を見失わずに済むようになっている。

 何が起きるかと身を縮こまらせて構えながら、ラインを頼りにまっすぐ歩く。そしてしばらく進んだところで、やはり唐突に明かりがついた。

 しかし、目の前にあったのはただの壁。

「あれ、行き止まりですね」

「どうなってんだろ」

 と、後ろを振り返ると、目の前に醜く腫れ上がった女の顔があった。

「うわああああああああああああっ!!」

 ありったけの声で叫び、腰を抜かしてへたりこんでしまった。

 な、なな、な、なんだ、なんだ、なんだ? 一体、何が起きたんだ?

 俺の頭がパニックに陥っている間に、白装束の女は俺たちから離れていった。そして通路の中腹まで戻ったところで壁の方を指さす。よく見ればそこに曲がり角があった。

 どうやら一度行き止まりまで行くことで通路の明かりがつき、順路が見えるようになる仕掛けらしい。ちくしょう、やってくれるじゃないか。

 深呼吸を繰り返して、爆発しかけた心臓をなんとか落ち着かせる。五回目のため息をついたところでようやく鼓動がおとなしくなり始めた。それでもまだ胸から飛び出そうな勢いでバクバクいっている。

「立てますか?」

「ああ、うん。……って、あれ。力が入らない」

 足腰ががくがくいってしまって、うまく力が入らず立ち上がれない。大股をおっぴろげてスカートの中のトランクスを見せびらかしてしまっている。

 そんな俺を見た水野さんは、呆れたように笑ってそっと手を差し伸べてくれた。

「しょうがないですね。捕まってください」

「あ、ありがとう」

 驚きながらも水野さんの柔らかくて細い手を掴んで立ち上がった。すぐに手をはらいのけるのかと思ったら、水野さんはなぜか手を握ったままで何か思案するような顔を見せる。

「……このまま手をつないでいたら、少しは怖くなくなりますか?」

「……へ?」

 水野さんがぶっきらぼうな調子で放った一言に、俺は自分の耳を疑った。

 ど、どういうことなんだ? 確かにお化け屋敷の怖さは和らぐかもしれない。でもこんなに魅力的な餌が目の前に吊るされたら別の意味で怖くなる。

「そ、そりゃ人肌を感じてた方が多少は安心感が増すと思うけど」

「じゃあこのまま行きましょう」

「い、いいの?」

「……このまま放っておいたら怖がるのにかこつけて私に抱きついたり全身を撫で回したり舐め回したり脱がしたりしそうですから。だから事前にそれを封じるんです。あくまで自衛のためです。肉を切らせて骨を断つというやつです」

 本当にこれは現実か? だとしたら一体何を対価に要求されるんだ? お金か? お小遣いで払える範囲なら喜んで払うぞ。この年でも借金ってできるのかなあ……。

「ほら、行きますよ」

 水野さんが呆然とする俺の手を引いて足早に歩き出す。

 うわあ、本当に水野さんと手つないでるよ。女の子の手なんて柑奈の手を除いたら一度だって握ったことはない。

 柑奈の手よりも少し冷たくて華奢な水野さんの手はまるでガラス細工みたいだった。強く握ったら壊れてしまいそうな、たおやかな手。

 視界が暗いこともあって、意識のすべてが手に集中している。水野さんの左手と俺の右手以外の何もかもがこの世から消え失せてしまったかのような感覚。

 時間や空間の感覚まで曖昧になって、どこをどれくらい歩いたのかもわからなくなってくる。さっきは「多少は安心感が増す」なんて言ったけど、実際は多少なんてもんじゃなかった。そんな忘我の状態では、そもそも怖がることが不可能だった。

 そうして、気づいたときにはアトラクションの出口にいた。陽の光を浴びて、一気に意識が現実に引き戻される。夢の時間はおしまいのようだ。

「あ、お帰り。仁くんの悲鳴すごか……」

 出迎えてくれた柑奈の言葉が途中で途切れる。その視線の先にあったのは、俺と水野さんの手。しっかりと握りしめあったままの手だった。

「ふーん、ほー、へー」

 柑奈が口元に手を当て、世話焼きのおばさんみたいな顔でにやにや笑う。一瞬はきょとんと首を傾けた水野さんも、すぐにそれに気がついた。

「――あっ、こ、これは!」

 慌てて俺の手を離し、握っていた手を反射的に背中に隠した。

「恐怖のあまり立ち往生しかけた俺を助けてくれたんだよ」

「じ、ジェットコースターのときの負い目があったからです。普段だったら絶対、絶対にこんなことしませんから」

 そんな言い訳をする水野さんの顔はやっぱり赤らんでいて。

 いやはや、まさか大嫌いなお化け屋敷のおかげでこんな幸せな気持ちになれるとは思ってもみなかった。

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