第17話そうだ、約束してみよう。

 週末が明けて月曜日。校庭脇のベンチで水野さんと柑奈とランチ。

 今日は約束通り水野さんが真ん中。水野さんは当然のように俺に背を向け、柑奈を一心に見つめている。ちょっとは好感度上がったかと思ったけどそんなことはなかったぜ。

 本当、どうすればいいんだろうな……。

 小さなため息をついて天を仰ぐ。

 抜けるような青空から差す陽光が気持ちいい。スカートで行動するようになってからというもの、春の空気の冷たさや日差しの温かさなんかがよくわかるようになった。

 今までも夏場は半袖のワイシャツで肌を露出していたわけだけど、暑いばかりで春のそんな繊細な感覚とはまったく縁がなかった。

「もう大丈夫なの?」

「はい、ありがとうございます。昨日の時点でもう熱はありませんでしたから」

 柑奈に体調を案じてもらって嬉しそうな水野さん。本当にもう問題ないようでよかった。

 そんな二人を横目に俺は一人、お馴染みの冷凍食品をむしゃむしゃと食み続ける。

 なんでこのコロッケ冷凍なのにベチョベチョしないんだろうなあ……。

 しみじみとそんなことを考えながらコロッケを摘んだところで、突然水野さんがちらりとこちらを振り返った。しかし俺と目が合いそうになった途端すぐに視線を切る。

 それから同じようなことを何度か繰り返したあと、ついに覚悟を決めたように息を呑んでから体ごと俺の方を向いた。

 ……な、なんか俺悪いことしたかな。別に話しかけたりもしてないし、柑奈との時間を邪魔した覚えはないんだけど。

 どんな苦情が飛び出すかと身構えていると、水野さんはぎこちなく頭を下げた。

「お、一昨日は、あそこまでしてくださって……ありがとうございました」

 くださって、のあとがものすごく小さな声だったけど、俺の耳にははっきりくっきり届いた。むしろ水野さんの言葉以外何も聞こえなかった。相対的にフルボリュームだ。

「え、うん。どういたしまして」

 しかしこの妙に恥じらう感じはどうしたことだろう。普段ならラプレミディでお客さんに対して言うみたいにさらっとお礼を言って、はい、おしまいって感じだろうに。

「あそこまでって? 仁くんなんかしてあげたの?」

 あ、そういえば学校での逃走劇については柑奈に話してなかったっけ。

「幼女担いで夜の学校に忍び込んで先生から逃げ回って保健室に連れ込んだ」

「ド変態だね!」

 しまった。省略しすぎて何がしたかったのかさっぱりだ。

 これじゃあやっぱり幼女を辱めるならロケーションは学校に決まりだよな……ぐへへ」とか考えてるような許すべからざる性犯罪者だ。

「亜美ちゃんを水野さんに会わせるために学校に忍び込んだんだよ」

「ああ、それで昨日大島先生に怒られてたんだ」

 合点がいったという風に手を叩く柑奈。

「先生を振り切るために校内を駆けまわってくださったそうですね。亜美ちゃんがメールで教えてくれました」

 なぜか心なしか頬を染めて、早口でぼそぼそと言う。

「でも辺見くんがそこまでするということは、そこには間違いなく不純な動機があるはずです。きっと喘ぎ苦しむ私の姿を見て性的な充足を得ようとしていたのでしょう。ええ、そうに違いありません。あのとき辺見くんの息が荒かったのがその何よりの証拠です」

 言ってる内容はいつもの罵倒と変わらないのに、声の調子にはいつもの鋭い切れ味がなかった。どうしたんだろう。まだ熱が下がりきってないのかな。

「……とはいえそれを立証することはできませんし、そうでなくてもプレゼントを渡していただいたというご恩があります。お世話になりっぱなしというわけにもいきませんから、私は何かお礼をしなくてはいけないことになります」

「そんなこと気にしなくていいのに」

「私がよくないんです」

 とことん義理堅い人だな。さすが、気を遣われるのが嫌だから人付き合いを断つなんてことができるだけのことはある。

「そういうことならお言葉に甘えるけど、ちなみに何ならしてくれるの?」

「……とりあえず、今辺見くんが考えてるようなのはナシです」

「な、何を言うんだ。今俺が頭に描いてたのは水野さんをモチーフにした崇高なるヴィーナスの絵画だぞ」

「思いっきり裸じゃないですか」

 くっ、芸術と煩悩の境界はいずこに! 

 でもそうか。つまりは芸術家になればモデルになってもらうという名目で水野さんの裸が見られるということだな。今から絵の練習頑張るか。美術の成績は散々だけどな。

「じゃあ今度お弁当でも作ってきてよ。柑奈に作ってくるついででいいからさ。事前に連絡してくれればうちも母さんに言って弁当持たないでくるから」

「それだけでいいんですか?」

「十分も十分」

「わかりました。それなら今度作ってきますね」

 この辺が妥当な落としどころだよな。それ以上は水野さんをこの手に収めてからだ!

「ほうほう、そういうことなら柑奈ちゃんからも頑張った仁くんにご褒美をあげようじゃありませんか」

 突然柑奈が変なことを言い出す。なんだ? ハグとかキスとか言い出さないよな?

「そんな性犯罪者を見るような目で見ないでよ。ほら、これだよ」

 柑奈は肩をすくめて、ポケットから二枚の紙切れを取り出した。

「なにそれ?」

「ラヴリーランドの特別招待ペアチケット!」

「ラヴリーランドって隣町の遊園地だっけ? 風俗とかじゃないよな?」

「風俗のペアチケットって何!? 仮にあったとしても渡さないよ! そんなもの渡すくらいなら私が性欲処理券を手作りしてプレゼントするよ!」

「肩たたき券みたいなノリで言うのやめろ」

 なんとか券とかいう発想はものすごく可愛いのに、内容がまさかの性欲処理。世のお父さんたちもびっくりだよ。相変わらず純粋なのか邪なのかわからない我が妹である。

「とにかくこれあげるから、水野さんと行ってくれば?」

「え? 二人で?」

「うん、どうせならお弁当じゃなくてデートをお願いしてみたらいいんじゃないかな」

 お礼としてデートか……。二人きりはいくらなんでも許容範囲外だろう。

「いや、それはさすがに無理でしょ。ねえ?」

 俺が水野さんの方を向いて同意を求めると、水野さんは低く唸って首を傾げた。

「ま、まあ、どうしてもというのであれば」

「ええっ!?」

 いいのか? こ、こいつは一体どういうことだ。水野さんは何を企んでいるんだ? 二人きりになったところで俺を闇に葬ったりしようとしてるとかなのか?

「万が一……いえ、億が一、辺見くんが純粋な善意から亜美ちゃんを連れてきてくれたとすれば、お弁当だけではお礼として不相応です。ただ、デートというのはさすがにちょっと厳しいので……お友達として、ですけど」

「ああ、トモダチとしてね」

 そりゃそうだよな。デートって形じゃ……って、うん? トモダチ? トモダチって……友達? 

 ――水野さんが、俺を友達だと認めてくれた?

 水野さんの発言の意味するところを理解した途端、胸の奥からじわじわと喜びがこみ上げてきた。

 いやっほー!! ついに氷の壁を越えることができたんだ。といってもまだまだ壁際で水野さんからは遠い位置にいるんだろうけど、それでも大きな進展には違いないぜ。

「ど、どうせ辺見くんは友達と聞くと性行為を目的としたなんとかフレンドのことが真っ先に思い浮かぶんでしょうが、そういうのではありませんから。ただの、単なる、たかだかお友達です。妄想はそうそう現実にならないんです。残念でしたね」

 赤い顔でまくし立てる水野さん。なるほど、さっきから様子が変なのも俺を友達としてみるようになったせいかな。

「な、何をにやにやしているんです」

「いや、別に」

「私だって自分が挙動不審なことくらいわかっています。しょうがないじゃないですか。お友達付き合いなんて中学校以来なんです。どう接していいのかわからないんですよ」

 だからって素直に感謝するのが恥ずかしくて悪態ついちゃうとか可愛すぎるだろ。

 本当、氷の壁さえなければ感情が表に出やすい人なんだな。これ、普通にしてたら大人気になっちゃうぞ。ある意味水野さんの男性恐怖症に感謝するべきかもしれない。

「さあ、行くなら行く、行かないなら行かないで早く決めてください」

 おっと、そうだった。友達発言の衝撃と歓喜で本題をすっかり忘れていた。

 でもどうしよう。二人きりか。とはいえ友達として。イチャイチャさせてくれるわけじゃないってことだ。行っても俺が独りではしゃいでるだけで、水野さんは隣で冷めた視線を携帯電話の画面に注いでる、なんていうトラウマ展開になってもおかしくない。

 でもこんなのはまたとないチャンスだ。これを逃したら水野さんと二人きりになるチャンスなんて当分こないかもしれない。どうする。どうするんだ……。

 永遠にも思える数秒、思い悩んだ末に俺は覚悟を決めた。

「よし、行こう! ……三人で!」

「仁くんのヘタレ!」

 だって二人きりなんてまだ早いだろ。清く正しい交際に肝要なのは手順だよ。それに今は水野さんが友達と認めてくれた喜びを堪能するのに手一杯なんだよ!

「それでいいなら私はいいですけど。というか辺見さんとお出かけできるなら私も願ったり叶ったりです」

 そうそう。水野さんだって柑奈と一緒に行きたいだろうからな。あくまで水野さんのためだよ。決して俺がチキンだからじゃない。うん、そうなんだ。

「しかし柑奈がデートを勧めるなんてどういう風の吹き回しなんだ?」

「え? まあ、それは、その……この前福引でもらったんだけど、私はラヴリーランド興味なかったし? それなら有効活用してもらった方がチケットとしても本望じゃないかな、って思っただけだよ、うん」

 なんか様子が変だな。といっても柑奈のことだし、人が本気で嫌がるようなことを考えているわけじゃないだろうからあまり気にすることもないか。

「いつ行きますか?」

 柑奈とのお出かけが決まってそわそわ気味の水野さん。

「そうだね……。あ、そういえば明後日創立記念日だよね? 特に予定がなければ早速だけどそこで行っちゃおうか。平日なら乗り物の待ち時間も少なそうだし」

 そうだった。うちの学校は始業早々に休みがあるんだった。休み明けの怠け者にはありがたい小休止である。

「いいですね。私は大丈夫です。ちょうど昨日から一週間店長さんがお友達と旅行に行ってしまってお店を閉めてしまっているので、アルバイトもないですし」

「もちろん俺も問題ない」

「じゃあ決まりだね。待ち合わせ場所は……って、水野さんどこに住んでるんだっけ?」

 そういえばそうだ。そもそも電車通学かどうかも知らないな。この前ストーキングしたときもラプレミディまでしかついていけなかったし。

「あー、えー、その、駅の近くです」

「あれ、ご近所さんだね。なんで中学校一緒にならなかったんだろ」

「あ、私高校入学前の春に引っ越してきたばかりなんですよ」

 引っ越してきたのか。道理で中学時代を知る人が高校に一人もいないわけだ。

「水野さんのお家も駅に近いなら、待ち合わせ場所も駅でいいかな?」

「はい、大丈夫ですよ。お昼前に集合して、一緒にごはんを食べてから遊ぶって感じでいいですかね?」

「そうだね。じゃあ十一時に駅前ってことで」

 俺と水野さんが頷いて、ラヴリーランド行きの予定が決まった。とりあえず柑奈がいてくれれば水野さんがはしゃぐ姿も見られるだろうし、楽しみだな。

「あ、そうだ。休んでいる間にお借りした漫画読んだので帰りにお返ししますね」

「おお、どうだった?」

「え、お、面白かったですよ?」

 あ、一瞬目をそらした。普段の折り目正しさが仇になってすぐ嘘が露見してしまうな。まあ俺みたいに真剣に言ってもふざけてると思われちゃうのも大変といえば大変だけど。

「正直に言っていいよ。面白くなかったでしょ?」

 同じことを思ったようで、柑奈が苦笑しながらズバリと突っ込んだ。

「そ、そそ、そんなことありません」

「じゃあどこがよかった?」

「えっと、絵の迫力、とか?」

「ストーリーは?」

「……なんでそうなるんだろう、って思ってるうちに終わってました」

 水野さんが観念して白状する。なんとかして柑奈と趣味を共有したかったんだろうな。俺も読書に取り組もうか悩んでいるから気持ちはわかる。

「やっぱりそうでしょ? 少年漫画は合わないんじゃないかなーって思ったもん。だから仁くんの方が趣味合うかもって言ったのに」

「辺見くんは少女漫画が好きなんですか? ……そういえば最近の少女漫画は性描写が過激だという噂を聞いたことが」

「そんな目的じゃないから! 確かに少女漫画も買うけどどちらかというと青年漫画の方が多いし。少年漫画はだいたい柑奈が買ってるから借りて済ませちゃうせいもあるかな」

 もちろん自分でも買うけど。やっぱ同じ趣味を持つ兄弟姉妹がいると何かと便利だよな。

「でも確かに、そういう作品の方が合うかもしれません」

「それなら俺のやつ貸そうか?」

「そうですね。漫画を読むこと自体は新鮮で楽しい経験でしたし、辺見さんのことを抜きにしても興味はあるので。お願いしたいと思います」

 水野さんは頷いてから、はっと気づいたように警戒心むき出しの目で俺を見る。

「少女漫画を、少女があんなことやこんなことをされてしまう漫画だと偽って私を辱めようとしてるのかもしれませんが、さすがに騙されませんからね」

 目の前で読ませるならまだしも、持ち帰らせてから読んでるところを想像して喜ぶとかいくらなんでもマニアックすぎるだろ。

 しかし思わぬ形で水野さんと共通の話題を得るチャンスが転がり込んできたぞ。こういう小さな好機も確実にものにしたいところだ。

 となると、何を貸すかが問題だな。水野さんが気に入ってくれなければお話にならない。俺の一番のお気に入りを貸したってそれが合うとは限らないし……。

「それなら家に来て選んだらいいんじゃない? ちょっと試し読みしてみて、読みたいやつを借りていけばいと思うよ」

 おお、グッドアイデア!

「いいんですか? 突然お邪魔してしまって」

「平気だよ。うちなら多分宇宙人が突然訪問してきても歓迎できるから」

 まあ少なくとも俺と柑奈と母さんは余裕で受け入れるな。父さんはまともな方だけど、いつも俺達三人に振り回されている分そういうことにも普通より耐性がある。

「いいお家ですね。楽しそうです」

 そう言った水野さんの羨望の眼差しには、どこか暗いところがあるように見えた。

この雰囲気、前にも感じたことがある気がする。

 ええと、あれは……確か柑奈が小説以外に趣味はないのかって聞いたときだったか。でも今の話と何か関係があるようには思えない。俺の気のせいかな。

「仁くんもそれでいいよね?」

「え? おう、もちろんだ」

 どうにも水野さんのこととなると深く考えすぎちゃっていけないな。もうちょっと肩の力を抜こう。

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