第16話幕間 辺見家の日常2

 夜の学校で大立ち回りを演じた翌日。

「二度とやるんじゃないぞ」

「すみませんでした」

 放課後、俺は昨日の件について大島先生にそれはもうこってり絞られた。指導の時間として放課後を指定されたのがその何よりの証拠。昼休みの一時間弱ではとてもじゃないが終わらないぞ、という宣告である。

 説教、謝罪、「本当に反省しているのか?」を何度も繰り返した。実は同じ時間をぐるぐる繰り返しているだけで、まったく時計が進んでいないんじゃないかとも思ったけど針はばっちり五時を回っていた。

 窓から夕焼けを臨みながら玄関まで降りる。

 次に備えて玄関の天井にリアルなUFOの絵でも描いとくかな。

 そんなどうでもいいことを考えつつ靴に履き替え、校舎を出る。柑奈には先に帰ってもらった。私も一緒に怒られるーとか言ってたけど乱雑にお断りしておいた。

「ふあ……」

 大きなあくびを漏らしながら伸びを一つ。

 久しぶりに一人での下校。黙って歩いているといつもより道のりが長く感じられるな。

 こういうときは自転車を使いたくなる。徒歩通学しているのは柑奈たっての希望だ。

 今日はやっぱり水野さんはお休みだった。土日があれば完治しそうとのことなので、月曜日にはまた登校できると言っていた。体調はお別れ会前日の夕方辺りからすでに良くなかったらしい。昨日無理して来なければこじらせなかったかもしれないな。

 えっちらおっちらと歩いて、ようやく家まで辿り着く。

「ただいまー」

 間延びした声で帰宅を告げてみたけど、何の返答もなかった。

 母さんは買い物だろう。柑奈は自分の部屋かな?

 静まり返った家の中に足音を響かせながら二階に上がる。そして何の気なしにドアを開けた俺は、ドアノブを握ったまま固まった。

 ベッドの上に、下着姿の柑奈がいた。グラビアアイドルのように、横向きに寝転がってポーズをとっている。下着は上下ともに淡いピンク色。贅肉のない健康的な肌が眩しい。

「…………」

 俺は黙ってまっすぐ机へと向かい、パソコンの電源を入れて椅子に座った。

「なんか言ってよ!」

 視界の外で、柑奈がガバっと起き上がる音がした。椅子を回転させてベッドの方を向くと、柑奈は頬をふくらませて脚をぶらぶらさせながらベッドの縁に座っていた。

「なんか? そうだな。……風邪引くなよ」

 春とはいえ、まだ日が暮れてからは結構冷える。水野さんもそうだけど、やっぱり季節の変わり目は風邪を引きやすい。

「ありがとう! でもね、仁くんの優しさは嬉しいけどね、女の子のセクシーな姿を見たんだからもっと言うべきことがあるはずだと思うんだよ!」

「ないよ」

「早いよ!」

 だって、ねえ……。セクシーって言ったって相手は柑奈だし。もうちょっと、背が高くて、胸が大きくて、肌が白くて、髪が長くて、口元にほくろがあったりすればな。

「もう怒った! こうなったら実力行使に出るもん!」

 柑奈がそんなことを言いながらベッドから立ち上がって歩み寄ってくる。

 そして目の前まで来て立ち止まったかと思えば、スカートで隠れる俺の太ももの上に向かい合うような格好で座ってきた。スカートの薄い布一枚隔てた向こうに柑奈のぬくもりがある。

 視界のほとんどを柑奈の顔が占めるほどの至近距離で見つめ合う。

 なんか「うふん」とか「あはん」とか言いながら体をくねらせている。真面目にやっているのかふざけているのかわからないからツッコミづらい。

 そして、もったいぶった仕草で柑奈が俺の背に手を回したその瞬間。

「入るよー」

 ノックもなしに部屋のドアが開き、母さんが中に踏み込んできた。そして椅子の上で抱き合う、俺と下着姿の柑奈に目を留めて一瞬静止。

「おほほほほ」

 気まずそうに目をそらしながら身を引いてドアを閉めた。

「入れよ!」

「え、入れていいの?」

 きょとんとして言う柑奈。

「その体勢でややこしい言い方するのはやめろ!」

 もちろん文脈からすれば母さんを部屋に入れていいのかという意味として受け取るのが普通だけど、諸々の前科を考慮すると卑猥な意味だとしか思えないじゃないか。

「か、母さんは混ざんないからね!」

「誰が混ぜるか!」

 ドアの向こうから届いたくぐもった声に応えて叫ぶ。

 いや、違う。ツッコミどころはそこじゃない。これじゃあ母さんの想像したようなことをしているのは事実だと認めているようなものだぞ。

「とにかく母さんは下に戻るから、終わったらヘアピンが落ちてないか探しといて」

「あ、ちょっと!」

 結局誤解されたままだよ。あとで弁明するのもなんだかなあ……。ヘアピンってことは多分掃除機かけにきたときに落としたんだろうな。人騒がせなヘアピンめ。

「それで、君は何がしたいんだね」

 柑奈に向き直って尋ねる。柑奈は母さんの襲撃など意にも介していないようだった。

「何って、こういうことだよ」

 不敵に笑った柑奈は俺の背中に回していた腕に力を込めて抱きついてきた。そして、ないわけではないけど大きくもない胸を露骨に押し付けてくる。ふにょふにょで柔らかい。

「ほらほら、どう?」

「柔らかい。見た目によらないもんだな」

「ふふーん。そうでしょう?」

 俺が率直に感想を述べると、柑奈は得意気に言って体を離した。なぜかそのまま視線を下にやって、表情を落胆に曇らせた。

柑奈の瞳に映っていたのは、俺の股間。

「……どこを見てるんです?」

「うーん、おかしいな……」

「な、何が」

 そこを見られながらおかしいとか呟かれると男として不安になるぞ。

「全然反応してない」

「……まあ、そこまで節操なしでもないってことだな」

 まったく、あんまりドキドキさせないでほしいもんだぜ。小さいとか、細いとか言われた日には男の股間……もとい、男の沽券に関わる問題になるからな。

「やっぱり駄目かー」

 そんな俺の様子を見て、大きなため息と一緒に肩を落とす柑奈。

「何がしたかったんだ?」

「いや、ほら。男心を掴むにはまずナントカ袋を掴むべしって言うじゃん」

「……そっちの袋じゃないし、間違っても物理的に掴もうとするなよ?」

 一瞬、大切なところが急激に縮み上がった。でも言われてみれば胃袋よりそっちを掴んだ方が効果的な気がするな。三大欲求って意味じゃ同格だけど。

 あ、でも睡眠欲からのアプローチってないよな。催眠術を駆使して自分がいないと眠れないようにするとか? ヤンデレかよ。

「そっか、物理的に掴めば他の女の子にも見向きしないように……」

「怖っ! なんかめっちゃ怖いこと呟いてる!」

 ヤンデレだったよ。ナントカ袋の収縮率が過去最大だよ。潰される前にこのまま勝手になくなるんじゃないかってくらいだよ。

「もう、冗談だよー。仁くんが痛がることするわけないじゃん」

「本当に頼みますよ……」

 とても冗談には聞こえないくらい目が血走ってるように見えたけど、本当に大丈夫なんだろうか。今夜はドアにバリケードを張っておこうかな……。

「でも駄目ならしょうがないね」

 柑奈は俺の上から降りると、とぼとぼ歩いて部屋を出ていった。

 ドアが閉じる間際、その隙間から覗いた柑奈の顔がなんだかやけに寂しげに見えたのが少し気になった。

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