第11話幕間 辺見家の日常
帰宅後。麦茶を飲もうと思って二階から階段を下りてきたところで、ちょうど父さんが仕事から帰ってきた。
「うお、仁か。家にいるときくらいその恰好やめたらどうだ?」
「わりと気に入ってるんだよ」
その場でくるりと一回転して制服のスカートを舞わせた。
そのまま俺が先導する形で、リビングとダイニングとキッチンが一緒になった大きな部屋に入る。入ってすぐのところにダイニングテーブルが置かれていて、右手がソファとテレビの置かれたリビング。そして左手がキッチンという配置だ。
俺は喉を潤すべく、冷蔵庫のあるキッチンを目指す。
「なんだこれ? ……パンツ?」
後ろで父さんの声がして振り返る。父さんは片手に水色の小さな布切れを持っていた。形から判断すると、父さんの言う通りパンツにしか見えない。
どだっ、という音がして目をやってみると柑奈がソファの陰から飛び出してくるところだった。そのままこちらに駆け寄ってきて、父さんからパンツらしきものをひったくる。
「何すんの! 変態! エッチ! スケベ! ロリコン! レンコン!」
罪のない根菜への風評被害が……。
「え、ええ……? それ柑奈のパンツなの?」
いきなり愛娘に罵られた父さんは、困惑したようにまばたきを繰り返す。
「一体なんの騒ぎ?」
父さんの背後のドアが開いて眉根を寄せた母さんが入ってきた。両手にレジ袋を下げている。買い物に出ていたらしい。
「お父さんが私のパンツ持ってハアハアしてたの!」
「いち、いち、ぜろ、っと……」
母さんが無表情でポケットから携帯を取り出して操作する。
「なんでだよ!」
必死に抗議の声を上げる父さん。俺は父さんに同調するように頷いた。
「そうだよ。警察の前に救急車呼んだ方がいいって」
「そういう意味じゃねえよ!」
「でも三十近く離れた女の子、しかも実の娘のパンツにハアハアしちゃう人の更生はさすがに刑務所じゃ荷が重いと思うぞ」
「だからハアハアなんてしてねえから! 仁は目の前で見てただろうが!」
「部屋入ってから父さんの声が聞こえるまで目離してたし。その間にハアハアしてすっきりして、あたかもたった今見つけたように声を上げたって可能性もある」
「俺どんだけ早漏なんだよ!」
「え、結構早漏だと思うけど……」
「母さん今それを言うのはいろんな意味でやめて!」
とことんまで性の話題にオープンな両親である。しかし情けない秘密を子供に暴露された父さんはちょっと涙目だった。聞かなかったことにしてあげよう。
「それで、本当はなんなの?」
母さんもさすがに見かねたようで、おふざけをやめて普通に聞いてきた。
「いやー、仁くんを誘惑しようとしてしかけた色仕掛けパンツトラップに、お父さんが見事に引っかかっちゃって」
「別に引っかかったわけじゃねえよ!」
「はいはい、わかったから」
なおも汚名をすすごうと叫ぶ父さんを、母さんがなだめすかす。
「というかターゲット俺かよ」
「他にいないでしょ。早漏の中年なんて嫌だもん」
「ぐはあああっ!」
柑奈には父さんに対する慈悲というものがかけらもないようだ。本当、可哀想に。
「そもそも落ちてることに気づかなかった上に、仮に気づいたとしてもなんとも思わないぞ。履かれていないパンツはただの布だよ」
「なるほど、そういうものなんだ。じゃあ今度は履いた状態で誘惑するね」
「いつでも受けて立とう」
朗らかに言葉を交わす俺達を、父さんが恨めしそうに見つめていた。
「ねえ、なんでこいつらは実の兄妹で公然とこんな話をしても許されるの? なんで俺は事実無根なのにこんなひどい仕打ちを受けるの?」
父さんは天性のいじられキャラなんだと思う。親にそんなことするなんてよろしくないのはわかってるんだけど、からかわずにはいられない何かが父さんにはある。
父さんの嘆きを聞いた柑奈が、ふと思い立ったように尋ねる。
「お父さんはさ、もし私が本気で仁くんと結婚したいって言ったらどうする?」
「兄妹で結婚はできないだろ」
「事実婚だと思ってよ」
一度は適当にあしらおうとした父さんは、柑奈がふざけているわけじゃないと理解したのか、髭をそったばかりのアゴをこすりながら考え込んだ。
「そうだな……。普通なら止めるべきだろうな。いくらでも壁はあるし、本当の意味で幸せになれるとは思えない。いつかきっと後悔すると思う」
「だよね」
「だけど、幸せになれないとは限らない。俺はそこに我が子の最大の幸せがあるなら、それが叶うよう全力を尽くすよ。親っていうのは法律や神様を敵に回したって子供の幸せを守ってやるべきだと思う」
まるでずっと前から用意していたみたいな、はっきりとした答えだった。
普段から柑奈は俺に好き好き言ってるわけだけど、父さんと母さんはそれをどう受け止めてるんだろう。今の答え方からすると、あるいは柑奈が本気だということにもすでに気づいているのかもしれない。
「そっか」
柑奈も同じことを思ったんだろう。少し頬が緩んでいた。
「ま、好きに生きるがいいさ。人間一つや二つくらい人に言えないことがあってもいい」
「エッチのときお母さんにコスプレさせることとか?」
「そうそう、ってなんでそれを!?」
慌てた父さんは俺がつけているウィッグに目をやり、すべてを察したようだった。
「母さんめ……」
部屋の中に父さんの苦悶の声が響く。せっかくかっこいいことを言ったのに台無しにされてしまう哀れな父さん。今日も辺見家は平和です。
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