第10話そうだ、会食してみよう。

 俺と柑奈が一度広げた弁当をたたんでから席を立ち、三人で校庭までやってくるとどうにか空いているベンチを見つけられた。

 そして、俺達三人は揃ってベンチの前に立ち尽くす。

「さて、誰が真ん中に座ればいいんだろうね」

 柑奈が難しい顔で唸った。誰が真ん中に座るかによって、一人は必ず好きな相手と隣になれないことになるわけだ。これは由々しき事態だな。

「ゲストの水野さんが真ん中でいいんじゃないか?」

「ひどい! 容赦なく私を切り捨てた!」

 水野さんが真ん中になるということは、つまり俺と柑奈が隣り合わせにならないということだ。だからといって柑奈とご飯が食べたくて来てくれた水野さんを柑奈と引き離すわけにはいかないし、俺だって水野さんの隣でご飯食べたいし。

「私は真ん中でも構いませんよ?」

 おそらく水野さんの狙いは柑奈の隣になることと、俺と柑奈を分断すること。その代わり俺の隣になるというデメリットは甘んじて受け入れたということか。それかデメリットとも思わないくらい俺のことをどうでもいいと思ってるかのどちらかだ。

 ……ああ、どっちにしても虚しいなぁ。

 俺と水野さんの意見が一致したものの、柑奈は意地でも譲らなそうだ。

「ふむ。三人並んで座るっていう固定観念がすべての元凶だな。これをなんとかしよう」

「どうやって?」

「二人が適度に離れてベンチに座って、誰かがその正面に空気椅子するとか」

「仁くんが空気椅子してくれるの?」

「どうせ椅子になるなら水野さんに座られたいな」

「じゃあ決まりだね。仁くんが空気椅子してその上に水野さんが座る、と」

「そんなことをしたら妊娠してしまいます」

「じゃあ逆にしよう。俺が水野さんの上に座る」

「それなら私も仁くんの上に座れるね!」

「ブレーメンの音楽隊みたいですね」

 水野さんのツッコミを聞いてさすが本好きだな、なんて月並みなことを考えていたとき、ふと名案を思いついた。

「そういえばさ、昼ごはん三人で食べるのって今日だけなのか?」

「私はよかったらこれからもご一緒したいな、と思ってますけど。辺見さんとなら」

「私は仁くんがいいならどこでも誰とでもなんでも食べるよ」

 二人の意見を確認した俺は、大きく頷いた。

「じゃあ明日以降もここで食べることにしよう。それなら座る場所は毎日ローテーションすればいいってことになるし」

「おお、それはナイスアイデアだね!」

「今日のところは柑奈を真ん中にして、その代わり明日は水野さんが真ん中ということで。二人ともそれでオーケー?」

「異議なし!」

「仕方がないですね。辺見さんの隣に座れるだけよしとしましょう」

 柑奈は勢い良く手を上げて賛意を表し、水野さんも渋々ながら承諾してくれた。

 俺がベンチの端に腰を下ろすと右隣に柑奈が座り、続いて柑奈の隣に水野さんが座った。

 そんな水野さんの手元を見て、柑奈が首を傾げる。水野さんが持っていたのは二つの弁当箱。

「どうしたの? それ」

「あ、実は辺見さんに食べてもらいたくてお弁当を作ったんです」

 水野さんの手作り弁当だと? なんて羨ましいんだ。ぜひとも食べてみたい……。

 しかし早速水野さんも仕掛けてきたな。ハートを胃袋から掴むという、基本に忠実な手だ。俺もうかうかしてられないな。

「水野さんって結構大胆だよな。もっとクールな人かと思ってた」

「昨日でわかったと思いますけど、全然そんなことありませんよ。クールなんて正反対だと思います。むしろ熱くなりやすいタイプです」

 ええ、昨日のともすれば変態的とも見える愛の告白を聞けば嫌でも考えは改めたくなりますって。完全に愛が燃えさかってましたもんね。

「あ、今熱くなりやすいと聞いて不埒な妄想をしましたね。油断のならない人です」

 唐突に苛むような視線を浴びせられる。そんなことをとっさに思いつく水野さんの方がよっぽど不埒なんじゃないだろうか。……それはそれでアリだな。

「まあなんというか、一つのことに熱中すると他のことがどうでもよくなってしまうんですよね。人付き合いをほとんどしなかったのは、読書に夢中だったからという理由もあります。読書さえできれば友達なんていらないと思っていましたし、そういう意味ではクールというのも間違いではないのかもしれません」

 なるほど。氷の壁の外のものに対しては絶対零度だけど、その内側に入りさえすればむしろ熱いくらいだということだな。

 そしてもちろん俺は壁の外。そこは水野さんにとって無価値なもののための場所。壁の外にあれば、イケメンの芸能人も俺も犬もゴミも同じ、どうでもいいものなんだ。

 つまり俺は水野さんの友達ですらない。恋人がどうこう以前に、まずはこの壁をなんとか乗り越えなくちゃいけないわけである。

「それで今は柑奈にお熱、と」

「そうですね。お会いするチャンスがなくなったことに気づいてからは、あんなに好きだった読書にも身が入らなくなってしまいました」

 こんな一途な水野さんの気持ちを俺に変えられるのか? いや、弱気になっちゃいけない。努力が報われるとは限らないけど、努力しなきゃ報われることもないんだから!

「でも読書熱も相当なものなんだな」

 うーん、やっぱり水野さんとの距離を縮めるには本を共通の話題にするのが一番なのかな。俺も頑張って読むかなあ……。

 俺が活字の壁を前に葛藤していると、柑奈が口を挟んだ。

「読書以外には趣味ってないの? 漫画とかは読まない?」

「そうですね。趣味らしい趣味は読書だけです。漫画にも興味はあるんですけどいろいろあってなかなか買うことができなくて……」

 肩をすくめる水野さんの目が少しうつろに見えた。

 いろいろあって、っていうのも気になるな。何かあるんだろうか。

「興味あるなら貸してあげようか? あ、でも私が持ってるの少年漫画ばっかりだからなあ……。水野さんの本の趣味を考えると意外と仁くんの方が合うかも」

「いえ、辺見さんからお借りしたいです!」

「借りたいのは漫画じゃなくて柑奈の私物?」

 ツッコミを入れた俺に何か文句ありますかという視線。いえ、ありません。

「あはは……じゃあ明日おすすめのやつ持ってくるね」

「はい、よろしくお願いします」

 ウキウキした様子の水野さん。柑奈はそのあまりに熱い視線から逃げるように自分の弁当箱に視線を落とす。

「あー、えーと……これどうしましょう」

 水野さんが気まずそうに柑奈の弁当と自分が持ってきた弁当を見比べる。

「あ、そうだった。……んー、気持ちは嬉しいんだけどさすがにお弁当二つは食べられないし、仁くんと半分こしてもいいかな?」

 俺が食べたがっているのを当然のように理解している柑奈が気を利かせてくれる。

「何言ってるんだよ。これは水野さんが柑奈のために作ってくれたんだぞ。俺が食っていいわけなくても食いたいに決まってるだろ」

「本音がだだ漏れだよ!」

 あれ、おかしいな。途中で本能に口が乗っ取られてしまったようだ。本能のやつめ、お口にチャックはさせずにジャックしてくるんだもんな。

「本当は全部辺見さんに食べていただきたいですが、こうなってしまったのは私の落ち度です。少しでも食べていただくためにはやむを得ません。お願いします、辺見くん」

 敵の慰みものになるくらいなら死を、との決断を下した女騎士のような苦渋に満ち満ちた表情だった。そこまで嫌なのか。でもドブに捨てる方がましとか言われなかっただけましだよな。俺はドブよりもまし! ああ、言ってて悲しくなってくる……。

「わかった。それならこうしよう。さすがに半分も食べちゃったら柑奈に食べてもらうっていう趣旨から外れてしまう。だから俺は少し味見するだけ」

「でも私そんなにいっぱい食べられないよ?」

 そういうことなら俺が柑奈の持ってきた弁当を食ってしまえばいいわけだ。

「ん」

 そっちの弁当は俺に任せろ。そういう意味を込めて、弁当を渡してもらおうと右手を差し出すと、柑奈はぽっと頬を染めてその手を握った。

「違うわ!」

「ワン!」

「お手でもない!」

 まったく、妹をペット扱いしてるなんて思われたらヘンジンから一体どんな上級職にクラスチェンジしてしまうことやら。キチクとかそういうのか? 菊池と紛らわしいな。

「そっちの弁当は俺が食べるから柑奈は水野さんの弁当を食べろ、ってことだよ」

「おお、なるほどね」

「それでいいかな?」

 水野さんが首を縦に振って交渉成立。これで俺も気兼ねなく水野さんの料理を味わうことができる。めでたし、めでたし。

 柑奈は俺に自分の弁当箱を渡し、入れ替わりに水野さんから弁当箱を受け取ると丁寧に手を合わせてから蓋を開けた。

「いただきます」

 梅干しを真ん中に据えたご飯と、卵焼きやミニハンバーグやポテトサラダなどの色とりどりのおかずが半分ずつ弁当箱の中を占めていた。色鮮やかで食欲がそそられる。

「めちゃくちゃきれいだな」

「普段からお弁当は手作りなの?」

「いえ、いつもは母が作ってくれます。お料理はときどき夕食を母に手伝ってもらいながら作るくらいですね」

 くらい、とは言うけどこのお弁当を見る限りではかなりこなれているような気がする。

「この前の喫茶店……ラプレミディだっけ。あそこで働いてるんだよね? あそこでは料理しないの?」

「ああ、はい。ラプレミディの店長さんは本当にお料理が上手なので。私ではまだまだ足元にも及びませんから」

 お菓子とその他の料理ではまたいろいろ違うんだろうけど、あのチーズケーキからすれば並大抵でない腕前が予想できる。今度水野さんに会いに行ったら他のも食べてみよう。

「あのお店いいところだよね。雰囲気もいいし、ケーキもおいしいし」

 チーズケーキの味を思い起こしてか、うっとりとした表情を浮かべる柑奈。

「そうなんですよ! 店長さんも優しい方ですし、お客さんも皆さん親切ですし。私の大切な居場所なんです」

「お客さんの年齢層も幅広かったし、誰からも愛されてるって感じだよね」

「はい。小学生の常連さんもいるんですよ。亜美ちゃんという子なんですけど、その子もチーズケーキが大好きでよくお母さんと一緒に来てくれるんです。ちなみに明日は亜美ちゃんのお誕生日会をお店で開くことになっています」

 水野さんから他人の名前が出るのを初めて聞いた。大切な居場所っていうのもまったく大げさな表現じゃないんだろうな。

「小学生もかー」

 柑奈は感心したように頷いてから弁当に箸を伸ばした。取り上げたのは小さなハンバーグらしき料理。トマト系のソースがかかっているようだ。

「んー! おいしい!」

「よかったです」

 そりゃうまいだろうさ。水野さんが作ったんだぞ。味がしなかろうと舌が焼けるような辛さだろうとおいしいに決まってるじゃないか。

「仁くんはどれ食べたい?」

 柑奈が弁当箱を俺の目の前に差し出して見せてくれる。

 やっぱり一番目を引かれるのはきれいな黄金色の卵焼きだな。神々しさすら感じるほど輝いて見える。同じ大きさの金塊と交換しても惜しくない。

「じゃあ卵焼きで」

「オッケー。はい、あーん」

 箸を取り出そうと弁当箱の蓋を開けたところで、横合いから卵を摘んだ柑奈の箸と嬉しそうな声が割って入ってきた。

「え、なんか恥ずかしいんだけど」

 さすがの俺でも好きな人の前で妹にこういうことされるのにはなんとなく抵抗がある。

「減るものでもないんだしいいじゃん」

「まあそうだな」

 わずかな羞恥心は、早く水野さんの料理を食べてみたいという欲望にあっという間に敗北した。柑奈が伸ばした箸に顔を近づけて、パクリと頬張る。

「……おぉ」

 頭がおかしくなりそうなくらいうまい。水野さんの手作りというだけで三ツ星シェフの料理が消し炭に思えるくらいなのに、普通に卵焼きとしてもおいしいぞ。

 賞賛の声をかけようと、体を傾けて柑奈を挟んで向こう側にいる水野さんを見る。

「…………」

 水野さんは柑奈が手に持つ箸を無言でじっと見つめていた。

なんだろう。市販の弁当箱に付属してるただの箸なんだけどな。

「どうしたの?」

「……羨ましいです」

 そして、そんなことをぼそっと呟いた。

「え? 何が?」

「……あーん、がです」

 うつむき、すねるように形のいい唇を突き出して言う水野さん。

 やばい。なんか可愛い。やっぱりどうしてもまだ今までの毅然としたイメージが抜けきってないから、こういう嫉妬みたいな子供っぽさを見せられるとドキッとするな。その小さな頭を撫で回したい衝動にかられる。

「やってあげればいいんじゃないか?」

「え、ああ、うん。別にいいよ」

「本当ですか!?」

 水野さんは一転して表情を華やがせ、胸の前で手を合わせる。いつもは雪のように真っ白な頬にも朱がさしていた。なんだかちょっと色っぽい。

「どっちをやればいいの? 食べる方? 食べさせる方?」

「食べさせてもらいたいです!」

 水野さんが目をキラキラ輝かせながら言った。足を軽やかにぶらぶらさせる様子からも気分の高揚が伝わってくる。なんかこっちまで頬が緩みそうになるな。

「わかった。えーと、どれを食べさせてあげればいいかな?」

「ご飯でお願いします。おかずはやっぱり辺見さんに食べていただきたいですし」

「わかった。それじゃあ……はい、あーん」

「あーん」

 前かがみになった水野さんが、垂れる黒髪をかきあげてご飯を口に迎え入れる。目を伏せて堪能するようにゆっくり咀嚼してから、勿体なさそうに嚥下した。ご飯粒のついたみずみずしい唇を舐める舌が艶かしい。

「ふう。ありがとうございました……!」

「いえいえ。喜んでもらえたなら何よりだよ」

 満足感にあふれた顔で頭を下げる水野さんに、柑奈が笑顔で返した。そして今度は柑奈の期待に満ちた眼差しが俺に向けられる。

「仁くんは私にやってくれないの?」

「え? 別にいいけど。今は水野さんの手料理を食べられた喜びのお陰で大抵のことなら許容できるからな」

「やった! じゃあ口移しで!」

「できるか!」

 言ったそばからその大抵のことから大きく外れる難題がつきつけられた。口移しってなんだよ。そもそもそんな発想が瞬時に出てくること自体が驚きだよ。

「それなら私が辺見さんに口移しを……!」

「いや、いいです! 間に合ってます!」

 水野さんが自分の弁当箱から卵焼きを摘んで柑奈ににじり寄る。柑奈はベンチからひっくり返りそうなほどのけぞりながらそれを拒否した。

「そうですか。……ふむ」

 がっくりと肩を落としてそのまま何かを考えこむような表情になる水野さん。それから少ししてから上げられた顔は、どことなく邪な笑みをたたえていた。

 ……な、なんだというんでしょう。

「もし辺見さんが私に口移ししてくれるというなら、私は辺見くんに口移しをしてあげてもいいですよ」

「はい?」

 水野さんが何を言っているのかわからなくて、つい間抜けな声を上げてしまった。

いや、水野さんが口移ししてくれるなんてちょっと……いや、めっちゃ魅力的ではあるけど、なんで柑奈次第なんだ? 普通俺が何かして、その報酬に口移しってことになるんじゃないのか?

 まあいいか。すると、どうやって柑奈に口移しさせるかが問題に……。

 そこまで考えて、俺は水野さんの深謀遠慮を理解した。

 ――そうか、水野さんは口移しの連鎖を起こそうとしているんだ。

 俺が水野さんに口移ししてもらうためには、柑奈に水野さんへの口移しをさせないといけない。そして今柑奈は俺からの口移しを希望している。つまり俺が柑奈に、俺からの口移しと引き換えにして水野さんへの口移しをさせれば、俺は水野さんに口移ししてもらえることになるわけである。なんてぶっ飛んだ策略だ!

 うーむ。これはとてつもなく難しい決断を迫られたことになるぞ。好きな人ではない相手に口移しをすれば、好きな人に口移ししてもらえる。まさに究極の選択だ。

 どうしよう。水野さんの口移しには惹かれるものがあるけど、さすがに実の妹に口移しは……いや、待て。そもそも俺が口移ししたからといって、柑奈が動くとは限らないんだから……。

 ちらっと目だけ動かして柑奈の様子をうかがう。

「ちゅー」

 柑奈はすでに唇を突き出して待ち構えていた。

 駄目だ。柑奈の理性に期待した俺が馬鹿だった。

 頭を抱えた俺を、水野さんは目で「さあやれ」と促してくる。

 なんかめちゃくちゃ怖い。促すというよりはもはや恫喝に近い気がする。この人達まったくためらわないのね。

「ぐぬう……」

 さあ、どうする。水野さんの料理を、しかも口移しで食べるチャンスだぞ。そのためには柑奈に口移しするだけでいい。するのか、しないのか。俺は、俺は、俺は……。

「できるわけあるかいっ!」

「ちっ」

「はあ……」

 舌打ちを浴びせてくる水野さんと大きなため息をつく柑奈。俺が珍しく衝動に逆らって常識的な判断を下したというのにこの仕打ちだよ。

 だって口移しだぞ? いくらなんでもアブノーマルすぎるだろ。キスくらいならまだいいけど、さすがに年頃の妹に口移しはちょっと厳しい。いや、ちょっとじゃないよ。

「さ、さあ。早く弁当食べないと昼休みが終わっちゃうぞー」

 ちくちくと俺を責める冷たい場の空気に耐えかね、わざとらしく言って弁当をかきこんだ。

 こうして俺は、水野さんの非難の視線にさらされながら昼休みを過ごしたのであった。

 ……やっぱり惜しいことをしたかなあ。

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