第9話そうだ、登校してみよう。

 翌朝。柑奈の冬用制服を借りて登校する。今日も空は晴れ渡り、絶好の女装デビュー日和だった。さすがの俺でも少し緊張する。クラスのみんなに罵られたらどうしよう。『こっちこないでよ、変態!』とか……あれ、いつもとあんまり変わんない?

「いやー、本当に女の子だねえ」

 今朝起きてから改めて柑奈にメイクをしてもらい、昨日あのあと母さんから借りたウィッグをつけて女装完了。結局ウィッグは最初に借りたやつよりも少しだけ前髪が長く、やや茶色っぽいやつにした。

「でもここまでうまくいくとなんか楽しいな」

 昨日は帰ってきた父さんが柑奈の友達と勘違いしたほどだ。身内に見破れないんだからクラスメートにはそうそう見破れまい。

 声の調子にも少し気をつけることにした。といっても裏声を使うとかそこまでではなく、単に少し声を高めにするとかその程度だ。

 しかし股下がスースーしてちょっと落ち着かないな。スカートがひらひらする感じがどうにもくすぐったくて、思い切りまくりあげてやりたくなる。ド変態か。

 ちなみにパンツはいつもどおりのトランクス。柑奈がハアハア言いながら自分のパンツを履くよう勧めてきたというか懇願してきたけど断固として拒否した。

「おっ」

 今日も学校前まで来たところで、タイミングよく校門を入っていく水野さんを見つけることができた。これはこの前のリベンジをするしかない。頑張れ、俺!

「ごきげんよう」

 駆け寄って話しかけると、水野さんはきょとんとした顔を俺の方に向けた。その瞳はまっすぐに俺の目をとらえている。

よし、第一段階成功だ! あとは俺だとわかっても大丈夫かどうかだな……。

「ごめんなさい。どこかでお会いしましたか?」

 見知らぬ女に声をかけられて怪訝そうな水野さん。やっぱり俺だとは気づいていない。

「ええ。昨日、屋上で」

「ど、どうしてそれを……?」

 水野さんがぎょっとした顔で立ち止まり、不安げに息を呑む。おっと、不必要に怯えさせてしまった。これはよくない。

「そりゃ、靴箱に手紙が入ってたからな」

 声音と口調を戻して言うと、水野さんは口をあんぐりと開けてまばたきを繰り返した。長いまつげが蝶の羽のように色っぽく揺れる。

「……辺見くん、ですか?」

「そう、ヘンジンこと辺見仁太郎だ」

 大仰に頷いてみせる俺の姿を、水野さんが上から下までまじまじと見つめる。そして再び俺の顔に焦点を合わせて一言。

「変わったご趣味ですね」

「違う! 水野さんが萎縮しないよう女装してみたんだよ!」

「あ……」

 我に返ったように水野さんが声を上げる。

「確かに大丈夫、みたいですね。ちゃんと目を見ているのに全然圧迫感がありません」

 よっしゃ! 我ながらびっくりするくらいうまくいったぞ。柑奈と母さんに感謝しないとな。あと父さんの趣味にも。

「よかった。これで普通に話せそうだ」

 安堵の息をつく俺を、水野さんが改めて観察してくる。女装姿を好きな女の子に見つめられるという状況。なんかちょっと変な気分にならないこともない。

「女子更衣室や女子トイレに忍び込むのは私がいないときにしてくださいね」

「いなければいいのか」

 でも水野さん以外の女子のを見たって何も面白くないから無意味だな。水野さんのいない女子更衣室なんて、履かれてない女の子のパンツみたいなものだ。

 そのまま雑談という名の一人漫談をしながら水野さんと並んで歩いて校舎に入る。相変わらず、無視だけはしない良心的な対応だった。

 二組の教室の前で水野さんと別れる。そして俺は自分の教室へ華麗に踏み入った。

「皆さん、ごきげんよう!」

 クラスメートたちが一斉にこちらを振り向いて何事かと目を丸くした。なんか変なのがやってきたぞ。誰かなんとかしろ。というような空気。わー、初めて自己紹介したときみたいだなあ。

「えっと、先輩ですか? それとも一年生? このクラスに何か御用ですか?」

 そんな中、廊下側の最後尾の席である菊池が声をかけてきた。下心丸出しの顔だった。

 やばい。男に、しかもよりによって菊池にこんな目で見られるのはかなり気持ち悪い。

「いいえ、私はこのクラスよ」

「あ、転校生か!」

 なんか勝手に納得してるぞ。ふむ、面白いから少しからかってやるろうではないか。

 鼻の下を伸ばしている菊池の顔を、上目遣いでじっと見つめてやる。しばらくそうしていると、菊池の顔が徐々に紅潮していった。

「ど、どど、どうしたんですか? 俺の顔になんかついてます?」

「あ、ごめんなさい……。つい見つめてしまったわ。あなたがあまりにかっこよかったから」

 視線を外してもじもじしながら言ってみると、菊池の頬がだらしなく緩んだ。

「そ、そんな、俺なんか……! あ、あの、お名前はなんとおっしゃるんですか?」

「辺見仁太郎よ。よろしくね」

「はい?」

 菊池のにやにやした顔に困惑が入り混じって、なんだかものすごく奇怪な顔になった。新手の妖怪か何かだろうか。就職先はお化け屋敷に決定だな。

 と、そこに柑奈がやってきて咎めるような視線を俺にぶつけてきた。

「もう、おいてくなんてひどいよ。水野さんと普通に話せて嬉しかったのはわかるけどさ。もうちょっと妹を大切にしてよね」

 その途端、時間が止まってしまったかのように教室の音が一斉に消え去った。ナイスタイミングでの身分証明。さすが柑奈。

「ま、待って。ちょっと待って。そう言えば俺の友達に同じような名前の男がいてたまたま今日まだ教室に来てないんだけどもしかしてあなたと何か関係があったりします?」

 現実を受け入れられないでいるらしい菊池が、すがりつくようにして早口で言う。

「菊池。君は夢を見ていたんだよ」

 地声で死刑宣告をしてさし上げた。

「うわあああああああおおええええええええっ」

 自分が男に、しかもよりによってヘンジンこと俺に言い寄っていたと知った菊池は、絶望の叫び声を上げてその勢いで嘔吐した。教室内が悲鳴で満たされる。

 はっはっは。混沌としてきたな。こういう状況は大好きだ。

「一体なんの騒ぎですか?」

 前のドアから担任の中島先生が入ってきて騒ぎの中心であるこちらに向かってくる。そして俺の姿を見て眉をひそめた。

「君は、どこのクラスの……」

「もう、先生ったら。自分のクラスの生徒くらい覚えていてほしいものだわ」

 先生は眉間のしわを一層濃くして険しい顔つきになった。中島先生なら本当に一人や二人忘れていてもおかしくないからな。実際先生もちょっと焦ってるみたいだ。

「先生、そいつヘンジンでーす」

 そんな先生に、教室の中の誰かが助け舟を出した。

「……ヘンジン、って辺見くんですか?」

「はい、先生。私、いえ、俺、辺見仁太郎です」

 俺が首肯すると、先生は頭を抱えて大きなため息をついた。

「ホームルームが終わったら生徒指導室でお話しましょう……」

「えー」

 これはあれか。俺に一目惚れした先生が密室で一線を踏み越えようと……という冗談はさておきこれはまずいな。この恰好を禁止されたら学校での水野さんとの接触が難しくなる。うまいこと言い訳をでっち上げないと……。


「はあ、朝っぱらから疲れた」

 昼休み。俺は鞄から取り出した弁当を机の上において大きく伸びをする。

 結局先生の追及には、性別によって異なった服装を押し付けることは時代の流れに逆行する悪習だとか、実は最近自分の性別に疑問を持つようになって悩んでいるとか、テレビで見たようなことをいろいろ並べ立てていたら、根負けしたのかなんとか認めてくれた。

 自分の性について本当に悩んでいる皆さんごめんなさい。

「疲れた、はこっちのセリフだ」

 呪い殺されるんじゃないかというくらい怨嗟のこもった声が後ろから聞こえてきた。やっぱお前お化け屋敷向きだと思うぞ、菊池。

「ふっ、俺も罪なやつだぜ」

 あ、痛い。背中からどす黒い憎悪の視線で刺されまくってる。

「なんか殺伐としてるね」

 柑奈が自分の弁当を持って俺の席までやってきた。隣の空席を移動させて俺の机の横に置くと、柑奈もその上に自分の弁当を広げる。これがいつもの昼食スタイルだ。

「本当にな。どうしてこんなに怒ってるんだろう……って痛い、痛い」

 今度は物理的に刺された。多分シャーペンだ。地味に優しい凶器で助かる。

 しかし、これで水野さんと普通に話せるようになったわけだな。リサーチして攻略法を練る、という当初の予定とは全然違う予想外の展開だったけど、結果オーライだ。

 でもまだ土俵に立っただけ。本番はここからだ。腰を入れて頑張っていかなくちゃいけない。……腰を入れるってなんかエロい表現だよな。

 とにかく、ここからは好感度を上げていくのが目的になる。さしあたってはこの昼休みもなんとか水野さんと一緒に過ごしたいんだけど……。

「あのー」

 菊池の連続攻撃にさらされていた背中に、今度は鈴を転がしたようなきれいな声が届いた。その主を無意識下で識別した体が反射的に、いや、反射を超える速度で振り向く――!!

 そこには果たして、我が最愛の姫様がおわしましていた。

 なんと! 向こうから出向いてくれるとは! 

 今朝に引き続き、またしても教室がざわつき始めた。人付き合いをしないことで有名な水野さんが他クラスの教室に現れたんだからそれも当然だ。

「あれ、水野さん。どうしたんだ?」

「よかったらお昼ご一緒してもいいですか?」

 そう言った水野さんの視線の先にいるのはもちろん柑奈。わかってたけどさ! 今に見てろよ。その言葉を必ず俺に向けさせてみせるからな!

「おい。どういうことだ、これは」

 爪を立てた手で菊池に肩を鷲掴みにされた。もはや背後じゃなくて地獄の底から響いてくるんじゃないかというくらい恐ろしい声だった。ケルベロスの鳴き声にも劣らないんじゃないかと思う。いや、ケルベロスの鳴き声ってどんなだ。犬と一緒か?

「どういうことって?」

「いつの間にあの水野さんと仲良くなったんだ、ってことだよ」

「ああ、まあいろいろあってさ……」

 多分、一緒に昼飯を食べるためにわざわざ来てくれるような仲って言いたいんだろうけど、それは残念ながら誤解なんだよ。水野さんのお目当ては柑奈だからな。俺は無実だ。

「ご一緒ってもちろん、仁くんと水野さんと私の三人で、ってことだよね?」

 食事の誘いを受けた当の柑奈は水野さんに笑顔を向ける。しかしその何かを見透かしたような目は笑っていなかった。

「ちっ」

「今舌打ちした! 今この人舌打ちした!」

 あわよくば二人きりの昼食に持ち込んでやろうと思うこと自体は極めて自然なことだと思うけど、やっぱり邪魔者扱いは悲しいよ、およよ。

 いや、もしかしたら何かを言おうとしてやめたら舌打ちみたいになってしまっただけって可能性があるかもしれない。ええと、「ち」だろ? ち、ち……乳首……なわけないし、ち、ち……ちん……って小学生か。柑奈の語彙を笑っている場合じゃないぞ、お兄ちゃんよ。

「仁くんを邪険にする人とは来世でだって一緒にご飯食べないよ」

 目を伏せた柑奈がそっぽを向いて不機嫌さのにじむ声で言う。

「辺見くん、どこか痒いところはありませんか?」

 気づけば水野さんが俺の前で膝をついていた。

「態度の転換が露骨すぎる!」

 こんな風に優しくされたってちっとも嬉しくないぜ。ここは厳格な態度でびしっとしかりつけてやるのがいいな。いや、懲罰も兼ねて肩揉みでもさせようか。ああ、でもそういうことならむしろ俺が揉んだ方が……ぐへへ。

「それじゃあ、ベンチで食べようか」

 水野さんの態度に満足したらしい柑奈が教室から出ることを提案した。ベンチというのは校庭脇にいくつか並んでいるもののことだ。そこで昼食を取る生徒は少なくない。

 俺の水野さん愛がばれてしまうのはともかく、柑奈と水野さんの場合は他の常識人の皆さんに知られるとちょっと面倒だもんな。ここでは話すのに神経を使う。

「そうしよう」

 俺と水野さんもそれに同意し、三人揃って校舎を出た。

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