第6話そうだ、考えてみよう。

「あー、今更だけど柑奈呼ぼうか? 告白、するんでしょ?」

 ふと、水野さんの本来の目的を思い出して言う。

「そ、そうですね。それじゃあお願いします。無様に振られて落ち込む私を見て興奮したいんですよね。いいでしょう、お望み通りにしてあげます」

「そんな特殊な性的嗜好は持ち合わせてないって」

 しかし水野さんとまともに交わす初めての会話が、こんなにいろんな意味でハチャメチャな内容になるとは思わなかったぜ。

 小さくため息をついてから、電話を取り出して柑奈に発信する。

 ――ピリリリリッ!

 それと同時、すぐ背後でくぐもった電子音が鳴った。

 後ろを振り返る。そこにあるのはついさっき通った屋上への入り口。

 電子音は一回でやみ、耳に当てていた電話から柑奈の声が聞こえてきた。

『も、もしもし? どうしたの? 私は今教室にいるよ!』

 そして背後からも柑奈の肉声が聞こえてきた。

「わかってるよな」

『……うん』

 そんな頼りない返事を最後に通話は切れた。

 そして屋上と校舎内をつなぐドアが、鈍い音を立てながらゆっくりと開く。その隙間から、やっちゃったという顔の柑奈がおそるおそるといった様子で顔を出した。

「へ、辺見さん……」

「ずっとそこにいたのか?」

「う、うん。全部聞いちゃった」

 柑奈が後頭部をかきながら、気まずそうに屋上へ出てくる。そして俺達の前に立つと、手を体の前で組んでしおらしく頭を下げた。

「その、ごめんなさい」

「い、いえ! 謝らないでください。もともと辺見さんに言うつもりだったことです」

 水野さんははにかみながら頬をかいて言う。さっきまで俺に見せていた表情とは大違いだった。それから何かを決心したように頷くと、まっすぐに柑奈の目を見つめた。

「でも、やっぱり改めて告白させてもらってもいいですか?」

「あ、はい」

 雰囲気に飲まれた様子の柑奈がぎこちなく頷く。自分の妹が自分の好きな人に告白されるシーンをライブで目撃できる兄なんて、ビッグバンから世界の終わりの日までの間に一人いるかどうかってところじゃないか?

「私、辺見さんのことが好きです。どうか私とお付き合いしてください」

 どぎまぎしながらそう言って、今度は水野さんが勢い良く頭を下げる。柑奈は困惑気味に瞬きを繰り返し、そっと首を傾げた。

「あの、どうして私を?」

 水野さんはがばっと勢い良く顔を上げた。その瞳は爛々と輝いていた。

「図書室で初めて見たとき、一目惚れしてしまったんです。思わず抱きしめたくなる小柄な体。キラキラした屈託のない笑顔。いるだけで周りの人を笑顔にする存在感。初対面の人にも気さくに接することのできる心根。何から何まで愛らしくて、瞬く間に魅了されてしまいました。とてもこの世のものとは思えません。まさに天使です」

 息も荒く、熱にうかされたような表情で語る水野さん。

 誰だよ、この人。背中にチャックでもついてるんじゃないのか? 中に誰か入ってるなら早く出てきてくれよ。そしてそのきぐるみを俺にくれよ。

 さっきから水野さんのイメージがものすごい速さで崩壊を続けている。今となっては他人を冷たくあしらう人、なんて印象の方がひどい間違いのように感じる。この勢いで氷が溶け続けたら大半の離島がアトランティスってしまいそうだ。

「え、じゃあ一年生のときからずっと?」

「はい。お近づきになりたいと思ってはいたんですけど、なかなか勇気が出なくて。初めは遠くから見つめているだけでも十分満足だったんです。でも今年辺見さんが図書委員をやめてしまわれて……」

「ち、ちょっと待って! もしかして毎週水曜日だけ図書室で本読んでたのって……!」

「あ、はい。辺見さんにお会いしたかったからです」

 水野さんが頬を染めて頷く。これが水曜日図書室の謎の真相か。いや、すっきりしてる場合じゃない。これはかなり本格的なストーキングだぞ。俺なんか目じゃない。

「そういうことだったんだ……」

「はい。そうやっておそばにいる時間を積み重ねるほどに、見ているだけじゃなくてもっとお話したい、睦み合いたいという気持ちが強くなっていきました。それが極まった頃にお会いする機会がなくなってしまって、これを機に思い切ろうと……」

 む、睦み合いたいって。一瞬、二人のそういうシーンを想像して複雑な気持ちになる。

「普通に声かけてくれたらよかったのに」

「すみません、臆病なもので。お友達からということも考えたんですけど、恋人になりたい人のそばにそうじゃない関係でいるのはつらそうだったのでやめました。それならいっそ最初から思いを伝えて、駄目なら駄目できっぱりあきらめようと」

「そうだよね、そういうの辛いよね」

 やけにしんみりと水野さんの言葉を首肯する柑奈。どうしたんだろう。

「そういうわけなので、振られる覚悟はしてますから一応お返事いただけますか?」

 水野さんの表情はあきらめ八割期待二割といったところ。

 柑奈はしばらくの間険しい表情で考えこんでから、申し訳なさそうに首を振った。

「ごめんなさい。水野さんの気持ちには応えられない」

「そうですよね」

 肩を落とす水野さん。わかりきっているとは言ったものの、実際に口にされるとつらいんだろうな。

 柑奈が真剣な顔でそんな水野さんの手を取って、しっかり握りしめる。

「でも同性なんて無理ってことじゃない。付き合えないのは他に好きな人がいるから。同性だからなんて理由で断ったりできないよ。だって私も同じようなものなんだもん」

「同じようなもの?」

 不思議そうに首を傾げる水野さん。

 え、ちょっと待って。今さり気なく「他に好きな人がいる」って言った? え、え? お兄ちゃん的にはかなり聞き捨てならないんですけど。どういうことなんです?

 動揺のあまり全身から汗が吹き出すのを感じていると、柑奈が水野さんの手を離して俺の方を向いた。え? なんでここで俺?

「仁くん」

「は、はい」

 妙に真面目な雰囲気の柑奈に気圧されて、思わず敬語になってしまった。

「好きって気持ちにタブーはないんだよね?」

「お、おう」

 なんで急にそんなことを確認するんだ? それより柑奈の好きな人っていうのについて……。

 混乱する俺をよそに、柑奈はいつになく思いつめた表情で俺を見据えてくる。

「今から言うことは冗談でもなんでもないからね」

「な、なんだ?」

「私、仁くんのことが好き」

 一瞬の静寂。頭がその言葉を理解しようと動き出す。

 ど、どういう意味だ? 冗談ではないなんてわざわざ前置きされなくても、顔つきを見ればそんなことはよくわかる。問題は発言の内容。

 兄として、よき理解者として、柑奈がそういう好意を向けてくれていることは自覚している。でも今わざわざそんなことを言う必要があるだろうか。

「ずっと悩んでた。このまま妹として一生過ごすのか、今の関係が壊れるの覚悟で気持ちを伝えるのか。でも仁くんがタブーはないって言ってくれたから。それなら、ほんの少しでも可能性があるなら、それにかけたいって思ったの」

 もはや疑う余地はない。だけどきちんと確認しておくべきだ。

「そ、それはつまり……兄妹としての好きじゃないってことなんだな……?」

 確かに好きって気持ちにタブーはないと思うし、仮に柑奈が俺のことをそういう目で見ていたとしても気持ち悪いなんて思ったりしない。でもにわかには信じがたい。

 問われた柑奈は、難しい顔で頷く。

「そうだと思う」

 柑奈が俺に特別な好意を持っている。その事実をどう受け止めていいのかよくわからない。でも嫌悪感みたいなものは微塵もない。

 むしろ、普通に女の子に告白されたのと同じくらいには嬉しいとさえ思う。それに柑奈が変な男に引っかかるくらいなら、俺のことを好きでいてくれた方がずっといいなんて自分勝手な思いもある。

 でも今俺の気持ちは水野さんに向かっているわけで、そうすると柑奈の思いに応えることはできないということになる。柑奈の気持ちを肯定的にとらえる自分がいる一方で、そのせいで柑奈を傷つけなくちゃいけないという事実が俺を苛む。

 嬉しいけど、嬉しくない。

 柑奈が眉を寄せたまま首を傾ける。

「私にもよくわからないんだよね。だけど普通の兄妹は、いつかそれぞれ他に一番大切な相手を見つけて結婚するよね? 兄妹として好きってだけなら、そういうのが当たり前だと思えるんだよね? でも私はそんなの嫌だよ。私は仁くんの一番になりたいもん。仁くんとずっと一緒にいるのが、私の一番の願いなんだもん。それって、私の気持ちが兄妹としての好き以上の何かだからなんじゃないのかな」

「うーん……」

 言われてみれば確かによくわからない。兄妹としての好きと恋愛の好きって何が違うんだろう。それを言い出すと男女の友達としての好きと、恋愛の好きとの違いもわからなくなってくる。

 やっぱりセックスか? セックスするかどうかなのか? だとしたら、男女の恋愛と同性の恋愛の違いの話と同じなんじゃないか? 

 つまり、セックスのない異性同士の恋愛が存在する以上、セックスは友情や兄妹愛と恋愛感情をわける違いにはなりえないということだ。だとしたら、どうやって線引きできるんだ? 結局、決定的な違いなんてないんじゃないのか?

「ああ、もうよくわからん!」

 俺は叫んで、頭をくしゃくしゃに掻きむしった。

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