第5話そうだ、屋上行ってみよう。
翌朝。いつものように柑奈と二人で登校する。
校門をくぐり、靴箱のある玄関までやってきた。今日は少し出るのが遅くなってしまったので、水野さんには会えなかった。玄関にも他の生徒はいない。
靴箱はクラスごとになっていて、六段六列、計三六個のスペースが名前順に割り当てられている。
柑奈がスカートを抑えながらかがんで上履きを取り出す。柑奈のスペースは一番下。名前順で柑奈の次にくる俺は次の列の一番上だ。
「私も上がよかったなー」
ちょっと腰をかがめるっていう些細な手間でも、大半の人にはないのに自分にはあるってなるとなんか損した気分になるよな。
「あれ?」
俺は自分の上履きを取り出そうとして、上履きの上に何かが乗っていることに気づいた。薄くて白いそれを手に取ってみる。
手紙のようだ。封筒に入っている。
「なにそれ、ラブレター!?」
それを見た柑奈が黄色い声を上げる。
「ははっ、そう決めつけるなって。ちょっと落ち着けよ」
「手ガクガク震わせながら言っても説得力皆無だよ!」
し、しょうがないだろ。こんなこと初めてなんだから。でも期待は禁物だ。不幸の手紙か脅迫状か架空の請求書か何かだと思っておくのがいいよな。
動揺に震える手で封筒の中から取り出した便箋を開いてみる。
『突然のお手紙失礼致します。以前より辺見さんのことをお慕いしておりました。今まで秘めて参りましたこの思いを、是非直接お伝えしたく存じます。つきましては本日の放課後、よろしければ午後四時に屋上までお越しください。お忙しいようでしたらご放念いただいて構いません。それでは放課後、お待ちしております』
きれいな字で書かれたその短い文章自体も俺をドキドキさせたけど、本当に俺を驚かせたのは手紙の末尾に添えられた差出人の名前だった。
「……水野……璃里花……!?」
「ええええええええええっ!?」
柑奈が学校中に響き渡りそうな大声を上げる。俺も叫び出したい気持ちでいっぱいだった。すぐには信じがたい。というか多分何時間たっても信じられない。
実は暗号文でした、なんてオチの方がよっぽど納得がいく。水野璃里花というのはその解読法を示すメッセージなのかもしれないぞ。ええと、水野……見ずの? 見ず、のりりか。つまり「の」と「り」と「か」を省いて読めばいいということだな!
すると、冒頭の文は『突然お手゛み失礼致します』……うん、意味わかんないな。だいたい、濁点だけってどう読めばいいんだよ。
「゛」
「急につぶれたカエルみたいな声出してどうしたの?」
「いや、気にしないでくれ」
確か古文では清音を濁音として読むこともあるらしいから「が」を「か」としてまるごと省いてもいいんだろうけどやっぱり意味はわからない。
「いたずらかな?」
「うーん、でもそんな悪質な嫌がらせしそうな人いないと思うよ」
確かに俺の知る限りでもみんないい人だ。みんな俺をヘンジンと呼ぶけど、侮蔑的なニュアンスで言われることはない。俺が鈍感なだけかもしれないけど。
「考えてもしょうがないな。放課後になればわかるか」
「そうだね。早く行かないと遅刻にされちゃうし」
さっさと鞄に手紙をしまうと、柑奈と一緒に早足で教室に向かった。
…………
考えてもしょうがないとは言ったものの、やっぱり気にしないというのは無理だった。
悶々と悩みながら千秋にも思える一日をなんとか切り抜け、ようやく訪れた放課後。
夕日が差し込む教室には俺と柑奈以外誰もいない。開け放たれた窓から入ってくる風がカーテンを穏やかに揺らしている。物音といえば校庭から聞こえてくる運動部のかけ声くらいのもの。
時計は約束の時刻をさしていた。
「……行ってくる」
「頑張ってね!」
そうだな。怖いお兄さんとかが待ち構えてたら頑張って逃げないと……。
静まり返った廊下に出る。ついさっきまで下校する生徒でごった返していたのが嘘のようだ。足音が妙によく響いて緊張感を煽ってくる。
階段を上り、屋上へとつながるドアの前までやってきた。一旦立ち止まって深呼吸を繰り返す。大丈夫。そこまで激しい恨みを買うようなことはしてないし……。
「よし……」
自分を鼓舞するように大きく頷いてから、覚悟を決めてゆっくりとドアを開けた。
正面から差し込んでくる橙色の光に思わず細めた目に写ったのは、暮れ方の空を背景にした女の子の後ろ姿。数メートル先の柵にもたれかかるようにして立っている。風に流れる美しい黒髪を見て、心臓が大きく弾んだ。
間違いない。水野さんだ。
おいおいおいおい、まじかよ。本当に水野さんも俺のことが好きだったのか? それならもっと早く言ってくれればよかったのに。というか俺がさっさと告白してればよかったのか。ははは、遠回りしてたのが馬鹿みたいじゃないか。
そのまま歩いていって水野さんの背後に立つと、その気配を感じ取った水野さんが振り向く。
そして俺の顔を見た瞬間――口を半開きにして凍りついた。
「ま」
「ま?」
「……間違え、た?」
硬直から解き放たれた水野さんが最初に発したのは、そんな言葉だった。
間違えた? この状況で間違えた、ってなんだ……? 俺なんかを好きになってしまったことか? 顔見た途端に気づくとか、俺どんだけひどい顔してるんだよ。
「えーと、これ。靴箱に入ってたんだけど」
俺は困惑しながらポケットに入れておいた手紙を取り出す。それを見た水野さんの表情が絶望に染まった。うん、とりあえずなんかいろいろ間違ってるのはわかりました。
「あのー……」
状況の説明を求めようと声をかけた途端、水野さんはその場にへたりこんで頭を抱えてしまった。え、何? 俺がなんか悪いことしたの?
どうしていいのかわからず、ただその場に立ち尽くしていること数分。水野さんがゆっくりと立ち上がり、スカートについたほこりを手で払って微笑んだ。
「なかったことにしましょう。あなたは手紙なんてもらってない。私はここには来なかった。そういうことにしましょう。ね?」
水野さんは平静を装っているけど、額の汗やピクピクしている頬のせいで動揺しているのがバレバレだった。そして俺の目は相変わらず見ない。やっぱり男だからなのかな。
「嫌です」
「ですよね……」
俺がきっぱり却下すると、水野さんはがっくりと肩を落とした。
当たり前だ。俺に告白する気がないってことはわかった。でもそれならそれで事情を聞きたい。いやまあ、大方の予想はついてるんだけどさ。
「さっきの様子から察するに、手紙を入れる靴箱を間違えたってところ?」
「う」
「図星かい」
露骨に顔をひきつらせる水野さん。普段完璧な態度で人をあしらっていたという水野さんの面影は、もはや跡形もなくなっていた。
「はあ……。まあそれだけわかればいいよ。本当の相手が誰だったのかは聞かない」
ぬか喜びだったと判明した上に、他に好きな人がいるという事実まで突きつけられるというダブルショックじゃないか。でも俺は紳士だから責めたりしない。
「手紙も返すから、今度はちゃんと……って、あれ? でも手紙には『辺見さん』って書いてなかったか……?」
「ぎく」
今この人、口でぎくって言ったよ。もう焦りすぎとかそういうレベルじゃない。図星のバーゲンセールだ。むしろ無料配布に近い。
でも本当に手紙の本文にあった『辺見さん』っていうのはなんなんだろう。俺達のクラスに、他に辺見なんていない……わけではないな。確かにもう一人いる。
……ちょっと待って。え? まじで? いやいやいや、それはさすがにないだろ。でも決めつけは禁物。無理とかあり得ないとか簡単に言っちゃうのは駄目なやつだからな。一応、一応はちゃんと確認しておこうじゃないか、うん。
「まさかとは思うけど、この辺見さんって……辺見柑奈のこと?」
俺が言うと、水野さんの表情が一瞬強張った。それから少しの間無表情のまま黙っていたけど、やがてあきらめたように大きく息をついた。
「……そうだったら、いけませんか」
「へ、へえ……」
驚きすぎて、気のない相槌を打つので精一杯になってしまった。
だって柑奈は女の子だぞ? 世の中にそういう人がいるということはわかっていたけど、自分が実際に出会うことになるなんて思いもよらなかった。
しかもそれが自分の好きな人であって、さらにその人が好きな相手が自分の妹だときたもんだ。どんな天文学的確率だよ。できれば宝くじで発揮したかった。
でも水野さんが冗談を言っている様子はない。きちんと現実を受け止めなくちゃな。
「いや、いけなくはないと思うよ」
水野さんはうつむき、いじけたような口調で言う。
「別に無理しなくていいですよ。はっきり気持ち悪いって言えばいいんです。そしていくらでも罵倒すればいいんです。ゴミ、カス、クズ、ブス、ビッチ、あばずれ、淫売、社会不適合者、人非人、人類の敵。好きなように呼んでください。いっそ全部でもいいですよ」
……あ、あれー? なんか俺の聞いてた水野さんと全然違うぞー?
というか全部って。呼び名長いよ。寿限無かよ。あと人類の敵ってなんだよ。水野さんはエイリアンか何かなのかよ。水野さんが攻めてきたら喜んで捕虜になるぞ。
でも口を尖らせながら小石を足の裏でもてあそぶように転がす仕草がめちゃくちゃ可愛らしい。無性に抱きしめたくなる。
隠すべき秘密を知られてやけになって、態度を取り繕う気がなくなってしまったんだろうか。それにしても吹っ切れすぎだと思うけど。
まあ、それは別にいいや。
「水野さんは自分のこと気持ち悪いと思うの?」
俺は水野さんの物言いに驚く一方で、少しむっとしていた。
水野さんが気持ち悪いなんて馬鹿なことがあるわけがない。そしたら俺はなんだっていうんだ。比較級とか最上級にすればいいのか? キモチワルイアーか? キモチワルイエストなのか?
「当たり前です。もちろん辺見さんが好きって気持ちは本当ですけど、そういうのがいけないってことがわからないほど馬鹿ではありませんから。ああ、わかってますよ。手紙を入れる靴箱を間違えてる時点で、救いようのない馬鹿って言いたいんですよね」
途中で口元に嘲笑を浮かべる水野さん。俺ってそんなこと考えてそうなほど下衆っぽい顔してるのかなあ……。
「いけないってことはないんじゃないかな。確かに珍しいとは思うけど、本質としては男女の恋愛も女の子同士の恋愛も変わらないんじゃないかなーって俺は思うよ」
「変わらない?」
興味をひかれたように顔を上げて、一瞬だけ俺の目を見てくれた。またすぐに視線を外してしまったけどちょっとだけ嬉しい。
「だって明確な違いって子供が作れるか作れないかってだけでしょ? 男女のカップルでも子供がいない人たちはいるし、同性同士だからって特別視する理由はない気がするな」
「それは、確かにそうですけど……」
水野さんがうつむいて考えこむ。
「俺は好きって気持ちにタブーはないと思う。好きになっちゃいけないものなんてない。水野さん個人の感覚として気持ち悪いと思うならそれはしょうがないけど、世の中でいけないことだとされてるから自分を否定するっていうなら、そんなことする必要ないよ」
「私個人の……」
「うん。少なくとも俺は、たとえ水野さんがゴキブリに恋していたとしても気持ち悪いなんて言ったりしない」
ためらうことなくはっきりとそう言い切る。
それを聞いた水野さんは静かに顔を上げ、あっけにとられたような表情で俺を見た。しかし俺と目が合いそうになるとやはり顔を背けてしまう。
「……噂通りの変な人ですね」
「すみませんでした」
謝ってしまうのは条件反射みたいなものだ。
「ええ、本当にひどいです。内心では私なんかゴキブリがお似合いだなんて思ってるのにあえて肯定するようなことを言うなんて。私をいい気にさせて笑いものにしてやろうという魂胆が見え見えです。もう、本当に本当にひどい人です」
言ってることは先程までと同じように毒々しかったけど、心なしか声の調子は明るくなった気がする。横を向いている上に逆光になっているから判然としないけど、頬もわずかに緩んでいるように見えた。
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