第4話そうだ、観察してみよう。
「いらっしゃいま――」
「えっ」
ドアベルの軽やかな音とともに店内に踏み入った俺達は、出迎えてくれた店員さんの姿を見た瞬間、同時に驚きの声を上げて硬直した。
そして店員さんもまた、俺達を見てその動きを止めていた。それもそのはず。その店員さんというのは――。
「み、水野さん?」
ついさっき見失ったばかりの水野璃里花さんその人だった。
なんということだ。まさかこんな形で出会えるとは。棚から水野さん。渡りに水野さん。ひょうたんから水野さん。ひょうたんから出てきたらランプの魔神みたいだな。こすって出てきた時点で俺の願いは叶っちゃうわけだけど。
……こすって出てくるって変な意味じゃないぞ。
「いらっしゃいませ」
水野さんの方は少し驚いただけ、という様子で途中になってしまった挨拶をすぐに言い直した。制服の上に無地のベージュのエプロンをつけている。なんとなく家庭的な雰囲気があってちょっとぐっとくる。
「こちらのお席へどうぞ」
未だ興奮冷めやらぬ中、先導する水野さんのあとをついていく。
こげ茶色を貴重とした店内は、落ち着いた雰囲気に包まれている。カウンターの向こう側にいる店長らしきおばあさんは初老といった感じ。
壁や机などの調度はそんなに古く見えない。しかし壁際に置いてある背の高いホールクロックだけはかなり年季が入ってるようだ。その存在感のおかげか、新しい内装にもかかわらず店内に漂う空気に軽薄な感じはない。
カウンター席が六つと四人がけのテーブルが十前後。そのうちカウンター席にスーツ姿の若い男の人が一人と、隅の方の四人がけのテーブルに主婦らしき女の人三人組がいた。
俺達は主婦三人組と反対側の隅の席に案内される。
「ご注文が決まりましたらお呼びください」
水野さんは無表情のまま、ペコリとお辞儀をしてその場を去っていった。俺は向かいに座った柑奈と間抜けな顔を寄せあってひそひそ話をする。
「びっくりだな。バイトかな?」
「お家のお手伝いって可能性もあるけど……」
「柑奈の友達が来たことあるって言ったか? どうして話題にならなかったんだろう」
「たまたまシフトに入ってなかったとか?」
憶測はとめどなくあふれてくるけど、いくら考えたところでしょうがない。とりあえず柑奈の希望と俺の野望が同時に叶ったということでよしとしようじゃないか。
「とりあえず注文しちゃうか」
「そうだね」
姿勢を元に戻してお品書きを確認する。チーズケーキのところにおすすめマークがついていた。コーヒーやケーキの他にナポリタンなんかの軽食もある。しかも意外と安い。
「決まったか?」
「うん」
カウンターの脇に控えている水野さんに向かって、片手を上げながら声をかける。水野さんはすぐに伝票を持って俺達のテーブルにやってきた。
……なんかやけに柑奈のことをちらちら見てるような。気のせいかな。
「私チーズケーキとアイスカフェオレで」
「僕はコーヒーをいただこうかな。ああ、もちろんブラックで」
俺は細めた目で物憂げに窓の外をながめながら、渋い声を作って言った。これは完全に決まったな。水野さんもときめきのあまりうっとりしてるに違いない。
「ご注文は以上でよろしいでしょうか」
まったくの無表情だった。ちぇ、つまんないの。もういいよ。
「あ、それじゃあ牛乳追加で」
「セルフでカフェオレにする気だ! かっこつけるなら最後までつけきろうよ!」
「あー、やっぱりコーヒーやめてカフェオレにします。ホットで」
「かっこつけない方にきっぱりしちゃったよ!」
だって苦いの嫌いなんだもん。しょうがないじゃん。
「ご注文を繰り返します。チーズケーキがお一つ。アイスカフェオレがお一つ。ホットカフェオレがお一つ。以上でお間違いないでしょうか」
「はい」
「かしこまりました。少々お待ちください」
水野さんは静かな足取りでカウンターに戻り、店主らしきおばあさんに何事かを話す。頷いたおばあさんは、その場でコーヒーを淹れはじめた。
そしてその直後、再びドアベルが鳴る。
「いらっしゃいませ」
水野さんがまたお客さんを出迎える。中年女性のお客さんは水野さんと二言、三言話したあと主婦三人組に合流した。どうやらお仲間のようだ。
なんていうか、水野さんは普段学校にいるときとあまり変わらないな。にこやかに笑うわけでもなく、かといって無愛想というほどでもなく。
ほどなくして、俺達のテーブルにカフェオレとチーズケーキが出揃った。チーズケーキはカフェオレが出された後すぐに、カウンター奥の厨房らしきところから出てきた。多分作り置きしてあるんだろう。
「ご注文の品は以上でお揃いでしょうか」
「大丈夫です」
俺が応じると、水野さんは小さく頭を下げてからテーブルを離れていった。
去り際にやっぱり柑奈のことを見たような気がする。当の柑奈はケーキに気を取られて気づかなかったみたいだけど。
……なんか恨みを買うようなことでもしたのかな。いや、柑奈に限ってそんなことあるわけないよな。
「いただきます!」
柑奈がチーズケーキに向かって恭しく手を合わせながら言う。
そしてフォークで切り取って一口。途端に柑奈の表情筋がふにゃふにゃに緩んだ。
なるほど、ほっぺたが落ちるっていうのはこういうことか。
「ああ、おいしすぎる……」
口の中のケーキを飲み込んだ柑奈が目を伏せてうっとりする。
「それはよかった」
「こんなにおいしいチーズケーキ初めてだよ。ほら、仁くんも食べてみて」
柑奈がケーキの載った皿とフォークを俺の前に押し出してくる。
「俺はいいよ。自分のお金なんだから柑奈が全部食べな」
「いいから、いいから。私は仁くんとこの幸せを共有したいの。貸したお金の利子だと思って一口食べてよ」
「そこまで言うならもらうけど」
フォークを手に取り、ケーキを一口サイズにカットして口に運ぶ。
「おお、これは」
スイーツには詳しくないからうまく表現できないけど、確かにおいしい。これなら柑奈のリアクションも大げさじゃない。あのおばあさんの手作りなんだろうか。
「おいしいでしょ?」
「すごいな、うん」
フォークを皿に載せて柑奈に返すと、柑奈はなぜかしてやったりという顔をした。
「ふっふっふ、これで仁くんと間接キスができる」
「それが目的か!」
「幸せを共有したかったのも本当だよ。一石二鳥ってやつだね!」
そのフォークを使ってまたケーキを口にする。今度の笑顔はなんだか不純に見えた。
「んー! さっきの倍美味しく感じる!」
倍って。俺との間接キスが元の美味しさと等価みたいな言い方はいくらなんでもお店に失礼なのでやめてほしい。
そのまま嬉しそうにケーキを食べ進める柑奈から視線を切って、水野さんの仕事ぶりを観察することにした。どうやら従業員はおばあさんと水野さんの二人だけのようだ。調理担当のおばあさんと、接客担当の水野さん。来店が続くとかなり忙しそうだ。
お客さんの層は幅広い。時間をつぶしにきたらしいサラリーマンやOLさんから、定年後と思しきおじいさんやおばあさんまで。観察している間だけでもいろいろな年代、性別の人が来店していた。
そんなお客さんの間を軽快に行き来する水野さん。その様子から何か一つでも情報を得られないかと、一挙手一投足を微に入り細に入り観察する。
「むむ……?」
しばらくの間目を凝らし、耳を澄まし、鼻を利かして観察を続けていたところ一つの違和感に行き当たった。
一見誰に対してもまったく同じ態度で接客してるように見える。しかしよく注意して見てみると、ときどきお客さんと目を合わせないようにしていることがあるのがわかる。
同じ人相手でも視線を合わせたり外したり、とかそういうことではないのだ。合わせるときと合わせないときの二つに、はっきりパターンが別れている。
目を合わせるときは最初から最後まできちんと目を見て話す。この誠実さのうかがえる態度があったからこそ、そうでないときの応対が際立って気づくことができた。目を合わせないときは終始相手の胸元に視線を固定しているようだ。
そして、水野さんが目を合わせようとしない相手に共通すること。それは……。
「男、か?」
最初に視線を合わせてないのに気づいたのは、カウンター席に座っていたスーツ姿の男が追加注文したときだ。最初はその人が結構強面だったからそのせいかとも思った。しかしその後優しげなおじいさんが来店したときも、水野さんはやっぱり目を合わせなかった。
「さっきからぶつぶつ言ってどうしたの?」
「ああ、いや、なんでもない」
断定するには例が少なすぎる。そもそも視線を合わせないようにしているというのも、何か情報を得なくちゃという俺の強迫観念が生み出した錯覚かもしれないし。
それから俺達はカフェオレをちびちびと飲みながら、水野さんのバイトが終わるのを待っていた。しかし七時近くなっても水野さんが帰る気配はなかった。
閉店時間まで働くみたいだ。それか本当にここが家なのかもしれない。
「すっかり暗くなっちゃったな。もうご飯だし帰るか」
「そうだね」
水野さんも大事だけど家族も大事だ。ストーキングはこの辺で切り上げ、我が家に帰るとしよう。
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