第3話そうだ、追跡してみよう。

 放課後。帰りのホームルームが終わり、突如として息を吹き返したクラスメートたちが自宅や部活やバイトに向かうため教室を出ていく。浮かれる生徒につられたように舞い上がったほこりが、夕焼け一歩手前の陽光を受けて輝いていた。

 うちのクラスの担任は中島という面倒くさがりのおじさん先生で、ホームルームの時間が他のクラスより飛び抜けて短い。水野さんのいる二組のホームルームが終わるまではまだしばらくある。

 俺は自分の席に座で瞑想にふけりながら、作戦開始のタイミングを待っていた。

「おーい、仁くん? おーい、ってば」

 不意にそんな声が聞こえてきて、俺はふと我に返る。振り向くとそこには鞄を持った柑奈が首を傾げて立っていた。

「何か考え事?」

「ああ、ちょっと水野さんの裸体についての深い考察を」

 瞑想じゃなくて妄想でした。てへ。

「もう、どうせ想像するなら私の裸にしてよね」

 どうせってなんだ。どうせって。確かに変な気分にはならないから健全かもしれないけど。

「それで、何か水野さんについて調べるためのいい方法は思いついたの?」

「ああ、やっぱり本人から情報を引き出すのが一番だよな」

「え? 直接聞くの? 今朝の二の舞いになっちゃうんじゃない?」

「いや、直接聞くわけじゃない」

 それに多分直接聞いても本音で答えてくれる可能性は低いだろうしな。じゃなきゃ今まで水野さんにアタックしたやつの口からもっと情報が広まってるはず。

「じゃあ何するの?」

「ふっ、それはだな。ス――」

「ストリップ?」

「俺の裸見て誰が喜ぶんだよ!」

「私」

 柑奈が真顔で即答する。そうだった。俺としたことが、柑奈がこういうやつだってことをすっかり忘れていた。

「水野さんは違うから」

「でも仲良くなるには裸の付き合いがいいって聞いたよ?」

「水野さんも脱がすのかよ! 自動詞と他動詞両方だとは思わなかったよ!」

 突然裸の男が目の前に現れるだけでも気持ち悪いのに、そいつが服を脱がしにかかってくるとか怖すぎるだろ。俺が女の子だったら二度と外を出歩けなくなるわ。

「うーん、ストリップじゃないとしたらなんだろう……」

 なんで当然のようにストリップが第一候補に挙がってるんだよ。いや、そもそもいつから俺が何をしようとしてるかがクイズになったんだ。

「ス、ス…………すっぽんぽん?」

「どんだけ脱がせたいんだよ」

 もういっそのこと本当に一回脱いでやろうか。今朝の性欲云々の話もそうだけど、柑奈は俺がそんなことするわけがないと高をくくってるんだろう。たまにはその裏をかいて恥ずかしがらせてやりたい。

 え、恥ずかしがるよね? 本気で言ってるわけじゃないよね? 

 ……うん、やっぱりやめよう。

「うーん、駄目だ。わかんない。正解は?」

 俺が懊悩している間もずっと「ス」の先を考え込んでいた柑奈が、お手上げのポーズをして首を横に振った。お兄ちゃんは「ス」から始まる言葉がストリップとすっぽんぽんしか出てこない妹の将来がすごく心配です。

 やれやれといった風に肩をすくめてから、柑奈に答えを教えてやる。

「ストーキングだ」

「これはまた思い切ったね」

 俺のアイデア自体も十分アレだった。でも脱いで脱がせるよりは何倍もましだと思う。

「うん、正直グレーだし柑奈は付き合わなくていいぞ」

 俺が言うと、柑奈はボブルヘッド人形のように勢い良く首を左右に振った。

「仁くんが捕まるなら私も一緒に捕まる! それに、女の子が一緒なら怪しまれにくいかもしれないよ」

「それは一理あるな。じゃあ頼むよ」

「わーい! 仁くんの役に立てるー!」

 柑奈が万歳してぴょんぴょん飛び跳ねる。オーバーなやつめ。

 その直後、隣の二組の廊下がにわかに騒がしくなった。ようやく向こうもホームルームが終わったようだ。作戦決行だ。

「よし、行くぞ!」

「がってん!」

 二組の教室から吐き出される生徒の中から水野さんを見つけ出す。俺達もすぐさま教室を出て、人波にまぎれながらそのあとを追った。

 校門を抜けた水野さんは、俺達の帰り道とは逆の右方向に曲がった。その道の先には駅がある。そういえば今朝もそっちから来てたな。まっすぐ家に帰るんだろうか。

 十メートルほど前を行く水野さんとの間に男子生徒三人組を挟んで、柑奈と二人学校前の歩道を歩く。今朝と違って車の往来も多く、かすかな排気ガスの匂いが鼻につく。タイヤとアスファルトの立てる乾いた音がうるさい。

 帰るにせよ遊ぶにせよ、駅前まで行かなくては始まらない。だから道を歩く生徒の数は少なくない。その分多少は尾行しやすいけどやっぱり緊張するな。

「どこまでついていくの?」

「そうだな。今日は一日どこまでも追跡しようと思う。このまま普通に家に帰っちゃったら、暗くなるまでは外出しないかどうか家の前で見張る」

「了解!」

 ばれやしないかドキドキしながらそのままあとをつけること数分。学校の最寄り駅である北亀町駅の前までやってきた。

 電車に乗るのかと思いきや、水野さんは駅に向かわずその手前の細い路地を入っていった。慌てて歩調を速めて塀越しに道の奥をうかがう。先は丁字路になっているようだ。

「結構長いな。しかも隠れる場所がない」

「どっちに曲がるかだけ見て、見えなくなったら走って追いかければいいんじゃない?」

 柑奈の提案に乗り、そのまま塀の陰に隠れて水野さんが曲がるのを待つ。水野さんは俺達の熱い視線に気づく様子もなく、丁字路を左に曲がっていった。

「走るぞ!」

 二人揃って全力ダッシュで路地を駆け抜けた。そしてまた曲がり角で止まって塀に身を寄せる。陰から顔を出し、水野さんの姿を探す。

「げ」

 しかし水野さんの姿はどこにも見当たらなかった。代わりに、丁字路を曲がってすぐのところに十字路があった。どうやらそこでまた曲がってしまったらしい。

 慌てて塀の陰から飛び出し、十字路の中心まで行って周りを見回す。前、左、右、どの方向の道にも水野さんの姿はなかった。

「見失ったか?」

「そうみたいだね」

 この辺りは住宅街になっているらしい。大通りから少し入っただけなのに随分と静まり返っていて、細い道が結構入り組んでいる。どの道を行ってもすぐにまた曲がり角があるため、その中から水野さんの進んだ道を割り出すのはかなり難しそうだ。

 どうしよう。一応しらみ潰しにあたっていくか?

「あっ!」

 ストーキング続行の是非を悩んでいたとき、不意に柑奈が声を上げた。

「いたのか?」

「あ、ごめん。そうじゃなくて、あの喫茶店なんだけど」

「喫茶店?」

 柑奈が指さした先にあったのは、「喫茶ラプレミディ」と書かれた看板。

「うん。今日由紀ちゃんが、すごくチーズケーキのおいしい喫茶店を見つけたって言っててね。多分あのお店がそうだと思う」

「へえ」

 柑奈は大のお菓子好きだ。毎月お小遣いのうちの少なくない額をお菓子購入に使っている。お菓子を食べてるときの柑奈は尋常じゃないくらい幸せそうで、見てるこっちまで楽しくなってくるほどだ。

 まあ、そういうことなら無理にストーキングを続ける必要もないよな。

「どうせストーキングはもうほとんど失敗だし、寄っていくか?」

「えっ、いいの!? ――って、こんなときに限ってお財布にお金が……」

 飛び上がりそうなほど喜んだ途端に地面に埋まりそうなほどうなだれて落ち込む。肩を落とす柑奈を取り囲む空気は、雨雲でもできそうなくらいどんよりしていた。

「いいよ、おごってやるから」

 思わず苦笑しながら言うと、柑奈がゆっくりと顔を上げた。

 その輝かんばかりの笑顔は、さながら台風一過という感じだった。そして潤んだ目をキラキラさせながら胸の前で祈るように両手を組む。

「仁くん、大好き! 愛してる!」

「ははは、存分に感謝するがよい」

 しかし柑奈は言葉だけじゃ飽きたらなかったようで、勢い良く俺に抱きついてきた。そして胸に頬をぐりぐりとこすりつけてくる。そうやって柑奈が頭を動かす度に、シャンプーの匂いなのか甘い匂いが鼻腔をくすぐった。

「あー、嬉しいなー。ケーキが食べられること自体も嬉しいけど、仁くんが私のためにそんなことを言ってくれたのが何より嬉しいなー」

「わかったから、入るならさっさと入ろうぜ」

「うん、でもお金は借りるだけにしとくね。家に帰ったらちゃんと返すから。というか嬉しすぎてむしろ私が仁くんの分まで払いたいくらいだよ」

 柑奈はもう一度俺をぎゅうっと強く抱きしめてから俺を解放した。ケーキの一つや二つくらいおごってもいいのに。律儀なことだ。

 こぼれそうなほどの笑みを浮かべる柑奈と並んで、喫茶店に入った。

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