第2話そうだ、人に聞いてみよう。
水野さんについて調べる算段を立てながら午前中の授業をやり過ごして昼休み。
足音バタバタ、話し声ガヤガヤ、弁当を食べる音カチャカチャ、いろんな音がごった煮になった教室は今日一番の騒がしさを見せている。あちこちから漂ってくる食べ物の匂いが混ざった不思議な香りが鼻をくすぐる。
「水野さんについて知ってること?」
俺は弁当を食べながら、とりあえず後ろの席に座る菊池に情報提供を求めてみた。
「そう、なんでもいいから」
「なんだ、ヘンジン。お前水野さん狙いなのか?」
ヘンジンというのは俺のあだ名だ。ヘン見ジン太郎だから略してヘンジン。決して他意はない。ないはずだ。……いや、あるんだけどさ。
「誰がヘンジンだ」
「入学早々の自己紹介で童貞宣言した上に、自分からヘンジンって呼んでくださいとか言い出したお前以外に誰がいる」
うん、そうだった。自分から言ったのを忘れてた。
「それで、水野さんについては?」
「あいにくだが何も知らんなー。休み時間は常に読書で完全面会謝絶。誰が相手でも敬語を崩さず壁を作り続ける。そういう誰でも知ってるようなことだけだな」
水野さんはとにかく他人を寄せ付けようとしない。といっても話しかけられれば相手を邪険にするわけではなく、今朝のように普通に相手はしてくれる。しかし学校内の事務的な伝達を除けば自分から話しかけることは絶対にないし、愛想笑いなんかもしない。
そんな水野さんの態度は、氷の壁と呼ばれている。意思の疎通は普通にできるから、鉄の壁というほどじゃない。だけど心を通わせることは絶対にできない。一応透き通ってはいるけど、冷たくて分厚い壁。そういうわけで氷の壁なのだ。
そんな慇懃な態度に加えてあの美貌だ。非現実的なほど白い肌がまた氷のイメージに拍車をかけている。とてもじゃないけど同じ世界の住人とは思えない。俗世離れしていて、まるでどこかの国のお姫様というような存在感がある。
いつの間にか定着したそんなあだ名に、異議を唱える人は一人もいなかった。
そういうわけで仲の良い人がまったくいないから、その実際の人となりについては謎に包まれている。
そしてこの学年にはそんな水野さんと並んで、何を考えているかよくわからないと評される人物がいる。
何を隠そう、ヘンジンことこの俺である。
水野さんは読書以外何もしないから、何を考えてるかわからないと言われる。対する俺は勉強以外ならなんでもするから、何を考えてるかわからないと言われる。
似たもの同士と言っていいのか、正反対と言っていいのか。
「なるほど。でも確かに水野さんを落とせるとしたらお前しかいない気がするな。お前黙ってれば美少年だし」
菊池がイケメンとかではなく美少年という言葉を使ったのは、俺が中性的な顔と体つきをしているからだと思う。子供の頃はよく女の子に間違われた。今はもう気にしていないけど、昔は結構コンプレックスだったりした。
「おう、頑張るぜ」
一年の始めの頃は水野さんに声をかける男子も多かったみたいだけど、みんなあきらめてしまったのか今ではめっきりだ。だから今現在ほぼライバルはいないと言っていい。
「ごちそうさま」
俺は中身を平らげてしまった弁当箱をしまう。俺の弁当も柑奈の弁当も、毎朝母さんが作ってくれる。作るというか詰めるだけど。最近の冷凍食品はおいしい。和洋中なんでもござれだ。
さて、腹も膨れたところで水野さんリサーチを始めましょうかね。
「お待たせー」
先に弁当を食べ終わって、お花を摘みに行っていた柑奈が戻ってきた。ボブカットの毛先を肩の上で揺らしながらパタパタと走り寄る姿が子犬っぽい。我が妹ながら、柑奈はこういう仕草の一つ一つが可愛い。
菊池によれば校内にも隠れファンがいるらしい。隠れている分には構わないけど、もし手を出したりしたらもぎとってやる。全体的に。
「何から始めるの?」
「そうだな。まずは柑奈に聞かせてもらおう」
「なんでも聞いてくれていいよ。スリーサイズは上から七九・五一・八三。好きな食べ物は仁くんだよ」
一応断っておくけど、直接的な意味ではもちろん、比喩的な意味でも柑奈に食われた覚えはない。食わず嫌いならぬ、食わず好きだな。……寝てる間に食われたりしてないよね?
「水野さんとはどう知り合ったんだ?」
ちょっと恐ろしくなったので、考えるのをやめて単刀直入に質問をぶつける。
「ああ。ほら、私一年生のとき図書委員やってたでしょ? 昼休みの貸出作業の当番があってね、水野さんほぼ毎日図書室に来てたからちょっとだけど話したことがあるの」
「どんな話をしたんだ?」
「貸出カウンターに持ってきた小説が私の好きな作家さんのやつだったから、その作家さんの話をちょこちょこと。そんなことが一年のうちで二、三回程度だけどね」
やっぱり本か。柑奈は結構読むみたいだけど、俺はほとんど読まないんだよな。
「他の話題は?」
「ううん、まったく」
「そうか。でも水野さんと趣味にまつわる話をした貴重な例だな。他の図書委員だった人に聞けば、同じように情報が得られるかもしれない。去年の図書委員って誰がいた?」
「えーと、仁くんにも面識がある人で言うと……小川さんとか?」
小川さんか。誰にでも優しい人だし、確かに話は聞きやすいな。
「よし、小川さんのとこに行こう。何組だっけ?」
「確か五組だよ」
「じゃあ行ってくる」
「私も行く!」
当然のようについてくる柑奈と、早速二つ隣にある五組の教室に向かった。
三組と変わらない五組の喧騒の中を、小川さんの席へと歩いていく。ときどき好奇の視線が飛んでくるけどもう慣れたものだ。人気者はつらいぜ。
「ああ、ヘンジンくん。久しぶりー」
自分の席でお弁当を食べていた小川さんに声をかけると、柔らかく微笑んでくれた。
「突然ごめん。小川さんって去年図書委員だったんだよね? ちょっと水野さんについて聞きたいんだけど」
俺が言うと、小川さんは心底不思議そうに眼鏡の奥で目を瞬かせた。
「水野さん? どうして私に?」
「水野さんがよく図書室に来てたって聞いたから。好きな本とか趣味の話とかしたことないかなーって」
「え? そうかな。少なくとも私が当番やってた曜日ではそんなに見かけなかったけど」
あれ? どういうことだ?
俺は思わず柑奈の方を見る。柑奈は柑奈で困惑の表情を浮かべていた。
「でも私が担当だった水曜日は毎週昼休みに来て本読んでたよ?」
「そうなの? じゃあ月曜日は何か用事があって来られなかったってことなのかな」
水野さんも委員会の用があったとか? 別にあり得ない話じゃないけど。
「でもそういうわけだから、あんまり力になれそうにないや。ごめんね」
小川さんが申し訳なさそうに眉尻を下げる。
「とんでもない。また何かあったらそのときはよろしく頼むよ。食事の邪魔してごめん」
俺と柑奈は小川さんにお礼を言って、五組の教室をあとにした。
「他の曜日担当してた人にも聞こう」
続いて一組に向かい、佐藤くんに話を聞いてみた。佐藤くんは火曜日担当。しかし佐藤くんも水野さんはそんなに見かけていないということだった。
それから木曜日担当だった人、金曜日担当だった人にも聞いてみたけど答えは同じ。
「水曜日だけか……」
教室に戻る道すがら、廊下を歩きながら呟く。
他の曜日でもときどきなら来ることはあったそうだ。でもそのときも本を借りたらすぐいなくなってしまって、図書室でそのまま本を読むということはなかったらしい。
しかし水曜日は毎週のように来て、しかも毎回図書室に残って本を読んでいた。これにはさすがに違和感を覚える。
今日は新年度が始まって二日目。生徒が所属する委員会は昨日決まって、図書室も今日から開いている。一応様子を見に行ってはみたけど、やっぱり姿はなかった。
「何か水曜日にいなくちゃいけない理由があったのかなあ」
柑奈も唸りながら首を傾げる。
いくら考えてもその理由は謎のまま。図書委員を介して水野さんの趣味を調べる作戦は早くも行き詰まってしまった。
次の作戦を考えなくちゃいけないな。
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