第49話 N.C.E. 最深層

「後少しです、ケンイチ。いよいよ最深層に来ました」


 辺りのフィールドが変わった。そこはまるでどこかの道場のようだった。広さは小さな体育館程だろうか。誰もいないその空間のど真ん中正面、何者かが立ち尽くす影が見えた。


 Jが両手のひらを見せながら円を描いたり、何かを素早く叩くような動作をしたりしながら話しかける。

「最深層。ケンイチも知っているかもしれませんがその相手は……」


 それは背丈こそ壱より僅かに大きい位の人影だった。その者がすっと立ち上がると、こちらに歩いてきた。それは歩いているはずなのに、普通の人が走るより早い。その違和感がより一層不気味に思えた。歩くたびに、がちゃん、がちゃん、という鈍い音が響く。


「J! 言わなくていいから、早く対策をしろ! やられるぞ」

「はい、僕は話しながらもパフォーマンスは落ちないので大丈夫です。最深層のセキュリティプログラムはご存知『Benkei:ゼロ』。日本の有名な武将、えー、源義経の忠実な家来。武蔵坊弁慶をイメージしたそうです。それをさらにバージョンアップされた、ゼロはまさに透明人間のようにつかみどころがない、最強のセキュリティプログラムで……」


 そんな話の最中、すでにバトルは始まっていた。

 ずんずんと近寄るその影は、頭全部と首元を白い袈裟でくるみ、全身を甲冑で纏う。右手には大きな薙刀なぎなたを軽々しく振り回し、顔面はまるで般若のような猛々しい表情の仮面を被っていた。

 目にも留まらぬ速さで壱の頭上目がけて、縦に振りかざされる薙刀なぎなた。それを天叢雲剣あめのむらくもを横にして防ぐ。キイーーーン、という金属音が耳をついた次の瞬間には相手の左足の蹴りが後一歩で壱の胸元へ繰り出されるところだった。それを壱は体を弓のように曲げて避けると、今度は薙刀なぎなたが異様な速度で足元を払う。すかさずジャンプしてやり過ごし、着地をしようとした瞬間、すでにBenkei:ゼロはその大きな薙刀なぎなたで壱の胸元を突く構えをしていた。

 体を90度回転し、かろうじてそれをよける。


 今までのセキュリティプログラムと、速度が桁違いだった。壱はその動き一つ一つを避けるのが精一杯、まさに防戦一方だった。


「J、まずい。勝てる気がしない、やられるのも時間の問題だ。何とかしてくれ」

「ケンイチ。こちらにも手はあります。これでどうでしょう」


 Jがスクリーンの中でおにぎりを握るような仕草をした。

 するとフィールドに変化が訪れた。

 壱が2人、4人、8人、気付けば60人程に分身した。そしてBenkei:ゼロを360度囲む。


「今、壱のダミーアカウントをばら撒きました。これで時間を稼げるはずです」

「助かる、J」


 Benkei:ゼロはいくつかの壱を薙刀なぎなたで突くが、そのどれもが偽物、空を切るだけだった。今のうちに、フォームを見つけなければ……。


 数人の壱が、Benkei:ゼロの周囲、全方向から飛びかかる。あるものは頭部、あるものは胸。あるものは足元を突いていた。どれも手応えがない、ハズレだった。


 再び、壱の分身達はぴょんと跳ねて、Benkei:ゼロを中心に同心円状に距離をとった。


 その時だった。

 Benkei:ゼロが両手を広げ、手のひらを上に向けた。そのままゆっくりと胸の前で合掌のようなポーズをとり、そして何かを唱える。

 するとその手からまばゆい光が放たれ、一瞬目が眩んだ。

 その白い世界が消え、元に戻ると、壱の分身は全て消えていた。


「J!? ダミーアカウントが消えた!」

「そのようですね、前のバージョンではそのようなことはなかったのですが、バージョンアップしたようです」


 がちゃん、がちゃんと甲冑を鳴らしながら、壱の元へ歩み寄るBenkei:ゼロ

 その表情をみると、白い袈裟に囲まれた猛々しい仮面が赤く燃え上がっていた。


「解説はいいから、早くフォームを見つけろ!」


 Benkei:ゼロは右、左、と次々に薙刀を振りかざす。それをX字のように天叢雲剣あめのむらくもで防ぐ壱、その度にきーーーん、という金属音が響く。そのまま2人の間合いは少しずつ詰められ、壱は後ずさりを余儀なくされていた。


……よし、こうなったら……


 壱は徐々に相手の行動パターンを読みつつあった。繰り返される上からの攻撃の後、Benkei:ゼロは腰を落とし、壱の足元を狙って来る。その動きを先読み、すかさず薙刀を持つ右手の付け根を天叢雲剣あめのむらくもで突いた。

 直後、薙刀なぎなたがひび割れ、そのまま空中分解した。薙刀なぎなたのプログラムを分解したのだ。


「どうだ! これで武器は無くなったぜ」


 Benkei:ゼロはほんの1、2秒、その場で気をつけの姿勢をした。全身を纏う甲冑と頭に被った白い袈裟。その礼儀正しい見た目に、怒りの仮面が少し不自然だった。そのまま直立不動となると思われたBenkei:ゼロだったが、次の瞬間、さっ、とファイティングポーズをとった。

 腰を落とし、そのリズムをとる様な構え。そのまま次の瞬間には壱に飛びかかっていた。

 その右フック、左ストレート、繰り出されるパンチの全てを天叢雲剣あめのむらくもでなんとか避けたと思った次の瞬間、左足を軸にくるっと回転すると、右足を大きく回して後ろ蹴り、いわゆるソバットが飛んできた。それをさっと後ろに跳ね、何とか逃げ切る。


「おい、こいつさっきより動きが早くなってる……」

「はい、薙刀なぎなた分の容量が減ったためと考えられます」


 先ほどの5割増しのスピードで繰り出されるパンチとキック。それを必死で耐える壱。これでは攻撃どころではない。反撃のチャンスを見出そうと距離を置こうとするが、ただちに零によりその距離は詰められる。下手にジャンプしてしまうと、着地を狙われるのがオチだ。


 打つ手なし——このままではやられるのは時間の問題だ。


「ねえ、ちょっといい!?」


 そんな時、思いも寄らぬ声が道場に響き渡った。


02:15:05

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