第28話 雪の告白
「研一君、一つ聞いて良い?」
雪はきまりが悪そうに首をかしげながら、研一に問いかけた。
「なに?」
雪は
何度かちらちらと研一の表情を伺ってから、ゆっくりと口を開いた。
「あの時——ザックタウンで会計をしてた時なんだけど……」
研一の顔が一気に真っ赤になった。壁にかかっている研一のサイコメータが赤く膨れ上がり、脈を打つ回数が速くなった。
「あ……あの時はほんとにごめん。俺何も周りが見えてなくて……その」
「そうじゃなくて」
雪は言葉を遮った。そしてゆっくりと研一を見つめる。その瞳は澄んでいて、一つも淀みが無かった。黒く光る瞳が辺りの光を美しく反射した。
「あの時、一瞬だけ見えた。研一君が『壱』の姿をしているの」
研一は、あっ、と背中をつっつかれたような表情をした後、どんな顔をしていいのかわからなくなった。返す言葉が見つからないまま、目を泳がせていた。
もうこれ以上隠すことは出来ない、事実を話すのはこのタイミングしかないだろう、そう思った研一は重い口を開いた。
「ああ、そうだ。隠しててごめん」
オルタナでは時として「神」として崇められるほどの存在となった「壱」が目の前にいることを知り、雪は一体どんな反応をするだろうか。様々な想像をしていた研一は、雪から発せられるその言葉にその全てを裏切られることになる。
「あのね、あの時私、怖かった……。なんか研一君が研一君じゃなくなったみたいで——」
えっ? 思わず研一は声を漏らした。
「私、やっぱりいつもの研一君の方が好きだな、だってなんか一緒にいると安心するんだ。今まで付き合ってきた男の子ってね、みんな優しかったんだけど、研一君は他の人とは違う、何かこの人の事なら信じてもいいんじゃないかって思った」
「でも、俺学校じゃなんも出来ないぜ。勉強もスポーツもダメ。地味だし何やってもヘマばっかだし……」
「そんなことないよ、研一君はたくさん良いところがある。もっと自信を持って良いと思う。私が言うんだから間違い無し!」
そう言って雪は、親指を立てて研一に向けると、力強くウインクをした。
人から褒められたのはいつぶりだろうか、研一は雪の思いもよらないその言葉に、胸の奥底がじんわりと暖かくなっていくのを感じた。
研一は自分が嫌いだった。
何をやっても失敗ばかり、親からも大した期待はかけられず、自分という存在がなんでここにあるのか、この先一体どんな未来が待っているのか、明るい未来というものが全く描けなかった研一は、自分を忘れるためにオルタナの仮想現実の世界へのめり込んだ。
オルタナにいる間は現実の自分を忘れられた、研一という存在を消すことが出来た。オルタナ上で新たな人生を歩み始めた研一は必死でオルタナ上でのスキルを磨いた。「脱獄」し、違法なプログラムも意のままに操れるようになった。やがてそのスキルはプロのプログラマーですら制御出来ない領域までたどり着いた。
そうして「壱」が生まれた。
しかし、その否定すべき存在である現実の研一を雪は好きだと言ってくれた。その言葉は研一の胸の奥に、今まで与えられたどんな言葉よりも重く、深く沈みこんだ。
——自信か……そういや誰かもそんなこと言ってたな——
研一の脳裏にいつかの言葉が蘇った。
——もっと自信を持て。勇気と自信がないと大事な人を守れない——
研一の心に、何かわからない、そのわからない何かが小さく芽生え、後にその小さな変化は大きなうねりとなって、何かとてつもない事が起こせそうな、そんな予感が生まれつつあった。
ほんの一瞬だけ、灰色の空間に明かりが灯ったような、そんな時間が通り過ぎた。
その時だった。
辺りの空気を突如打ち破る、奇妙が音が聞こえてきた。
それはあまりにも突然で、意外性にあふれるものだったため、その意味を理解するまでしばらく時間を要した。
『You got mail! ケンイチさん、メールがトドキマシタ。ケンイチさん、メールがトドキマシタ』
不毛で静寂なその空間に、明るく愉快な音が響きわたった。
研一の目の前にメールの形をした映像が浮かび上がる、古典的なメール配信サービスである。
オルタナでは通常、メールは手紙の形を取らず、様々なキャラクターがやってきて要件を話したり、目の前に映像を流したりすることでメッセージを伝達をするのが普通だった。
だが、一部のユーザーはその昔インターネットでEメールをやり取りしていた頃を彷彿させるような古典的な配信方法を、一つの興として使うことがあった。今回はまさにそれだった。
突如現れた、その場の空気の変化。
その場違いな明るい音声に、2人は思わず目を合わせ、むしろ恐怖すら感じていた。
それに対する行動こそが、今後を大きく左右する事だけは間違いなかった。
16:32:39
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