微妙に切ない「研一」

第6話 「ひどい」現実

 カーテンの隙間から、陽が差し込む。

 そのスリット状の一筋の光は、とある一室を縦に線引いた。

 それが照らすのはしわくちゃのベッド、脱ぎっぱなしのシャツ。潰された缶ジュースの空き缶と、ゴミ箱を外れたちり紙。そのままその白い筋は机の上にある棚を照らした。そこには「高校2年、物理」と書かれた教科書、その他の科目の教科書もほぼ新品の状態で収まっていた。

 ふと、机の上の目覚まし時計が、カーテンから漏れ出た光に浮かび上がる。時間は8時35分、アラームのセットされた時間である7時を大幅に過ぎていた。

 その光に誘われるように、ベッドの中にあるぽっこりとした山が、もぞもぞと動いた。そして唸り声を上げる。


「んーーーー!」


 大きく伸びをした両手がまずツノの様に布団から飛び出した。直後にまぶたが腫れ、上半分が閉じかけた両目が現れると、次に浮かび上がったぼさぼさの刈り上げ頭がぽりぽりと掻かれた。半分しか開いていないその瞳が、じーっと時計の針を確認し、その現実を認識すると口元から大きくため息が流れ出た。


 ——またか、まあ分かってはいたけど。


 今日も「遅刻」だった。


 松谷まつや研一、星城学園の高校生。

 もう3年生になろうとしているのだが、その半分以上は遅刻である。


 ——っていうか、なんでオルタナクレストの決勝戦、3時からなんだよ。あれがなければもうとっくに起きてたのに……


 そうつぶやくと、Yシャツの袖に手を入れ、くしゃくしゃのパジャマのズボンから制服であるグレーのズボンに着替えると、いつものようにカバンを背中にかけた。すると入れそびれた教科書の一つが床に散らばる。


 あぁ、格好悪。研一がそう思いながらしゃがみこむと、ふと、先ほどまで頭に被っていたオルタナギアが目に入った。


「……」


 ゆっくりとその帽子を手に取り、まじまじと見つめる。

 これを被っている間、研一はオルタナの世界で『壱』として、世界の頂点とあがめられる。にも関わらず今の自分ときたら……。

 ぶんぶん、と首を大きく振ると、研一はぺしぺしと頬を思いっきり叩いた。目を覚ませ、現実を見ろ、そういう自分へ飛ばした檄だった。

 ほっぺたをリスのように大きく膨らませてから、ふぅーと大きく息を吐く。そして頷いてから、よし、と声を出すと、急いで教科書をカバンに詰め込んだ。そして、そそくさと玄関を抜けて行ったのだった。

 大事なデバイス、一見スマホの様なそれを机の上に置き忘れたまま。


 ピコーン、ピコーン。

 誰もいない研一の部屋に、拍子抜けするような警報音が響いた。置き忘れられたそのデバイスからだった。その長方形に黒いその画面から3Dホログラムが起動し、立体の女性アナウンサーが現れ、一つ礼をする。


「臨時ニュースです。またオルタナクラッシュ、被害者は35歳女性です。女性はオルタナ上の仮想洋服ストア『ザック・タウン』の試着室に入ってから、所在が掴めなくなりました。

 ログインしているにもかかわらず、女性の存在はオルタナ上で消滅、そのまま『オルタナ規定』による強制ログアウト時、心肺停止を来した模様です。駆けつけた救急隊が死亡を確認しました。

 解剖の結果、女性は脳の中でも呼吸などの生命を司る部位、『脳幹』が完全に焼き尽くされていることが分かりました。強制ログアウト時に流れる高電流が原因と考えられています。

 これで一連の不審死『オルタナクラッシュ』の犠牲者は3人目となりました。警察が原因を調査している最中です。また、オルタナのサポート元であるアプリコット社は一連の不審死とオルタナとの関連を否定しています。アプリコット社CEO、スティーブンス氏の会見です」


 3Dホログラムは一人の西洋人の話す姿を映し出した。そして字幕に「アプリコット社CEO スティーブンス氏」という文字が現れた。そしてその全身黒づくめで髭面。卵顔の上には少し薄くなりかけている頭部を携え、どこか自信にあふれた様子のスティーブンス氏が現れた。彼が真っ暗なステージの上でライトに照らされ、ジェスチャーを加えながら話す様子を3Dホログラムは映し出した。


「一連の事故に遭われた犠牲者の冥福をお祈りします。残念な事に全てのユーザーは弊社が禁止している、違法プログラムの利用、通称『脱獄』をしておりました。以前から申し上げている通り、違法プログラムはいかなる危険が潜んでいるか分かりません。違法プログラム利用によるいかなる被害もアプリコット社は責任を負えません。今後も安心してオルタナを利用して頂くためにも、決してそのような事はなさらぬよう、重ね重ね……」


 時折吹く風が、カーテンを揺らした。すると、差し込む陽の光も楽しげに揺れる。まるでそんなことお構いもしませんよ、とでも言いたいかのように。


 この時まだ研一は気づいていなかった。

 今まさに、この「オルタナクラッシュ」の魔の手が近くまで差し迫っていようとは。


99:99:99

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