第11話 心に開いた風穴
結局、研一は14時前にはオルタナカフェ「ギルド」の前に立っていた。
そして何度も腕時計を確認する。まだ約束の14時までは10分以上あった。
「研一くん!」
研一がどきっとして振り返ると、そこには私服姿の雪がいた。
白いパーカーに、下は紺のスウェット。巷で人気のある星城学園の艶やかな制服とは打って変わった、恐ろしくラフな格好である。
「お、おう」
一方で研一はグレーのトレーナーにジーンズ。トレーナーには「CHICAGO TRAINER」と書いてあった。家にある一番おしゃれな服を着てきた、つもりだった。
「わざわざありがとね、よろしく〜!」
そう言いながら雪は、研一の胸元を優しくパンチした。
どうしていいのかわからない研一をよそに、雪はただただニコニコしている。
「お、おう。よろしく」
オルタナカフェ「ギルド」に入ると、研一と雪は二人用のブースに入った。そこで研一は雪にオルタナの申込書の説明から始めた。
「そんで、ここにこれを書いて……」
「へえ、なるほど」
雪のその屈託のない接し方のおかげか、女子恐怖症の研一も次第に慣れてきた。手にかいた汗を拭く回数は幾分減ってきたように思える。
一生懸命申込用紙を見つめペンを動かす雪を見ながら、研一はどうしても気になっていた事を聞くことにした。
「ところでさ」
「なに?」
「何で急にやっぱりオルタナしようと思った? あんだけしないって言ってたのに」
雪は用紙に必要事項を書き込みながら、一瞬だけ研一をチラッて見てからまた用紙に目を落とした。そして、必要事項への記入を続ける。
「うちさ、母子家庭なんだ。お母さんが一生懸命仕事して、家計のやりくりも結構大変なの。市民税とか、電話代の支払いとか、オルタナ使うと安くなるでしょ? だから」
言いたくないだろう、内面の事情も、ためらうことなく話す雪に、研一は少し胸の奥に風穴を開けられた気分だった。
「あのさ」
「ん?」
「ごめんな」
書類を書く雪の手が止まった。それからまじまじと用紙を見つめてから、ゆっくりと研一の方を見つめた。
真っ黒に光る瞳だった。整った鼻筋と動きのある前髪。たとえパーカーとスウェット姿であっても、その雪の表情は煌びやかさで満たされていた。
その瞳にまっすぐ見つめられた研一は思わず目を斜め下に反らした。
「何が?」
「あの、その……。竜也がここに来れなくて。代わりに俺なんかで……」
研一は、雪の目当てが自分ではなくて、竜也だったのではないかと思っていた。
今までもこういうことは何度もあった。
竜也の代わりに竜也が借りた本を返しに行ったら「あんたじゃないのに」という顔をされたことも数知れない。
一瞬その言葉の意味を理解できなかった雪は、しばらくしてから全身で、はははは、と大きく笑い飛ばした。そして平手で思いっきり研一の肩を叩く。
「何言ってるの、全然気にしてないよ! だってこうして研一君が教えてくれるから、それだけで十分」
そう笑い飛ばす雪をしばらく研一は眺めていた。そして、その一つ一つのボディタッチに、毎回研一は顔を赤らめていた。
そして大きく首を振ってからいつもの調子を取り戻すと、きりっした表情で口を開いた。
「終わったか? 次はセッティングだ」
「セッティング?」
「そう、このオルタナギア被って」
そういって研一は雪にオルタナギアを手渡した。
それは数種類のコードがつながれた、ベレー帽のような、しかしどこか金属性を帯びた帽子であった。
「これを被ればいいの?」
「そう、じゃあいくぞ」
そういって研一は、雪の被ったオルタナギアの頭のてっぺんにあるスイッチを押した。すると、ファンが回るような機械音が徐々に強くなってきた。
「今から、お前の嬉しい事や悲しい事を言われた通りに思い出してもらう。すると、その時に脳に微量の電流が流れるんだ。それを今から機械に覚えさせる」
雪は目をぽかんと丸くした。
「……あの、とりあえずは言われた通りにすればいいから」
雪は少し不安げにうなずいた。
それから「ちょっと待って」そう言うと、ポケットにあった髪ゴムを口にくわえると、艶のある黒髪を束ね始めた。すると雪の耳たぶ、その滑らかでやわらかそうなシルエットが姿を現した。それからゴムで引っ張っている間、両サイドの黒髪のラインがキラリと白く反射する。ゴムでしっかりと髪を束ね終えると、いいよ、と呟いた。
その後、ナレーションの声により、様々な指令が下された。
手をあげたり、ジャンプしたり。辛いものをなめたり、つねられたり。美しい映像を見たり、汚いシーンを見たり。
そのそれぞれに行動時に脳に流れる微量の電流パターンを、オルタナギアは覚えていった。
「よし、これでセッティングは完了。後は自分でスイッチ押せばオルタナのスタートだ。困ったら、ヘルプって書いてある風船がいつも目の前にあるはずだから、そこをタッチ。いいな? んじゃ、頑張って」
そういってブースを出ようとする研一の腕を雪は力強く握りしめた。
研一が自分の腕に目をやると、雪がそこにしがみついていた。
ボディタッチというレベルではない、今までに経験したことのないコンタクトに、研一はパニックになりそうだった。
「ちょ、ちょっと……」
「お願い、一緒にやって!」
「な、なんでだよ。後は何とかなるって。俺なんかいなくても絶対大丈夫だって」
「いやだ、怖い……」
正直研一は焦っていた。
オルタナでの自分の姿は絶対に知人には知られないようにしていた。
まさか、こんなタイミングでカミングアウトする訳にもいかない。
「研一君、お願い……最初だけでいいから。ね?」
研一の心の奥の、その暖かい部分は完全に雪に握り尽くされていた。雪の願いを拒むことなど、今の研一には到底無理なことだった。
研一は一つうつむくと、意を決した。
「分かった。ただな、オルタナ上で見た俺に関する事は絶対誰にも言うなよ? それと最初だけだかんな」
そう言って、雪の横にあるオルタナギアを研一も被ると、雪の不安げな表情は解き放たれ、満面の笑みを浮かべた。
「ありがとう! 研一!」
そう言って雪は研一に抱きついた。
「!」
どうしていいか、分からな過ぎたケンイチは、とにかく早くこの場を変えようと思い、自分のスペースへと、さっと逃げるように移動した。
「じゃ、じゃあいくぞ」
そういって、研一はオルタナギアを被ったまま横になった。
同じく雪もその隣に横たわった。
「準備いいか? 押すぞ」
雪は静かにうなずくと、そっと目を閉じた。
そして、研一がオルタナギアについてある「START」ボタンを押すと、ほんの数秒で二人の目蓋の裏は瞬く間に光であふれ、まるで宇宙を高速で移動しているような錯覚に陥った。
そのまま光速旅行の感覚に身を任せると、二人の「頭」は仮想現実である「オルタナ」へと旅立っていった。
避ける事のできない運命の歯車は静かに回りだし、「その時」はもう直前まで迫っていた事を二人はまだ知らない。
99:99:99
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