第59話 説明

「あの時、俺はずっと考えてたんだ。もし本当にクラッシュの犯人がいるんだったら、どうやってJが作ったカオスのリミットを確認出来たのか、って」


 研一はそばにあった草を一つむしると、それを顔の前を横切る風に放った。一瞬にしてその全ての緑は空に舞い、消えた。


「確かに、クラッシュに陥った俺たちのあらゆる情報を犯人が握っていた、と言ってしまえば説明はつく。だけどそれではどうも腑に落ちなかったんだ」

「腑に落ちない、というと?」

「もしそうなら、Jの時計が減ったと同時に、リミットも削減されるはずだ、なのにリミットの削減のタイミングは一定せず、ある時突然思い出したかのようにあの『ピコーン』が来ていたんだ」


 Jはじっとその先の言葉を待った。


「そこで俺は思った。このクラッシュは一体俺らに何がしたいんだろうか、って」

「何がしたい……それは捕まえたあなたたちの命を奪いたいのでしょう?」

「いや、それなら24時間はもったいない。すぐにログアウトさせればそれで済む。そうではなくて……」

「そうではなくて?」


 研一は口を結んだ。そして遠くに目をやる。

 お花畑では相変わらず、雪が楽しそうにちょうちょを追いかけて走り回っている。

 それから、研一はJのスクリーンを見つめた。


「恐怖、だよ」

「恐怖?」


 研一は頷いた。


「クラッシュの目的は俺らをあの環境に追いやって、そこで恐怖に溺れていく姿を感じたかったんだ。するとサイコメーターでそのユーザーが恐怖を感じたり、喜んだりする姿をモニターしているのもうなずける」


 Jは待ちきれない様子で、顔を少し乗り出した。


「それは分かりました、しかし、それがあの最後のリミット削減とどう関係があるというのですか?」


 あっ、一つひらめいたようにJの脳裏に何かが過った。


「ケンイチ、まさか……」

「そう、あのリミット削減の『ピコーン』は俺らの恐怖が改善するタイミングで鳴ってたんだ。つまり、俺らが恐怖を感じなくなって、あのサイコメーターが通常の拍動へと戻る度に、クラッシュはリミット削減を使って、いくらでもリミットを削減し続けるつもりだったんだ。それを知ってから、俺は一つの賭けに出た」

 Jは一つつばを飲み込んだ

「俺と雪のサイコメーターを恐怖で維持出来れば、リミット削減はされないんじゃないかって。でもこの考えは雪に話す訳にはいかなかったんだ。これを聞いて雪が恐怖を解除してしまったら、台無しになるからな。だからわざとああやって、諦めたフリをして、雪と俺の恐怖を維持させようとしたんだ」


 Jは今まで入っていた力がすっと抜けた。そしてゆっくりと首を振る。

「その間に僕がカオスの実行を早め、ぎりぎりクラッシュのリミットを上回り、カオスは実行された。これが答えだったんですね」


 研一は吐き捨てる様に言い放った。


「最初からクラッシュの犯人なんていなかったんだよ。あったのは史上最悪のクラッシュというパズルだけ。全てはプログラムされた通りに動いていただけなんだ」


Jは肩をすくめ、両手のひらを上に向けた。そして呆れたような表情を浮かべる。


「ケンイチ、あなたはあの状況でそんな事を考えていたのですか。本当に信じられませんそれに——」


 一つため息を吐き出すとJは、


「それにもし僕があのときのケンイチの言葉を鵜呑みにして本当にカオスの実行を止めてしまったらどうするつもりだったんですか?」


 研一はニヤリを笑った。


「それだけは大丈夫という自信はあったよ」


 どこかで聞いた事のある言葉を返した。

 Jはスクリーンの中で苦笑いをしながら、ほんの数分前の景色を見つめた。

 

「僕はあのときのケンイチの目を見て、はっきりとは分かりませんが何かを感じました。あの目は決して諦めている人間の目じゃない、きっと何か考えがあるんだと」


 Jは視線を手元に落とすと、そこに表示された数字をみて思わず笑顔が吹き出た。


「おかげでリミット削減はされず、カオスは実行できました。後、クラッシュのリミットまで残された時間はこれだけでしたよ」


 そこには00:00:02という数字が映し出されていた。

 それを見て、2人は笑った。


 その笑い声が一段落すると、

 Jはすっと赤紫色が入ったワイングラスを差し出した。


「ケンイチ、おめでとう。あなたの知恵と勇気が史上最悪のパズル、オルタナクラッシュに打ち勝ちました。これは約束のワインです」


 だから俺はワインなんて、と断ろうとする研一にJは無理やり突きつけた。

「まあ一口飲んでみてください」

 そう言われた研一はなくなく一口飲むと、

「ん? 思ったより飲みやすいな、これ」

 そう言って、もう一口ぐいっと口に入れた。

 それを見てJは笑っていた。

「オルタナ上ですから、未成年でも問題ありませんよ」

 念のため、Jは問題ないことを話した。


「J、おめでとう」


 Jはきょとん、とした。


「何がですか?」

「お前の作った『カオス』は本物だったよ、これでファイナルテストは要らなくなった」


 Jは思いっきり笑い飛ばした。


「そうですね、本当はこんなリスキーな形で実行したくありませんでしたが」


 そう言って、2人は乾杯すると、そのワインを飲み干した。


「やはり、勝利の後のワインは格別ですね。あなたたちの栄光はきっと今後も語り継がれることでしょう」


 研一は一つ笑みをこぼすと

「そして、お前はその語り部ってとこか」

 Jは微動だにしなかった。それから表情を固くさせた。

「ケンイチ、それは出来ません」


 Jは黄昏の様な表情を浮かべながら、遠くで無邪気に遊び回るユキを見つめていた。


「どういことだ? お前が語り継いでくれるって言ってたじゃないか。それとも……」


 Jは意を決したように鋭い目つきを作ると、じっと研一を見つめた。


「ケンイチ。僕はあなたたちに言わなければならないことがあります」


 時折、先ほどと同じように優しい風が研一の髪を撫でた。

 心地よいその空気と景色。それは先ほどと変わらず、誰にとっても幸せで溢れる、楽園という空間を作り出していた。


 どこか遠くを冷たく見つめ続ける、そのJだけを除いて。

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