第55話 追跡
その、ピコーン、の直後、鼓膜が破れそうなけたたましい音が、辺りに響く。同時に機械音のアナウンスが無機質に喋りだした。
『強制ログアウトまで、10分を切りました。直ちにオルタナからログアウトしてください。直ちににログアウトしてください』
強制ログアウト、10分の警告。至って通常通りの反応だった。しかし、ピコーン、の意味するところは違う場所にあった。3人はリミットの時計と、カオスの時計を見つめた。そしてその違和感のある映像を理解するまで、少し時間がかかった。
「J、これは……?」
雪もぽかんと口を開けた。
「これおかしいよ、なんでこんなことに……?」
辺りを占めている違和感、それはリミットの時計にあった。10分を切ったアナウンス、これは問題ない。しかし、クラッシュのリミットが9分55秒であるのに対し、カオスの時間は10分02秒。いつの間にか遅れをとっていた。
サイコメーターの心臓が青く、そして速く鼓動を打ち始めた。
「おかしいですね、クラッシュのリミットを早めるなんて通常は起こりえません。大丈夫です、何とかなります。カオスの完了を少しだけ早めることならできます」
Jが右手で円を描き、左手で三角を作る。せわしなく両手をあらゆる方向めがけて動かし続けると、少しずつカオス完了までの時間が短くなっていく。そして、やがてリミットの時間を上回った。リミット:8分02秒、カオス:7分58秒。食い入る様にデジタル時計を見ていた雪は、その全身の力を抜いた。
「良かった、また少し余裕が出来たわ」
たちまち雪のサイコメーターは血色の良いピンク色に戻り、その拍動も少しずつ緩くなる。
その直後だった
——ピコーン。
一瞬にして、クラッシュのリミットが6分34秒になった。カオスのリミットは7分34秒。
「おい、J。一体何が起こっているんだ?」
「分かりません、どう考えてもオルタナのリミットを短縮するなんてことは通常あり得ません」
「見てる……」
雪が青い表情でぽつりと吐いた。
「きっと見てるんだわ、クラッシュの犯人が。じゃなきゃこんなタイミングでこんなこと出来ないよ!」
犯人はいない、そういうことになっているはずだった。元からそう思って皆はやってきた。しかし、まるでこの必死にしがみつく小さな命を弄ぶようにリミットを削る、しかもぎりぎりのタイミングで。これはまるで誰かこの状況を見ている何者かが敢えて研一たちを恐怖のどん底に陥れ、楽しんでいるかの様だった。
今まさに荒れ狂う灰色の空間は、得体の知れない大きな死神に全てが包み込まれた。
——やっとここまで漕ぎ着けたっていうのに……。
研一は拳を固め、眉には皺が寄っていた。
この戦いに負けたら、全てが終わる。
思えばクレストの決勝戦、研一は負けたくなかった。自分をいじめていた同級生、不適合というレッテルを貼った自分を取り巻く環境……今まで自分を見下していた全てのものを見返すために、自分というものを取り戻すために、この先どうなろうと、どんな手を使おうと優勝したかった。
しかしあの戦いはもし負けたとしても続きがあった。
しかし今回は違う。負けたら「死」その先はない。
Jが目にも止まらなう速さで手を動かす。リミットは5分24秒、カオスは5分08秒まで縮んだ。
その直後——
ピコーン。
ぎらぎらした黄色い警報ランプが回り始めた。そして、機械的なアナウンスが無情にも流れ始める。
『リミットまで5分を切りました。ただちにログアウトしてください。これは訓練や演出ではありません。最終通達です。直ちに……』
リミットは4分55秒、カオスは5分02秒。
雪がまるで何かに取り憑かれたかのようにうわ言を吐き出した。
「……もうダメだ、私たちあのウルフみたいに電流が流されるんだ。もう死ぬんだ——」
吹きすさぶ見えない暴風と、まるでジェット機のエンジンのような轟音。その中を彷徨う絶望という名の死神。
そんな混沌の海で、研一はある一点を見つめていた。
「………」
研一の表情は澄んでいた。それはまるで違う次元で息をしているかのように。
泣いても笑ってもこれが最後。
勝つか負けるか、負ければ終わり。研一はオルタナクレストの決勝戦を思い出していた。
あの戦いで俺は勝ったんだ。今度だってきっと大丈夫。もう失敗はしたくない、俺のミスで大切な人を傷つけたくないんだ、あの時みたいに……。
研一は
——もっと自信を持て、勇気と自信がないと大切な人を守れない——
誰かの声が頭に響いてきた。
大切な人を守りたい、絶対に。たとえ自分の身がどうなろうとも。
今までのあらゆる状況。これらは見事なまでに研一の頭の中で整理し尽くされていた。
そして、そこから導かれた結論を、研一は口にすることになる。
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