第56話 受け入れる勇気
雪は魂が抜かれ、抜け殻になったようにうなだれた。はあ、はあと大きな口で息をする。白い頬は汗でびっしょりだった。
「ユキ、最後まで諦めてはいけません、僕が何とかしますから……」
その時だった。
「もうやめよう」
その声はひどく透き通っていた。
「ケンイチ? 今何て言いました?」
「もうやめよう、って言ったんだ」
ぎらぎら回り続ける黄色い警告のランプと、ビー、ビー、ビー、というブザー。そのうるさすぎる部屋に異様な静寂が走った。
「まさかケンイチ、諦めたとでも?」
即座に、きっ、とするどい眼光をJに浴びせた。その目つきに一瞬ひるむJ。
そしてゆっくりと研一は雪を見つめた。
「いいか、雪。しっかり俺の言葉を聞くんだ、俺の目を見ろ。絶対に目を反らすな、分かったな?」
雪は、はあはあ、と息を切らし肩で呼吸をしながら、研一の目をすがるように見つめる。
「あのな、雪。俺思ったんだ。なんでこんな事になったんだろうって。そもそも何年か前はオルタナなんてなかった。それでも何とか暮らしていたはずなんだ。なのに俺らはこの便利さに目がくらんで、この仮想現実の世界を利用しているようで、実は利用されていただけなんだ。お金、恋愛、政治……大事なものを全部預けて、しまいには命まで預けてしまった。絶対にしてはいけなかったのに——」
雪は握っていた拳を、だらりと垂らした。その、はあはあ、の過呼吸の間に一つ息を飲む。
「これは俺らへの罰なんだ。大事な物を見失い、目の前の便利さに流された俺たちの。だから俺は決めた、俺はこの罰を受け入れる」
雪は研一を遠くに見つめながら、体の内側に灯っていた明かりが消えた。その華奢な体がだらりと後ろの死神にもたれかかる。目は虚ろ、焦点も定まっていない。
「俺らは間も無く死ぬ。守ってやれずごめん」
加藤雪。
彼女の長い黒髪は床まで届きそうだった。小顔に浮かぶ大きな黒い瞳はひび割れたガラスのよう。そこから落ちる大粒の涙がまるでスローモーションのように床にこぼれおちた。一つ大きく鼻をすする音は、辺りの轟音にかき消された。
けたたましい警報音が虚しく響き渡る。
『……1分を切りました。ただちにログアウトしてください……』
雪のサイコメーターが真っ青に変貌を遂げた、それはまるで生きることをやめた生命体のように——。
その1分という時間は永遠にも感じた。
ひょっとしたらまるで数時間でも経っているかのような錯覚。
そしてひたすら視線をぶつけたままの研一と雪。
どれだけの時間が経っただろうか。警報音、ビー、ビー、ビ……が鳴り終えるまさにその途中、辺りは目を塞ぎたくなるような強すぎる白い光に包まれ、そのまま何も見えなくなった。
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