第41話 最後の一時まで

「分かった、J、決断するよ」

 その声は、はっきりとJに届いた。そしてその瞳には今の研一の思い、決意、そして魂の全てが込められていた。


「その方法は却下だ」


 Jが眉をぴくりと動かす。

「俺は最後の一時まで、2人同時に助かる方法をあきらめない。もしそれで駄目だったとしても俺は後悔しない。そうすることにした」


 Jは無表情。まぶた、口元、頬のそれらをぴくりとも動かさず、ただじっと研一を見つめたまま、まるでアンドロイドにでもなったかと思わせる形相でこう答えた。


「すると、この方法を選ばないという事ですね?」


 研一は上まぶたを下ろし、視界を遮ると口をすぼめ、一つ息を吐き出した。それからゆっくり首をコクリとさせる。


「本当にいいんですか? これが最後の確実な方法ですよ?」


 再び開いた研一の瞳に迷いは無かった。


「俺、雪と約束したんだ。何があってもお前のこと守るって。あの時はこんなこと想像すらしてなかったかもしれない、でもどんなことがあっても俺はあの時の約束を破れない。そんなことをしたら、俺は俺じゃなくなる。そんな気がするんだ」


 Jは一つ息を吐き出すと、口を動かさずに言葉を伝える技法、コレクトボイスを解除し、みんなが聞こえるように話し始めた。


「そう言うと思ってました」


 Jは今の今まで我慢していた心の奥の、その堰き止めていた溢れんばかりの笑みを一気に解放した。


「僕たちには理解出来ません。一時の感情のために、確実な方法をあきらめるなんて。しかも最も大事にすべきは自分のはず。なのに他人の命を助けるために自分の命まで危険を冒すなんて。

 でもあなた達日本人は時々そのような方法をとると聞いた事があります。あなたのその選択肢を僕は尊重します。だからもし、あなた方2人が名誉の死を遂げたとしても、僕があなた達の勇姿を必ずしや後世に伝え、讃えていくことでしょう。しかしもし万が一、万が一にあなたが賭けに勝って、全員ここから助かる事になったとしたら……」


 Jはいつのまにか、いつもの優しい瞳へと戻っていた。


「その時は、おいしいワインで一杯やりましょう」


 研一は思わず喉元の奥に隠してあった、その空気を吹き出し、笑顔がこぼれる。


「何言ってんだ、俺もお前もまだ未成年だろうが」

「オルタナ上は何でもありですよ、お勧めのがあるんです。是非それにしましょう」


 そうだな、そう言って研一も笑顔を返した。

 

 約束ですよ?

 Jは念を押した。


 その時、研一は感じた。ほんの一瞬だけ、何か違和感が過ぎった事を。それが何なのか、そもそもそんな不協和音など本当にあったのか。それすらも分からないくらいの些細な変化がそこにはあった。そのわずかなひずみは結局誰にも気づかれず、泡のように消えた。


 Jが雪に向かって、スクリーンの中でとあるボタンをタッチすると、雪が何かに気づき、大きく目を開いた。

「あれ? どうしたの?」

「どうですか? Sea sideは。波の音に眠気を誘われるでしょう」

「うん、ちょっと眠っちゃった。エヘヘ」


 ほぼ同時にJと研一は笑い声をあげた。一瞬だけ、鉛の空間は人間の「生きた」匂いで包まれた。


「それでは3つ目の脱出方法の説明に入ります」

 雪はきょとんとした。うさぎ耳がぴん、と立ち、小悪魔の羽がばさっ、と開いた。

「あれ? 2つ目は? もう言った?」

「おい、雪。もう言ったぞ? 次は3つ目だ。ちゃんと聞いてたか?」


 雪は首を傾げ、うさぎ耳の片方を折らせると、

「そう? まあ、そんな気もするわね。ところで、その3つ目っていうのはどうするの?」


 Jは視線を斜め下に落とした。スクリーン越しでも明らかにわかる、その表情は周りの者からは想像もできないほど重要な決断をする時の目をしていた。

 ——そして長く、重々しい時間を過ごした後、ゆっくりとその口が開かれる。


「本来なら、この方法だけは使いたくなかった。だが仕方ありません、残された道はこれしかありません」


タイムリミットはすでに7時間に迫っていた。


07:04:58

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