第36話 謀反

「それでは説明します。今から、あなたたちのコマンダーに一つ新しいボタンが現れます。それを3人同時に押してください。『同時に』ですよ」


 Jは念を押した。


「その時、間違っても『緊急脱出ボタン』は押さないでください、これを押すと、その瞬間にその押した人の命は終わります」


 雪は、はっ、と声を漏らすと目を丸くさせた。そのまま俯くと、思わず膝の上の手が震えた、同時に細長いうさぎ耳も一緒に震えていた。


「雪、大丈夫だ。きっとうまくいく」


 雪は研一をすがるような目で見つめた。そして、何かを決意したように柔らかい口唇を一つ結ぶと、こくりと小さくうなずいた。


「それではいいですか、行きますよ?」

「ちょっと待った」


 突如、低いガラガラ声が横切った。


「ウルフ?」


 ウルフは不適な笑みを浮かべていた。


 …………ははははは、ははははは…………


 ウルフは喉に何かひっかかったような低い声で、不気味に笑い始めた。


「ウルフ、何がおかしいのですか」

「同時にだって? お前らおかしいわ。助かるのは俺だけだ」


 一同は顔を合わせると、首をかしげ、全くその意味が解せないでいた。

 研一は思わず吐き捨てた。


「何言ってんだお前は。同時にやらないと3Ted集まらないってJが言ってただろうが」


 ウルフは突如、ぴたっと笑みを止めた。

 そして、鋭い目つきを作ってから全員を見下すようにチラリと気味の悪い牙を見せた。


「違うんだよ。俺には神が舞い降りたんだよ、ほらみてみろ。これ」


 そういってウルフは持っていたコマンダーを皆に見せつけた。


「俺のコマンダーにだけ、このクラッシュの神様からメッセージが届いたんだよ。俺だけ助けてやるってな」


 ハッハッハ、と笑い続けるウルフのコマンダーを皆は必死に見つめた。


「ウルフ? お前大丈夫か?」

「あ? 何がだ?」

「お前のコマンダー……」


 そこまで言って、研一は口を閉ざした。もう一度確認してからウルフを見つめると、続きの言葉を発した。


「何も映ってないぞ」


 あ? そういいながら、ウルフは自分でもう一度コマンダーを確認した。

 それから、ムフフフと気持ちの悪い唸りを上げてから口元をニヤリとさせる。


「そうか、そうだよな。お前達には見えないはずだ、何しろ、助かるのは俺だけだからな」


 ハッハッハ……


 辺りは異様な雰囲気に包まれた。


「ウルフ、落ち着いてください。あなたには何か見えるようですが、おそらくそれはゴーストです」


 ゴーストって何? 研一。そう呟く雪にも、研一は目もくれなかった。気付けば研一の目が、迫り来る天敵と対峙をする目つきに変わっていた。鋭く、冷たく、突き刺すような眼光。その視線でウルフを見つめながら答えた。


「ゴーストっていうのはな、プログラムの合間に本来あるはずのないものが見える現象だ。強い願いがあったり、精神状態が乱れていたりすると、実際には実在しない嘘の現象が見えてしまう事がある。今のあいつにはそのゴーストが本物だと思い込んでしまっている」


「うるせー!」


 その怒鳴り声にあたりは一瞬静寂に包まれた。


「俺はここからおさらばするんだよ、この『緊急脱出ボタン』を押せば出られるってこの『クラッシュの神』様からメッセージが来たんだ! お前らには来なかったみたいだな、ざまあみろってんだ」


 ハッハッハ、その下品な笑い声のせいで、あたり一瞬にしてドブの中に潜ったような不愉快な空気で満たされた。


「ねえ、研一。もうあんなやつ放っておこうよ、このまま緊急脱出ボタン押せば、あいつ死んじゃうけど、それは自業自得よ。気にする事無いよ」

「それは違いますよ、ユキ。いけません」


 Jは真剣なまなざしでウルフを見ていた。

 雪は思わず、うさぎ耳をぴん、と鋭く立たせた。


「何? あんなやつにも愛情を持てってこと? 私たちの事つけまわして、大事なもの盗もうとしていたあんなやつのこと? あんなやつ死んでしまったっていいのよ!」


 雪のサイコメーターが真っ赤に膨れ上がり、拍動が速くなった。

 そんな雪に、Jは大きく首を横に振る。


「そうではありません。もしウルフが『緊急脱出ボタン』を押して死を早まったら、あなたたちも脱出出来なくなる」


 雪は入れていた握りこぶしの力が、ふっと抜けた。そして疑問の表情を浮かべる。


「えっ? どういうこと?」


 研一が思わずかぶりを振った。

「あぁ、あいつが死ぬのは勝手だ。だが、するとここの空間のTedが2になってしまう。そうなると脱出に必要な2.8Tedには足りなくなって、俺らも出られなくなる、だろ? J」


 Jは大きくうなずいた。


「はい、何とか止めてください。ウルフを冷静にさせなければ、取り返しのつかないことになります」


 研一は指で、ぽんぽんぽん、と素早いリズムで床を叩き始めた。苛立ちと困惑、それと焦り……様々な感情が混じり合いながら、脳の真髄を必死でフル回転させていた。


 あと少しだっていうのに、一体どうすれば?


 かすかに見え始めていた光り輝くクラッシュのゴール。今その幻影は少しずつ陰りを見せようとしていたのだった。


10:38:41

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