其ノ弐拾九 ~鬼狩ノ夜 其ノ四~
僕は感じる。
一歩一歩、ゆっくりと、だが確実に、鬼と成った琴音が僕を殺す為に迫って来ている。
「うっ……!!」
先程聞こえた琴音の声は、間違いなく生前の彼女の声だった。
目の前に居る琴音が発した声なのか、或いは鬼に捕らわれた彼女の心から発せられた想いなのかは、分からない。
だけど、これだけは分かる。目の前に居るのは、鬼と成った琴音。
だけど、彼女は僕に向かって叫んでいる……。
――助けて、いっちぃ……!!――
彼女は僕に、助けを求めている!!
「ぐ、あああああああ!!」
自分の発した獣のような叫び声で、喉が痛んだ。
痛む左足を無理やりに従わせ、僕は強引に身を前へと向かわせ、天庭を拾い上げる。
《!?》
目の前に居る赤い刀を持った琴音が、目に見えてだじろいだ。
左足を切り付けた以上、もう僕が立つ事は出来ないと思っていたのかも知れない。
「おおおッ!!」
青い光を纏った天庭を力の限りに振るう。
琴音にとっては恐らく、不意の一撃だったのだろう。これまでならば反撃を繰り出してきそうな攻撃だったが、彼女はそれを行おうとはしなかった。
反撃を繰り出さず、彼女は手にした刀で僕の持つ真剣を受けた。
《なっ……!?》
しかし、天庭を振る勢いは殺し切れなかったらしい。
僕が刀を振り抜いた途端、天庭に押し出される形で、琴音の身が後ろに引かれる。彼女の様子から、バランスを崩したらしい。
《まだ、こんな力を……!!》
忌々しげに発せられる、琴音の意思。彼女と僕の間に、数メートルの距離が開いていた。
「うぐっ!!」
僕の左足の傷が、鋭い痛みを放つ。
傷口から血液が流れ出ているのを感じた。もしかしたら、炎症を起こしているのかも知れない。
思わず左膝を床に付きそうになる、その瞬間に琴音の言葉が僕の頭を過った。
――お願いいっちぃ、この鬼を倒して!! 耐えられないの……私の負念が、沢山の人を傷つけてると思うと……!!――
「……!!」
琴音の声には、涙が混ざっていた。
そうだ……彼女が、琴音が感じた痛みはこんな物じゃ無かった筈だ。こんな足や腕の傷くらい、何だって言うんだ。
「ぐううう……!!」
痛がるのも、泣き言を言うのも全部後回しだ……涙声で僕に助けを求める、僕が初めて『好き』という想いを抱いた女の子。
今ここで彼女を助けられない事以上に怖い物なんて、あるものか……!!
「琴音……!!」
くず折れそうになる左足を支え、僕は思い出す。小学校の頃、僕が剣道を始めるきっかけになった出来事を。
そう、あれは僕が鵲村剣道場に入門する少し前の日。小学校の帰りに、僕は一学年上の男子生徒数人から虐められている同じクラスの女の子の友達を見かけた。
僕は直ぐに止めに入ったけど、当然ながら敵う筈が無かった。女の子を逃がすことも出来ず、僕はボコボコに殴られ、地面に伏され、背中や頭を踏みつけられた。
喧嘩に勝てなかった事が悔しかったんじゃない。
女の子を救う事も出来ない自分自身が情けなくて、みっともなくて……。
そんな弱くて非力な自分自身が嫌で、意気地無しを捨てたくて、僕は剣道を始めたんだ。
「絶対に、助けるから……!!」
僕は両手で天庭を握りしめる。
そうだ、ここで折れたら僕は――また、あの頃に逆戻りだ。弱くて非力で、意気地なしで情けなかったあの頃に……!!
しっかりしろ……もう、あの頃の僕じゃ無い筈だろ。
剣道の稽古に励んできた分、歳を重ねてきた分、ちゃんと強くなってる筈だろう……!!
ここで踏ん張れなかったら、僕は何のために……目の前で泣いている友達を助ける力を得たんだ!!
「はあ……はあ……!! はー……」
深呼吸で呼吸を整える、左足の痛みなど気にもならなかった。
心頭を滅却すれば火もまた涼し、いつか黛先生から聞いた言葉だ。気の持ち方に応じて、如何なる苦痛にも耐えることが出来ると言う意味である。
単なる迷信だと思ったけど、そうでもないのかも知れない。
《死ね!!》
琴音の形を持つ負念の塊が、僕に向かって攻撃を仕掛けてくる。
赤い刀のリーチに入るまでに要した時間は、ものの数秒。再び、赤い刀と天庭の打ち付け合いが始まる。
「っ!!」
精神を研ぎ澄ます。
琴音が振る刀の太刀筋を読み取り、受け止めた。すると琴音はすぐさま弾き、攻撃を仕掛けてくる。
スピードに加えて、まるで針の穴を通すように正確な攻撃――。
「ふっ!!」
だけど、僕には当たらない。
攻撃を受け続ければ手首への負担が大きいと思ったので、回避していた。僕は剣道で培った反射神経と、足さばきの『開き足』を駆使する。
“いい? 相手の攻撃を避ける時は、体一部だけじゃなくて体全体でよけるの。あと姿勢を常に整えておけば、スムーズに次の動作に移れるんだよ”
琴音から教えてもらった言葉が、頭に過る。
これを彼女から教えてもらったのは、何時の事だったのだろう。
《ぐっ……小賢しい!!》
琴音は再び、僕に向けて刀を振る。
けれど、姿勢を低めるだけで容易に避ける事が出来た。
今だ、琴音に隙が生まれた……!!
「だあああ!!」
青い光を纏った天庭を、僕は琴音に向けて振った。
《……!!》
寸前で琴音が気付き、身を引こうとする。
だが、避けられる距離じゃない……!!
一瞬の後――天庭が琴音の右腕をかすめ、青い火花が小さく瞬いた。青い火花、それは天庭の刃が琴音に……鬼に命中した証。僕はそれを知っていた。
《ぐっ……!!》
手傷を与えたが、深追いは危険だと判断した。
僕は数秒前まで立っていた場所とは逆の位置に立ち、天庭を構え直す。
「ふー……」
一息つくが、決して気を抜きはしない。一瞬でも気を緩めれば、そのまま死につながるかも知れないのだ。
《ぐう……う……》
僕に後ろ姿を向けたまま、琴音は右肩を押さえ、唸るような声を上げている。手傷を負わせた程度のつもりだったが、予想以上に効いたのかも知れない。
やがて琴音は僕を振り返り、僕に向けて意思を発する。
《殺すのか……私を、二度も……!!》
以前にも一度、同じような言葉を聞いた気がした。
そう、九月二十三日の出来事を見せられた時の事である。僕はあの時彼女に付け入られ、殺されそうになった。
「……騙そうとしたって無駄だ」
だけど僕の心は揺るがない。
何故なら僕は、さっき確かに琴音の心の叫びを聞いたから。
「琴音の本当の意思を、僕は確かに聞き届けた……!!」
天庭を握りしめる、すると琴音が僕を睨めつけた。冷酷で残忍な、恐ろしい瞳。
だけど僕は、決して言葉を止めない。
「だから……もう騙されない!!」
もう一度繰り返した、何度言ってやったっていいぐらいの気持ちだ。
《……後悔させてやる》
その琴音の言葉の直後だった。
琴音が持つ刀の赤い光が、比べ物にならない程に大きくなったのだ。
そして、赤い光がまるで竜巻のように渦を巻き――多くの人間の悲鳴のような、耳を塞ぎたくなる声が、そこから発せられる。
「っ!?」
何だこれ、一体……!?
僕が心に浮かべた問いに、天庭に宿っている少女が答えた。
《あれ……鬼が取りこんだ、なんにんもの人の負のきもちだよ……!! 刀にあつめて、力をぞうふくさせてる……!!》
僕は、琴音が持つ刀に視線を向ける。
数多の人々の負の気持ちが、僕の耳へ届いてくる。死んだ人々が遺した負の想い……こんなに禍々しい物だったなんて、気分が悪くなりそうだ……!!
「どうすればいい!?」
千芹に、僕はそう返した。
琴音が刀に集めている力、天庭に宿っている千芹の力、青い光ではまるで釣り合わないだろう。数多の亡者が織り成す負念の力、そんな物に相対する方法など、あるのだろうか……!?
《……いつき、りょうてで天庭を握って、つよく……!!》
「えっ?」
《はやく!!》
言われるがまま、僕は天庭を両手で強く握る。
禍々しい悲鳴を響かせる赤い光を纏った刀、それを持つ琴音は、何時斬りかかって来ても不思議では無い雰囲気だ。
次の瞬間だった。
《わたしに授けられた力を、この霊刀に……!!》
亡者達の叫び声で聞き取り辛かったが、千芹が何かを言ったのが分かった。
が、次の言葉は聞き取れた。
しかしながら、僕には理解出来ない言葉だったが。
《阿毘羅吽欠蘇婆訶!!》
変化は、劇的だった。
「!!」
天庭に纏っていた青い光が、一瞬にして大きくなったのだ。
まるで、琴音が持つ赤い光と同じように。けれど、彼女が持つ刀が纏った光と違って、そこに禍々しさは無い。宛ら、風が吹くかのような清涼感を漂わせる心地の良い、青色の大きな光だった。
琴音の赤い光とは、正しく真逆な雰囲気。
この光を何かに準えるなら、まるで人の情愛を感じさせるような……。
「これは……!?」
問いの答えは、返って来なかった。
代わりに千芹から贈られたのは、思いもしない言葉だった。
《……しんじてる》
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