其ノ参拾 ~鬼狩ノ夜 其ノ五~


「え……!?」


 千芹の言葉、僕はその意味が理解出来なかった。この状況での彼女の『信じている』という言葉……一体、どういう意味なのだろう……?

 けれど今は、その事を考えている状況では無かった。


《お前も……取り込んでやる……!!》


 禍々しく増大した赤い光を纏う刀を持つ琴音、呼吸している今この瞬間にも、斬りかかってきそうだ。

 きっと次で決まる、この勝負が決する……!!


「……!!」


 僕は何も言わずに、大きな青い光を纏う天庭を握り、構えた。彼女の様子から、琴音が次の一撃で勝負を付ける気なのが分かる。禍々しい雰囲気も、僕に向ける殺気も、これまでとは段違いだからだ。

 まるで、幾つもの眼球が僕を見つめているかのような――無数の殺意が、僕を包んでいるのが分かる。


「っ!!」


 だけど、屈する訳にはいかない。

 僕にだって、決して負けられない理由がある……二年前から背負ってきた物に決着を付ける為、悲劇の連鎖を断ち切る為……!!

 そして、何よりも――。






 ――いっちぃ――






 僕が作り出した罪を……償う為に。

 鬼と成った琴音と、僕。廃屋の仏間の畳を蹴り、相手に向かって走り寄ったのは、恐らく同時だった。


「っ!!」


 鬼と成った琴音が持つ、血のような赤い光を持つ刀。

 その光が、暗い仏間の中で尾を引くように彼女の刀へ纏っているのが見えた。僕が持つ天庭の青い光も、同じようになっているのだろうか。


《ああああああッ》


 琴音が僕に向かって、刀を振り上げる。

 読み取れる――この攻撃は、右から来る!!


「!!」


 右からの攻撃に備えようとした時、僕は思い出した。

 この状況……前にもどこかで……!?


 思い出すのに、さほどの時間は要しなかった。

 そう、中学二年の剣道大会の決勝、僕と琴音が対戦した時と、同じ状況なのだ。あの時、琴音は右から攻撃を仕掛けてくると僕は先読みしたが、僕が右からの攻撃に備えようとした瞬間――琴音は一瞬で攻撃を仕掛ける向きを変え、左から僕に竹刀を振ったのだ。

 右から来ると思い込んでいた僕に、防ぐ術は無かった。

 そう、その一撃が決定打となり、僕はあの決勝戦、琴音に敗北したのだ。


「くっ!!」


 右からの攻撃に備えようとした僕は、構えを取り直した。

 もしも、あの時と同じようにフェイント攻撃が来たら――防げない。今僕達が行っているのは、剣道の試合じゃない。真剣を使った、打ち合いなのだ。

 しかも僕は既に手傷を負っている、これ以上攻撃を受ければ、もうお終いだ。


 刻一刻と、琴音は僕との距離を詰める。

 鬼と成った琴音にも、生前の剣道の強さが健在なのだ。

 彼女が得意としていたフェイント戦法を繰り出してくる可能性など、十二分に考えられる……!!


《怖気づいたか……!?》


 生前の彼女との試合の時、僕は一度も琴音のフェイント攻撃を防げた事が無い。

 どうすればいい、どこから来る……!! どうすれば、防げる!?

 額から流れた汗が目に入り、ピリピリと痛む。だが、目を閉じる事は出来ない、瞬きすらも許されない。

 答えは出ない。最早、彼女がフェイント攻撃を仕掛けて来ない事を祈るしか……!!






 ――相手の動きに、囚われないで――






「!!」


 再び、頭の中に彼女の……生前の琴音の声が浮かんで来た。

 ……!! 僕は思い出した。


“フェイント攻撃は相手を騙すんじゃなくて、自分の動作で相手の心を囚わせる技なの。だから相手の動きに囚われさえしなければ、簡単に防げるんだよ”


 その言葉を思い出した瞬間、琴音が彼女の刀のリーチにまで接近し、斬りかかって来た。

 僕が思った通り、右から来ると思われた。

 もう一度右からの攻撃に備えようとする――が、数秒前の琴音の声を、僕は思い出す。


「っ!!」


 そうだ、相手の動きに囚われては駄目だ!!

 完全に右からの攻撃に備えようとした僕は一度手を止め、中立の構えを取る。右から来ても、左から来ても対応できる構えだ。


 数秒――やはり琴音は、フェイント攻撃を繰り出してきた。

 右から来ると思われた攻撃は素早い動作で、逆向きに切り換えられた。反対方向の、左から来たのだ。


《なっ……!?》


 驚くような声を、鬼と成った琴音は発した。

 きっと彼女は、僕がフェイント攻撃を読み取れるとは思っていなかったのだろう。彼女が左から振った剣を、僕は姿勢を低め、天庭の表面で擦るように受け流す。

 赤と青、それぞれの真剣に纏う二つの光が火花と変わり、仏間内に舞い散る。

 すれ違う形で、僕と琴音の立ち位置が入れ替わる――その時、僕は隙を見出した。琴音が僕の方へ向き直るまで、僅かなタイムラグがあったのだ。

 一瞬にも満たないかもしれない時間を、僕は見逃さない。


「だあああっ!!」


 バネにするような勢いで、僕は体を反転させる。その勢いを乗せたまま、僕は天庭の刀身を琴音の腹部に命中させた。


《ッ!!》


 これまでにも増した、巨大な青色の火花が散る。

 それと同時に、天庭を振り抜いた方向に琴音がはじけ飛ぶ。

 彼女の手から刀が離れ、その刀身から赤い光が消え去った。すると、琴音が手にしていた刀がまるで砂のようになり、サラサラと崩れ、形を失っていく。


《あ……ぐ……!!》


 琴音の体が黒霧となり、空気に溶けるように消滅していく。

 その様子を、僕は片手に天庭を握りつつ見つめていた。……終わったのか、これで。


《……さない、赦さない赦さない赦さない赦さない赦さない!!》


 僕は天庭を構え直した。その身が徐々に消えていく琴音が立ち上がり、僕に向かって走り寄って来るのだ。

 ぐっ……まだ、倒せていないのか!!

 琴音に迎撃しようとする――その時、天庭から大きな青い光が放たれた。


「!!」


 と同時に、僕の目の前に白和服を着た、幼い少女の後ろ姿が現れる。彼女の腰まで伸びた黒髪が揺れるのが見える。

 今までは天庭に宿っていた、千芹だった。


「もういいよ、いつき」


 僕に後ろ姿を向けたまま、彼女は袂から小刀を取出す。

 そして、例の意味不明な言葉の羅列を呟いた。あの、小刀に青い光を宿らせる時の言葉である。


《殺してやる殺してやる殺してやる!!》


 鬼と成った琴音は、自分が消えゆく間にも僕を殺そうとしているのだ。

 徐々に体が消えて行きつつも、琴音は僕に走り寄って来る。


「鬼は……闇に帰れ」


 千芹がそう一言、発した。

 彼女は青い光を纏った小刀を両手で握る。


《ああああああッ!!》


 耳を塞ぎたくなるような、琴音の叫び声。僕に対する憎しみや恨みが、ない交ぜになっているのかも知れなかった。

 僕と琴音の間に立つ千芹、彼女は小刀を振り上げた。彼女の後ろから、僕はそれを見ていた。

 そして、白和服少女は自らに向かって走り寄って来る、鬼と化した琴音に向かって――。


 青い光を纏った小刀を、斜めに振り下ろした。

 鮮やかな青い火花が散る、それと共に、


《ぐ……あ、あ……》


 琴音の体が完全に黒霧となり、まるで爆散するかのように、仏間内に弾け散る。


「!!」


 飛んでくる黒霧に、僕は反射的に腕で顔を覆った。恐る恐る腕を避け、状況を確認する。


「……!!」


 僕の目に映ったのは、静けさに包まれた仏間と、目の前に立つ白和服少女の後ろ姿。

 黒霧に包まれた、鬼と成った琴音の姿は、影も形も無かった。

 千芹が振り向き、僕の顔を見上げた。彼女は小刀を袂に仕舞いつつ、僕に告げる。


「おわったんだよ、鬼はもう……」


 その言葉を聞いた瞬間、


「っ……!!」


 急に、傷つけられた左足の痛みがぶり返し、僕を襲った。耐えられずに、僕は仏間に膝を付く。

 すると、今度は急に意識が遠のき始めてきて――。


「う……」


 左足と右腕から、結構な血が出ている事に気が付いた。

 戦っている間は気付かなかったけど、こんなに出血していたなんて……ぐらりと視界が回転し、僕は仏間に倒れ込んだ。

 遠のく意識。程なくして、僕の視界は闇に支配される。

 多量の出血の所為で、意識を失いかけているんだと思う。


「おつかれ様……いつき」


 意識を失う直前、僕は白和服少女の言葉を聞いた気がした。

 そして、頬に温もりを感じた。とても小さな、人の手の感触である。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る