其ノ弐拾八 ~鬼狩ノ夜 其ノ参~


 琴音と如何なる手段で渡り合うか、考えていた僕。けれどその思考は、一時中断せざるを得なくなった。

 赤い光を纏った刀を片手に持つ、黒霧を纏った琴音――彼女が仕掛けて来たから。


「っ!!」


 琴音が振った刀を、僕は天庭で受ける。

 戦いが始まってからもう数分は経っている筈だった。なのに琴音の攻撃力も、一閃の俊敏性も、正確さも……まるで落ちていない。生前の琴音のスタミナを受け継いでいるのか、或いは鬼に成った所為で疲れなど感じなくなったのかは分からない。


「ぐっ!!」


 考えている余裕は、無かった。

 戦闘開始から衰えを見せない琴音の攻撃、少しでも気を抜けば、赤い刀の餌食になる。右から仕掛けて来る……数秒後、琴音は予想通り、僕に向かって右から刀を振って来た。

 読み取れた事で、防ぐ事は出来た。

 けれど、手首にかかる衝撃がこれまでにも増して重く感じた。


「うぐっ……!!」


 刀を受ける際は直接の傷は受けなくとも、手首への負担が大きかった。

 真剣を使い馴れている人ならばこんな事は無いのだろうが、僕が真剣を持ったのはこれが初めてだ。長引かせたら、スタミナ切れを起こすかもしれないし、手首への負担が限界に達してしまうかもしれない……。

 急いで、勝負を決めなければ……!!


 その焦燥感が、致命的な判断ミスを招いた。


「しまっ……!!」


 左から斬りかかってくると思ったその瞬間――琴音は一瞬で切り掛かる向きを切り換え、右からの攻撃に変更したのだ。

 ――フェイント技。

 そう、生前の琴音が剣道の武器としていた、彼女が最も得意とする――相手に攻撃の手順を誤解させ、その裏を突く戦法。

 中学夏の剣道大会決勝で僕と琴音が戦った時、僕が生前の琴音に負ける敗因となった技だ。焦燥感で冷静さを欠きつつあった僕は、琴音の繰り出したその攻撃を防ぐ事が出来なかった。


「がっ!! ……あああああああ!!」


 制服が裂かれる乾いた音、同時に左肩に激痛を感じた。

 体験した事の無い凄まじい痛みに、無意識に僕は叫び声を発していた。仏間に僕の声が反響し、僕の耳に戻って来る。

 理解するのにさほどの時間は要しなかった。琴音の一閃で、僕は左肩を切り付けられたのだ。

 痛みの程度から、中々深くまで傷が入ったのだろう。


「ぐ……!!」


 右手で切り付けられた左肩に手を当てたくなった。

 けれどそれを行うには、右手に持っている天庭を離さなければならない。

 この状況で、例え一瞬と言えども天庭を手放すのは――自殺行為に他ならなかった。


《苦しめ……もっと苦しめ……!!》


 頭に浮かんでくる、まるで嘲笑するかのような琴音の言葉。

 僕が知っている優しかった琴音からは、想像もつかないような残酷さ、残忍さが垣間見えた。


《存分に苦しませて……存分に嬲ってから、殺してやる!!》


 肩の痛みに悶えている余裕は無かった。

 琴音が再び、僕に向かって襲いかかって来たのだ。


「くっ……!!」


 片手で真剣を扱う力は、僕には無い。

 左肩の痛みを強引に押さえつけ――僕は天庭を持ち上げる。

 左腕にまるで水が滴るような感覚を覚えた、傷口から流れ出た血液だろう。


「あああっ!!」


 琴音との斬り合いになる。

 しかし、今度は呆気なく勝負が付いた。左肩を斬られた僕は、天庭を使いこなす事など到底叶わなかったのだ。


「ぐあっ……!!」


 次に斬られたのは、右腕と左足。

 天庭を使いこなし切れない僕に、琴音の攻撃を防ぐ術は無いに等しかった。

 一旦、僕は琴音の刀の射程から逃れ、後方へ飛び退る。その瞬間、切り付けられた左足が痛みを放ち、僕は仏間に膝を付いた。


「痛っ……」


 琴音は追撃を繰り出しては来なかった。

 傷口から滴る僕の血液が、仏間の床に零れ落ちる。急所は外されていた、しかしそれは情けの気持ちからでは無いだろう。

 長時間に渡って僕を苦しめ、痛みを味わわせ、嬲る為に、琴音は敢えて急所を外しているに違いない。


《いつき……!!》


 天庭に宿っている千芹の声が、頭の中に聴こえる。


《諦めろ……お前は私に勝つことは出来ない……!!》


 今度は、鬼と成った琴音の声。

 僕は何も言い返す事が出来なかった。彼女が言っている事は、間違っていなかったからだ。


「ぐ……!!」


 生前の琴音に一度も勝てたことが無い、その僕が鬼と成った琴音を止める事など、やはり無理なのか。

 悔しさと無力感が、まるで傷口から流れ出る血液のように溢れ出てくる。


「……かも知れないな」


 けれど、その事実を僕はただ受け止めるしかなかった。


《生きていた時も、一度も……私に勝てた事が無かっただろう》


 彼女の言う通りだった。

 両腕と左足に切り込みを入れられ、僕はもう万全の状態で戦う事が出来ない。

 やはり、無理なのか。生身の人間である僕の力ではやはり、鬼と成った琴音を止める事は出来ないのか……。


「くそっ……!!」


 心の中が真っ暗になるように感じた。

 僕が鬼にさせてしまった、大好きだった琴音。その罪を償う所か、彼女を暗い場所から引きずり出す事すら出来ない僕。

 悔しくて悲しくて、自責の気持ちが込み上げてくる。右手に握った天庭で、自身の心臓を突き刺したくなった。


《もう黙って……殺されろ》


 鬼と成った琴音が、刀に纏った赤い光を増幅させつつ僕に歩み寄って来る。

 左足を傷つけられた僕は、満足に立ち上がる事も出来なかった。立ち上がろうとした瞬間に左足に痛みが走り、僕は仏間に尻餅を付く形で崩れ落ちる。


「がっ!!」


 天庭が僕の手から滑り落ち、仏間の床に落ちる。

 重々しい金属音が響き渡った。


《いつき!!》


 直ぐに天庭を拾おうとするが、途端に左足に痛みが走る。


「ぐっ……!!」


 仏間に落ちた天庭に、手が届かない。

 左足の痛みに阻まれて、近寄る事も出来ない――。

 赤い刀を片手に近付いてくる琴音を前に、僕は成す術が無かった。


「ごめん……僕にはやっぱり、出来なかった……!!」


 その言葉、僕は千芹に対して言った。

 彼女はこれまで何度も僕を救ってくれ、僕に協力してくれた子。その恩に報いる事が出来なかったからか、僕は自然に彼女に対する謝罪の言葉を紡いでいたのだ。


《……》


 天庭に宿っている彼女からは、何も返事は無い。

 琴音は僕に一歩、また一歩と歩み寄り、ゆっくりと、でも確実に近づいて来る。左足を負傷したせいで逃げる事も、天庭を拾い上げる事も出来なかった。

 終わりなのか……ここで……!!


 その時だった。

 一瞬だけ僕の視界が白く染まり、その声が、頭の中に。






 ――助けて――





「!?」


 頭の中に浮かんだ、少女の声。

 鬼と成った琴音が放つ、怒りの込められた声では無い。さらに、千芹の可憐な声とも違った。

 でもこの声……まさか……!?






 ――苦しいの……助けて……!!――






 僕に語りかける『誰か』。その声は懐かしくて、何処か暖かくて……。

 はっ……!?

 僕が抱いたその予感は、その少女が次に放った言葉で、確信に変わった。






 ――私を鬼から救い出して……お願い、いっちぃ……!!――






「!!」


 やっぱりそうだった、この声の主は、やはり――。

 赤い光を纏った刀を片手に持つ鬼が歩み寄る最中、僕はその名前を呟く。

 忘れもしない、その少女の名前を。


「琴音……!?」





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