其ノ弐拾七 ~鬼狩ノ夜 其ノ弐~


 天庭の柄をしっかりと握りしめる。握り慣れない真剣の感触、金属の刃の重みが僕の手首に伝わって来た。

 今から始まるのは単なる試合ではなく、負ければ命を失う戦いだ。

 仕掛けて来る……琴音が、僕を殺す為に……!!


《ああああああッ!!》


 まるで狂気を表に出すような声と共に、琴音は僕に向かって距離を詰める。

 瞬きする余裕も無く、僕に向けて赤い光を纏った刀が振り下ろされた。


「!!」


 赤い光を纏う刀の太刀筋を読み取った僕は、すぐさま受け止める。

 剣道を辞めて二年が経っていたけれど、癇は死んでいなかったらしく、琴音の刀の太刀筋を読み取る事が出来た。

 青い光を持つ僕の天庭と、琴音が持つ赤い光を持つ刀。二つの武器がぶつかりあった瞬間、大きな金属音が僕の鼓膜を揺らす。


「ぐっ……!!」


 手首に伝わってくる衝撃に、思わず表情をしかめる。

 改めて実感出来た。これは、僕が琴音と幾度もしてきた生易しい剣道の稽古とは全く違うのだと。

 真剣を使った、一対一の打ち合い。これは殺すか殺されるか、『命のやり取り』なんだ。


《殺してやる……!!》


 間近に迫って初めて、僕は琴音が抱く負の感情を感じ取れた。

 身震いしてしまいそうな程の怒り、憎しみ、殺意……それも、琴音一人の物じゃない。


「おおおっ!!」


 赤い刀を弾き、僕は天庭を振りかざして琴音へと切り込む。すると琴音は俊敏な動きで、僕の攻撃を全て防ぎ、弾いてしまう。

 洗練し尽された、一切の無駄を欠いた動きだった。鬼に成ってからも、生前の彼女の剣道の強さは失われていないのだろう。

 生前の琴音に、僕は一度も剣道で勝てた事が無い。

 このままでは勝ち目は薄い……。


《あああッ!!》


 だけど、ここで退く訳には行かない……!! ここで退いてしまえば、僕は自分の罪を償えなくなる、一生後悔を抱えて生きる事になる……!!

 僕は天庭で、思い切り琴音の赤い刀を押し出した。

 互いの剣が触れ合う瞬間、二色の光が仏間内に瞬く。黒霧を纏う彼女は後退し、僕達の間に数メートルの距離が生まれる。


「はー……」


 深呼吸して、僕は天庭を構え直す。何時か黛先生から習った、剣道の構え。

 すると目の前に居る琴音が発した意思が、頭に浮かんだ。


《まさか……私を消し去れば、自分の罪が消えるとでも思っているのか?》


「何……?」


 動揺を表情に出さないように心掛けたが、自信は無かった。


《誰が私を死に追いやった? 汚い言葉で、私を絶望に陥れたのは誰だ? 忘れたとは言わせない……!!》


 言葉という見えない刃物で、胸を突き刺されていくような気持ちだった。

 そう、全ての原因を作り出したのは――他の誰でも無い、僕。


「……僕の罪が消えるなんて思ってない」


 無意識に、自分の声が荒々しく震えている事に気付いた。

 これまでの十五年間の人生で、こんな声を出したのはきっと初めてだろう。


「琴音……君を傷つけた罪を、僕は一生背負っていくつもりなんだ。だけど、君はもう鬼、琴音じゃない。だから命に代えてでも、僕は君を止める……!!」


 ……どの口がそんな事を言うんだ。

 琴音の人生も優しさも……何もかもぶち壊しにした癖に、そんな理屈で片付けるつもりなのか? 自分自身の愚かさに、こんな詭弁しか吐けない自分自身の情けなさに、反吐が出そうになった。

 けれど、何もかもが僕の所為だとしても……全てを背負う以外に、僕に道は残されていない。この二年間ずっと背負い続けてきた物と決着を付けるのは、今この時しか無いんだ。


《上辺だけの言葉で、私を惑わせようとでも考えているのか……?》


「上辺だけの言葉なんかじゃない!!」


 自分でも驚くほどの張り上がった声が出た。

 汗ばんだ手で天庭を固く握る僕は、何時かの琴音からの言葉を思い出す。


“聞いていっちぃ、これから『剣道家の心得』教えてあげるから”


 琴音がその後に続けた言葉を、僕は声に出して発する。


「剣道家たる者、如何なる時も……半端な気持ちで戦いに赴くべからず……!!」


 これが、琴音が僕に教えてくれた剣道家の心得だった。

 以来僕はこの心得を刻み付け、どんな稽古や試合の時にも全力を捧げて来たんだ。

 天庭をぐっと握り締め、


「君が僕に教えてくれた事だろ、琴音……!!」


《……知らない》


 琴音が返したのは、たった四文字なのに素っ気なくて冷酷で、僕の言葉などゴミのように切り捨ててしまうような意思が感じられた。


《お前との事など、もう私の記憶には無い……!!》


 瞬間、琴音の体から瞬いていた黒い霧が大きくなり、悍ましさが目に見えて増す。

 何だこの感じ……!? すごく伝わってくる……!! 離れた場所に居ても感じる、琴音が僕に向ける負の感情を……!!


《私がお前に対して覚えているのは、お前に対する負の想いだけだ……!!》


 黒霧がまるで風のように吹き、鬼と成った琴音の髪や服を靡かせる。

 その姿は不気味で悍ましく醜悪で、正しく怪物だった。


《赦さない赦さない赦さない!! 殺してやる……殺してやる!!》


 琴音が持つ刀の赤い光が大きくなった。

 もしかしたら、彼女が僕に対して向けている負の感情と連動しているのかも知れない。


「琴音……!!」


 もう何も、出来る事は無かった。

 僕に出来るただ一つの事――それは、負念の塊と化した琴音を葬る事だけだ。


《死ね!!》


 再び琴音が仕掛けてくる――。

 先程より俊敏さも、一撃の攻撃力も増していた。


「っ!!」


 横からと思えば、今度は上から、上からと思えば、今度は別の方向から繰り出される琴音の攻撃。

 赤い刀の太刀筋は素早いながらも正確で、隙を見せれば僕を両断しそうだ……!!


「だあっ!!」


 琴音の赤い刀を防ぎ、青い光を纏った天庭で反撃を繰り出す。だが、当たらない。

 彼女が姿勢を少し低めるだけで、僕が振る天庭は目標を失い、空を裂く。


「おおおっ!!」


《やああッ!!》


 僕と琴音の掛け声が重なる。

 二人同時に刀を振り、赤と青の光が僕と琴音の眼前で真正面から激突する。


「ぐ……!!」


 天庭を握る手に力を込める。

 二つの刀の刃が擦れ合い、ギシギシと音を立てていた。


「……!!」


 琴音の瞳が、間近で僕を見つめた。

 憎しみや殺意に満ちた、生前とは似ても似つかない冷酷な瞳。真っ黒な霧にその身を包み、血のような赤い光を纏う刀を持つ琴音。

 彼女をこんな姿にしたのは――僕。


「っ!!」


 自責の念に取り込まれそうになったのを、僕は必死に振り払った。

 そうだ、今はそんな事を考えている時じゃない……!!

 次の瞬間、琴音が僕に向けて何度も一閃を繰り出す。彼女が繰り出したのは動きを小さくし、スピードを高めた攻撃だった。


「ぐ……っ!!」


 天庭でどうにか防ぎ続ける。

 少しでも気を抜けば、手が汗ばんで天庭が滑り落ちそうだ……!!


「うあっ!!」


 琴音が繰り出した突き、僕は防いだがバランスを崩した。

 後方によろけた僕の背中に、壁がぶつかる。

 いや、それは壁じゃなくて襖だった。いつのまにか、仏間の端まで追い詰められていたんだ。


《あああああッ!!》


 逃げ場を失った僕に向けて、赤い光と共に刀が振られる。

 喰らったら終わりだ、反射的に頭を下げる――数秒前まで僕の頭があった場所を刀が通過したのを、気配で感じた。

 僕の頭の代わりに後ろの襖が切断され、台形の形に両断された二枚の襖が仏間の床に落ちる。


「!!」


 続けざまに琴音が、僕に向けて刀を突き刺そうとする。

 姿勢を立て直す余裕など残されていなかったので、低めた姿勢のままで琴音の横へ飛び出した。

 ドスッと言う、まるで木に斧を突き立てるような音が僕の後方から発せられる。

 琴音が、床の畳に刀を突き刺したのだろう。


「ぐっ!!」


 姿勢を低めたままではまともに戦えず、琴音の刀の餌食になってしまう!!

 僕は一旦琴音の刀が届かない範囲まで離れ、距離を取る。

 そして立ち上がって姿勢を直し、琴音の後ろ姿に向かって天庭を構え直した。


《…………》


 畳に突き刺さった刀を引き抜くと、琴音はゆっくりと僕を振り返る。

 彼女の前髪が黒霧と共に翻り、憎しみと殺意に満ちた彼女の瞳が、再び僕を捉えた。


「はあ、はあ……」


 気付いた時、僕は自分が息を切らしている事に気付いた。

 戦いに気が傾いていて、疲れを感じる間も無かったのだろう。

 竹刀を用いた剣道の試合では無く、真剣を用いた本物の殺し合い――集中力の消費量は、段違いだった。


 青い光を纏う刀を握り直す。

 どう戦えばいい? 彼女が存命だった頃、僕は剣道の試合で一度も琴音に勝てた事が無い。真正面から戦っても、勝ち目は無いのかも知れない。

 一体、どう戦えば……。





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