変わりゆくもの
第16話
県庁所在地の市にある、一際大きなビル。15階建てで多くの会社のオフィスが入っている。そのビルの影に隠れている細い裏通りを挟んで向かいに、5階建ての建物がある。
「松山ビル…か。合っているな。ここの3階…か」
糸島は地図アプリと睨めっこしながら場所を確認している。フリーで活動している糸島にとって、チャンスをくれる会社は貴重である。糸島の将来を変える日になるかもしれない。
糸島はフリーランスとしては、3年目であるが、依頼が来た会社はまだ3社目。まだ初日の顔合わせは慣れない。
「ふぅ。よし、やらないと」
心臓がばくばくとなる。体は震えている。武者震いだ、と言い訳させてほしい。
「ん?何しているんですか??入らないんですか?」
ふー、と息を吐きながら胸に手を当てて糸島が自分を落ち着けていると、横から声をかけられた。「あ、いえ、どぅ、どうも」
しまった。どもってしまった。糸島の顔が赤くなる。頭から冷たい汗が出てくる。
「あー、緊張しなくていいですよ。いきなり声をかけてすみませんね」
右手を頭の後ろにあて、申し訳なさそうな顔をしている男性。身長はだいたい180cmはあるだろうか。体自体は中肉中背。肩幅は広く、存在感がある。
「あ、いえ」
「えっと、貴方もここの3階に?」
「そうですね、今日から仕事で」
「そうなんですか、僕もそこにいくのですよ。行きましょうか」
とりあえず、この男についていこう。利用できるものは利用する、それが糸島の考え方。今作った行動指針である。言い訳じゃないぞ、人間関係をうまく作れないだけだぞ。なんか1人で言い訳いていると悲しくなってきた。
自動ドアが開き、男に続いて中に入っていく。糸島は建物内をキョロキョロと見回す。清掃はキチンとしてあり、床は綺麗だ。古い印象は受けるが、決して汚い、というわけではない。
「僕も案内できるほど来ていないんだよ。僕自身ここには3回目、いや4回目かな」
「はぁ」
「あぁ、自己紹介がまだだったね。僕の名前は岩国。シナリオライターだよ」
そう言って、岩国はエレベーターのボタンを押す。
「あ、あぁ、自分は」
「エンジン組む手伝いしてくれる人だよね。今日から来るって聞いてたし」
エレベーターが1階に到着した。エレベーターに入り、岩国が3階のボタンを押す。扉が閉まり、動き出す。
「はい。糸島といいます」
「糸島くん、ね。了解」
岩国は糸島の方に顔を向けずに返答した。
無礼というか、変というのか、岩国に対して糸島はいい感情を持たなかった。この人と仕事しないといけないのか。仕事上であるので文句は言わないが…。
エレベーターのドアが開き、3階に着いたことを伝える音がなる。岩国は糸島に構わず先に歩き出した。糸島も追っていく。
オフィスのドアが見えてきた。会社名は「LOGRY」という。最近になって、オンラインゲーム市場に出てきた会社である、と糸島は認識している。
ドアを岩国が開け、中に入っていく。
「お疲れ様でーす」
挨拶がチャラいな。糸島は心の中でツッコんだ。チャラいならチャラい格好をしてほしい。普通に20代後半のリーマンの休日、というような格好をしている。髪も染めていない。第一印象からは想像できない。これがギャップというのだろうか。
「あ、岩国くん来たね。そちらは…?」
「あ、えt」
「あぁ、彼が今日からエンジンの手伝いをする糸島くんですよ」
糸島が自分で自己紹介をしようとしているのを遮り、岩国が話した。
「お、君が糸島くん?よろしくね」
回転椅子を少し回し、中途半端にこちらを向いている男性が対応している。目線は言葉の後に糸島の方に向けられた。
「いきなりで申し訳ない、奥の少し周りを囲ってるところに行っていてくれる?岩国くん、案内よ…はい!こちらLOGRYのー」
電話対応が始まった。
「さ、行こうか」
糸島の方を振り向き、そう言うと岩国はオフィスの奥に向かった。
「お待たせしたね、俺がプロジェクトリーダーの長府です。糸島くん、よろしく」
長府と名乗る男が手を差し出してきた。握手だろう。
長府はボサボサの頭、175cmぐらいの身長。横に広い体型の人物である。
「どうも、よろしくお願いします」
糸島は頭を下げながら握手する。握手は一瞬で終わる。
「で、糸島くんは日中は別の仕事があるから顔を出せない、ということだったね。オーケーだよ。進捗状況をメールで送ってくれるのと、毎週土曜日15時からある定例会にできるだけ出てきてくれれば」
糸島は素性を基本的には明かさない。向こうもフリーを使う以上、こちらの素性を明かそうとしない。暗黙のルールである。
「大丈夫です」
日曜日…か。休みは無くなるな。
「まぁ、そういう条件の上だったしね。それに基本的にはこちらから指示を出し、それを行ってもらうこと、あとはゲームのバグ対応がメインだから、糸島くんが1番忙しくなるのは冬超えてからだと思っていて」
「は、はい」
まるで一方的なマシンガントークだ。
「それで、岩国くん、一昨日頼んだプロットの訂正は終わっている?」
岩国は少し俯き、先ほどまでより暗い声で
「一応…終わっています…」
と答えた。表情は確かに少し暗くなり、申し訳なさが態度から滲み出ている。しかし、どこか違和感がある。そう糸島は感じた。
「そうか、確認させてもらうよ。…自信ないのかい?」
長府は少し心配の色を顔に出し、そう岩国に問いた。岩国は先程と同じ姿勢のままいる。
「ええ、あまり時間がなかったもので…」
「そうか、でも仕事の話だ。訂正するところは訂正させていただくよ。メールで添削結果を添付して送るよ。大丈夫かい?」
岩国の瞳孔が少し開いた、そう糸島には感じた。意図した通りに事が運んだといったところだろうか。
「お疲れさま、糸島くん」
ビルの1階の自動ドアを出て、岩国はそういった。表情が先程までと打って変わって明るい。やはり先程までの表情や雰囲気は演技だったようだ。
「いえ、岩国さんもお疲れ様です」
このタイプは、人を操ろうとするタイプだ。自分の掌の中で人を転がし、用済みになれば捨てる。近づかないのが吉だろう。
「では、自分はこkー」
「時間、ないかな?糸島くん」
来た。岩国は少し微笑んでいる。しかし、目が笑っていない。正確にはそのように糸島が感じているだけであるが。
「少し話をしない?コーヒーでも紅茶でも奢るからさ」
これは断った方がいい。そのように糸島の頭の中でサイレンが鳴っている。しかし、理性では相手は仕事仲間ではあるので、手の内を隠し、相手のことを少しでもしれば、今後岩国相手に動きやすくなる。
「んー、悩むことかなぁ。仕方ない。使いたくなかったのだがね」
頭をかきながら岩国は少し面倒くさそうな顔をした。まだ、場所はビルの前。全く動いていない。
とりあえず動きべきだ。話すにしても、逃げるにしても。
「とりあえず、ここから離れませんか」
そういって、岩国の顔を、目を見た。
「ーっ」
岩国の目は獲物を狩る肉食獣のように鋭くなっている。声にならない悲鳴が出る。やはり危険だ。仕事相手の前に、他人なのだ。逃げないと。
「糸島くん、高校生でしょ?」
岩国から放たれた言葉は先程まで逃げようと考えていた糸島の足を止めるには十分であった。
「…どうしてそう思うのですか?」
なるべく表情を崩さず、動揺を隠し、糸島は答える。
「…身振りとか、慣れていないとか、色々あるんだけどさ」
子供に諭すように、岩国は糸島に言う。
「まぁ、情報を仕入れただけだよ。当たっているでしょ」
「その情報、ちなみにどうしたいんですか?」
「ん?言うこと聞かなかったら公開する。高校の方にもね。糸島くんの高校って日国でしょ?」
そこまで情報が入っているのか、糸島は驚愕した。この男に逆らうと、今の仕事が消える、ということ、また、基本的には禁止されているアルバイトをしているということが高校にバレると休学、最悪退学もあり得る。糸島は仕事のことを学校に話していなかった。手続きが必要で、さらに校長先生の許可証、担任の許可証と労働時間などの書類が必要である、と聞いたことがある。糸島は面倒臭さがって学校に何も話していない。
「最悪退学なんじゃない?日国って不祥事に厳しいから」
確かに、4年前に陸上部に体罰があったと、マスコミがリークし発表したことがあった。その際、顧問とコーチを解雇し、陸上部には1年の活動停止があった、と聞いたことがある。
「よく知ってますね」
「まぁね。で、行くでしょ?糸島くん。俺とデート」
これは断る、という選択肢はなさそうだ。
駅から30秒。そういう謳い文句で客を引く珈琲屋にやってきた。岩国が頼んだのはアメリカンコーヒー。薄いのが好きなんだろうか。
お互いに会計を済ませ、店の1番奥の席に座る。
「で、話ってなんですか」
「そう敵意剥き出しにしないでもらいたいなぁ、糸島くん」
落ち着いて、と岩国がジェスチャーをする。岩国はこのような場面に手慣れている、そう糸島は感じた。
「でも、お互いに話すことなんてないでしょう。会ったばかりですし」
1人は相手のことを全く知らず、1人は相手の情報を仕入れている。その違いがありこそすれ、2人は今日が初対面なのだ。
「僕にはあるんですよね、それが」
出してきたのは1枚の写真。そこにはある人物が映っている。
「この建造物、わかっているよね、糸島くん。さすがに童貞でも、高校生でも聞いたことはある建物だ」
「…」
この男は何を糸島にさせようというのか。
一介の高校生。プログラムを少し周りよりくむのが上手いだけの高校生。
「まず、この案件について君に調べて欲しい。糸島くん」
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