第14話
廊下では監督と城野が話をしているのが、少し離れたところからでもわかる。ここは体育館内にある休憩スペースだ。机があり、自動販売機が並んでいる。自動販売機は温泉にあるようなもの。
「どうしたんですかね?ロッカールームで話せばいいのに」
博多は頭に浮かんだ純粋な疑問を口に出していた。その言葉を聞いた中道はくっ、と声を漏らした。
「何もわかってねぇな、博多ちゃんよぉ」
博多は首を捻る。わざわざ離れて話す、ということはつまり…。
「つまり、俺らに聞かれたくない話でもしてるってことっすかねぇ」
「…まぁ、聞き耳立ててみな」
問いの回答をくれない中道を細めで一度見てから、博多は目を閉じ、聞き耳を立てた。
「ーこの試合、前半は中道と博多で何とか持った」
「そうですね、でも2人ともうちには勝つために必要なスコアラーです。2人、もしくはどちらか片方でもフリーにしてどうにか八代を止めないとー」
「聞こえたか?つまり、監督にとって、いや、チームにとって勝つためにはお前は必要なんだよ。前半終了して、下げられたとしても士気下げんなよ」
中道が博多の肩に右手をのせる。
「後半、必ずまた俺らにチャンスが回ってくる。それもチームが勝つか負けるかの大一番で、だ」
博多は頷く。
「だからこそ、その時までヤル気という刃を研ぎ澄ませて、隠しておけ。俺もそうする」
そうだ。
下げられて悔しくない人なんていない。今のお前は能力が足りない、だから交代しろ、といっているようなものだ。ましてや、疲労回復以外のためにベンチに下げられたらなおさらである。
よく中道の顔を見ると、顔の右側が強張っている。それは奥歯を噛み締めているのだ。中道も悔しい。しかし、自分の役割を理解しているからこそ、同じ立場にある後輩を導き、チームのために悔しさを耐えている。
そうだった。個人の感情も必要である。それは今後の個人のレベルアップに必要なもの。悔しくて、2度と同じような体験を、感情を抱きたくなくて練習する。
しかし、今は試合中。ならば優先すべきは個人の感情ではなく、チームの勝利である。では自分は何をすべきなのだろうか。正解は、自分の役割を全うする、ただそれだけ。
第3クォーターが始まった。
直方と土井のディフェンス能力はチーム1、2を争う。その2人につかれた相手6番八代には出番はおろか、ボールが回ってこない。しかし、八代1人を2人で無効化しているため、3人を除けば3人対4人の状況である。加えて北紫西は八代のワンマンチームではない。他の選手の能力もかなり高い。つまり、数でハンデを負っている日国大付属にとってこの状況は苦しい。追いつくためには八代が何かしらの理由でベンチに下がるか、全力プレイできない状況になるか、もしくは八代に1人で対抗できる選手が出るか、である。しかし、前半で調子、状態がよく、のっている状態であればチーム1、2を争う戦力であった中道でさえ、1人では八代と互角の勝負をすることができなかった。
点数差は広がっていく。前半戦終了時には8点であった差は第3クォーター終了間近の今は12点差に広がっている。
「さすが北紫西だな。全然差が縮まらね」
さきほど、中道と交代したばかりで頭皮という頭皮の穴から汗を吹き出している枝光がボソッと呟いたのが聞こえた。枝光は器用な選手である。弱点がない。しかし、器用貧乏。突出した部分もない。
「じゃあ、このまま負けすんすか」
つい、博多は叫んでしまった。
「悔しくないんすか、勝ちを諦めたんですか」
やめろ、かっこ悪い。みんなこっち見ているのがわかる。こちらを見ている観客が指差して笑っているのもみえる。
でも止まらない。
「勝ちたいさ、でもじゃあどうしろっていうんだ。八代は1人では止められない。点数差は縮まらない。この状況で何をしろってんだ」
枝光も大きな声を出していた。お互い椅子から立ち上がり、まるで喧嘩する前のようである。
ピリピリとした空気がベンチに流れている。監督はゆっくりと立ち上がり、枝光と博多の前に歩いてきた。
「2人とも座れ」
地響きがなるような低い声で命令してくる。
「「はい…」」
しぶしぶ2人とも座った。そして俯く。
監督はそれを見て少しその場で何か考えているかのように遠い目をした。とすぐに頷いた。誰に向けているわけでもない。自身の考えに対し、脳内会議で可決されたかのような、そんな動作に見えた。
監督は自身の椅子に戻る前に、博多の肩を叩いた。そして小さな声で
「こい」
と博多の耳に聞こえるように言った。博多はビクッとする。怒られるのかもしれない。上級生に対して、しかも試合中に反抗してしまった。生意気と思われたかもしれない。博多の顔色は少し白くなっていた。
監督の隣の席にきた。「はい」とついたことを連絡する。
「博多、さっき、面白いこといってたな、お前」
口論中に言った言葉のことだろうか。やはり、声にせず、心の中で叫んでいればよかった、と博多は反省する。
「すみません」
とりあえず謝っておく。こういうときには謝っておくのが1番相手の怒る気を削ぐものだ、と博多は今までの部活や学校生活で学習していた。
「?すいません?違う。怒るために呼んだんじゃないぞ、博多」
監督の目を見る。真剣ではあるが、そこに怒気は含んでいないように博多には見えた。
では何のために呼んだのだろう。博多は純粋に疑問だった。
「チームは見たとおり劣勢。今のままでは、つまり、八代をどうにかしない限りはうちに勝ち目はない、と俺は考えている。おそらくこの場を見ている、少しでもバスケを知っている人から見ればみんな同じ感想を持つだろうな」
そうだろう。そろそろ第3クォーターが終わるが、直方と土井は疲労しているのがベンチにいてもわかる。2人とも時より肩で息をしている。2人の動きは悪くなったせいか、それまで回ってこなかった八代へのパスは少しずつ増え、1対2の状況でも少しずつ得点を許している。
もう限界だ。八代を止めることができていてこの得点差であったのに、八代が攻撃に参加し始めれば得点差はさらに大きく開くことだろう。
「でも、お前は、博多は諦めてないんだな?まだ勝てるんだな?」
監督から発せられたこの言葉は、博多を試しているような印象を受けた。そして思い出す。
ー後半、必ずまた俺らにチャンスが回ってくる。それもチームが勝つか負けるかの大一番で、だー
ーチームにとって勝つためにはお前は必要なんだよー
「はい、やってみせます」
小さな声で、しかしはっきりと語気を強めて博多はそう答えた。
ブザーがなる。第3クォーターが終わった合図。あと10分でインターハイ出場チームが決まる、ということも意味する。点数差は18点。68対50。つまり第3クォーターだけで10点も離されたことを意味する。
「これで最後の10分だ。点差は18点」
そう監督は言うと、メンバー全員が下を向いた。城野からは「くっ」という声、筑後からは「はぁ」という声が聞こえる。
「確かに、劣勢だ。しかし、前半、後半とずっとフルで出場していた、さらには常にダブルチームで負担をかけられていた八代はかなり疲労が溜まっているだろう。そこで」
監督はそこまでチラッと博多を見た。が、すぐに視線を戻す。
「博多1人で八代を対応させる。攻撃の軸は中道と博多の2人でやれ」
「…まじですか?直方、土井の2人でなんとか抑えられる相手ですよ?」
抗議の声を上げたのは枝光だ。土井も、またベンチメンバーもみな頷いている。
「じゃあ、どうやって勝つんだ?枝光。案をだせ」
そう返答したのは城野。目線だけ枝光の方に向けている。本人にはそのつもりがないかもしれないが、まるで枝光を睨んでいるように見えた。
「…いえ、疲れているのであれば直方や土井でワンツーマンで対応させれば…」
枝光はそう言いながら直方と土井の方を見る。直方も土井も椅子に座っている。顔を下に下げており、いかにも限界だ、と言わんばかり。汗が頭から吹き出ていて、体育館の床に汗がボタボタと落ちている。特に土井の脚は震えている。痙攣なのだろうか、それとも汗で体が冷えて寒いのだろうか。
「見てのとおり、2人とも限界。第4クォーターは枝光と博多に入ってもらう。できるな?枝光」
「…はい、俺はいけます」
そう答えると枝光は博多の方に歩み寄ってきた。
「しくじったらゆるさねぇからな」
博多は返事をせず、枝光を睨むように目線を返した。
第4クォーターが始まる。
相手4番から6番八代にパスが渡る。そこで、八代が小声を漏らす。
「なんだよ、ダブルチーム解けたのかよ。つまんねぇな」
博多がすぐさまチェックに入る。2人が並べば比較しやすい。八代は約185cmぐらいあるのに対して、博多は約170cmそこそこ。身長差は歴然。
「こんなチビ、軽くぶち抜いてやるよ」
「やってみな」
博多は八代の軽口に挑発で対抗する。
「言うじゃねぇかチビ。後悔すんなよ」
言葉が聞こえたと思ったがすぐ、八代は右へ動こうとした。
速い、でも、それでも。
八代より数コンマ遅れてではあるが、博多は反応できた。
「おぉ」と八代は言いながら、スピードダウンする。右手でドリブルしていたのを左ドリブルに変える。博多は目を大きく見開く。決して一瞬も相手の動きを見逃さないように。
「じゃあ、これでどうだ、っと」
っと、という声と同時に左右にドリブルを散らす。徐々に前進してくる。一方、博多はまだ微動だにしない。左右に散らしていたドリブルがだんだん速く、そして低くなっていく。
ふっ、と八代が口角を上げて笑った。と同時に左に切り替えし、一気に加速した。そのままゴールに向かっていく八代。しかし、フリースローラインまで来た時、ボールが前に飛び出してしまった。振り返ると、そこには
「っち、ついてこれるのかよ」
博多の姿があった。博多は八代のスピードについてきて、後ろから正確にボールに触れ、カットしたのであった。
「っふぅ…。簡単に抜かせてたまるかよ」
「言ってくれんじゃねぇか」
城野から肩を叩かれる。その直後に中道から頭を軽く叩かれる。
「ナイスカット」「やんじゃねぇか」
博多は歯を見せて、笑顔で「はいっ」と答えた。
城野からボールが博多にパスされる。両手で基本に忠実に博多はボールを受け取る。
博多へマークにやってきたのは5番。八代は中道にべったりマークについている。点差を考えると早く追いつくには3ポイントシュートを決めるのが手っ取り早い。するとSGの中道を1番警戒するのは定石であり、勝つためには1番効率の良い手段であるのは周知の事実である。
5番はドライブ(ドリブルで相手のディフェンスを突破すること)を警戒している。確かに博多は他の出場試合ではドライブで相手ディフェンスを躱し、レイアップで決めるか、ドライブで決めきれないときには、早く切り替えし、ミドルシュートを決めるという2つの戦術を使う割合が多い。
だが、3Pシュートも苦手ではない。さらにはなぜか、今の博多にはシュートを『外す』気がしなかった。
博多は相手5番にふっと微笑む。その位置でディフェンスしていていいのか、と。
それに5番は気づかず、怪訝な顔をした。
それを見てから、博多はシュートモーションに入った。流れるような綺麗なフォーム。動きに無駄がなく、力みもない。相手5番が慌てて距離を詰め寄ってくるのが見えた。
だからその距離でいいのか、って聞いたのにね。博多は見下すように相手5番を見下ろした。そしてすぐにゴールに視線を戻す。
手からボールが離れたとき、このシュートはリングの中央に綺麗に入る、と不思議な自信があった。シュートし終え、床に着地するとシュートの結果を見ずに、自コートに戻ろうとする博多。
シュートは見事リングの間に、リングのどこに当たることもなく吸い込まれていった。
観客がおぉ、と歓声をあげる。
他の4人、中道、城野、筑後、枝光が自コートにディフェンスに戻ってくる。城野はその途中で博多に追いつき、顔を博多の方に向けず、そのまま言った。
「お前中心で攻める。やれるな?」
「はい」
それから、2回連続で八代との一対一の勝負を制し、博多は1点も与えなかった。博多は八代には相手を抜いた後、少しスピードが落ちるという癖があることに気がついた。確かに初速が速く、博多は反応が遅れてしまうが、フルドライブ直後に隙ができるなら、そこに反応すればいい。さらには、クロスオーバー(片方でドリブルしていて、相手の前で素早く反対の手にドリブルを変えながら相手ディフェンスの横を通り抜けていくという技)を多用してくるのだが、その動作に入る前に少し進みたい方向と逆に首が動く、という癖を見抜いていたので、相手の動きを先読みし、動くことができる。
八代は明らかにフラストレーションを抱えていた。眉を顰め、博多を睨め付ける。
一方、オフェンスでは2本連続で博多は3Pシュートを決めていた。リングの間をボールが通り、スパッという軽い音が会場に鳴り響く。点数差は12点にまで縮まっていた。
国大付属のベンチが盛り上がる。応援団も声が大きくなり、観客もざわざわし始めた。下馬評をひっくり返し、北紫西が負けるのではないか、と期待し始めている。
相手4番が八代以外に、5番にパスを回す。
逃げた。博多はそう感じた。しかし、ボールに一瞬注意が集まったせいで、八代が動き出していることに気がつかなかった。
「しまっt」
慌てて博多が八代を追いかけようとした。しかし、7番がスクリーンに入っていた。動きを止められる博多。
八代がゴール近くまで来ている。枝光が反応し対応しようとするが、もう遅い。
この試合、開始直後に北紫西にされた速攻アリウープの再現。
5番から放たれたパスを器用に空中で受け取り、両手でダンクを叩き込む。まるで溜まったフラストレーションを発散するかのように。
リングは大きく揺れ、ゴール全体がギイギイと音を立てている。
床に着地した八代の顔は、7番の近くに行くてを阻まれて、見てるしかなかった博多の方に向いた。そして『どうだ』と言わんばかりに口角を上げて笑った。
博多は眉を潜め、肩には力が入っていた。
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