第11話

何を言っているのだろう。少なくともあの唯我独尊を体現したかのような人が頭を下げているこの状況は異常だ。

…すぐにでも声をかけたかったが、その気持ちをぐっとこらえ、少し物陰に隠れてこの状況を理解しようとする。

「…大丈夫だよ。彼らの時みたいにはならない。ちゃんとキャラもぶれていなかったしね」

「そ、そう?あなたがそう言うならばおそらく大丈夫…なのでしょうね」

うつむいていた飯塚は顔をあげ、少し安堵の表情を見せる。それは今まで見たこともない、穏やかな顔だった。一方、その顔を見て箱崎はやれやれと軽く首を振る。

キャラ?ぶれる?一体どういうことだ?

「心配になるなら、皆に清楚な『飯塚会長』として振る舞えばいいじゃないか。これも前から言っていることだけれど」

「…それは私を理解してなお、その上でいっている言葉なのよね?箱崎さん」

「この状況でも『さん』なんだね、まっtー」

このままここに隠れていれば、飯塚のこと、上司のことを理解できる材料が出てくる気がした。しかし、現実はそんなに甘くない。1人忘れられている人物がいるのがわかるだろうか。

「何しているの?そんなところで」

ビクッと肩を震わす糸島。振り返ると案の定門司が糸島の背後に立っていた。

「あ、会長さん、副会長さん、お待たせしましたー」

「いえいえ、そんなに待っていませんよ、門司さん」

直前までのその場の雰囲気を知らない門司は、元気よく声を出した。仕方なく後ろに続く糸島。飯塚の顔を見る。さっきまでの弱々しい雰囲気は消え、ファミレス内での『飯塚会長』に戻っていた。

「それでは帰ろうかね。門司さんと糸島くんは帰る方向どっち?」

「えっと、おなー」

「少し寄っていくところがあるので、俺はここで」

門司が何か話そうとしていた気がするが、今は先ほど抱いた疑問を解決する方が優先事項だ。少し面倒だし、非効率ではあるが後をつけて行こうと思う。

とりあえず、会釈をしてその場を離れる。門司の顔が少し見えた。何故か少し主人に構ってもらえなくてシュンとしているワンちゃんのような表情をしていた。


すぐにその場は解散し、箱崎と飯塚は一緒に歩き始めていた。糸島は約50mぐらい離れて後を追う。駅に向かっているようだ。駅までは約5分程度で着く。しかし、先ほどの話からすると、もしかしたらカフェでも入って会話を再開するかもしれない。効率的ではないが、今日を逃すと二度とチャンスがない気がした。

不思議だった。効率が悪いのに、勉強を優先し、スケジュール通り行動しないといけないのに、それらを理解しているのに、足は自宅ではなく、彼女らを追いかけている。少し糸島は笑った。自分自身のことなのに、理解できないことがあるなんて。糸島は自分自身のことを理解しているとばかり思っていた。しかし、どうやら思い上がりだったようだ。そう今の状況を理解し、ククッと糸島は笑う。周りから見たらただの不審者だ。

飯塚と箱崎は何かを話している。先ほどの穏やかな雰囲気のままの飯塚と、少し気だるそうに隣を歩いている箱崎。まるで長年連れ添った夫婦のようだ。いかんせん、距離があるせいでまったく内容は聞こえないのだが。

駅前の中に、改札の外に一軒コンビニがある。彼女らはすぐには改札に向かわず、コンビニの中に入っていった。仕方ない。少し待つか。さすがにコンビニの中に入るわけにはいかない。コンビニの端、タバコスペースにて待つことにした。糸島はタバコは吸わない、吸えない未成年である。なぜタバコというものが存在するのか、時間つぶしに考えてみることにした。まず、嗜好品と言われるだけあって、体に必須な物質を含んでいるわけではない。しかも、メディアによると体に害になるような物質を含んでいるという。ではなぜー。

「やっぱり、追いかけてきていたんだね、糸島くん」

声をかけられて、自分の世界から現実世界に戻ってきた糸島。声の方を向くと、それは見知った顔の人物であった。いや、正確には先ほどまでストーカーしていた片割れ、といった方が正しいか。

「…うっす。たまたまこっち側に用事があったもので」

「そういうのはいいから」

冷たい声であった。先ほどまでの箱崎の声をアルコールが沸騰する78度の暖かさであったなら、今の声は絶対零度。天と地ほど違う。しかし、箱崎は笑顔だ。その矛盾が糸島の肝を冷やした。

「…」

糸島は沈黙しか、箱崎に返すことができなかった。軽く右手が震えているのがわかる。瞬きもできなかった。

「…君、彼女との話を聞いてしまったのだね」

引くかった声のトーンは、更に低くなった。優しく、まるで良家の坊ちゃんのような顔が外敵を見つけ、威嚇するような雄々しさを伴った顔へ変わっていることに糸島は気づいた。

「…」

図星であった。しかし、ここでは声を出すべきではない。そう糸島の直感が無言を貫く、という行動をとらせていた。右手の震えはいつの間にか右足へ伝染していた。太ももの筋肉が無駄に収縮を繰り返している。

「…彼女には深く関わらない方が賢明だ」

それはどういうことだろう。飯塚は殺人者の子供、とか、超大金持ちの子供で箱入り娘だ、とか、実は婚約者だ、とかということだろうか。想像、いや、妄想が蔓延る。

「どうしてですか?」

無言を貫くはずだった口から、声が出てしまった。まごうことない本心を口にしてしまった。

声を発した後、糸島は自分自身に対して驚き、後悔した。

「どうして…か」

糸島の言葉を聞き、箱崎は空を仰いだ。時刻は18時。あたりは暗くなりかけている。夕闇というやつだろうか。

「…1番正確に、正解に近い言葉、は、『君のため』だ」

その言葉を言った後、自身で納得するように箱崎はうんうん、と頷いた。

「俺、のためですか」

「そうだ。君のためだ」

糸島は、箱崎の言葉の真意を測り損ねた。箱崎の目をみる。目には力が入っていたが、瞳孔は大きく開いており、真っ直ぐ糸島の目を見ていた。これは本心…なのだろうか。

「お待たせしました、箱崎さん!…?あれ?箱崎さん?」

コンビニの出入り口で飯塚が声を上げている。それを聞いた箱崎は少し焦る。その様子の変化は糸島にも目に見えてわかった。

「…君のために、去ってくれ」

こう言い残し、箱崎は飯塚の方に向かっていった。


マンションの前まで帰ってきた糸島。なぜ、そこまでひた隠しにするのか。仮に付き合っているのであればそのことを糸島に知らせた方が効率いい。あのような『君のためにー』などと抽象的なことを言わずに済むだろうし、説得力がある。

マンションのエレベーターを待つ。では、なぜ、あのような抽象的な言葉を吐いたのか。それは飯塚との関係を明るみにしたくない、ということだろうか。それとも、飯塚の別の顔を見せたくない、ということだろうか。わからない。

自宅の前にきた。電気はついていない。誰もいないのか、偉大なる妹君と母君が自室に籠っていて、リビングの電気をつけるのを忘れているのか。

家の中に入ると、どの部屋にも電気がついておらず、気配もない。よって、前者であることがわかった。2人ともいないのか。ということは夕飯は自分で調達せねば、ということだろう。

リビングの電気をつける。すると、置き手紙と1000円札が無造作にリビングの机の上に置いてあった。

『沙希と唯香はデートに行ってまーす♡』

つまり、自分でご飯はどうにかしろ、ということね、理解しました。

糸島家ではよくこういうことがある。母親は母である前に女なのだ、ということだろうか。子供、特に博樹には興味・関心が低い。このように、お金を置いて勝手に飯は食っとけ、ということが多い。まだ、お金を家に入れてくれることと、このようにお金を置いていってくれるだけ自分は恵まれている、と思う。ネグレクト一歩手前の状況かもしれないが、ネグレクトではない、と考える。カップラーメン、予備はまだあったかな?

欲をいえば、1000円札でなく、5000円札を置いていってほしいと思う。ここは笑うところだ。

家には食べ物がないことを理解した。つまり、この腹減っているこの状況のなかでコンビニまで弁当を買いに行かないといけない。糸島は萎えた。せめて連絡を入れててくれれば、途中でコンビニやスーパーによって帰ったのに。

格好そのままで、部屋の電気をつけたまま、携帯と財布だけ持って糸島は家を出た。

7月上旬。初夏だが、19時を過ぎると半袖では肌寒くなる。近くのコンビニに行く間に何買うか決めようか。今日は好きなものを食べよう。体が欲している気がした。

コンビニが見えてきた。ホットスナックが残っていれば、今日は2つぐらい買っちゃおうか。唐揚げが刺さったやつか、それとも、コロッケか。


ピリピリピリ


右のポケットから音がなった。ふと、先ほどまでの心に引っかかった出来事を思い出す。箱崎には連絡先を教えていないはずだ。糸島はふぅ、と息を吐いて携帯を取り出した。そこには唯香の名前が載ってある。着信相手はあのわがまま妹君か。ふぅーと息を吐く。よかった。

「なんだよ、今外なんだけど。お使いならmー」

「おにぃ!よかった」

全く状況が理解できていない。まず、電話越しの相手は誰だ。唯香はここ5年は博樹のことを『おにぃ』なんて読んでいない。小学校低学年以来なのではないだろうか。

なんだ、ねだる為に新たに技を開発しようとしているのだろうか。

「なんだよ」

とりあえず相槌を打って、反応を見てみよう。

「…おかぁさんから逃げてきたの、襲われそうになって」

あの母から襲われる???同性で親子だぞ?何を言っているんだ?

しかし、変に突っ込むのも気が引けた。ぐすっ、という音が聞こえてきたからである。

これで、今まで全部が芝居だったら、宝塚歌劇団にでも推薦してやろう。仕方ない。とりあえずそこまで行くか。糸島は両目を閉じ、1秒ほどで見開いた。

「で、どこだ。今お前がいる場所は」

「っ、信じてくれるの?」

「いいから早く言えて。俺の気が変わらないうちに」

今日は変だ。

全く自分の役にたたない、自分に成果が帰ってこないことを自ら進んで行っている。

自分自身が気持ち悪い。

「…イーサン、の、1階」

イーサンか、1番近い駅はいつも登校するために降りている駅である。そこから約5分学校と反対側にあるくと到着する。

「とりあえず、そこを動くな。いいな。迎えにいくから」

怒鳴るようにスマホの向こうがわにいる唯香に話しかける。

「え、き、きらnー」

何か唯香が弱々しく言っている気がしたが、糸島は通話終了のボタンを押し、駅に向かって走り出していた。

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