第9話

夏。

と言っても初夏だ。いや7月上旬は初夏なのか怪しいぐらい暑いので、これが始まりだとは思いたくはないのだけれど。

「朝か…」

糸島は誰に言うことなくつぶやいた。机の上には電源が入ったまま長時間放置されたパソコン。

休憩と思って、深夜2時にベッドに突っ伏したのを最後に今の今まで作業が進んでいない。

「まぁ、納期は来月の頭だし、まだ本腰は入れなくてもいいのだけれど」

しかし、あと2週間でテスト週間に入るため、恐らく仕事は進まなくなる。納期がいくら先でも油断はできない。

「誰がテストは次回は1位をとれだよ、くっそ」


遡ること、3日前。場所は屋上。

また、糸島の命の源である昼食時間を邪魔しに、会長が屋上にやってきていた。

「今回はなんですか。何もないのであれば、早く帰ってくださいよ。飯の時間なんですから」

糸島は飯塚とのコミュニケーション術として、最低限抵抗をする、ということを学習していた。なぜなら、下手に出ると、つまりペコペコするとあることないこと仕事が増えていく。しかもストレスのかかる仕事ばかりである。

「今回は仕事ではないですよ」

ニコッと微笑む飯塚。この笑顔には裏がある。何か人に難題を押し付ける時の顔だ。

「糸島さんは、庶務として入ってきた。間違いないですね?」

「そうですが」

「この学校のしきたりとして、学年最上位の人に庶務になってもらうように決めています。それもご存知ですよね」

なんのための事実確認なのだろう。飯塚は笑顔を貫いている。

「でも、糸島さんは今回は最上位ではない」

その通りだ。1位、2位は門司と会計がとってしまった。そこで3位の糸島にお鉢が回ってきた、ということであった。

「そして、先生方々は議論があったようなのです。1位じゃないので、今回の1年庶務は誰も着かせなくていいのではないか、と」

なるほど。でも、庶務には現に俺が着任した。

「結局、生徒会の要望により1年庶務は3位のあなたについてもらうことになりました。人数は多いほうが仕事が捗りますし」

さて、この女狐のいうことはどこまで本当の話なのだろうか。

「今回は庶務要らないといった先生方々に物言うチャンスです。糸島さんが1位を取ってくれれば、前回の中間テストはたまたま1位をとれなかっただけで、1位をとるほどの能力を糸島さんは秘めている。つまり、1年庶務は糸島さんがふさわしいというk」

「会長」

飯塚にはこれ以上話をさせてはいけない、と体が警報を鳴らしている。しかも、話の流れとしては、つぎの学年末テストで1位を取りなさい、ということだろう。前回のテストの結果からして、門司と1年会計の2人の得点差はほとんどなかったが、糸島との差は約30点ほどであった。これは自力の差だ。点数差を覆すにはかなりの時間を勉強に回さないといけなくなる。

「確かに会長のいう通りですよ。俺が1位を取れば、教師陣に納得させることはできる。しかし」

「しかし、なんでしょうか」

飯塚の顔にあった、先程までの笑みの中にある優しさのようなものが消えた。つまりは、不満か?抵抗するのか?という意味が言外に含まれている。

「しっ、しかし、前回の中間テストでは、門司さんと姪浜さんに大きく差をつけられています。2人は今回も高得点を取るでしょう。それに」

これは門司から聞いた話だ。庶務になりたいがために、1学期中間テストだけ頑張り、そのあとのテストでは全くいい成績を残さなかった人がいるとかなんとか。この話を上手く使わない手はない。

「庶務になった人が成績優秀者であればいいんですよね。じゃあ、今回、順位が一桁であれば、成績優秀者となるのではないですか?決して、中間テストの結果は嘘ではない。糸島は成績優秀者である、と」

道理はあっているはずだ。話を終えたのち、糸島は頷く。これが通れば、期末テストで9位までは許されることになる。部活が忙しくなるこの時期では中々勉強時間を確保できない生徒も出てくることだろう。1位をとることに比べれば勉強量は雲泥の差である。

「…言いましたよね?」

先程までの優しさのない笑みに、凄み、というのか、威圧感、というのか、そのようなものが追加された。

「ひっ」

糸島は無意識に後ずさりをしていた。それほど怖かったのである。

「”1回も”1位を取ったことない生徒を庶務として受け入れているのです。1回ぐらい1位をとってもらわないと話になりませんよ、と言っているのですよ?負け犬根性の糸島さん?」

「い、いや、あのぅ、はい」

つい、返事をしてしまった糸島。

「今、”はい”と返事しましたよね?糸島さん」

凄み、のようなものをまとったまま、飯塚は返答内容の確認を求める。糸島は昼食なんてどうでもいいから、とりあえず屋上から逃げたかった。

「は、はい」

そう返答した瞬間、笑みに柔らかさが戻ってきた。

「そうですか、よかったです」

言質を取られたのか、と今ごろになって糸島は気がついた。

「では、期末テスト、学年1位、お願いしますね!期待しています!」

飯塚に押し切られてしまった。がっくりと肩を落とす糸島であった。


ということで、糸島は1位を取りに行かないといけない。目下最大の敵は、1年会計のめい…姪浜だっけ?と、門司である。ちなみに門司が1位だ。

勉強量を稼ぐために、休日、隙間時間、夜間の時間を計画的に使って…。

携帯から音がなった。例の今流行りのメッセージアプリの着信音だ。誰だ、土曜日の朝に連絡してくる不届き者は。と、糸島は思ったが、その直後、誰が連絡してきたのかわかった。予想がついた、と行った方が正しいかもしれない。

「門司だろうなぁ」

最近やたら連絡が来る。毎朝マンションの前で待っている。下校時も校門の前で待っている。なんだろう、友達を通り越して、彼女を気取っているのではないだろうか。

アプリの内容を確認する。やはり、門司から連絡が来ていた。

『今日いっしょに勉強しませんか』

なんだろうか、好きすぎるだろう、門司よ。

しかし、勘違いしてはいけない。友達がいない門司は、糸島に依存しているだけだ。寂しさを打ち消すために糸島を利用しているに過ぎない。だから、恋愛感情というものは抱いてはいない、と糸島は認識していた。

この手の返信は決まっている。

『いかない』

よし、門司との交流終わり。

ベットからよっこいしょと起き上がる糸島。そろそろテスト対策に入らなければ…。

ピンコーンと音がなる。着信だ。また携帯からなっている。

『じゃあ、近くのファミレスでどうかな』

なんだこの返信は。まるで先ほどの糸島の返事を無視したかのような内容である。

この内容に対して、糸島の返事はこうだ。

『い か な い』

学生はみんなでワイワイと勉強会をしている、と聞いたことがある。それは楽しいのだろう。

でも、それは勉強会ではなくおしゃべり会だ。勉強をするのは基本的に1人。大人数でする利点としては統率されている集団の中で、やる気がない、もしくはわかない人を引っ張り、勉強させる、というところにある。もしくは、競争意識を生み出し、相乗効果を狙う、と言ったところだろう。そのどちらでもない場合、一緒に勉強することで勉強効率はあがることなく、むしろ下がることになるだろう。糸島は誰かとテスト勉強したことなどなかったのだが。

『じゃあ、13時に駅前のファミレスでどうでしょうか』

どうでしょうか、じゃないでしょ。糸島は画面をみて苦笑する。なにを言っても糸島の要求はのまないだろう。容易に想像できる。

『わかったよ』

このように返信してしまうのも仕方がないことだ、と糸島は自分自身に言い聞かせていた。


「遅かったねー、糸島くん」

ニコニコしながら待っている門司。

「遅かったねーじゃないよ、俺の話も聞かないでさ」

最近、門司は糸島に対して強気になっている。そうすることで、糸島は渋々ではあるが提案を飲んでくれるからである。

「なんだかんだ言いながら来てくれるんだよね、糸島くん」

抵抗すると、提案を飲むまでずっと押してくる。だから、最近は抵抗する気が失せてきている糸島であった。

「うるせぇ、勉強すんだろ?早く入るぞ」

不機嫌な顔をわざと見せて、先にファミレスに入っていく。続けて門司はニコニコとした表情で入っていく。

「何名様でしょうか」

「えっ、1名で…」

「2名です。禁煙席がいいです」

言葉を最後まで言わさせない門司。この手段は以前に糸島から使われているので想定できていた。

「2名様ですね、そちらの席へどうぞ」

案内に来たホールスタッフが指した席へ2人は移動する。

「で、先に飯食うんだろ?」

メニューを開き、注文するものを探す。取り敢えず和風定食かな。そんなに量ないから、勉強の邪魔にならなさそうだしな。そう糸島は考えるとメニューを閉じた。

「で、門司は決まったのか?」

「えっ、早いよ。もう決まったの?」

「ん?ああ、そうだけど」

うっそーと呟く門司。焦っているのか、メニューを早く決めようとページをめくっている。

「…あー、急がなくていいぞ、俺が早く決めすぎたんだし」

と、そっぽを向いて話す糸島。急かしたいのは山々だが、急かした後に何を言われるのか、永遠と今日のことをぐちぐちと言われるのかと思うと、少しの退屈な時間なんて苦痛にならなかった。門司は糸島の言葉が聞こえると少し微笑んだ。

「わかった。ごめんね、私決めるのなんでも遅くてさ」

その癖、決めたことは頑固なんだよなぁ、と糸島は思う。その頑固さのせいで今日ここに糸島がいるのだ。糸島がそう思うのも無理はない。

「いいから、早くメニューみろよ、待ってんだから」

少し不機嫌な雰囲気を出そうと糸島は、やはりそっぽを見ながら話す。

「わかった、ごめんね」

発した言葉とは対照的に、門司は軽く笑っているような気がした。メニュー越しで表情はみえなかったのだが。

何笑ってるんだよ、全く。


「あ、糸島さんと門司さんじゃないですか」

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