第8話
季節は夏。夏といえばなんだろうか。
博多にとっては夏休み前のこの時期は大切なインターハイの時期である。
体育館の外を見ながら少し物想いにふける博多。今日は日曜日。インターハイ前の最後の休日であり、午前・午後と一日中練習できる最後の日でもある。
外は雨。湿度があがり、休憩中で涼もうと体育館の外に出てきたが無駄だったようである。
昨日の全体練習の後、ユニフォームを手渡す、つまりスタメン、ベンチメンバーの発表があった。結果、博多は背番号9、つまりスタメンではなく、現状ではベンチメンバーというわけである。
最近5試合で得点は途中出場ながら二桁得点をしていたし、てっきり自分が選ばれると思っていた。しかし、結果的にスタメンは3年生3人、2年生2人というメンバーだった。しかし、1年生自体博多1人がユニフォームをもらった。この事実から博多には充分に実力があることがわかる。
「博多ー、そろそろはじまるってよ。ってか、何してんだよお前、外熱いだろ」
この口調の悪いこの人は中道先輩。ゼッケン5番を貰ったレギュラーメンバーである。
「わかった、てめぇ、昨日の発表引きずってんだろ。どうだ、あたりか」
中道は空気を読めない。なのに頭はいいらしく、学年でも上位に入るらしい。だから、出会って当初から博多は中道は敢えて空気を読んでないのではないかと疑い続けている。そして、先程の発言は図星なのである。
「…よくわかりましたね。そうですよ。それで少し落ち込んでいます」
正直に話そう。中道には自分を見通されているように感じていた博多は素直になることが、この人への対処だと学んでいた。
「まぁ、俺も去年、ベンチに入れなくてそう落ち込んだもんだからよ、なんとなく気持ちはわかんだよ」
そして意外にも優しい。本人に「優しいですねー」とちょっかいをかけようものなら、うるせーと少しにやけながらローキックが飛んできそうだ。博多は中道のことをツンデレ先輩と命名することに決めた。
基本的に、学校カーストの外である部活カーストでは、博多は猫は被らないようにしている。理由は2つ。部活とクラスの2つで「博多大樹」という役を演じるには疲労が溜まるのである。部活では特にクラスとは異なり、上下関係になってくる。基本的に、日本の悪しき習慣であるのだが、先輩の命令は絶対だ。そのような中で、1年の博多が3年を押し退いてカーストトップに立つのは困難を極める。よほど才能があり、バスケが他を圧倒するほどうまければ別だが、この学校のバスケ部は県でも中堅どころとはいえ、有名校から推薦がかからなかった上手い選手が揃ういいチームではあるので、抜きん出て上手い、という状況には博多の実力ではまだ難しい。
「だからよ、大会で活躍すりゃ、大会中でもレギュラーを取れる。どうだ、燃えんだろ」
「出れれば、ですけどね」
「出れるさ」
少し、中道が微笑んだ気がした。
「お前は、うめぇんだからよ」
中道の左腕が博多の背中を叩く。叩かれた部分は夏の暑い日なのに、周りの温度よりあったかくなった気がした。
「おい、お前ら、サボっているんじゃないだろうな」
中道、博多両名の肩がビクッと動く。体育館の出入り口を振り返るとキャプテンが腕組みをしてこちらを向いていた。顔は少し強張っている。
「今日は試合メンバーで調整なんだから、来てくれないと始まらないんだよー」
キャプテンの後ろからひょこっと出てきたのは、筑後先輩。両名ともスタメンである。
「…いやさ、博多が落ち込んでたと思って、慰めようと、な?」
助け舟を出してくれと言わんばかりの顔で、中道が博多の方を向いた。
「言い訳無用。メニュー倍にするぞ圭」
「頼むよ、優ちゃんよー、信じてくれよー」
「というか、早く練習しよーよー」
茶番劇のようなことをしているこの3人は、3年のスタメン3名である。試合になると存在感を発揮し、バスケットコートという盤上を駆け巡る戦艦となる。
この人たちに勝たないと、試合には出られない。監督の評価も上がらない。そう思うと、クラスのカーストを少し犠牲にしてでも練習量をあげようか迷う。
中学の時には特に練習をしなくても、1年の頃からレギュラーメンバーになっていたので、こんな苦労があるとは思わなかった。
「何してんだ博多。練習するぞ」
キャプテンが少し不思議そうに博多を見ていた。それもそのはずだ。先程の茶番劇はいつの間にか終わり、体育館の入り口近くには博多しかいなかった。
「…っ、今行きます」
初戦の相手は、勉強だけが取り柄の公立高校。
試合前の練習を見る感じでも、レベルの差は明らかだ、と博多は思った。そして、始まってみると、第1クォーターで28対6の大差である。
今、第2クォーター前の休憩時間。スタメン5人が少量の汗を掻き、ベンチで一休みしている。
1番奥の椅子に座っていたキャプテンにタオルとボトルを持っていく博多。こんな大差が付いているのであれば、自分を出場させてくれてもいいじゃないか、というのが本音である。
「おい、圭、一本しか入らなかったじゃないか、不調か?」
「うるせぇ、こんな一方的な試合、やる気沸かないんだよぉ」
「キャプテン、タオルとボトルです」
「おお、そうだ、博多と変わるか?圭」
「うるs」
「ナイスアイデアかもね」
最後に話したのは筑後。
「そうだな」
キャプテンの隣に座っている男の人が声をだす。この人が体育の先生であり、監督の荒木先生。
「中道、枝光、2人、一回ベンチ下がれ」
「え、俺もっすか?」
枝光先輩も声を上げる。
「そうだ。土井と博多に経験を積ませる」
土井先輩の肩がピクッと動く。
「…ということらしい。博多、土井、30秒で準備しろ」
休憩時間残り30秒。心臓が高鳴ってきた。高校初のインターハイの舞台。博多の予想を大きく裏切る形で活躍する場は1試合目にやってきた。
手が震える。カラカラに喉が乾く。この乾き方は、生徒会役員選挙の時よりひどい。博多は自分のボトルを椅子の下から取り、思いっきり口の中にスポーツ飲料を流し込む。そして博多はふぅ、と大きく深呼吸をした。残り10秒を切っていた。羽織っていた母校の名前が書かれている薄い練習着を脱ぐ。脱ぎ終わり、周りを軽く見渡す。すると博多は中道が手招きをしているのが見えた。博多が中道の近くに行くと、中道の左手で博多の右肩を叩かれた。
「な、出番やってきたろ?マークは5番だ。思いっきりやってこい」
「…っ、はいっ!」
何故かわからないが、博多は体の奥からエネルギーが湧いてくるのがわかった。震えは止まっていた。
「中道さん、博多に優しいっすね」
枝光が中道に話しかけてくる。その顔は少しちょっかいをかけようとする子供の顔のように見える。
「ん?そんなことはねぇよ」
「そうっすか?やけに簡単に引っ込むのも了承しましたし、あんな感じに喝入れるのも珍しいですし」
「んー、そうだなぁ。あえていえば」
「あえて言えば?」
「…ほっとけねぇ感じがするからか」
「やっぱり、中道さん、あれっすね、ツンデレってやつすね」
「うるせぇ」
中道の右ストレートが枝光の左肩に炸裂する。ただ音は軽く、枝光も痛そうにしていなかった。
「痛いっすよ、中道さん」
「痛いって言葉は、痛そうにしてから言えってんだ」
2人ともクスッと笑う。
試合は再開し、キャプテン城野からボールが博多にわたる。
「どうですかね、あのゴールデンルーキーは」
博多は土井にパスを回す。
「博多か?あいつは上手い」
「あら、中道さんが素直に他人を褒めるの、珍しいっすね」
「そうか?」
第2クォーターが終わった。ここから10分間の休憩がある。
先程の試合中、緊張はあまり取れてはくれなかった。ミドルシュートは2本すべて外し、ドリブルは途中でボールが手から外れ、ディフェンスではよそ見をしてしまった。簡単に突破を許し、得点につなげられてしまった。
博多はロッカーに帰っても少し落ち込んでいた。アピールの機会で失敗ばかりしている。客観的に見れば、これではアピール失敗である。他にもいい選手はこのチームにいる。なので、次にチャンスが回ってくるには時間がかかるかもしれない。
監督が部屋に入ってくる。
「前半お疲れであった。取り敢えず30点は差が付いた」
前半終了でスコアは48対18。しかし、博多が失敗しなければ、もっと点数差があったかもしれない。現に第2クォーターだけのスコアを見れば、20対12で第1クォーターより接戦になっている。その原因は明らかに博多だ。
「後半は、城野、博多、田主、直方、土井でいく」
なんで?博多は純粋に思った。散々チームに迷惑をかけた。プレッシャーに勝てなかった。ここで交代しないと負けてしまうかもしれない。
「取り敢えず、直方が得点をメインでとれ。第3クォーターでは差を40点にしろ。以上だ」
監督が部屋から出て行った。博多は納得できず追いかけて部屋を出る。
「なんで、俺を使ってくれるんですか?」
気付けば大声を出していた。でも博多は大声を止められそうにない。
「チームに迷惑をかけました。負けてしまうかもしれません。なのに」
「その時は、私が間違えていた、お前を見誤っていたということだ」
何を言っているのか、博多には理解できなかった。
「ミスしてもいい、仮に負けてもいい。だが、お前を選んだ私を失望させるな。博多大樹のできるすべてを出せ」
博多は、顔に水分が付いているのがわかる。目の前が滲んでいる。
「…はい!」
第3クォーターが始まった。
キャプテンが博多にパスを出した。バスケットボールをキャッチする。そこであることに気づく。
「ノーマーク?」
博多の先程の第2クォーターの様子を見て、ディフェンスをつかせる必要がない、と判断したのだろう。一方で直方には2人ディフェンスが付いている。
舐められた。そう博多は理解した。そう考えると不思議と頭の中がクリアになった。
ドリブルで敵陣に切り込んでいく。何かを察したのか、身長が博多より高い相手7番がヘルプでディフェンスに入ってくる。しかし、明らかに対応するのが遅い。
華麗に右のボールを切り返し、左ドリブルに変えた。しかしスピードを緩めず、コースを少し左に変えた。相手6番は博多のスピードについてこれない。
すぐに、相手5番がヘルプでディフェンスに入ってくる。近づいた瞬間、博多は一瞬スピードを0に近づけた。相手6番は動きを一瞬止め、そして博多への距離を縮めようとした。
その瞬間、博多はスピードを全開にして、相手5番の右側を抜き去った。
なんだ。簡単なことじゃないか。相手は弱い。雑魚だ。自分で萎縮して、自分でミスして、自分で落ち込んでいただけじゃないか。
「何人束になろうが、雑魚は雑魚じゃないか。こいつらは俺の引き立て役だ」
声に出ていたかもしれない。シュートモーションにすでに入っていた。場所はフリースローライン。
2人ディフェンスが入ってきた。しかし、簡単なことだ。少し後ろに飛んでかわしながらシュートすればいい、それだけの話だ。このシュートはフェーダウェイというらしい。名前なんてどうでもいいが、と博多は思った。
ボールが手から離れた。ボールは何にも邪魔されることなく、綺麗な放物線を描き、ゴールに吸い込まれていた。
城野先輩がこちらを向いて手のひらを出している。ハイタッチの構えだ。
博多はハイタッチすると、小さな声で
「迷惑をかけました」
と言った。
「迷惑かけられるのが、俺たち先輩の仕事だ」
そういった城野先輩の背中は、大きく見えた。
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