第2話
糸島は、他人に興味がない。
正確には、学校の人間関係、つまり友達を作ることに興味がないといっても過言ではない。
しかし、仕事をすることには興味がある。自分自身が肯定されている気がしたのである。
興味がない高校生活では、息を潜めて生きていくつもりだった。波風を立てず、誰にも認識されない。先生にすらである。
そんな彼だったが、勉強は手を抜く気にはならなかった。問題を解くことが快感であった。誰に自慢したいわけでもない。ただ、問題をだした人を打ち負かした気がして気持ちよかったのである。
それが仇となった。
この学校では、一回の試験が終わると必ず、順位を出し、外発的動機付けで生徒を鼓舞する進学校である。その制度で、彼は成績上位をとってしまった。順位としては3位である。
この学校の庶務の制度は成績優秀者に誘いがかかる。すると普通に1位と2位に話がいく。しかし、1位と2位は書記、会計の1年生がとってしまった。そこで彼にお鉢が回ってきたのである。
「糸島くん、今回素晴らしい成績だった。数学と化学、物理に関しては満点だそうじゃないかー」
担任の先生から、放課後に職員室に呼び出された。軽く中年太りした、気前の良さそうなおじちゃん先生である。職員室のドアを開けると、お辞儀する暇を与えず、野太い声で名前を呼ばれた。彼の太い手で手招きされ、奥の個室に連れて行かれた。
「どうだい、一度生徒会、やってみないかい。いい経験になるよ」
「い、いえ、自分にはあまり向いていなさそうなので…」
「一度やってみないとわからないよ?こういうのはさ。私も若い頃はー」
これは逃げ道がなさそうである。特にここで酷く断ってしまえば、担任から以後いい意味でも、悪い意味でも注目されることになる。ここでなるべく波風の立たない方法は、生徒会に参加するしかない。
「ーいやぁ、あの時は自分にはこんなことできるとは思わなかったよ。うん」
「先生」
「お、どうしたかい」
「やってみます。どこまでできるかはわかりませんし、力になるかどうかはわかりませんが」
逃げ道の提示である。働かなくてもいいですか、責任は持ちませんよという最後の抵抗である。
「おお、いいじゃないか。先生、そういう生徒は好きだぞ。いやぁ、ありがとうな」
「…はい」
しかたなく、庶務になってしまったのだった。
先週からクラスマッチについての話し合いがあっているらしい。
これは担任の先生の話だ。これに飛び入りで参加しろとのこと。どうやってもこれでは目立ってしまう。それは致し方ない。そこはいい。問題は
「1週間話し合って、まだ先生たちに案が上がっていないことなんだよなぁ」
月曜の昼休み。誰もいない屋上でコーヒー牛乳を飲んでいる。コーヒー牛乳旨い。午前中の疲労を癒してくれる。授業は聞いていないが。
ここの学校の屋上は基本的には鍵が閉まってある。しかし、鍵の役割をしている南京錠は針金で簡単にカシャンと音を立てて、屋上の侵入を許してくれる。これは入学して2週間で知った。1人で昼ごはんを優雅に食べれるポイントを探し尽くした結果である。努力の結晶ともいう。
屋上からは、グランドが見える。早く弁当を食べ終わった生徒が何人か集まって、ボールを投げ合っていた。キャッチボールのようである。
本日から放課後の生徒会室にて会議がある。時間は17時より。
「1週間なにしてんだよ。案ぐらい1つや2つでるだろうよ」
1週間前から、クラスマッチに関して会議を行っているらしい。しかし何も決まっていない。先生側には何も上がってきていないとのことである。
そう呟くと同時に、後ろでドアが開く音が聞こえた。誰かが屋上に入ってきている。
糸島は極度の人見知りである。
首をギコギコと錆びた歯車が回転するようにゆっくりと後ろに向ける。
「南京錠が掛けてあったはずです。なんでここにいるのですか」
糸島は頭が真っ白になっていた。しかし、悟られないように言葉を紡ぐ。
「い、いえ、か、かぎは空いていました、よ」
悟られてしまっただろう。そう考えると、全身の毛穴から汗が噴き出る勢いで、全身の熱が引いていった。
「そこまで焦らなくても。ーしかし、これは校則を違反していますよね。空いていたかもしれないとはいえ、学校内の入ってはいけないところに入っているのですから」
正論である。ぐうの音も出ない。
「じ、自分は罰せられるのですか」
正論を突かれて、やっと冷静になってきた。この特異な場に順応してきたと言ってもいい。というか後者の方がかっこいいのでそうしてください。お願いします。
相手は、見たことある顔である。そう、先日の生徒会選挙で。
生徒会の人なのか。最悪である。今日から生徒会に入る新人とこのようなところ、場面で初対面とはなんと運のない。
「…もしかして、今日から、生徒会庶務として入ってくる糸島さん…ですか?」
そして、顔を今日の放課後までに忘れてくれないかという淡い期待はここで散っていった。
「そう…です」
「やはりそうでしたか。生徒会の先生から情報は貰っていたので。私、顔を覚えるのは得意なのですよ」
「あの…失礼ですが、あなたは…?」
「…っ」
信じられないという表情をされた。まるで周知の事実かのように。
「私は…生徒会長の飯塚というものです」
…言葉がでなかった。そうだ。糸島は心のなかで首を縦に振る。生徒会長様であった。
最悪の出会いである。この表現は本日2回目。
「失礼しました」
糸島は軽く会釈する。そう、今後1年間は上司なのだ。これは仕事の話と同義。
受けたからには、 責任もってやらなくてはいけない。
雰囲気が変わった糸島を見て、少し飯塚は眉をひそめた。が、すぐに表情が元に戻る。
「…今、どんな会議をしているか、糸島さんは知っていますか?」
「はい。昨日担任から情報をいただきました」
「…では、今の会議が上手くいってないことは知っていますね?」
「はい。知ってます」
「私は今日、この状況をどうにかしないといけない。皆、他の人を牽制してか、もしくは遠慮してか、全く発言がありません。先週、2回の会議では進展がなかった」
なぜ、この人は糸島に向かって決意表明をしているのか、全く理由がわからなかった。
「そして、今日から庶務が2人追加で参加する」
ー追加する。そう、先週とは異なり新しく外から人が入るー
そうか、俺にピエロをやれと言うことなのか。会議に刺激をあたえ、観客という会議参加者の心を動かすピエロに。
「ー何をやれというのですか」
これは確認だ。会議自体を壊せというのか、それとも飯塚会長の案に援護射撃をしろというのか。
「ー」
「これで、今日の件はなかったことにしてあげます。あなたを私は今日昼休みに見ていないし、会ってもない」
17時を少し過ぎた頃、文化部の部活棟の5階。夕日が生徒たちに早く帰れと日を照らしてきている。梅雨に入る前の最後の快晴の日らしい。
会議室のドアを開ける。
会議室には、生徒会メンバー、体育委員長、副委員長が待機していた。
先に自己紹介をさせられる。
これは仕事だ。そう言い聞かせ、自前の人見知りを抑えていた。こんな時に発揮していたのではピエロにすらなれない。
もう1人の2年生庶務が自己紹介をする。
続いて糸島も自己紹介をする。
会議が始まる。
しかし案は出ない。何も先週から変化しない。変わったところはこの場に2人庶務が追加されたことぐらいだ。空気が緊張している。しすぎている。これは空気が重すぎて潰されるレベルだ。
誰もが顔を下に向けて、案はないと無言で合図する。
このような雰囲気の中でピエロになれというのか。会長さんよ。
飯塚会長に目線を向ける。
目線に気付いたのか、飯塚会長はニヤリという微笑みをくれた。やれ。そう聞こえてくるようだ。
仕方ない。腹をくくる。軽く深呼吸した。口を開く。
「アンケートを取りましょう」
会議が終わり、庶務2人は会長に呼び出された。
他のメンバーが次々と退出していく。と、誰かと目があった。目力が入っていた。
糸島が意図的に目線を逸らす。よかった。退出してくれたようだ。
「糸島さん?」
飯塚会長が疑問符を投げてきた。目線を会長のほうに戻す。
「いきなりの会議で2人ともすみません。お陰様で本日方針を立てることができました」
会長は微笑む。糸島は会長はいまどんな気持ちのなのだろうか、と考えていた。自分自身は手を下さず、他者を利用し、会長にとって最高の結果を得ることができた。しかし、会議中は白々しい態度をとっていた。悪女である。
これだから、女は信用ならない。
「いえ、それでは」
2年庶務から無言で立ち去れと圧力をいただいた。ので、この場を早々と去ることにする。
「いや、すみません。糸島さん、黒板を綺麗にしていってくださいませんか?」
会長は2年生庶務を追い出したいようである。2年生庶務は驚いた顔を見せた。俺がやりますよ、と言っている。しかし、
「いえいえ、部活、サッカーじゃなかったですかね?お忙しいでしょう?ですので、糸島さんにお願いしたいのです」
こう心配されると何も言えなくなる。渋々、うなづきながら教室のドアへ向かった。かと思えば、糸島をひと睨みして退出した。心配しなくても手は出しませんよ。会長との関係の名前は共謀者ですので。
「いい演技でしたよ。ピエロさん。いや、糸島さん」
「いえいえ。それよりも、人気なんですね。先程の先輩なんか、2人きりにすごくなりたそうでしたよ。告白でもするつもりだったのでしょうか」
「下心はわかっています。慣れてますので」
女子は目線に敏感であるとどこかのまとめサイトに書いてあった。男子の下心の8割はわかるものだということも。お人形のような容姿の会長なら尚更であろう。
「それよりも、本当によく動いてくれました。今後もー」
「イヌに成り下がるつもりはありませんよ」
ー気付けば廊下にでていた。悪女に仕えるつもりは無い。せめて主人ぐらい選ばせてくれ。
「…変わった人」
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