第17話
その時響いたのは、声。
低い声である。クラウスには聞き覚えのある声だった。
それはまるで、今は亡き王弟ソーマ・リンドヴルムの、声。
「いやですねぇ、そんなに睨まないで下さいよヴァイス殿下。せっかくの美少年が、台無しじゃあありませんか!」
道化のように目を細めて笑うタリムを、ただならぬ気配で睨み飛ばしているのは、他ならぬヴァイスであった。
「黙れ」
「黙りませんよ、なにしろ今の私は気分が良い」
ヴァイスが遂に槍を向けた。堪えたのでは無い。耐えられなかったのだ。
血が、鼓動が、騒がしい。
敵を討て。悪を引き裂け。少年の体内で永く籠城を続けていた躊躇い。それを殺して這い出た激情。誰かが囁く。
『戦え』
ヴァイスは手綱を握りしめ、槍を構えた。
「お止め下さい殿下! 奴はあくまで真の実力を隠した上で、七勇将となったのです!」
「今頃お気づきになったのですか? 紅騎将は最初から警戒してずっとコーマを私につけていたのに。戦の前に結束を緩めまいと共有しなかっただけですよ? 彼の唯一の誤算は私がコーマより強かったことでしょうね」
でもまあ、と侮蔑の表情を浮かべ、タリムはなおも嗤う。
「貴方が七勇将筆頭だと言うのに、やはり年は取りたくありませんねぇ。全く! 王国も凋落甚だしいですねぇ!」
「捨て置くのです! 殿下!!」
嘲笑を背に受け屈辱に歯を噛み締めながらも、立ち塞がり静止するクラウスをよそに、ヴァイスはただ距離を詰める。
「将兵への非礼はリンドヴルムへの冒涜に他ならない。それは王たる者が直々に雪ぐべき重罪だ。故に、兄上が動けぬならば、奴の首は私が取らねばならぬ」
「ですが!」
「
気がつくと、ヴァイスは既にクラウスの横を通り過ぎていた。慌て振り返るも馬を走らせた様子は無い。
竦み上がっていたのだ。
ヴァイスに。
今日初陣を迎えた、自分の半分も生きていない、一人の少年に。
「へぇ! そんな顔できるんだなお坊っちゃんよ!」
狂気を剥き出しにしてタリムが迫る。
ヴァイスは馬を走らせもしない。
すれ違いざま双剣の凶刃が襲いかかる。
槍のたった一振り。
薙ぎ払い、吹き飛ばす。
龍が尾を振るうが如く。
タリムはバランスを崩しかけ、慌てて距離を取った。
目の色が変わったタリム。
信じ難いものを見るようである。
今度はヴァイスから突撃した。
初陣の少年の槍が容赦無く首を突きにかかる。
タリムは双剣を重ねて受けるが、一撃が重い。
彼の頬を冷や汗が伝う。
嗤いが消えていた。
再びヴァイスが槍を振る。
タリムはまたも剣ごと弾かれそうになるのを耐えた。
危機を感じて自分から仕掛けたタリム。
反撃の間を与えぬように双剣を次々絶え間無く振るう。
細かい傷はヴァイスの顔を彩っていくが、彼はダメージを上手く抑えつつ避け、一撃必殺の威力の突きを繰り出す。
次第に細々とした攻撃すらヴァイスは避け始めた。
明らかに慣れてきている。
ヴァイスは槍と剣のリーチ差を上手く使い、ヒットアンドアウェイを繰り返す。
そして遂に、槍がタリムの左腕を捉えた。
轟くタリムの絶叫。
槍が離れない腕をタリムは右腕で斬り落として距離を取る。
「ぐ、ぅ……! 馬鹿な! ありえねぇ!」
「迷いなく腕を捨てるとは」
ヴァイスは槍を回し、再び構える。
「だが、そんなものか。ならば、そろそろ終わらせる」
ハッとタリムは息を飲んだ。ヴァイスの瞳が、紅く燃えている。
「紅玉、だと? 馬鹿な、純潔で無い上に成人前のガキに現れるハズがない……!」
呟きはヴァイスまで届かない。
続くヴァイスの一撃を辛うじて避けたタリムだったが、馬が首を突き刺されて、のたうち回る。
隻腕となった彼は為す術無く馬上から投げ出され空へ放られる。
ただでは転ばぬとばかりに右手の剣を咄嗟に投げ、ヴァイスの馬の脚を傷つけた。
ヴァイスは膝を折った馬から降りると、槍を振りかざしてタリムへ突撃する。
タリムは落とした左手が握っていた剣を蹴り上げ、右手で掴み槍を受けとめた。
そのまま身体を捻りながら槍の柄を蹴り上げる。
槍が天を突き、遂に隙が生じた。
ヴァイスの身体が逆袈裟型に赤い飛沫を上げる。
タリムがそう確信した瞬間である。
ヴァイスはただ平然と、槍の柄を振るいタリムを横倒しに地へ押しつけた。
決着である。
クラウスはただただ己が目を疑った。戦とは、こうも男児を一介の武人たらしめるものか。
ヴァイスは躊躇いも見せずに冷徹な温度の槍の先をタリムの首筋に突きつける。
「私の勝ちだ。タリムよ」
「ハッ、ンな口上要らねぇからとっとと首を獲れ。どうせこいつの出血で長くはもたねぇ」
左腕の切口を摩りながら不貞腐れたような口をきき、タリムは脱力した。
「……一つ聞きたい。お主は」
「何故裏切ったかって? 俺の半分は人族だからさ」
死の間際にあるからか、タリムは存外あっさりと意図を察して答えた。
「人族の混血であっても、御前試合で陛下の目に留まり、七勇将にまでなった。何の不満があったのだ」
ヴァイスの疑問は募る。自身の中にも半分は人族の血が流れていると知っているからだ。
「……何も知らねぇんだな。龍のように力のある種族が覇権を握る世界じゃ力の無い人族の大半は自由に生きられねぇんだよ」
「……人族は、不自由なものなのか?」
「質問ばっかでうるせぇなぁ…… 自分で考えやがれ」
怒ってみせながらも、タリムの語気にはどこか悲哀が感じられた。
「ホラ、さっさとしろ。俺も戦士だ。戦場で死なせろ」
口調は荒く、やはり自身の知るタリムと同一人物とは思えない。しかし、戦士としての死を望むその姿は、リンドヴルムの将軍に相応しい気概が未だ彼に残っているようにもヴァイスに感じさせた。
ヴァイスは己の態度を恥じて口を噤み、懐から短剣を取り出す。
タリムは決して表情を見せない。
しかし、少し。
ほんの少しだけ、声を滲ませて再び口を開いた。
「……妹が、いる。異国に住む唯一の肉親だ」
「何を莫迦な! 己がしたことを理解しておらぬか! 処するほかないであろう!」
怒鳴り飛ばすクラウスをヴァイスは手で制する。
「身勝手は承知だ。だが妹は何も知らない」
「助命を約束しよう」
「なりませぬ殿下! 復讐は巡るのです! その御慈悲はいずれ御身に牙を剥きましょう!」
「私は今から、それも含めて此奴の首を刎ねるのだ。如何なる理由があろうとも、命を奪うとはそういうことだ」
「……
目の前に自身の死を突きつけられ、それでもなお命乞いをせずに他の命を願うということは、たとえ肉親であってもどれほど難しいことだろう。
死への恐怖は生命の本能だ。
どんな綺麗事を並べようとそれは変わらない。
眉一つ動かさずに敵を屠る勇者も、自身の死を目前とすれば心臓を震わせ、涙を流し、怯える。
それはヴァイスが今日という生涯忘れ難い日に知った、物語には載っていない一つの真実だった。
それでもタリムは、自身よりも妹の死を恐れて声を震わせていた。
「不器用で馬鹿な娘だ。どうか。何処かで会うことがあれば、どうか俺のようにはなるな、と兄が願っていると、伝えて欲しい」
「……その望み、敬意を評し叶えよう。さらばだ。戦士タリムよ」
ヴァイスは渦巻く感情を押さえつけ、心穏やかに、生まれて初めて人の首を刎ねた。
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