第8話

ナキーム暦513年、秋。


「レギンレイヴ平野」


リンドヴルム王国の南東に位置し、更に東に拠点を持つ人間の国、自由レオーネによる領土侵犯が行われてきたその地は気温も乾燥も適度な平野であり、その豊かな気候から王国領となる以前は数多の騎馬民族が気ままな生活を送る土地であった。その騎馬民族が、現在大陸に比類なきリンドヴルムの騎馬隊の中核を担っている。

レオーネがこの平野を狙う理由は明白であった。海である。

現在、国土の西部を「ゲル海」に面しているリンドヴルム王国の他に港を保有している国は、冬は凍ってしまう「スルーズ海」を押さえ王国と姻戚関係にある北方のニーズヘッグ帝国、ゲル海に浮かぶ幾つかの小島の集合体からなる商業国家のグリフィン諸島連合、そして王国から大陸中央部を挟んで東、「ゲンドゥル海」沿いのフェニックス公国のみだ。

このレギンレイヴ平野は、その西部つまり王国真南に位置する湿地帯と面しており、また湿地帯はゲル海に接しているため、力が無いレオーネの人族たちは平野から湿地帯、ゲル海を結ぶ交通を整備し港を作り、グリフィン諸島連合を主な相手とした海運貿易への参入を果たす計画を目論んでいた。

海運の利権を求めたレオーネの拡大路線が原因で以前から関係悪化が顕著であったリンドヴルムとレオーネ。リンドヴルム王国軍は遂に侵犯を繰り返すレオーネ討伐の兵を出した。平野の更に東に都を持つレオーネだが、小国故にその守りは薄い。市街戦を避けるため慌てて防衛に出陣したレオーネ軍とリンドヴルム軍が睨み合ったのが、やはりレギンレイヴ平野である。

兵数はリンドヴルムが練兵を繰り返した精強な兵士総勢3万の軍勢であるのに対し、レオーネは民間人の緊急徴兵までかけてようやく7千に届くかどうかであった。


「ーー以上が、この戦の概況にございます。此度我らの3万の兵は、地の利を得るためにその6割を騎兵で構成しております。兵の配分は本隊の指揮をとる大将のジーク王太子殿下の下に1万。初陣のヴァイス親王殿下の下に8000。こちらには七勇将筆頭にして歴戦の猛将たるクラウス殿が補佐として副将に付きます。更に、選りすぐりの騎馬のみで編成したソル紅騎隊1000。私の指揮するサイガ隊4000。以下七勇将の方々、バルト隊2000。ギリアム隊2000。シーナ隊1000。タリム隊1000。コーマ隊1000。配置はこの図に示した通り。これを以って戦いに臨みます」


天幕の中で行われている軍議を仕切るのは、ジークより幾らか年上の赤髪短髪の美青年。平時は文官であって戦時は文官でない。リンドヴルム王国の軍師であり軍司令官、大督将だいとくしょうサイガ・フレスヴェルグ。フェニックス公国に生まれたが、その軍才故に文治路線の公国内部では疎まれたために出奔し、リンドヴルムに仕えたという変わった経歴の持ち主であった。リンドヴルムは徹底した実力主義のため、かの第二次リヴァイアス海峡戦の功を買われたサイガの昇進は早く、今では将兵の配分、布陣、策などまで含め戦の全体を取り仕切る。


「異論のある方はいらっしゃるか」

「大アリだね大督将!」


声を上げたのは栗色の髪をポニーテールにまとめた、この軍議に参加する唯一の女性だった。男勝りでも名が通っているシーナ・カーバンクルである。


「七勇将に任じられて間もないタリムとコーマが1000の兵なのはわかるが、何故あたしの兵がバルト殿やギリアム殿より少ないのかご説明願おうか!」


席を立ってシーナがサイガに指を指しながらまくし立てる。サイガは、ギロリと効果音が付きそうな剣幕でシーナを睨みつけた。そもそもシーナとサイガの馬は合わない。シーナは何故文官が武官に指図するのかわからなかったし、サイガは何故シーナが感情論でしか動けないのかが理解出来ないのである。ため息と共にサイガは起立した。


「客観的事実だ。バルト殿やギリアム殿はお主より経験も深く、優れている。多くの兵をお主に与え、敵を寡兵と侮り、兵を失うことになっては七勇将の名折れであろう? これは私の気遣いだ」

「なんだと!?」

「二人とも控えぬか。ジーク、ヴァイス両殿下の御前ぞ」


落ち着き払った様子で二人を諌めたのは今しがたヴァイスの副将を任せられた七勇将筆頭クラウス。将の鑑と今なお畏敬を集めるそのクラウスの声を聞けば、サイガもシーナも口を噤み再び着席する他なかった。


「……軍議はいつもこんな感じに揉めるんだ」


ジークがコソッとヴァイスに耳打ちした。完全に固まって今迄見ていたヴァイスとは裏腹にジークは口を挟まないながらも非常に楽しそうである。


「そうむくれるなシーナ。兵数は俺も変わらんぞ」

「紅騎隊の1000は1万の軍より価値あるよ……ソル兄のバカっ」


全くフォローにならない男からの的外れなフォローによって更にぶすっと膨れるシーナの様子に、遂に噴き出したのは先ほどまで退屈そうに端の方で鼻をほじっていた巨漢の青年、ギリアム・オーガ。


「相っ変わらずシーナ嬢はおんもしろいのう! さっきまで大督将に獅子のように吼えておったんが、急に猫になっとるんじゃから! 声色が違い過ぎるじゃろう!」

「な、なな何を……!」


シーナが一気に顔を紅潮させて固まった。対して、ソルは意図が理解出来ずに首を傾げる。


「は?」

「ワシがこう言っても何も気づかんから、国内外でモテモテのはずの紅騎将が未だに女の一人もおらんのじゃ」


ガハハ、と笑いが止まらない様子で声を上げるギリアムをよそに、クラウスよりも更に年上の、杖をついた薄目の老将が白く長い顎髭を撫でながら口を開いた。


「若造どもめが軍議にちょうどよく水も差したところだしの。猫も丸くなったこの期に、そろそろ軍議も締めるかの。もとより我らは謀は不得手の粗忽者ばかり。理に無きことを申さぬ限りは、大督将に一任致すが道理であろうの」


通称白髭殿、バルト。大督将にも収拾つけ難い七勇将の御意見番である。


「……タリム、コーマ。お前たちは意見は無いか?」

「だ、だだだ大督将殿に意見など! 滅相もございません!」

「……我はただ与えられた任をこなすのみ」


七勇将とはとても思えないオドオドとしたひょろい青年はタリム・スコル。そして黒い頭巾と法衣で目元以外を隠した黒ずくめがコーマ・ヨルムンガンド。この二人は、数年前に当時の七勇将が二人同時期に退役したことを受けた御前試合で実力を認められた新参だった。


「さて、ならば話は終わりだな」


王国を代表する将軍たちを前に萎縮していたヴァイスと違い、立ち上がり口を開いたジークには物怖じの色がまるで無い。


「私は今、改めて貴公らを誇りに思う。貴公らの口から敵軍を侮る心を感じなかったからだ。貴公らのような誉れ高き武人とて、戦を好まぬ者や武功を焦る者もいよう。もしあらば、油断、臆病、焦燥はここに置いてゆけ」


ヴァイスはビリビリと肌を刺すような士気を感じていた。

感化されているのだ。まだ若いジークの言葉に。歴戦の将軍たちが。


「忘れてはならぬ。貴公らの一人一人が、リンドヴルム王国そのものであり、その栄華の証なのだ。生きて帰らず戦場に屍を晒すは恥と心得よ。今一度、我らの強さを大陸中に知らしめるぞ!」


応と響く声。ヴァイスはただただ、ジークを見ていることしかできなかった。

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