金色の姫君
その声に彼女の剣が止まる。
私の首を剣が貫く事は無く、その切っ先が触れる直前で彼女の動きが止まったのだ。
私の首には僅かの傷も付ける事無く、彼女は剣を下ろし、玉座の横へ跳ぶと、直ぐに剣を鞘に納めた。
自分でも滲み出た脂汗がこめかみを、頬を通り、顎から垂れる感触が伝わる。
気付けば私は息を荒げ、肩で呼吸をしていた。
今はひたすらに安堵し、彼女を震えた瞳が捉える。
私の首を狙った彼女は、いかにも悔しげな表情を明確に私だけに向け、軽く舌打ちをしたのが分かった。
そして、張り詰めた空気の中、ゆっくりと、足音が近付く。
カツン、カツン、と乾いた音。
ヒールの音だろうか。
先程の声も女性のものである事を考えると納得がいく。
やがて、部屋の奥の扉が開き、声の主が現れた。
緩くふわりとしながらも、艶のある漆黒の髪。
吸い込まれる様に深く、黒い黒曜石の様な瞳。
真珠の様に艶やかで色白な肌。
そして、表地が黒く、裏地の紅いアーマー付きのマント。
一瞬で、彼女が誰か、皆は理解した。
「ようこそ、勇者さん
私が、この城の主……
魔王、ヴァレンシア・クーネロイスよ」
彼女は私達の前に立ち、優しく微笑んだ。
「この女が……魔王だと…?」
彼女を見るなり、レオンが先程蹴られた腹部を押さえながら立ち上がり、そう呟く。
その表情は痛みに歪み、むせる。
同時に、アルも槍を杖にしてゆっくりと立ち上がる。
「えぇ、紛れもなく」
彼女は玉座の前に立ち、我々を前にしても妖艶に含みを持たせた笑みを絶やさない。
そして、振り返る事無く自らの後で佇む金髪の少女に話し掛ける。
「レイチェル、下がって構わないわ
そうね……ついでに紅茶でも淹れておいてくれるかしら?」
「はっ、承知致しました」
彼女の令に、少女は軽く頭を下げると再び自らの影に消える。
その間際、少女は再び私に悔しげな視線を送っていたが。
「ふぅん……見た所、質の悪い実力では無さそうね……」
彼女は私達を見渡し、変わらぬ微笑みを浮かべている。
だが、私達は共通してある疑問を感じていた。
彼女が、本当に魔王なのかどうかである。
その要因は、彼女から一切覇気が感じられないからだ。
「はっ……ははははは……
ただのコスプレか?
嘗めてンじゃねぇぞ、糞アマ……」
乾いた笑いと共に再び声を上げるレオン、こちらから顔を確認する事は出来なかったが、恐らく、彼の性格から、彼の顔は鬼の形相をしているだろう。
声色も怒りに満ちている。
彼は自らの斧を力任せに地面に突き刺し、彼女を睨んだ。
彼がその怒りに任せる様に右手を掲げる
そして、声を荒げ彼女へ向けて言い放った
「遊びでやってんじゃ……
ねぇぞぉぉぉぉッ!!」
光術『フラッシュ・ゲイル』
次第に彼の掲げた右手が強い光りを放ち、そのまま手を降り下ろす……
その軌跡を辿る様に光の刃が形成され、まさに光速で放たれた
だが、その刃が彼女に届く事は無い
光の刃は彼女の眼前で反射する様に彼の足元に突き刺さり、鋭利な傷を付けたのだ
「ッ……!?」
私達が、特にレオンがその理解し難い状況に驚く中、彼女は微動だにせず笑みを浮かべたまま口を開く
「ふふっ、流石は勇者と言いたい所だけれど、私にその手の魔法は効かないわよ?」
余裕そうにそう語ると、彼女はゆっくりと続ける
「さ、貴方達はもう準備が出来てるのでしょう?
私も魔王として、貴方達に誠意を持ってお相手させて頂くわ
そうすれば……貴方達は確実に私を魔王として認めざるを得なくなるのでは無いかしら、ね?」
変わらぬ妖艶な微笑み……
それが、次第に私達を恐怖へと誘う
ただひたすらに、私達は動物的な恐怖を感じ始め……
そして、彼女は、ゆっくりと艶めく髪を……
ふわりと掻き上げたその瞬間に私達は純粋な恐怖に包まれる。
彼女のその艶やかでふわりとした漆黒の髪は、毛先から流れる様にさらさらとして真っ直ぐな髪に、そして美しい金色に染まり、神々しい光に包まれ……。
その黒曜石の様に深く吸い込まれる様な深く黒い瞳は全てのモノを燃やし尽くす焔の様に、揺らめく緋い瞳に変わる……。
同時に、彼女からはあまりにも禍々しく、あまりにも神々しい何かが噴き出し、私達は否応なしにそれに呑み込まれる。
純粋なその力の奔流に私は吐き気さえ覚える。
それどころか、立っている事すらままならない。
それ程に純粋な力に……。
私は今まで経験した事の無い狂気を感じ、それを畏れているのに気付く。
身体中を蝕み、縛り付ける王たる狂気。
目の前に立つ者が、確実に魔王であると強制的に認識させられた。
その。
何時間にも。
何日にも。
何ヵ月にも。
何年にも。
永く感じられたその時は。
僅かに一瞬の事だ。
「……さぁ、これで分かったでしょう?」
彼女が浮かべていた妖艶な笑みの正体。
「私が紛れもなく、魔王であると……」
それは、王たる者の。
「さぁ『何も知らない憐れなお人形』さん」
単なる絶対的な余裕だったのだと……。
「こんな無意味な世の中に別れを告げさせてあげる」
身を以て思い知らされた。「あ……あぁぁ……」
声が上がる、恐怖に怯えた声だ。
それは、我らが勇者から発せられていた。
「……お前は、お前は何だ!?」
「何……って、名乗った通りよ、それ以上でもそれ以下でもない、貴方達が倒すべき敵、それ以外には無いでしょう?」
彼女は妖しく微笑み、それであって淡々と彼の問いに応える。
「レオン……?」
あまりに様子の可笑しいレオンを横目に見たアルがその肩に触れる。
だが。
「触るなッ!!
……危険だ、お前はッ!!
何よりも、誰よりも……
お前の存在は危険だッ!!」
彼は自らの身体の震えを振り払う様に、自らの横に刺さった斧を掴み、肩に担ぐ様に構える。
するとどうだ、斧頭の機関部から重低な凄まじいエンジン音が轟く。
「お前ら………いや、アリカだけでも良い、下がれ
コイツばかりは俺が殺る
俺の、獲物だ」
彼の声色が変わる、今までの怯えたそれではなく、如何にも勇者と言える、勇ましき言葉だ。
「そんな、レオン……何言って……」
私は食い下がる様に言う。
しかし、だ。
「アリカ、レオンは殺る気だ
全力で下がれ」
そう諭すのは、あの力の奔流を受けたにも関わらずその表情を曇らせすらしないアル……。
私は、二人の言うがまま、僅かに後退る。
「良い子だアリカ、それで良い……
アル、サポートは任せる」
「あぁ、任されたぜ、相棒」
アルは私に少し微笑み、大槍を魔王へと向ける。
「……流石は勇者ね、本当、呆れるわ
『何も知らないお人形さん』の『糸』を切るのはそろそろ飽きてきた頃だけど……」
彼女は溜め息を吐き、腕を組む。
「来なさい、相手をするわ」
そして、緋き瞳の目付きが鋭く変わった。
「アルヴィオン・キリング・ロゥ!!
推して参るッ!!」
まず先に飛び出したのはアルだ。
彼は一瞬にして魔王との間合いを詰める。
私が今までに見た事の無い程に、一瞬。
「へぇ、速いわね……」
彼女は変わらず腕を組んだまま、静止を続ける。
そんな彼女にも容赦なくアルの大槍が彼女の首に向けて突き出される。
だが、その刃も彼女の身体を貫く事はない。
槍は小刻みに震え、彼女の目の前で止まる。
「ちっ……やっぱり障壁持ちかよッ!!」
アルが声を荒げると、槍ごとアルが弾き飛ばされる。
しかし、宙で体制を整えると音も起てずに着地する、その姿は非常に鮮やかで、軽い。
「レオンッ!
ソイツの出番だ!!
先に障壁に穴を開けるッ!」
「了解だッ!!」
対魔『斬魔閃』
二人の息の合ったコンビネーションに私は息を飲む。
下調べの為にアルが先行し、その軽業で敵の対応を確認し、瞬時にその対策の術、今回であれば純粋な魔力の壁であり、魔法使いであれば頼らざるを得ない防御方法である魔法障壁を破る技を発動する。
分かりやすい戦法だが、魔法使いタイプには効果的な戦法だ。
そう、ただの魔法使いタイプであれば、だ。
「貫通術式ね、どうしても私を動かしたいの?」
彼女は微笑んだまま、両手を下ろす。
同時に、アルが障壁貫通術式を帯びた槍で突っ込む。
「これでどうだぁッ!!」
槍は再び彼女の、今度は開いた鳩尾に狙いを定め、突き刺す。
だが……。
「ふふっ、そんな一般的な魔法使いの障壁を切り裂く程度の技で、私の障壁を貫けると思って?」
「ぐっ……」
槍は先程と同じく、小刻みに震えて彼女の前に止まる。
「ふふっ……」
「まただ、レオンッ!!」
アルが叫ぶ
「待たせたな、充填完了だ……」
レオンが呼応する様に呟き、魔王に向かって走り出し、その重々しい轟音を起てる斧を力任せに振り上げ、魔王の頭上へと跳び上がったのだ。「これで決めるぞ!!
魔王ッ!!」
魔王の頭上、10m程から落下する衝撃と共にその轟音を起てる斧を力任せに振り下ろす。
同時に、レオンの足場を確保する様にアルが後方へと下がる。
「……何をするつもり?」
彼女は自らの頭上から狙うレオンをただただ見詰める。
しかし、それも宙で止まる、魔法障壁だ。
「まだだ、ブーストぉぉぉッ!!」
彼の掛け声と共に斧から起てられる轟音は更に激しさを増し……。
機関部の後方のブースターから勢い良く炎が放たれ、斧は更に加速する。
ギリギリと音を起て、障壁に刃向かった。
それでも、斧は通らない。
「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!」
「……はぁ、力んでる所悪いけど、そろそろ目障りよ」
魔王はただ淡々と手を振り払う。
そして、いとも容易くにレオンと斧は吹き飛ばされた。
「ぐぉッ!?」
斧は私の前に突き刺さり、レオンはアルの前に転がり落ちた。
「レオンッ!!」
私は思わず彼の名を叫ぶ。
そうせざるを得なかったのだ。
今まで何の感情も、彼に抱く筈はなかったというのに。
私は心から彼の身を心配する様に叫んだのだ。「さて、やっぱり飽きてきたわね……」
彼女は溜め息を一つ吐くと私達に向けてすっ、と右手を開いて向けた。
その右手は少しずつ淡い光に包まれる……。
いや、あれは純粋な光と熱に変換された魔力が彼女の右手に集中し、圧縮されているのだ。
「貴方達のその健闘に敬意を評して……
せめて、一撃で葬ってあげるわ」
輝術『ジャスティ・スパーク』
彼女はクスリと笑う。
そして、次の瞬間、彼女の右手から凄まじい光がほとばしり、極太のレーザーが放たれた。
「しまっ……」
私は直ぐ様反応し、目の前に居た二人を包み込む様に魔法障壁を展開しようとするものの、間に合う事はなく……。
「アリ……」
「ちぃっ……」
二人は、純粋な光と熱に包まれ、蒸発してしまった。
比喩表現ではない、二人の鎧、服、皮膚、血肉、骨、その全てが一瞬にして蒸発し、消え失せてしまったのだ。
だが、その光は、私に届く事はなく、私の目の前で湾曲したのだ。
「あっ……」
しばらくすると、光は消え、私の目の前に二人の姿は無く、そこに立っていたのは……。
「……私、女の子を殺す趣味はないの
出来るなら、お帰り願えるかしら?」
右手をゆっくり降ろし、私に背を向ける……。
圧倒的な力の奔流によって私達を翻弄した絶対的な王、ただ一人であった。
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