『竹輪』
矢口晃
第1話
来年小学校二年生になる勇太君は、国語の授業でみんなの前に立って作文を朗読していました。
それは十二月の、木枯らしがぴゅうぴゅうと吹くとても寒い日のことでした。
勇太君は学校に来る前、朝布団の中で眠っている時に、ある夢を見ていました。そのことを作文に書いて、勇太君は四十名のクラスメートが見つめる前で、堂々と大きな声で作文を朗読しています。
担任の松前めぐみ先生は、時々北風がぶつかってがたがたと小さく鳴る窓際に立って、他の児童たちがそうしているように、静かに勇太君の朗読に聞き入っていました。
いつもかけているはずの縁のない眼鏡を、先生は今日はかけていませんでした。朝礼の時からそのことに気がついていた児童たちが、
「先生、どうして眼鏡してないの?」
と聞きましたが、先生は、
「内緒よ」
と笑って、理由を教えてはくれませんでした。
そしてこれがこの日の四時間目の国語の授業でした。作文を発表することになった勇太君は、
「こほん」
と少し誇らしげに咳ばらいをすると、自分の書いた題名を元気よく読み上げました。
「今日の夢」
それを聞くと、座っていたクラスメートたちの間に早くもざわめきが起き始めました。勇太君はそれが静まるか静まらないかのうちに、いよいよ作文の本文を読み始めました。
「今朝、俺は夢を見ました。それはとても面白い夢でした。気が付くと、俺はある洞窟の中を歩いていました。洞窟と言っても、それは岩でできた洞窟ではなく、スポンジのようにやわらかな洞窟でした」
一番前に座っている恥ずかしがり屋の温子が、「くすくす」と笑い声を立てました。
「あたりは一面真っ白でした。俺は洞窟の中をずんずん進みました。不思議と怖くはありませんでした。なぜなら普通の洞窟のように暗くはなかったからです。それにとてもまっすぐな一本道でした。ただ、洞窟の中はすごい水分で濡れていて、壁や床がとてもすべりました。だから気をつけないと、俺はすぐに転んでしまいそうでした。でももし転んでもたぶん大丈夫だろうと思いました。なぜなら、床や壁はふわふわのクッションみたいだったからです」
さっきまでざわついていたクラスメートたちも、早く続きが聞きたいというような真剣なまなざしで、じっと勇太君の作文に聞き耳を立てました。
「俺はまぶしい光のする方へ、それからもずんずん歩きました。そしてとうとう最後まで辿り着きました。穴から這うように出て地面に立った俺は、今通ってきた大きな洞窟を見上げてみました。するとそこには、体育館よりずっと大きな筒のようなものが一個、ごろりと転がっていました。
『うわあ、すごいなあ』
と、俺が言いました。すると、いつの間にか俺の隣に来ていた松前先生が、俺の方を見ながら、
『がんばったわね。ここがゴールよ』
と言いました。俺は先生に尋ねました。
『先生、あれはいったい何ですか?』
先生はにっこりとほほ笑みながら、
『あれはちくわよ』
と俺に教えてくれました。
俺は最初、
『嘘だい』
と思いました。なぜなら、そんなに大きなちくわなんてあるはずがないからです。
すると先生は洞窟の壁を自分の手でちぎって、
『本当にちくわよ』
と言ってむしゃむしゃと食べ始めました。俺はびっくりして目を丸くしましたが、すぐにまねをして食べてみました。するとそれは本当にちくわでした」
クラスメートの何人かが、声を立てて笑っています。中でも一番後ろの席の、体の大きなあきらは、遠慮もなしに大きな声で笑っています。
クラスのみんなの楽しそうな表情を見て、勇太君も大変満足そうな面持ちで気をつけをすると、
「これで、俺の作文は終わりです」
と言いました。みんなから、すごい拍手が起こりました。
ぱちぱちぱち、と手を叩きながら松前先生は、
「はい。大変じょうずに読めました。それでは勇太君、席へ戻ってください」
と勇太君に言いました。
「はい」
と元気よく返事をして勇太君は自分の席へ戻りました。そして椅子に座るのかと思った瞬間、
「先生」
と勇太君は右の手をまっすぐ上に伸ばして言いました。
「はい。勇太君」
教壇に戻った先生がそう言うと、
「先生、質問です。どうして今朝夢の中で会った時には、先生はいつものように眼鏡をかけていたのに、今日学校に来たら外していたんですか?」
先生は優しい眼差しで勇太君の方をじっとみつめながら、
「それはね」
と言いました。それから一瞬間をおいて、先生はこう言いました。
「さっきのちくわの中に、忘れて来ちゃったのよ」
松前先生の言葉に驚いて、教室中がまたざわざわとしました。先生の話を信じないで笑っている子や、信じて不思議そうな顔をしている子など、その表情は様々でした。その中で人一倍嬉しそうな顔をした勇太君は自分の椅子の上にぴょんととび乗り、
「じゃあ、俺今日帰ったら早く寝ます」
「あら、どうして?」
松前先生は首をかしげて勇太君に聞き返しました。
勇太君は椅子の上で、胸をそらしてこう答えました。
「もう一度ちくわの中に入って、先生の眼鏡を探してきます」
教室中が、どっと笑いに包まれました。四時間目の終りを告げるチャイムさえ、ほとんど聞こえないくらいでした。
勇太君の作文のお陰で、みんな楽しい気分で給食の準備をしました。
その日の給食は、ちくわのたくさん入ったおでんでした。
『竹輪』 矢口晃 @yaguti
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