第18話 対峙(2)

 僕とアリシアが外に出ると周囲はざわついた。ノーベルハイドの人殺しの吸血鬼と行方不明になっていた侯爵令嬢が一緒に姿を見せたからだろう。

 アリシアの僕の手を握る力が強くなった。

「アリシア! 無事だったか」

 すぐさま声を張り上げたのは僕から見て右側にいる四十代ぐらいの貴族の男だった。茶色の髪に同色の瞳。アリシアの目の色はきっと父親譲りなのだろう。

「私は無事よ、お父様」

「おお、そうか……」

「お待ち下さい、メイスン侯爵」

 僕達の方へ向かってこようとしたメイスン侯爵をその左隣りにいた二十歳前後であろう男が制す。

「アリシアの傍には人殺しの吸血鬼もおります。迂闊に近づかない方がよろしいかと」

 白金の髪のその男の緑色の瞳が僕を睨みつける。侮蔑と敵意が混ざったようなそんな目で、それはファリントン家の次期当主であるアルフレッドが僕に向ける眼差しととてもよく似ていた。

 彼がおそらくアリシアの婚約者であるロイド・レッドフィールドなのだろう。

「そ、それもそうだな」

「ノエルは無闇に人を襲うような真似はしません」

「だがそいつは吸血鬼なのだろう? 我々にとって安全だという保証はどこにもない。お前がアリシアを私達の元へ連れて来い」 

 僕のことをフォローしようとするギルを一蹴し、ロイドは言った。

 ギルが僕とアリシアの方へ無言のまま振り返った。その眼差しは言外にアリシアを連れて行っても良いか? と問いかけてきていた。

 このまま彼女をギルに任せ、父親と婚約者に引き渡すのは良くないような気がしたが、断れる雰囲気ではない。それに拒否したところで、僕がアリシアに何かしてあげられるわけでもない。

「私は戻らないわ」

 後ろから凜とした声が響いた。アリシアだ。彼女がそう言った。

「も、戻らないとはどういうことだ、アリシア」

 狼狽するメイスン侯爵の言葉は僕の気持ちをも代弁していた。僕は思わず彼女を見つめる。

「そのままの意味よ。私はもうお父様達の元へは帰らないわ」

 アリシアは僕達の眼差しに臆しもせず続けた。

「私達の元へ帰らず一体どうするつもりだというのだ? アリシアにはわからぬかもしれぬが、お前一人では生きていけるほど世の中は甘くはないのだぞ」

「私は彼と一緒になるの」

「え……?」

 メイスン侯爵と同じように困惑していた僕は彼女の発言に思わず間の抜けた声を出してしまった。 そんな話は聞いていない。というか承認したお覚えも、そもそもそんなことを話し合った覚えもない。

「『彼』というのはそこの吸血鬼のことか?」

 誰もが絶句していた中、口火を切ったのはアリシアの婚約者であるロイドだった。

「そ、そうよ」

 ロイドから直接問いかけられ彼女はわずかに怯んだが、はっきりと肯定した。

「そこの吸血鬼は一体何の権利があって私を差し置いてお前と一緒になる気なんだ? それ以前に人殺しの吸血鬼だ。いつかお前も血を吸われて殺されてしまうぞ」

それでも構わないわ。私は彼と一緒にいたいの」

「何を言い出すんだ、アリシア。私もロイド君もそんなことは許さないぞ」

「お父様達が許さなくたって私は彼と一緒になるわ。だって私のおなかには彼の子供がいるもの」

「え……!?」

 思わず声が出ててしまった。僕とアリシアは間違ってもそんな関係になっていないし、そもそも僕らはまだ出会って二日ぐらいしか経っていない。仮にそういう関係になっていたとしてもそんなに早く子供ができるわけがない。

「アリシア。僕とよりもその子供の相手と一緒になった方がいいんじゃないかな?」

「そんな相手、いるわけがないでしょう!」

 小声でそう声を掛けると、アリシアは顔を赤くしながら強く、けれども僕やギルにだけ聞こえる声でそう言った。

「じゃあ、まさか……」

「それもないわよ。……きっと。私はあなたとならそういうことになっても良いと思ったの」

 最悪な想像をした僕に対してアリシアはすぐさま否定した。

「アリシアに吸血鬼の子供が・・・・・・!?」

「……」

 驚きのあまり卒倒しそうになるメイスン侯爵に沈黙する彼女の婚約者。

「ノエルよ。それは本当か?」

 その時うろたえるメイスン侯爵とは対照的に厳かな声がその場に響いた。

「……お久し振りです、お祖父様」

 僕はメイスン侯爵達の前に現れた人物に対して挨拶する。元々金髪だったであろう髪は白くなっており、顔に刻まれた皺も深いが背筋はまっすぐで厳格な雰囲気を醸し出している老人。緑の瞳は相変わらず僕のことをまるで敵であるかのように睨んでいた。

 祖父だ。ヘクター・ファリントン侯爵。現在は息子のフレディ・ファリントンに領地の統治等の権限は譲り隠居しているものの、このノーベルハイドにおける彼の功績は計り知れない程ある。そして、僕にリリという婚約者をあてがったのも、その彼女を殺してしまった後、このノーベルハイドの森の中で一人ひっそりと生きて絵画制作を続けられるのもそんな祖父の采配である。

「挨拶など無用。私の問いに答えろ」

「すみません」

 僕は謝罪する。祖父が望んでいる答えはアリシアが僕の子供を身ごもってしまったかどうかだ。頭ではわかっていたが萎縮してしまう。

 祖父のことが子供の頃から苦手だった。

 アリシアに僕の子供などいるはずもない。僕は彼女のことを殺してしまう。

 しかし、彼女が父親達に宣言し、さらに僕の祖父まで出てきた以上、後には引けなくなっていた。本当のことを話したところで彼女は父親と婚約者の元へ連れ戻され、不幸になるだけだ。

「……はい。身籠もっているかは彼女の主観なのでなんとも言えませんが、身に覚えはあります」

「ノエル!」

 たしなめるようにギルが叫ぶ。本当は身に覚えなんかない。けれどこう答えるしかなかった。そうしなければこの場は収まらないのではないかと思えた。

 父親や婚約者の方を凜とした佇まいでまっすぐ見つめるアリシア。しかしその肩はわずかに震えていた。やはり夜な夜な手込めにしてきた婚約者のことが怖いのだろう。

 このままアリシアを引き渡せば彼女は未来永劫泣き叫ぶ程辛い思いをし続けるのだろう。ずっと不本意なままその身体を犯され続け、いずれは世継ぎの子供を産み一生を終えるのだろう。

 アリシアがそんな風に不幸せになってしまうのは嫌だった。気が強くて素直じゃないけれど、彼女には生きて幸せになってもらいたい。

「お前はメイスン家の令嬢を好いているのか?」

「はい」

 嘘だ。白々しい。

 僕が愛しているのはリリ、ただ一人だけだ。アリシアのことは嫌いではないが、彼女に対する恋愛感情は僕にはないし、これから持つ気もない。もしそんな感情をアリシアに対して抱いてしまったら、僕はきっと彼女をリリと同じように殺してしまうだろう。

 そう思ったが、祖父の問いには肯定するより他なかった。そうしなければ彼女を救えない。

「お前はメイスン家の令嬢と添い遂げたいのか?」

「アリシアは、吸血鬼である僕に殺して欲しいと言ってきました。けれど僕はそんな彼女に生きて欲しいと思いました。叶うのならば彼女が幸せに生きていくのを見届けられればと考えています」

「アリシアはレッドフィールド家に嫁ぐ予定だ。今はまだ幼くじゃじゃ馬なところもあって嫌がってはいるが、それがアリシアの幸せだ。殺して欲しいなんてそんな世迷い言……。アリシアの幸せを壊そうとしているのはお前じゃないのか!?」

 祖父と僕の会話に割って入り、メイスン侯爵は叫ぶ。この人にとってアリシアは愛娘で、純粋に彼女の幸せのために、ロイド・レッドフィールドと結婚させようとしているのだろう。

「私はあの人とは――ロイドとは結婚しないわ!」

「その話は何回も聞いたが……。アリシア。お前は本当にそこの吸血鬼と一緒になりたいと言うのか?」

「そうよ私は、彼と――ノエルと一緒になるの。私はノエルと一生を共に歩むわ!」

 アリシアはそうはっきりと宣言した。

「アリシア、無知なお前には難しいかもしれないがよく考えてくれ。そいつはノーベルハイドの人殺しの吸血鬼だぞ。いつ殺されてもおかしくないんだぞ」

「もし彼に殺されるならば、その時は天命だと思って受け入れるわ。私はいつ死んだって構わないもの。このまま嫌な結婚をさせられるより、ずっとマシよ」

「アリシア! ロイド君の前でなんてことを言うんだ」

 メイスン侯爵はアリシアの婚約者に対する物言いを咎める。

「別に構いませんよ、メイスン侯爵。アリシアが私のことを毛嫌いしているのは事実ですから。だが、吸血鬼。婚約者とはいえ、他人(ひと)の女に手を出すとは一体どういった了見だ? それがファリントン家のやり口なのか? この私を――レッドフィールドを侮辱する気か?」

 ロイドは僕を底冷えするかのような目つきで睨みつけてきた。

「……」

 僕はそれに答えられない。ロイドにとって僕は婚約者を奪おうとしている間男だ。アリシアにした仕打ちや彼女との関係からして、おそらくロイドも自身の婚約者のことなど好いていないだろうが、貴族としての面子がそれを許しはしないだろう。

「孫の無礼はこの私から詫びよう」

 僕の代わりに答えた声はどこまでも威厳に満ちていた。

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