第19話 対峙(3)
「お祖父様……」
あの祖父が頭を下げた。ロイド・レッドフィールドに向かって。
「それ相応の責は私が負おう」
「……」
新興貴族であり、おそらくそれ程の爵位もないロイドは、何代も続く名家であるファリントン家の長ともいえる祖父に謝罪されれば黙るしかない。「メイスン侯爵。貴殿は我がファリントン家が保有している絵画に興味がおありでしたな」
「……そ、そうですが。貴殿の保有する絵画がどれ程のものか確かめるべく、ノーベルハイドへ伺わせてもらいました。実際どれも非常に価値のある、すばらしい品々でした」
「今回の件は私の孫の落ち度。孫にご令嬢への責任を果たさせてもらえぬか? 代わりにこちらの条件はなしでお譲りしよう」
「しかし貴殿は、私が保有するラミエルの人物画を所望していたはず。ラミエル・フロードは元々貴殿が懇意にしていらっしゃった画家だ。貴殿が二十四年前に突如彼の描いた全ての絵画を売却しなければ私共では手が届かなかったであろうもの。しかもラミエルの人物画はたった一枚きり。元々は貴殿の手に渡ることを望まれた作品。貴殿が惜しくなったのも無理はない。それを諦められるというのですか? それに貴殿が保有している絵画はどれも非常に価値の高いものばかり。とても簡単に収集できたとは思えない。どれも贋作すら存在しない一点ものばかりだった。それらを手放すというのですか?」
メイスン侯爵の声音は震えていた。貴重な絵画がアリシアと引き換えに手に入る喜びにではなく、ラミエルの人物画やを手に入れる機会を、そして保有している絵画をもでも言うかのように。それ程、孫で吸血鬼である僕の意思を尊重したいのかとでも問いたいかのように。
「よい。奴が渡したかったのは私ではなく娘――フィオナだった。フィオナ亡き今、すでに遅かったというもの。今更取り戻そうと、やはり贖罪にもならない。数々の名画を手放しても孫には――ノエルには想う相手と添い遂げさせてやりたい。それがメイスン侯爵――貴殿の娘ならば、レッドフィールド氏には大変な無礼を働く形になり申し訳ないがもらい受けることはできぬだろうか? もちろんそれなりの条件は飲もう」
再び祖父はメイスン侯爵と、アリシアの婚約者であるロイド・レッドフィールドに頭を下げる。厳格で高貴な風格に満ち溢れたあの祖父が。僕のために。いつも敵でも見るような険しい視線しか向けて来なかったのに、僕が愛しているという設定になってしまっているアリシアと添い遂げられるように。
母は――フィオナ・ファリントンはラミエル・フロードの絵が好きだった。彼の画集は母の宝で、同時に僕の宝でもあった。けれどそれだけのはずだ。
ラミエルが母に渡したかった絵画があった? そもそも母はラミエルを知っていた? ラミエルも母を知っていた? そしてラミエルは祖父が懇意にしていた画家だった?
「そちらのご令孫は、髪と目の色は違えど、ラミエル・フロードに似ている。二十四年前に失踪――いや、貴殿が追放された。私はあまりお目にかかったことはないのですが、それでもはっきりと申し上げることができる程に。貴殿がそこまでの条件を提示されるのはそれが理由なのですか?」
戸惑う僕をよそにメイスン侯爵は言葉を紡ぐ。メイスン侯爵には僕とはまた別種の動揺が感じ取れた。
「……ご明察の通り。これ以上、私から申し上げられることは何もございますまい。メイスン侯爵。レッドフィールド子爵。どうか孫のノエルにアリシア嬢への責任を果たさせてもらえぬか?」
祖父は再び二人へ頭を下げた。
「そんなことが……」
そんな祖父へ反論するかのように、アリシアの婚約者であるロイドは口を開こうとする。しかし、アリシアの父親であるメイスン侯爵がそれを制する。
「……」
忌々しげに祖父と、そして僕とアリシアに視線を遣りながらもロイドは沈黙する。
「アリシア。お前の隣りにいるのは――共に生きたいと言っている相手はノーベルハイドの人殺しの吸血鬼だぞ。そんな相手でお前は本当に幸せになれるのか?」
しばし逡巡するかのように押し黙ったメイスン侯爵はアリシアを見つめ、彼女自身へと問う。
「私は彼が吸血鬼であろうとなかろうと一緒になるわ。私は、たとえいつか殺されるようなことになったとしても、彼とだったら幸せになれるって言えるわ」
「だが普通の暮らしはできないぞ。人里にすら容易に近づけないだろう」
「構わないわ。元々、私に近づく人なんていなかったでしょう」
「それは……」
毅然と言い返すアリシアにメイスン侯爵は言葉を失う。
「結局のところ、私はどこにいても一人なのよ。だから私はノエルと生きるの。彼と一生を共にするの」
「ロイド君だってアリシアと一緒にいてくれる。生きていけるはずだ」
「あの人は――ロイドは私と一緒には生きてくれない。別に私を必要とはしていないわ。お父様とメイスン家とさえコネクションを作れればいいのよ。私との結婚はその足がかりに過ぎない。私のことを愛してはくれないわ」
「そんなはずないだろう。それはアリシアの決めつけだろう」
「もしロイドが私のことを愛してくれようとしているなら、私の意思を無視したりなんかしないはずよ」
なだめようとするメイスン侯爵にアリシアは叫ぶ。僕の手を震えそうになる自身をごまかすかのように強く握り締めながら。彼女の叫んだ言葉にはきっとたくさんの意味が込められている。
「自己中心的でずけずけと言いたい放題な女を愛する男がいると思うか? 全くおめでたい頭だな」
今まで沈黙を貫いてきたロイドが口を開く。しかしその言葉はあまりにも辛辣だった。
「ロイド君……」
メイスン侯爵の驚きの声も途中で消える。それ程までに彼の声音からは明確な憎悪が感じ取れた。
「あなただって……」
「アリシア」
僕はロイドに言い返そうとする彼女の名前を呼び、止める。反射的に立ち向かおうとしているのだろうが、彼女の手は震えている。強がっているのだ。全くもって素直じゃない。
それにアリシアがロイドに反発すればするほど逆効果だ。彼の神経を逆なでにするに違いない。事実、自分の意思をはっきりと示す彼女は、ずっと自らの婚約者に反発し続けていたのだろう。従順とは真逆な彼女の態度はおそらくロイドの鼻についたのだろう。そしてそれが積み重なり彼は凶行に出たのだろう。
アリシアとロイドの関係は険悪そのものだ。最早彼は彼女のことを憎んでしまっている。彼女もまたそんな彼をこれからも頑なに拒むだろう。
「レッドフィールド子爵。アリシアはあなたのことを良く思っていません。あなたもそんなアリシアのことを良くは思えていない。そう見受けられます。僕にアリシアを譲っていただけなでしょうか? 僕は彼女を幸せにしてあげたいです」
愛しているだとかそんな情熱的な台詞は言えない。けれど、アリシアに幸せになって欲しいと思っていることは事実だった。
「私とアリシアが不仲なことは、お前が他人(ひと)の婚約者を横取りしようとすることに対する免罪符にはならないぞ、吸血鬼。お前はアリシアの血をも吸い、殺そうとしているんじゃないか?」
「僕は人の血は吸いません。吸わないと決めています。もう二度と、誰の血も吸いません。他の動物の血さえあれば、僕は生きていけます。吸血衝動は抑えられます。もし、衝動を抑えきれなくなりそうになったら、その時はアリシアを誰かに託し、どこか遠くへ連れて行ってもらいます。それができないのであれば、その時は僕を殺してくれても構いません」
「私はあなたと離れたりなんかしないわ。それにあなたが死ぬくらいなら私が……」
「大丈夫、もしもの話だよ。けれど君は絶対に死なせない。君は君の命を軽く見ているのかもしれないけど、僕はきちんと生きるべきだと思ってる」
喚くアリシアに向き直り僕はなだめる。
「あなたはどうなのよ。あなたが一番あなたの命を軽く見ているじゃない」
「僕は……。僕は吸血鬼だから」
彼女の言葉が僕に突き刺さり動揺する。僕は本来生きているべきじゃない。リリを殺してしまった僕はあの時死ぬべきだった。僕の命は彼女と違って重く見られるべきものじゃない。
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