第15話 死にたがりと美術商と吸血鬼(2)

 案の定ギルはノエルを寝室へと連れて行き、彼のベッドへ仰向けに寝かせた。そしてノエルのシャツのボタンに手を掛け、その衣服を脱がせた。

「え……」

 ノエルの――異性の上裸を見てしまい頬が火照ったが、それ以上に彼の身体の生々しい傷痕の数々にアリシアは驚愕し、目が離せなくなった。

「彼の、この傷痕は一体何なの?」

 思わずアリシアはギルに問い掛ける。

「刺し傷の痕さ。何があったかは俺の口からは言えない」

 ギルはその詳細は答えず、ノエルの身体をうつ伏せにした。傷痕は隠れ、背中のつい先程できた、生々しい血に塗れた傷が晒される。さらに背中にも銃弾によるものと思われる傷痕が複数あった。彼の身体は傷痕だらけだった。

「ちょっと手当するもの、取ってくる」

 そう言うと一度、ギルは部屋から出て行った。

 アリシアはうつ伏せにされたままピクリとも動かないノエルを見つめる。彼の背中は真っ赤に染まっていたが、出血は最早完全に止まっていた。それは彼が人外の存在だということを如実に示していた。

 アリシアは彼の肩に手を伸ばす。色白なその肌は触れると温かかった。

 アリシアと同じように彼も生きている。その事実に安堵する。

「そいつの手当をするからちょっとどいてくれ」

 すぐに戻ってきたギルはぞんざいな態度で、ノエルの前に佇んでいたアリシアに言った。アリシアは脇へ避け、ギルにその場を譲る。

ギルは濡れたタオルでノエルの身体の血を拭ったりアルコールを含ませた脱脂綿で消毒を行ったりと手早く応急処置を進めていった。

「そんな程度の処置で大丈夫なの?」

 消毒まで行うとこれで終わりと言わんばかりに用具を片付けていくギルにアリシアは訊く。

「俺は医者じゃないんだ。ちょっとしたアクシデントに対応できる程度のことしかできない。本当は別に何の手当も施さなくてもこいつは大丈夫なんだ。今やったことだって、ただちょっとでも傷を緩和させたいっていう自己満足にしかならないさ」

「……」

 アリシアはノエルを見つめる。ノーベルハイドの吸血鬼であり、それ故に最愛の人を殺してしまった彼。今も普通ではあり得ない驚異的な回復力をアリシアに見せつけている。けれど彼は半分は人間で、とても優しかった。

「ところで、アリシア嬢。あなたの父親であるメイスン侯爵が大層心配されている。ご同行願えるか?」

「嫌!」

 口調を改めたギルにアリシアは即答し、すぐさま距離を取る。

「駄々こねてる場合じゃないんだ。貴族令嬢らしく自分の運命を受け入れろ」

そんなアリシアの態度に眉をひそめるギル。

「こんなこと、受け入れられないわ!」

「そんなこと言ったって仕方ないだろう。世の中にはどうにもならないことが多々あるんだ。アンタの本意じゃないにしろ、諦めろ。もうすぐ結婚するんだろう? 大人になれ」

「……それがどうしても嫌だから私は彼に殺してもらおうとしたのよ」

「……意に添わない結婚することになるのはアンタだけじゃない」

「……」

 アリシアは押し黙る。ギルは同情的だがアリシアの意は汲んでくれない。このままでは父と婚約者であるロイド・レッドフィールドの元へ帰されてしまう。

「私、あなたは帰ったものとばかり思っていたのだけれど、どうしてまだここにいたの?」

 そもそもギルが止めに入らなければ今頃ノエルに――ノーベルハイドの吸血鬼に吸い殺されていたであろう。アリシアは悲願を達成することができただろうに。

「あなた様こそ随分お早いお戻りでしたが、どこに身を潜めておいでだったんですか?」

「……」

 嫌みたっぷりな返答にアリシアはギルを睨みつける。

「……牛を繋ぎに行ってたんだよ。お嬢様のアンタの足じゃそう遠くには行けない。適当な所に身を潜めてやり過ごしたらすぐに何らかのアクションを起こすだろうって踏んでたのさ。だから牛を繋いだ後、ここへ戻ってきた。そうしたら案の定、アンタはここへ帰ってきた。ノエルの奴に迫るっていう最悪な行動付きだったけどな」

 アリシアの行動は全てこの美術商に読まれていたというわけだ。

「もう一度言う。ご同行願えるか?」

「嫌」

「アンタの我が儘はきけない」

「嫌。私はあの人の元へは絶対に帰らないわ」

「俺だって無理矢理連れて行きたくはないんだ」

「じゃあ、見逃してくれないかしら」

「それはできない」

「嫌!!」

 ギルに片腕を掴まれたアリシアは思い切りその手を振り払う。他人の、特に男性の手の感触はどうしようもなく気持ち悪い。

「私に触らないで!」

「ならおとなしく言うことをきけ」

 ギルはアリシアに近づき、再びその腕を捕まえようとする。

「い、嫌」

 アリシアは後ずさる。アリシアを捕まえようと迫ってくる彼に身体が震えてきた。

「わ、私は帰らないわ。私をあの人の元へ帰すというならば、今すぐここで殺して」

「そんなこと、できるわけないだろう」

「あの人の元へ帰るくらいなら死んだほうがましよ!」

 アリシアは大声で言い放つ。しかしギルはわずかに目を細めるのみだ。

 ギルが近づく度にアリシアは後ずさる。一歩、二歩、三歩と。

 やがて足が壁にぶつかった。これ以上、後ろに下がれない。

「メイスン侯爵達のところまでお戻り頂けるか?」

 ギルが何度目になるかわからない問いを投げかけてきた。だがそれは頷く以外の選択肢を与えない命令だ。

「……」

 拒否したってギルはおそらく諦めてはくれない。アリシアは沈黙するより他なかった。

「帰るぞ。見つけた以上、俺はアンタをメイスン侯爵達のところまで連れて行かなければならないんだ」

 立ち止まり、ギルは言った。ここで彼に従えば、手荒なことはされないだろう。しかしそうしなければ、ギルはアリシアを無理矢理捕まえてでも連れて行くだろう。

 婚約者であるロイドの元へ帰されるのだけは絶対に嫌だった。もう二度と同じ目に遭いたくなかった。

 だが、今連れ帰ろうとするギルに迫られているこの状況もアリシアには恐怖でしかなかった。

 再びアリシアの腕を捕まえようとするギルに悲鳴が喉まで込み上げてきたその時

「ギル、僕が……、彼女を説得するから、今日一日だけは、待ってあげてくれない、かな?」

「ノエル!」

 声の方へ振り向くギルの脇をすり抜け、アリシアは彼の元へ駆け寄った。

「意識が戻ったのね!」

「うん……。一応ね……」

 ノエルは薄目を開け、弱々しく頷く。

「ノエル。こいつはまたお前に自分の血を吸わせようと迫るかもしれない。危険だ。今すぐ俺がメイスン侯爵達の元へ連れて帰る」

「もし仮に、彼女が僕に迫ってきたとしても……。もう身体を動かせそうもないから……、大丈夫……」

「だがもしお前が回復したらまた……」

「ギル、お願いだ。……嫌がる彼女を、無理矢理君に託すことは……。僕にはできない。それに……、僕は……、彼女の話が聞きたい。アリシア、話してくれるね? 君が死にたがる……、その訳を」

「……話すわ」

 あのことに思いを馳せると恥ずかしさや嫌悪感、様々な感情で胸が詰まり、上手く話せる自信がなかったが、アリシアはそう言った。こうなってしまった以上、ノエルには話すしかないと思った。

 たとえ、彼がどんな反応をしようとも。











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