第4話 ノーベルハイドの吸血鬼(2)

 二分の一はすでに食べ一斤の半分になっていた食パンを二等分にし、僕とアリシアの分の皿へとそれぞれ乗せた。

「いちごジャムとマーマレードがあるけれど、パンに付けるのはどっちがいいかな?」

 それぞれの瓶を皿と共にテーブルに並べながら僕は訊く。

「いちご」

 先に出しておいた紅茶を飲んでいたアリシアはマグカップから口を離し、簡潔にそう言った。

「どれくらい塗ればいいかな?」

「あなたの感覚に任せるわ」

 感覚でいいと言われても万が一彼女の好みと合わなかったら申し訳ない。

「……じゃあこのくらいでいいかな?」

 困った僕は先に自分の食パンにいつも付けてる量のジャムを塗りつけ、アリシアに見せた。

「……ええ、それでいいわ」

 アリシアはなぜか脣をへの字に引き結び僕から視線を逸らした。

 やはり先程のことで彼女の機嫌を損ねてしまったのだろうか?

 僕のことを責めてこそこないものの、彼女の気分を害してしまったのかもしれない。

「さっきはごめん」

 ジャムを塗り終え二人で朝食を取り始めて少し経った頃、僕はアリシアに謝った。明日までとはいえ、七年振りに話したり共に過ごしている女の子とこのまま気まずいままではいたくなかった。それにどうしても嫌だったとはいえ、彼女に対して声を荒げてしまったのは良くなかったとも思っていた。

「どうしてあなたが謝るの?」

 黙々と頬張っていた彼女は食パンから口を離し、訊き返す。

「怒鳴るような真似しちゃったからさ」

「……あれは私が悪いのよ。無神経にあの場に居座り続けようとした私が」

 僕と目を合わせようとせず俯きがちになるアリシア。声の調子も家畜小屋の時までとは違いどこか控えめな上によそよそしい。

「でもやっぱり君に悪いことしたなって思ってるよ」

 もしかして怯えられているんじゃないかと危惧した僕はさらに言葉を重ねた。

「あなたは何も悪くないわよ。……悪いなんて思わないでよ。私が謝れなくなるじゃない!」

 アリシアはキッと僕を睨みつけた。まっすぐこちらを射抜こうとするかのような茶色の瞳を見て、普段の彼女に戻ったと僕は思った。

「君が謝る?」

 しかしアリシアがそう言うのが意外過ぎて思わず訊き返す。すると

「そこは訊き返さないでよ! ……謝りたいのは私の方なのよ。もういいわよ」

と彼女はそっぽを向いてしまった。なぜだかいまいちわからなくて戸惑うが、どうやら今度こそ彼女の機嫌を損ねてしまったようだ。けれどなんとなく気まずさはなくなった。そんな気がした。

 だから僕はそれ以上自分からアリシアに話しかけたりはしなかった。拗ねられたら、女の子の場合下手に干渉しても神経を逆撫でするだけになるので、放っておいた方がいいのだ。

「ラミエル・フロード。好きなの? 彼の画集が全てあったけれど」

 二人共朝食を取り終えようとした頃、アリシアがそう尋ねてきた。昨日彼女を着替えさせた際に書庫に通したし、今朝も先に家に戻って僕を待っていたし、きっとその時にでも本達を眺めていたのだろう。

「よく全部だってわかったね」

「父が好きで集めてるの。彼の描いた絵画が家にたくさんあるわ」

「でも画集が三冊だけだってことは中々普通わからないと思うけど。君も好きなのかい?」

 僕は訊く。ラミエル・フロードの名は貴族の間で知れ渡っているが、彼の画集の冊数まで把握している者は少ないだろう。

「好きか嫌いかって問われれば好きだわ。というかその質問は私があなたにしたのだけれど」

「母が好きだったんだ。画集は母のを僕がもらったんだよ。もちろん僕自身も彼の絵が好きですごく尊敬しているんだけどね」

 ラミエル・フロードは風景画を主に描く画家で、今から二十四年前に失踪するまで様々な名画を生み出した。鮮烈で見る者を惹きつける画風が特に高く評価されており、特に夜を描き出すことに置いては彼の右に出る者はいないと言われていた。今も彼が描き残した絵画は高値で取引されているらしい。

 僕も彼の絵に多大な影響を受けた。彼みたいな心奪われるような情景を表現できたらいいなといつも画集を見る度に思っている。

「吸血鬼も絵画が好きなものなの?」

「いや、母は人間だよ」

 僕の母親イコール吸血鬼だと思ったみたいであるアリシアに言う。

「じゃあ吸血鬼なのはあなたのお父様だけってこと?」

「そう。吸血鬼なのは父親だけで、僕は吸血鬼といっても半端者なんだ。もっとも、父親には一度も会ったことがないんだけどね。だから自分以外の吸血鬼がどんな感じなのかは全く知らない」

 物心つく頃にはすでに父はいなかった。母も父について僕に語ることはなかったし、周囲も口を噤んでいた。父の話はタブーであるかのような空気があったのだ。

 未婚のまま僕を産んだ母を守っていたのは祖父だった。僕がリリという婚約者を得てそれなりの生活を送れていたのも、また吸血鬼であるが故に殺してしまったのにも関わらず処刑されず、ノーベルハイドの森に隔離されるだけで済んでいるのもまた祖父のおかげだった。

「だからあなたは今、朝で太陽が出てるのにも関わらず普通に活動できているのね」

「まあね。でも普通の人間よりかは日光に弱いとは思うよ。長時間太陽の光を浴びてるとすぐに肌が赤くなってしまうしね」

「あなたは色白だものね。見るからに日焼けしやすそうな感じがするわ。ねえ、ラミエルの人物画って知ってる?」

「……ラミエルは人物画は一枚も描いていないはずだけど」

 ラミエルにはあまり評価さず数も少ないが、動物をモチーフの中心に置いた作品はいくつかある。しかし人間だけは決して描かなかったと聞いている。それに僕は一応彼の絵画を全て知っている。その中に人物画はなかったはずだ。

「それが一枚だけ存在するの。ラミエル・フロードの最後の作品で、銀の髪に青い瞳をした女の人の絵。ちょうどあなたみたいな感じの髪と目の色の。ラミエルにはその絵画を渡したい人がいたらしいけど、結局その人に渡せなかったみたいで、父が一般に発表される前に買い取ったって言っていたわ。だからほとんどの人間がその絵画の存在すら知らないはずよ」

「……君の家は美術品のコレクターなのかい?」

「美術品全般っていうより、絵画のね。絵画以外は集めていないわ。父もそうだし、代々みんな絵画を愛でているみたいよ。あと画家達の間で羽振りの良いパトロンとしても有名だったりするわ。メイスン家は」

 アリシアはさらりと、なんてことないかのように答える。しかし絵画等美術品の収集や、さらに芸術家達のパトロンを務めるなんて芸当は、貴族であれど相当の財力がなければできない。下級貴族にはまず無理なはずだ。

昔から出生の都合上社交界の表舞台にあまり立つことができなかったし、する必要もないとされていた僕には知る由もないが、メイスン家というのはきっとかなり良い家柄に違いない。そしてアリシアはおそらくそんな家の令嬢なのだ。

「君はどうして僕に殺されたいんだい?」

 昨日も訊いた問いを僕はもう一度口にした。

「私を殺す気になった!?」

「なってないけど、やっぱり僕はその理由が知りたいと思うよ」

テーブルから目を輝かせ身を乗り出す彼女を制しつつ僕は言う。裕福で家柄も申し分ないであろう彼女がなぜ死に急ぐのか気になった。

「あなたが殺してくれない限り言わないわ」

 すぐさま落胆した表情を見せた彼女はプイとそっぽを向く。

「どうしてもかい?」

 僕はそんな彼女を見つめたまま食い下がる。

「そうよ。私は私が死にたい理由を誰かに知られたまま生きているなんて絶対に嫌だもの。今も生きているのが嫌なくらい。だから早く死にたいの」

 キッと僕を睨みつけながら彼女は言った。固い、警戒するかのような声音で。

「君が死にたい理由はその原因を知られているからってことかい? その原因を知ってる誰かがいるからそれが嫌だからってことかい?」

 あまり根堀葉掘り訊かれたくない様子だったが、アリシアの言い回しに引っかかりを覚えた僕は尋ねる。

「その問いには絶対に答えない。答えないわ!」

 それに対しアリシアは大声で拒否した。他人に――僕にその答えへ踏み込ませまいと拒絶した。そして絶対に近づかせまいと毛を逆立て、警戒心という名の牙を剥き出しにするかのように僕から一ミリも視線を外さず睨(ねめ)めつけた。

 一体彼女に何があったというのだろうか?

 こうまで拒絶するような、彼女が死まで望むようなこととは一体何なんだろうか?

 僕とこのまま一緒にいるのも危険だし、明日ここへ来る彼へ彼女を引き渡すつもりだが、そうしても果たして大丈夫だろうか? 

そうするのは本当に正しいことなのだろうか?

 アリシアの様子を見てるとその決意が揺らいでくる。僕の中で迷いが出てきていた。

 だからそれを見極めるためにも理由があれば聞きたかったが、今のままでは話してくれそうにもない。

「……ごめん。僕としては話しだけでも聞かせて欲しかっただけなんだ。でももうこれ以上問い詰めるのはやめるよ」

 僕はアリシアへ告げる。また彼女と険悪な状態になるのは嫌だった。まるで血を吸われようとしている牛や豚のような警戒の仕方。彼女にそんな目で見つめ続けられるのは耐え難い。

「……」

「食べ終わったし、僕は食器とかの後片付けを始めることにするよ。お皿とマグカップ、下げてもいいかい?」

 沈黙したままじっと僕に突き刺さるような視線を送るのみなアリシアにそう尋ねる。一旦少し距離を置いた方がいいと思ったし、食器の片付けはどのみちやらなければならないことで口実としてもちょうど良いと判断した上での問い掛けだった。

「……いいわ。自由に持っていって」

 アリシアのその言葉を聞くと僕は自分の皿に彼女のを重ね、さらに二人分のマグカップを乗せると立ち上がり、一人洗い場へと向かった。













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