第105話(2)

 繰り返しになるけど確認の意味も込めて聞くね、と僕はリーレイ王女へ再び告げる。彼女は何かを思い出していたかのようで、はっと現実に引き戻されたとでもいう表情をした。


「――っはい」


 ユピクスの法廷での件は数日後に裁可が下された。彼女は僕という保護者の監視下でならば、基本的に自由であり行動制限はない。これを前提とした確認作業だ。僕は彼女がこちらに意識を向けたことを確認して話を続ける。


「君がこれからどうしたいか、将来の展望が決まっているのかその辺りを聞きたい。できるかできないかは別として、何か望みがあればきくよ。今思い付かなくても、後から考え付いたことを教えてくれても一向にかまわない。そのつもりで答えてくれるかな?」


「おこがましくも出来る事なら、母と共に私の事を知られていない地方でしばらくは暮らしたいです。ご存じの通り私には前世の記憶があり、お金を稼ぐために働くことになんら抵抗はありません」


「ふむ、それくらいなら全然叶えられるよ。……母君の毒については、僕の従者が責任をもって治癒に当たっているから問題ない。ただ、治癒ができて完治出来たからと言って、体力が落ちたままなのはかわらない。その辺りのフォローももちろんしよう。君の目の届く範囲に目立たない程度の屋敷を立てさせようとも思うけど、どうかな?」


「願ってもないことです」


「働くつもりがあるなら今のところ勤務地は3つ候補がある。1つは僕の実家があるヴァダム子爵家の領地だ。2つ目は海岸に面した漁業の盛んな領地、この2つはどちらもユピクス王国の領地でもある。ただ、君のことは誰も面識がないだろうから安心できるはずだ。そして、3つ目は豊かな自然と鉱石のとれる山脈のある領地。僕がヘルウェン王国から拝領した領地でもある。全部飛び地だけど、僕の所有するマジックアイテムで行き来は一瞬だから、どこか一つに絞る必要もないけどね」


「3つ目の領地は自然が豊かなのだとすれば、空気も目にする光景も療養には最適なように思えます。母と話してそちらに身を寄せようと思うのですが」


「うん、それがいいかもね。ちなみにだけど、この世界の人間以外の種族に何か思うところはあるかい?」


「いえ? というより、本で読んだくらいで獣人種やドワーフ、エルフなどが代表的にいるとは知っています。ドワーフの方には何度かあったことはありますし、特にこれと言って思うことはありません。逆に興味深いと思っています」


「そうか、それは益々よかった。君の母君もそうであれば尚いいな」


「母はマヘルナの宮殿以外ならばどこでも良いと仰るはずです。心の拠り所さえあそこにはありませんでしたから……。それに、実家と言える場所はもうないと聞いたことがあります」


「うん、了解した。とりあえずだけど、今はまだ場所の準備もしなきゃならない。だから僕の屋敷で暫く住んでもらうことになるよ。君と母君について必要なものは急ぎで用意させるつもりでいる。宮殿から何か持ち出したいなら行ってくれれば許可をもらってくるしね。その辺も母君と相談してから報告してくれればいい」


「ありがとうございます」


「さて……、大筋は確認した通りだが。リーレイ王女に聞いておきたいことが1つある」


「なんでしょうか?」


「君の父である隠居した前国王陛下、それに他の王族や貴族。それらに復讐心はある? 王族は言わなくてもいいだろうが、貴族の中に君を擁護する者は殆どいないそうだ。軍務関連や技術関連の関係者は、君を擁護したい気持ちはあるようだけどね」


「正直なところ、自分でもよくわかりません。母の出自で体裁が悪くなるなら、父は最初から何もしなければよかったはず。私よりも先に何人も子供がいたのだから、私が生まれる可能性を考えれば当然と言えます……。それでも、後ろめたさかどうか知りませんが、一応程度にわずかばかり母と私の生活に費用は出されていました。

 王妃が身ごもっていたからという理由だけで、当時庶民であった母に手を出したのです。そして私が生まれ、何時しか煩わしくなったのでしょう。まさか、母を毒殺まで計画されていたとは思いもしませんでした。その部分だけは許せない相手ではあります。

 義理の家族達は、常日頃から私達を貶めようと何かしら企ててきました。困っていればさらに困るように、気落ちしていればさらに落ち込むように。ですが、前世にいたころからそういった“陰険ないじめ”は経験していましたし、母に迷惑が掛かりますから耐えてきました。

 私が軍務に関わるようになると、煙たそうに近寄っては来なくなったので実害はそれ程なかったように思います。恐らく私の利用価値を、父が気に入ったからでしょうけど。貴族連中もそれに当てはまります」


「まあ、そうだよね。で、今の王族や貴族はなんとでもできるのがユピクスの王族から上位貴族までなわけさ。率直に聞くけど、仕返しとかしたい?」


「……いえ、マヘルナの王族や上層部には呆れというか、諦めがついています。私が何かするという動機は限りなく無に近いものだと思います。以前の立ち位置につかれたのが本心から出る本音でしょう。私と母をそっとしておいてくれれば、私は何もしませんし、関りを持ちたくもありません。

 申し上げにくいのですが、ユピクスの貴族たちも信用できる相手とは思えないのが正直なところです。ただ、私を信じてついてきてくれた技術者や兵士達には恩情をお願い致したいところです」


「まあ、あの法廷の件もあるから気持ちはわかるよ。ちなみに、その今の気持ちは女神様に誓える?」


「いえ、僭越ながら貴方になら誓えます。誓えと言われるなら女神様にも誓います」


 ――一瞬言葉を無くしてしまった。


「は、はあ? いやいや、僕に誓われてもね? この世界の管理人であるカルティア様がおられるわけだし。保証人? この場合保証神? どっちでもいいけど、いたほうが君には都合がいいと思ったんだけどなぁ」


「私にとっての神は、貴方ですから」


 重! なにこの子。こんなキャラだっけ?


「そんなに慕ってくれることは嬉しいけど、その発言は信仰されてるみたいでなんだか腰が引ける感じだよ。普通に頼ってくれる感じでいいからさ。僕は君と同じく転生者なわけだし、目線は同じとまではいかないかもしれないけど、同じ人間として接してほしいよ」


「お望みならばそうします」


 だから何だってのさ! 何というか認識のそごみたいな違和感が拭えないし、その原因もわからない。


『彼女の拠り所が、貴方にだけ向いているのですよ。女神様はこの世界に干渉することは基本的に望んでいませんし、女神様の代わりと言っては何ですが彼女にとっては貴方がそれに当たるのでしょう。今のところ、彼女を害意から守れる力を有する立場にあるのは、実質貴方だけですから。彼女からは信仰めいた志向が感じられます』


「僕を何だと思ってるんだ彼女は、それで僕は女神様の不興を買わないんかね?」


『むしろ、不安の芽が減って喜んでおられます。ざっくり言ってしまえば、貴方は不本意かもしれませんが、女神様がこの世界にうてるワクチンのようなもの。神頼みしても何も救われないのならば、いっそ信用がおける実在する人物こそがその人にとっての信仰対象。すなわち神に等しき対象だのです』


「マジですか……、僕は宗教家でも、総司教でもなんでないんですよ? 体の良い駆け込み寺にされても困るんだが……」


『リーレイさんには、この世の何よりも貴方の不興を買う方が恐ろしいことなのでしょう。実際貴方が見捨てると一言言えば、彼女の精神は崩壊するかもしれませんね。試してみますか?』


「冗談はやめてくれ……」


「どうかされましたか、ヴァダム伯爵?」


「あー、一応公式な場ではそう呼ばれてるけど、普段はオルクスでいいよ。父上は子爵だからとしても家名は同じヴァダム家であるからね。もう何年かしたら、僕の家名も変わるとは聞いてるけど」


「はい、オルクス様」


「それと君には別に何かを課すつもりも、強要するつもりもない。あー、いや、君に期待をしていないとか、役不足だとか言ってるんじゃないよ? 君がしたい興味があるものや、僕からの頼み事なんかの仕事はしてもらうけどね。王宮ではしてなかったような庶民的な日常と言えばいいかな? 単に普通に生活してほしいってだけなんだけど」


 急に気落ちした顔にならないでほしい。罪悪感が半端ないじゃないか!


「さっき聞かせたように、僕には領地が飛び地だけど3つあるんだよ。それに学業もちゃんと修了して学歴を埋めるつもりだ。それで、今は何かと忙しいんだよ計画中の施設の開発や装置の完成もさせなきゃならない」


「でしたら! 私にもその手伝いをさせていただけないでしょうか! 転生前は19歳で大学では経済学を専攻していました。成績はそれなりですけど何かしらお役に立てると思います。それと今更ですが、私や母に王女だ側妃だのの敬称は不要です。呼び捨てでかまいませんので、むしろ名前でお呼びいただけると幸いです」


 突如彼女の売り込みが始まった。


「手伝ってもらえるなら心強いよ。僕にも苦手分野はあるし手が回らないこともある。得手不得手はもちろん理解して、応じた仕事をやってくれたらいいさ。能力が制限されたとはいえ、異能があるアドバンテージは有利に働くだろう。敬称の件は場所によるけど、了解したよ。ところで、こちらでの君の経歴として学業は? マヘルナにも学院はあったと聞いてるけど」


「私は学院に行かず、ずっと軍務について研究していましたので特にはありません。知識は王城の書庫で個人的に必要なことは覚えました」


「そうなんだ。環境が悪くてもしっかり努力してたんだね。ふむ、どうするかな? 職場を案内しようと思ったけど、学園に行って経歴ぐらいはつけておくかい? それとも領地を回って職場を探してから家庭教師でもつける? 爵位から理由を付けて家庭教師だけでも問題ないけど、今後の事を考えれば友好関係は作っておいて損はなさそうでわあるが」


「お気持ちには感謝いたしますが、できることなら後者で……。配慮は嬉しいのですが学園となるとやはり周囲の目が気になってしまいます。それにオルクス様の評判にも悪い意味で影響が出ないとも限りません。そこはどうか、お許しください」


 恐縮しながら頭を下げる彼女に気にしないように伝える。


「頭を上げてよ。許すも何も、選択肢をゆだねているのは僕だけど、それを決めるのは君だよ。なんでもかんでも僕の意に添わなきゃならないなんてことはない。君はもう肩書はそのままだけど、自由な言動はある程度許されてるんだよ? 君がどういう生き方を望んだとしても、害悪にならなければそれは僕が口出すようなことじゃないと思う。君は君らしく、を心がけてくれたら僕はそれで十分なんだから」


「はい、恩情に感謝します」


「そういうつもりじゃないんだけど、予想以上に固いな……。まあ、そのうち環境に慣れてくれたらいいさ。トヨネ、彼女を連れてカイルナブイに行ってくるよ。確認程度で雑談に向かう予定だからすぐ戻るつもりだけどね。それとリーレイ殿の母君であるレーヌ殿は、実家にいるんだったかな? セシルとマティアに見てもらっている経過を教えてもらおう」


「わかりました、すぐに支度いたします。……レーヌ殿は今ヴァダム家の離れにて、セシルが日課の治療中だそうです。そこにマティアもいるそうなので、現場での合流になさいますか?」


「それがよさそうだ。リーレイ殿も療養中の母君と現場で会わせた方が安心するだろう。実家には唐突にお願いしたものだから、少し詳しい事情も説明するべきだろうね。先に実家から行って、カイルナブイにはその後に行こうか」


「では、その様に手配致します」


「うん、よろしく」



 ◆



「母上、ご無沙汰しております」


「オルクス、来たのね。そちらがレーヌ殿の一人娘という?」


「はい、リーレイと申します。ヴァダム婦人、母が大変お世話になっております」


「あらあら、聞いていた通り礼儀正しい子なのね。レーヌ殿は部屋で治療中なのよ。あ、ちなみに普段は堅苦しく私とレーヌ殿は、互いを“さん”付けで呼び合ってるのよ。だから、貴女も肩ひじ張らずに楽に呼びやすいように呼んでいいですからね。公式の時は“殿”とか他の敬称を付ける場面があるけれど、対外的なものだと思っておいて」


「はい、ヴァダム婦人」


「うーん、オルクス?」


「何故そこで僕に振るのですか……。リーレイ嬢はまだ環境に慣れてないんだと思いますよ。時間を掛けてやり取りを砕けたものにしていくのが定石ですから、僕があーしろ、こーしろと指示しているわけじゃありませんよ。ご心配ならしばらく二人で雑談されてはどうです? その間に僕は弟妹を連れて領地を軽く見て回ってきますし」


「そうねぇ……」


「リーレイ嬢、母上とレーヌ殿について一通り聞いて雑談しておいてくれるかな。僕は父上や弟妹にも挨拶してくるし、程々に領民の様子も見たいから見回りをしてくるよ。何なら今日はここで泊まって、明日にでもカイルナブイに行けばいい」


「よ、よろしいのでしょうか?」


「良いんじゃないかな? 差し迫った予定もないし、急用があれば連絡が来るだろうからね」


「感謝致します」


「カタイ! 固いわ! ちょっとオルクス、リーレイちゃんに何か言ったの? いくら保護者が貴方だとしても、緊張させっぱなしな――」


「あ、ち、違うのです! ヴァダム婦人、オルクス様は何も強制や強要されるようなことは言われていませんし、むしろ自由に生活していいと仰られています。私の態度が不自然なのは……、その……。ゴニョゴニョ……」


「……オルクス、ちょっとこっちへいらっしゃいな。お母様と少しばかりお話致しましょう」


「え、いや、え? 話って言われましても」


「問答無用! リーレイちゃん、すこぉーしだけオルクスを借りていきますね。さあ、いらっしゃい、オ・ル・ク・ス?」


「は、はいっ!」



 その後色々説明しながら母上の機嫌を取るのに必死であったことは言うまでもない。説明の端々で母上は何かを感じ取ったようだが、リーレイ嬢が僕を崇拝しているような感じに敬っている旨を伝えると、呆れたような顔をされた。


 最後に一言、ちゃんと最後まで責任をもって面倒を見てあげなさい、と締めくくられた。いや、元からそのつもりなんだが、母上は何か勘違いしてないか?




 それから僕は先にリーレイ嬢とレーヌ殿を会わせるために、離れにある療養に適した場所に移動する。


「おかえりなさいませ、オルクス様。奥様、治療は順調に進んでおります」


「長年の毒の浸透が酷かったので、今は免疫が付くように食事と魔術を適度な感覚で調整してるっす」


「レーヌ殿、お約束通りリーレイ嬢をお連れしました。体調は順調に回復しているとか。お加減が良ければ積もる話もあるでしょうし、私と母上はしばらく父上に報告を挙げるべく退席させていただこうと思います」


「何から何まで……。大変にお心を砕いていただき感謝の念に堪えません。今は気分も体調も安定していますので、お言葉に甘えさせていただきたく存じます」


「わかりました。念の為、治療の責任者として二人は残していきますがご容赦ください。それと必要であれば、後で自身も時間を設けますので相談があれば言ってください。言いにくければ母上か二人に、もしくはリーレイ嬢に言伝くだされば結構です。

 今日はご気分が良ければ一日、リーレイ嬢と過ごしてください。食事もこちらに用意しますし、リクエストがあれば主治医の許可があれば無理のない範囲でなら叶えますので」


「重ね重ね、お気遣い感謝いたします」


「では、御前を失礼します。母上、行きましょうか」


「そうね。レーネさん、遠慮せずゆっくり療養を。リーレイちゃんは久しぶりの対面でしょう。負担にならない程度に甘えなさい。では、行きますね」



 部屋を出る時、二人の家族は頭を下げたまま見送ってきた。




「父上、オルクスです」


「おお、帰ったか。入りなさい、色々と必要な談義が溢れていてな」


「失礼します。これは……。ビジルズがいるのに書類が山とあるようですが、何か問題事案でもありましたか?」


「何を言ってる、大半はお前の起こしたことの副産物の処理だ。問題はそれほど大きくはないし利益はあるにせよ、処理しなければならんことが山積みなのだぞ? それに、お前ときたら連絡はよこす癖に全く帰ってこないしな」


「申し訳ありません。必要であれば従者を派遣しましょうか?」


「いや、一応こちらで何とかなるはずだ。それより、積もった山のような案件をさばいていくために知恵を貸せ」


「はい、時間はありますので何なりと」



 そこから何が実家の領地で起こっているのか、話を聞きながら書類を見ては把握し、その繰り返しを延々続けていく作業だった。母上は気になった件以外は口を出さず、内容を把握するだけに努めるようだ。



「領地で散らばっている道の整備、それに村や街をつなぐ経路はそのままでいいでしょう。問題は盗賊やゴロツキ、それに腹黒い貴族や商人の相手が肝ですね」


「懸念していた通り、物事が軌道に乗れば何かと目を付けてくるものはいる。世の中の通りではあるが、それで領民に被害が出るようでは問題だ」


「少し割高ですが、冒険者ギルドで評価の高い冒険者達を雇うのはどうでしょう? 狙いはもちろんのこと治安の向上ですが、彼等も人間である以上何かしらお金を落として言ってくれる領民や行商人と変わりません。必要であれば冒険者ギルドの出張所を領地に招いて、開拓にも依頼として受けてもらう」


「冒険者がそんな仕事で納得するか? 賃金は仕事の内容次第では本人のランクに見合わないほど低い場合もある」


「冒険者達には商人達の護衛や道の巡回を主にやってもらいましょう。ただ、仕事がぬるいと感じている冒険者には、森の開拓で襲ってくる魔物討伐を割り当てればいいと思うんです。確か、魔物の討伐依頼は常時依頼として受理されるものだったはずです。

 冒険者の中には、討伐だけでなく採取や建設、配達に護衛とこまごまとしたものまで受ける者達がいます。極めてランクが低い冒険者の稼ぎ口にはなるはず。領地に宿泊施設や武器防具の修繕や購入、道具の調達が可能な店を用意することから始めなければいけませんが。領地内の村や街が住みやすく利用価値が高ければ人口は増えます」


「なるほど、逆に仕事がなければ冒険者は他所に行くと。住居を建てるより宿泊施設を設けるのは道理というわけだな」


 僕が頷いて答えると思案顔で父がビジルズと相談している。


「それと、先の話なのですが。私の拝領している領地と父上の納める領地で、定期便となる運行馬車を提案したく思います」


「運行馬車? 定期便ということは、馬車での移動を定期的に行い人の流れを作るのか?」


「その通りです。ユピクスではここと、我が領地フィナトリーを結ぶべきだと思います。勿論、領地は飛び地ですので、経由する領地の選定と該当する領主達に許可をもらった上での話ですけどね」


「だろうな。だが、他家に付け込まれるような借りは作りたくはないぞ。今でも何かと我が領地の特産品を融通しろとしつこい輩もいる」


「そうなのですね。選定には少し時間がかかるでしょうが、話の分かる人選と以降の取り組みをする上での契約。不利にならない方策が必要だとする懸念は当然です」


「そう言えばオルクスよ。お前は伯爵になったわけだが結婚する年齢までは縁談の心配はないのは王女との婚約があるからだ。それは分かっているだろう?」


「ええ。無論です。いきなりどうしたのですか?」


 父が何を言いたいのか要領を得ない。ただ、その答えはすぐに出された。


「お前自身ではなく、お前の弟と妹であるヘズンスとアテンダのことだ。言ってはいなかったが、我がヴァダム家と大きく繋がりを持ちたいという家から縁談が山のように来ている。貴族だけでなくどこぞの豪商達からもな。勿論未だ時期早々だとはねのけてはいるが」



「二人は頭もよく機微に聡い一面も持っているので、年齢が上がれば尚成長するでしょう。お茶会なりお呼ばれの宴会に行っても問題ないようにフォローは考えておきますが、後で様子を見に行くつもりですしそれとなくどのように考えているか聞いておきましょう」


「うむ。まだ4、5歳であれ、変に口を滑らせられては問題だからな。意識の改善や認識の共有はしておくべきだろう」



「今からでも含めておくことは大切です。一応、私なりに以前から二人には柔軟な考え方を志すように仕向けてきたつもりです。悪いようなことにはならないと思います」


「そうだと有難いがな」




 それから少しして仕事に戻ると言われたので、僕は父の執務室を辞して弟妹達のいる場所へ向かうことにした。今は屋敷の部屋で二人で遊んでいるらしい。




「あっ! お兄様!」


「兄上!」


「おー、二人共元気にしてたかな? お土産、買ってあるよ。気に入ってくれると嬉しいな。これは直接二人に、他は食べ物だからメイド達に渡してあるからおやつにでも出してもらうといい」


「わー、嬉しいです! ありがとう、お兄様」


「兄上、ありがとうございます!」


「普段何かと時間が取れなくてかまってやれてないから、二人に忘れられないように頑張らないとね」


 冗談めかしてそう言うと、忘れるわけがない! と猛反発された。驚いたやら嬉しいやらで、思わず苦笑を漏らしてしまう。



 二人に渡したのは子供向けの絵本と、二人の好みに合わせた教材だ。子供向けのお土産としてはどうなのかと言われそうだが、ウルタル殿下に雑談の中で相談して手に入れておいたものだ。


 小説の類も話に上ったが、3歳程の子供相手ならまだ絵本が妥当。教材は王宮の書庫にあるのを見繕ってもらった。ウルタル殿下には兄や姉はいても、直系の弟はいないという。義弟はいるらしいのだが、それほど関りがないというか関心がないそうだ。何故かは問わなかったけど色々あるのだろう。だからというわけじゃないけど、僕の弟妹へのお土産話には食いついて話してきた。


 いつか会いたいとも言われたのだが、年齢的にまだ礼儀作法が及第点に届いていないので登城は難しいと伝えたのだが。ならば、と時間がある時にヴァダム家の方で会おうということになったのだ。何故かこういう時は押しが強いな、ウルタル殿下。


 王族とは言え、親の床上話をするわけにもいかずとも実の弟という響きには憧れがあるらしい。一応僕が二桁まで年齢が行けばヘイリー王女と結婚するわけだが、そんな悠長には待てないと言われた。なれば、セッティングは任せてもらい機会を設けると押されて頼まれ、半ば折れるようにおりを見て近いうちにヘズンスとアテンダの紹介をすると約束しておいた。


 そんなこと思い出しながら二人の相手をする。


「二人とも最近はとても良い具合に文字や言葉を覚えたと聞いている。頑張っている二人にはお土産とは別に何かご褒美をあげようかと思うのだけど」


「ご褒美ですか?」


「そうだよ。いつも領地の中で見慣れた環境というのも悪いことじゃない。だけど、見知らぬものを目にして興味をもって趣味を広げるのも大いに意味がある。とりあえずとして考えているのは、海に面した領地で船を見るのはどうだろう?

 ここでは見ることができない漁師達の仕事や、海や船の何たるかを知るのも良いと思う。難しい言葉だと見識けんしきを広げるというんだけど。父上や母上の許可が下りたら、僕が拝領している領地に二人を案内しようと思う」


「わあっ! 海! 見たいですね、ヘズンス兄様!」


「うん、船も見たいよ! アテンダ」


「興味が湧いてくれたようで良かったよ。話は通しておくから、近いうちにことが決まったら教えるよ」


「はい! お待ちしてます」


「ワクワクします!」



 その後も軽く遊びをしながら雑談ついでに、二人の成長進捗を把握する。うん、全然悪いところは見られないが、時間がある時に普段の様子も見てから判断するか。僕はそう考えて控えていたメイドのレムルに馬車の手配を頼む。


 ヘズンスとアテンダには渋られたが、二人とも習い事があるだろうと諭すとそうだったと思い出したように準備をし始めた。年齢的にまだ甘えたい盛りなのだということは心にとめて、ヘズンスとアテンダに別れを告げた。食事時にまた会う約束をして。




 ◆



 今僕はトヨネと馭者ぎょしゃにケンプを共にヴァダム家の領地視察を行っている。


「あれから一年くらいか、成長著しい」


「ご指示通り道の舗装と村を街に繰り上げて成長させています。他の村も規模は十分な成長が見込まれているので、収穫時期は今のところ前年、前々年より多くなっています。管理環境も問題ありません。当初の領民の疑義、所謂年貢の不当な接収されるのではないか、その様な不安も解消されております」


「領民の戸籍はちゃんと把握できてる?」


「それも当初は理解を得るのに時間を要しましたが、理解が進むと共にしないほうが損だという認識に変わっているようです。元々買い付けた奴隷であった者も、自分の働きで収入が得られるということが実感できているのでしょう」


「領を出る者はいた?」


「いましたが、10日ほどから長くても20日しない間に全員が戻ってきました。ここで得た経験が他では通用しないと言いますか、どこの領地でもここと同じことができなかったと理解した者、領地としての活気や扱いの差。生きるための価値観から衛生面。全ての生活水準の違い一つが出戻り至ると、領民が戻ってきた理由となります」


「そんな当たり前のことで帰ってきたの?」


「恵まれているのかいないのかの判断基準は、やはり外で体験しない事にはわからないのでしょう」


「んー、それはそうかもしれないけどねぇ。手に職を持っていれば、生活の貧しいところに行けば仕事はいくらでもありそうだけど。違ったのかな?」


「恐らく賃金や給与の額ではないでしょうか。働けても収入が見込めないということは、現地に長く滞在できないのと同義だと思われます。そのくせ仕事はあれども収入が安く。食べていくお金を稼げたとして、地元であるこの領地での食事に舌が慣れているときついと感じたとの理由も出ていました」


「あー……。食事の水準は仕方ないよね。生活水準をあげたことが独立の妨げになるとは――」


「気に入らないからと戻ってくることのできる場所があるだけ、その者は恵まれていると思います。まず自立するのが目的とは言え、離郷りきょうした者がそのような理由で帰郷ききょうを許されることが優遇なのです」


「もしかして文句とか出たのか?」


「ええ、恩を仇で返す様なものです。文句自体お門違いも良いところ。他の領民が諫めていましたが、自分勝手なものだとモモカが危うく鉄拳制裁するところでした」


「お、おいぃー……。一応聞くけど、その帰郷した者達は無事なんだよね?」


「勿論です。今も針の筵のような侮蔑の目にさらされているでしょうが、本人達はブツブツ文句お言いながら生活しています」


「あはは……、たくましいな」


「一応ではありますが、ヴァダム子爵に報告した上で把握していただいています。子爵も夫人も次に同じことがあるなら帰郷はできないと思え、その様に伝言板を活用なさいました。勿論、元奴隷の場合は理由如何で条件なしで領地を出ることを許されていますが」


「なるほど。奴隷身分から自分を買い戻した者は、目的があれば出て行く算段はするだろうね」


「今のところそう言った動きは見られません」


「おや? 予想だと人口は減るものと思っていたけど、あながちそうでもないのかな?」


「底辺という身分を味わったが故、さらに開拓による領地の生活水準が上がったこと。もっと言えば、ここでは無法者が基本いませんし、開拓を指揮するヴァダム家からの扱いが良いこと。他にも挙げればきりがなさそうですが、概ね奴隷だった者達の認識は同等なものだと思われます」


「んー、時代的に有りがちなライフバランスのなせる結果か。そう言えば、ヴァーガーから、奴隷の入用はないかと問い合わせがあったな。領地が広がれば追々人口を増やす予定だったが、ヴァダム家を継ぐのはヘズンスになるわけだし。一度父上と目安になる水準を相談してからが良いかな」


「他の領地の件もありますが、ヴァダム家からオルクス様が説明もなくいなくなった場合、領民に不安をきたす恐れもあります。元奴隷の領民の多くは、オルクス様ありきで生活の安定化ができている。そのように思っている人数は多いのです。言葉が過ぎるかと思いますが、少しばかりご自身の影響力と言うものを考慮していただかなくてはいけません」


「忠告は有り難く受け取るよ。ただ、彼らがそれほどまで考えているか僕にはわからないからね。関りを持っていると言っても、僕は子供であるのは変わらない。1年ちょっとで信頼関係がそこまで根深くなるかはねぇ。うーん、やはりわからないもんだよ。だって仕事を任せて放置してた期間だってあるんだよ?」


「それはそうですが……」


 トヨネと馬車に乗りながら、領地の事情を摺合せ考えを共有していく。領民感情というのは、何ともつかみにくいものだと思う。トヨネとの話し合いでこれほど話のまとまりがしにくいこともまれだと思う。トヨネの方も少しばかり腑に落ちない様子だからね。


「何にしろ、トヨネ達が集めてくれた情報や事情は頭に入れて視察をやろうと思う。僕も領主としてはまだまだということなんだろう。今は直に領民と接して、僕自身に足りているものと足りていないものを探そう。それを糧にして、自分の領地をより良く出来れば、少しはましな領主ということになると思う」


「オルクス坊ちゃま、そろそろ教会につきますぞ」


「ああ、行きがけに様子を見たい筆頭だからなぁ。お菓子のお土産も準備したし、王都の本屋で手にした本もあるから渡してあげないと」


「ほほ、きっと喜んでくれるでしょう」


「だといいね」


 ケンプの言葉にそうであればいいなと心から望む自分がいる。孤児こじ達はやはり生活が安定したとはいえ、両親がいない年端もいかぬ孤児みなしごなのだ。普通の生活で得られるはずだった心の空白を埋めることは、何よりも難しくはあるが、いつか自分達が年齢を重ねて親となっていけばいい。


 今は年齢故の制限や、学ばなければならない知識がある。それを備えた上で彼等が独立していけるように環境を整えるのが僕の仕事だ。


 ただ、与えるだけではダメだし、厳しくし過ぎても甘やかせるだけでもダメ。勉強を重ねていく間に、大人達とかかわりを持って勉強で身につけるものとは別の感性をその身に備えてほしい。これは望み過ぎだろうか? 僕が知っている浮浪児、孤児の環境では6歳から8歳までに、既に簡単な荷運びや内職程度の仕事をする者だっている。


 人手の余裕がない場所ではそれが重宝されるし、働いて生活費が稼げるならそれでいいと思う者もいるだろう。そこに第三者が事情も知らず、ダメ出しとかする権利は勿論無いだろう。しかしながら時代というのは、いつものごとく過渡期かときと言うものを迎える。


 戦争がなければ、絶対とは言わないが貴族はこぞって階級闘争をする傾向があるようだ。それはこの世界でも同じような感じではないだろうか。そこで労働搾取ろうどうさくしゅなどで貴族はそれを己の収入源とする。その元となるのはやはり労働者からの強引な搾取により、労働者の賃金が働きに応じたものよりも低くなる。


 そんなことを続けてすればいずれは領民や職人のストライキなどが発生する可能性は高まるし、人口の減少や領地の衰退に繋がって行くんだ。だからというわけじゃないが、僕は労働環境を整備した上で、領民の何らかの職人に収入がちゃんと渡るように気を回すよう心掛けている。それは奴隷であっても相応の給金は約束している。


 それには技量や質の隔たりは考慮されるが、ただ何となく生活を送るよりも張り合いがあったほうが良い。特にこの娯楽の少ない時代背景には、少しでもモチベーションをあげてくれる要素はふくませているつもりだ。その中であっても、やはり人間一人ひとり個性があり、努力する者もいれば怠ける者もでる。そこに何か特別口出しする気はさらさらない。冷たい? バカ言ったいけないよ、そう言うのを強引なお節介っていうんだ。


 一言いうなれば、努力している人の邪魔や、つまずいた結果を馬鹿にするような言動は許すことはしない。それは子供であれ大人であれ同じことだ。人は否定されることを恐れる弱い面を持つ、反面結果が良ければ喜び次に挑む強い面を合わせ持っている。全員が全員とは言わないけどね。


 僕にできることは寄り添い、労いと励ますことだけだ。本人がもう駄目だと匙を投げたならそこは仕方ない。領主の息子で爵位を持っていようが、領地にある土地を支えるのは誰でもなく領民達なのだから。結果がどうあれ後悔はしないようにと言葉を投げかけるのが精いっぱいだ。


 領地で出来たものは全て領主の資金となるはずもない。そんなことになれば領民が飢え生活水準が下がるのは当然である。それを理解していない領地は、無駄とは言わないが変なものにすがろうと投資するのだ。それを浪費というのだと気づけないのも考えが浅い領主の性ともいえる。


 反対に階級協調、もしくは階級協業という形態までは難しいだろうが、王族や領主、商人や職人が手を取り合うことで将来的な基盤が良い形として組み上げられていくのだけどな。結局のところ、その時にあったことを逃さないように汲み取る努力は怠れないという話だ。誰も彼もが利益ばかり追いかけているとは言わないけど、利益を得る過程で良き協力者がいてくれればと思う。



 まあ、難しい言葉よりざっくり言えば、実家のこの領地を食い物にされるようなことだけは絶対にさせたくない。ここだけじゃないな。フィナトリーやカイルナブイもそうだ。ここで育っていく子供達の将来の為、今からでも手に職をと努力する者のために。僕の今の目標は、箱庭のように領地だけで完結せずに他の領地ともうまく交流する事。領地を繋ぎ交易をするようになれば御の字だ。


 僕のスタンスにノーと答えてくる相手がいたとしても、僕は僕がやりたいことをできる限り貫くさ。まあ、今はまだこの大陸での階級闘争は起きにくいだろう。何せ未だにマヘルナと隣国の争いは続いているし、ユピクスの北西の隣国ヘーベウスとのいさかいやざこざで、規模はどうあれ戦争が始まる可能性も低くはないのだから。


 忙しくなるだろうけどそんなのは慣れてるし、僕は元々何かが成長しているのを手助けしたり成長過程を見たいりするのが好きなんだろうか。ふと、そんなこと思いながら乗っている馬車がゆっくりと止まったのを感じた。




 

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