第66話
♦♦♦
それが起きたのは、開戦が始まって3時間程度が過ぎた頃の事だ。ヘーベウス王国の占拠する砦の中を悲鳴や呻き声が響き渡るようになった。それに気づいた砦に残留してにいたヘーベウス側の複数の兵士が、砦の中までヘルウェン、またはユピクスの敵が侵入してきたのかと思った。だが砦の外、それもかなり離れた距離のある場所では未だ激しい交戦が行われているのだ。誰かが移動中段差でつまずいたドジでもいるのか、急いだ挙句階段から転げ落ちでもしたか、最悪は予想通り敵の伏兵が侵入してきたかのどれかかだ。そう考えた兵士達は、確認を急ぎに声のした辺りに向かって複数で見に行く。
そして現場を確認した兵士等が見た限り、声がした場所には人の影も形も何もなかった。驚かせやがって、そう思いながらも通路の大半が暗がりになっていたことから、念の為にと火を付けて明りを持ち出し、周辺をくまなく見る。だが、やはり何もない、と思った時に一瞬見えた染みのようなものがあるのが見えた。その壁を良く見ると少量の血らしき染みが壁や床に飛び散った跡が確かに残っているのに今更ながら気づいた。これは最悪の予想が当たり、やはり侵入者がいるのだ! そう思った兵士達は他の連中に知らせなくては、と思って通路を引き返そうとした直後、背後から声がした。
「遅いね」
兵士達が声に驚き急いで振り向いた時点で、彼等の横を風が吹き抜けたように直後、斬撃が一閃され、兵士達は多少の呻き声を上げることができた程度で、その命が抗うことなく絶たれたのだった。
「敵の階級者達は今も会議室の広間か、時間もそんなに掛けていられないし、少し急ごうか。敵は階級の有無に関わらず見つけるか見つかるかはさておき、殲滅しながら移動するよ」
「かしこまりました」
オルクスを先頭にトヨネ、アイリスこの三人がヘーベウス王国の占拠中の砦に、ルルスの魔術により難なく侵入して、内部で居合わせた敵のことごとくを屠っていく。そして、彼等のその後のやり取りも手短で端的なものであった。時間を掛けず、始末した敵の死体や所持品を各々がインベントリに収納し、彼等は砦の中の通路を駆けて進み、出会う敵、見つけた敵を一人として残さず仕留める。役割としてオルクスが離れた場所にいる者をシャドー系統の魔術で近くまで引き寄せるか、口を塞ぐかして、その後にトヨネとアイリスがそれ等を剣で切り刻む。オルクスの魔術が必要ない距離でも、攻撃主体の二人は物言わず自分達の役割をこなす。
砦内部で彼等の視界に入った者は隠れていようが逃げ出そうが、否応なく切り捨てられ、それの繰り返しが延々と淡々行われている。仕留めた敵の痕跡をある程度すぐに回収して、発見を遅らせるのも目的らしい。本来はヘーベウス王国側に向けられて立てられた歩廊のある盾壁が砦を半包囲的に囲っている場所に兵士がおり、そこの敵も本来なら相手にしなくてはならないわけだが、ユピクス及びヘルウェンの戦力は反対方向から攻めてきているはずなので、盾壁を利用することができない。その為人員は少数の見張りしかいないと言うのが、マティアからの索敵の結果であった。
なので、砦の通路を勢いに任せて彼等が進んで行くと、基本的な構造として建物の通り大抵一本が長く作られているその途中に、少し入り組んだ通路があり、砦が四角く建築されている構造上、通路が曲がり角になっている。何度かの角を曲がりながら、大きな通路に続く手前まで来た。そこの角からそろっと鏡を使って曲がった先を見ると、砦の中心地と思わしき場所に続く通路と、見栄えの良い大きな扉、その左右に見張りが二人立っているのが確認できた。
「あれが広間か、マティアからの情報だとリストにある階級持ちが大抵揃い踏みだそうだ。顔を見られるのは嫌だし、扉を少し開けて隙間から煙玉でも投げ込むか」
「敵の始末はお任せを」
「任せる。情報通りなら、そこに怒鳴っている王族がいるらしいからね。捕縛した後、真っ先に目と耳と口を塞いでおくか。その前に、『小春、そっちはどうかな?』」
『地下に作られた牢屋の前を占拠中。人質として捕らえた人達を連れてこようとする場合この通路からしかないから、人が断続的だけど結構来たかな? 歯ごたえが無いから、一人で全員
それを聞いたオルクスは、さすが小春、上出来だね、とその働きを労いそのまま待機して、その場を見張る様に小春に任務を継続する指示を出した。そして覗く先に扉を挟んで見張っている兵士の二人に目掛けて、角から飛び出した瞬間、兵士等の顔に向かってシャドー・ハンドを飛ばし張り付かせ、トヨネ達が兵士等のもがいて慌て出したタイミングで飛び出し、素早く移動して一振りの下に首あるいは心臓を剣で突き刺して仕留めた。出血で辺りを汚すのを嫌っての処置だが躊躇なく、それでいて手際の良い仕留め方だ。
その後に死体を回収し予定通り、広間の扉に少し隙間を開けてから小春特性の煙玉を3つ投げ入れてやる。すると中から数秒程間を置いて複数の慌てふためく声が漏れて来た。小春の作る煙玉の特性は、煙がその場に留まる時間が長く、自然に消えるのは10分以上が必要になる。野外でなら少しは時間が短くなるだろうが、構造的に砦の真ん中の地下にある広間である。なので、吸気口と排気口がそれぞれあり、それに暖炉がある部屋らしいので、普通の窓の多い部屋よりも、煙の留まる時間はそれ程変わらないだろうけど問題はない。
「何だこの煙は!?」
「何だ? 何が起きた? 敵襲か?」
「ええい、何も見えんではないか! 早くこの煙を何とかしろ!」
「殿下、部屋から一時避難致しましょう! 視界の悪い場所に留まるのは危険でございます!」
中から聞こえてくる声を聞いていると、どうやら部屋から要人が数人出てこようとしているらしい。そのことを聞き付けたオルクスは、口元を少し吊り上げて、それは好都合だ、と思ったようだ。
「くそっ、一体何事だ! 見張りの兵士は何をしておる! 煙はどこから入ってきた? お前達も急ぎこの煙を早く何とかしろ!」
突然の煙に一番怒鳴り声を上げている人物がいた。恐らくそれがこの場で一番偉い人物、即ち敵側の王族である可能性が非常に高い。それに、先ほど部屋の中の誰かが、避難を勧める際に殿下と言ったのだからほぼ考察に間違いはないだろう。そう思ったオルクスは、扉の隙間から声を掛ける。
「殿下、こちらです! 扉から早く外へ! 何者かが火を起こした
苛立ちと混乱の起こる室内の外から、オルクスが急かす様にデマを流し呼びかける。声変わりもしていない彼の声だとしても、黒い煙が立ち込める視界の悪い広間の中、混乱している者達からすれば、気にするに値しないことのようだ。何より外は安全等と聞いては、否応なく言われた通りにオルクスの声のする方に複数の足音や声が近づいてくる。
「さて、仕事の続きだ。出てくる3人を残して、中の殲滅は任せるよ」
「はい」
その後、首尾良く王族らしい人物とそれを庇い付き添う人間が出てきた所を魔術を使って段取り良く身動きできないよう捕縛して、鼻で呼吸させるためにそれ以外を魔道具で塞ぎ拘束したオルクス。そしていまだ混乱する広間の中を、トヨネとアイリスの二人が煙をものともせず、室内にいる人間を片っ端から残らず屠っていく。そして、用が済んで静まったことを確認して、部屋の煙を吸引の魔道具で徐々に消し去った室内は、見事にいくつもの屍で部屋が散乱していた。勿論、それらを残らず回収していくトヨネとアイリス、広間の外を警戒しながら拘束中の王族と、その付き添いに出て来た階級持ちを転がすオルクス。
さて、時間にして15分ぐらいが経過した頃だ。残りの時間をどうするか、オルクスは少し悩んだ末、ある行動に出だ。
♢♦♦♦
初めにそれに気づいたのは誰なのかは分からない。だが、複数の人間がそれを目にし、指摘して周辺に伝わっていくのに思ったほど時間はかからなかったのではないだろうか。
砦付近にいたヘーベウス王国の兵士等が口々に違和感に気づいて異変を述べ、砦の屋根の方を指差している。戦の最中に何を呑気に空を指差しているのか、そう思った者等も何に対してそんなに注目しているのかがやけに気になり、その方向を見た、見てしまった。
「ば、馬鹿な!?」
一人の階級持ちが叫んだ、その声は辺りに響き、負傷者や補給を受けている者、増援の命令を受けていた陣営、その他の各々が持つ目的に動き回る兵士達、その誰彼お構いなしに、否応なく伝わってしまう。
そのヘーベウス王国の兵士達が仰ぐようにして見ているもの、それは今まであったはずの自国の国旗、砦を占拠しているという証の国旗が無くなっており、代わりにはためいているのは見たこともない、どこの家紋か定かではない旗が、悠々と風に舞いその存在を誇示するようにそこにあった。
そんな馬鹿なことがあるはずがない、誰かの悪戯にしては度が過ぎている。ヘーベウス側の誰もがそう思い、自分達の記憶にあった頃には、確かにあった自国の国旗が別のものに
「誰か、広間の様子を見てこい! それから我が国の国旗を再度掲げさせろ! どこの馬鹿がこの局面でやったのか、もし悪戯ならどれ程の重罪が教えてやれ! 敵の侵入を許しているなら――っ!!」
隊長と呼ばれた男は指示を飛ばしている
「隊長!」
近辺にいた人間からしても、隊長に何が起こったのか分からない。ただ、隊長に近づいた他の兵士は、身体をゆすったり叩いたりしているが、その男が動くことなく息もしていないことに気づく。し、死んでる! うあああああ! と事実をありのまま告げて喚き錯乱してしまった。
敵の攻撃がここまで届いたのか? 隊長は何によって殺されたのか? 自分達はどうすれば良いのか? 錯乱状態の味方に駆け寄る複数の兵士、そして代わりに指揮を執るような立場になった者は、すぐさま死んだ前任者の言葉を引き継ごうとするが。
「がっ!!」
「ぶふっ!!」
立て続けにその近辺にいた、指揮を執ろうとする人間が倒れ伏していくのが続く。それにより混乱と錯乱状態が連鎖し、指揮系統のマヒが拡大していく。
そんな混沌する状態が砦の辺りで起こっていることなど知る由もないヘーベウス側の交戦による被害が増している陣営は総崩れをし出し始めた。
本来ならば、派兵された陣営と連帯して、負傷や体力の限界にある兵士の入れ替えを行うべきときに、いくら待っても砦からの増援、ないし救援は来ないのだ。3時間が経過し、体力も気力も底を尽き始めた自陣の兵士達を、何とかして
砦に駐屯している部隊は何をしているのか。一体何が起きているのか、来れないような問題でも発生したのか、このままでは陣営が持たないどころか、陣形が崩れ始めているし、中には臆病風に吹かれて逃げ出し離脱する者も出始めている。このままでは総崩れする危険がある!!
陣営を預かる指揮官がそう思っているところに、伝令が馬に乗って現れ、現状報告を枯れた喉で叫ぶように伝えて来た。相当焦っているのが分かるし、声が潰れ始めている。他の陣営にも駆け回って、声を張り上げての報告を行っていたのだろう。だが、その必死に伝えてくる内容に、指揮官自体がまたも混乱する。
「そんな事があり得るのか!? あの後方にある砦が落ちたとでも言うのか? ……はっ、しまっ――」
つい、本当に無意識に口に出してしまった疑問の言葉。それは、率いる兵士達には衝撃と混乱の引き金となるには十分な内容であることに、指揮官は悪態をついて後悔する。が、今更その内容を引っ込めることも回収することもできない。伝令からの報告と、自陣の指揮官の漏らした言葉に、意味をしっかりと聞き入ってしまった部隊の兵士達は取り乱した声を上げだす。
それは、水溜まりに水滴が落ちたときの波紋の様に、敵味方問わず戦場を広がり出した。今せめぎ合っている場所から離れた位置にあるであろう、自分達の拠点とする砦が、自分達が今攻め入ろうとしている砦が、原因は不明だが陥落した! 等と、そんな言葉が飛び交い、戦場での双方の戸惑いに拍車をかける。
その波紋の如く
「そなたは……。そうか、で? 何が起きたか説明をしに来たのだろう?」
モイラアデス国王が、まだ状況を理解するに至っていない、バインク殿下を置き去りに、ケンプに対して説明を求める。
主より預かっている品がございます、とケンプが懐から取り出したのは鍵の束であった。モイラアデス国王にそれを手渡し、ケンプが告げる。
「ミリャン殿下、及びその他の方々は、現状あの砦で最も安全な場所におられます。それと、向こうの要人も3人拘束して収容中とのこと。そして、その場所を開けることができるのはその鍵のみ。ここらかあの砦まで、馬で邪魔者を蹴散らしながらでも急ぎ走っていけば、15分もかからずに辿り着ける事がお出来でしょう。後の事はバインク殿下と、モイラアデス国王にお任せし、主は今から約10分後に、砦から手を引かれる手はずになっております。
そう言って頭を下げたケンプ。それに対して、その説明を正確に理解したらしいモイラアデス国王。
「ふ、味な真似をしてくれる。分かった! 者共よ、1分で残りの騎馬隊を全て集合させよ! 今から敵の混乱に乗じて砦までの進路を開く。歩兵はその後を突き進め! 準備急げ!」
「何が何だかわからないが、この状況はモイラアデス国王の判断に便乗した方が良さそうだな。ユピクスの騎馬隊も1分以内で突撃する。急ぎ準備せよ!」
そして、モイラアデス国王がケンプに再び目を向けたときには、そこにその姿はなく、周辺を目で追ってもその姿は確認できなかった。
「ふん、やるならやるで出撃前に言っておれば良いものを、まったく可愛げのない子供だな」
「オルクスが何かやったのですか? アレの従者が来たという事はそう言うことなのだと認識していますが?」
「おう、アレが今、あの砦を掌握してるらしいぞ? 10分後に手を引くとか言っていたな。それと、うちの
1分が待てずに飛び出したモイラアデス国王に、馬を寄せていた陣営が慌てて出発を始める。国王が敵陣目掛けて一騎掛けの突撃など冗談ではない。開戦直後の状況は作戦なのであって、今突撃したばかり陛下から作戦など聞いてはない。目的は聞いたが完全な自由意思の突撃なのだ。編成の終えていた騎馬隊がその背中を追うように馬を走らせる。
「お、お待ちを、陛下! くっ、グズグズするな! 急げ! 陛下を一人にするな!」
準備不足だったり、突撃から戻ったばかりの騎馬隊もいるが、そんなことは言っていられない。陛下に何としても追いすがらなくてはならない。
陣形などあってないようなものだ。自分の馬のペース配分など気にすることさえできない。味方の馬との接触だけに気を配って、総大将に追いつければそれでよし、追いつけなくとも敵を蹴散らし後続の進路を確保すれば良い。ヘルウェンの騎馬隊はベテラン揃いのようだ。見事に個々の仕事を判断してやってのける。
「クク、オルクスよ。毎度毎度、お前に驚かされるこっちの身にもなれよ? ハッ! ユピクス王国軍騎馬隊出撃! 出遅れる者は歩兵か魔術師を乗せてついて来い! 砦の外だけが戦場ではないぞ! 続け続けぇっ!」
自分の国の
「モイラアデス国王とバインク殿下に続け! 陣形を気にするよりも先へ進め! 邪魔な敵はさっさと始末しろ!」
「行き掛けの駄賃だ、混乱している敵を逃すなよ? 遠くに逃げる敵は追わず、ほっておけ! 殺すだけが仕事じゃないぞ! 捕虜の確保も仕事の内だ! 足が遅い奴はそっちを手伝え!」
「動ける奴は負傷者に手を貸してやれ、凱旋後に驕らせる相手を増やしておけよ! そらっ、ぼけっとすんな! 動け動け! 仕事なら目の前に山ほどあるぞ!」
物事には順序と言うものがあるが、それをいくつもすっ飛ばす事態が起きるのが戦場と言うものらしい。新兵はそれを否応なく感じ、ベテランや老兵の所謂
それが漸くある程度片が付き、終いには自陣の近くまでついた頃には精根尽きたへばった状態で、敵のいない安全地帯に戻ったことで張り詰めていた緊張の糸が途切れたのか、突然笑い出す者も多数いる。人間は極限状態が続き、なんでもないことで感情が不意に爆発することがある。彼等にとってはそれが今だったようだ。それを誰も咎める者はないし、逆に共感を覚える者の方が多い。
戦場は、ユピクスとヘルウェンの両陣地からかなり離れた前方の場所に移った。自陣に退却し残った者は、局面で言えば最後の大詰めであろう現場に行けない悔しさと、自分が生きていることの喜び、まだ戦っているであろう味方や友の被害が少ないように想い願う。いつしか笑いの鎮まった陣地から感情の残り粕でも届けばと、砂煙だ土埃だ、汗だ血だと漂い飛び交っているだろう最前線の戦場を思い、見えない砦の方向を兵士達は見つめ眺め続けた。
♦
ユピクス及びヘルウェンの王族を含む騎馬隊が、情報が
その後は時間が少し余ったので、要人を牢屋に確保してから、悪戯がてらに敵の占拠を誇示しているヘーベウス王国の旗を降ろし、僕の実家の旗を旗立て場に設置することにした。ユピクス及びヘルウェンの国旗なんて僕が持ってるわけもないしね。まあ、白い布でも良かったのだけど、どうせならと思って考慮した結果であるわけだ。そのことでヘーベウス側は混乱に陥ったようだが、冷静になれば分かることだよ。そうだね、君等が守っていた砦は陥落した。そのように見せたのだから、そのように嫌でも振舞ってもらわなければ、僕も旗を変えたりした意味がないから、彼等の反応を窺う上では理想通りかな。でも、戦場では本当に指揮官っていうのは大切だね。
人が溢れるほどいるのに、指揮官がいないだけで右往左往してる状態が続き形にならないのだから。ここでもし僕が、退却! 砦が敵の手に落ちて、殿下や指揮官達が敵に捕まり人質に取られたぞ! もうダメだ、引くしかない、撤退だ! なんてことを叫べばどうなるだろうか。いや、するつもりはないよ? 僕の憂さ晴らしは終わったのだからね。
マティアから味方の騎馬隊が砦に突撃を掛けているとの報告が来た。先頭を走るのはモイラアデス国王と、少し遅れてユピクス及びヘルウェンの騎馬隊。残り数分、まだ余裕はあるけど特に用事はない、かな? ここの要人らと、人質にとられていたミリャン殿下達の牢屋の鍵は、ケンプから陛下に渡してもらっている。いくら人質にしようとしても、鍵が無ければ牢屋を開けて中の人間を出すことはできないだろう。それに、小春からの報告では、牢屋には強力な対魔術用の結界が張られており、魔術が使える者がいたとしても簡単には中からも外からも破壊はできないらしいし、どうしようもないだろう。
陛下が持っている鍵で、砦を改めて手中に収めた後で何とでもするだろうから僕の仕事はほぼないに等しい。僕はそう思ってやることはないなと再確認した後、ルルスの魔術で自分の自家用の馬車近くの木々で視界が覆われている場所に転移してもらった。それから馬車に戻り、車内から外に出て来たケンプを労って場所を交代する。
「さて、休憩というか憂さ晴らしは終わったけど、状況はどうだろうか。ケンプ、お疲れ様。代わるよ」
ケンプが礼をとって僕に場所を譲る。馬車の中には既にトヨネが戻っており、サイラスさん達が飲み物を飲んで
「おや、戻ったか。我々が休んでいるうちに戦局が一変してこちらに良い意味で傾いたようだ。なんでも、砦の旗がヘーベウス王国のものから別のものに変えられていたらしい。この馬車についている家紋によく似た旗だったそうだ」
そう告げてくるサイラスさんは、何も言わないが僕が何かしたとでも思っているのか、表情がにやけている。他の兵士等もそうだ。だが。
「そうですかそれは良かったですね。そんな面白い偶然があるなんて驚きです。まあ、早く戦が終わって現場が落ち着くなら良いことですし、その分の期間だけ帰りも早くなるでしょうから、寒さを耐えて外にいることもなくて大変結構なのでは?」
と、何事もないように告げて、トヨネが入れてくれた程よい温度の甘い飲み物で喉の渇きを癒す。
「君は……、はー。いや、その通りだ。ただ、ユピクス本国、またはヘルウェン王国に戻ってからが大変だと私は思うよ。なんて言っても、戦果が凄まじいのだからね。君が考えているよりも、君を注目する人間はどっと増えるだろう。その時になって初めて分かることもあるかもしれないが、国に属するという事の大変さは、今から覚悟して備えておくべきだろう。まあ、これは私からの忠告だがね」
「その忠告は、国に帰ってからも周りから何度も言われそうな感じがしますね。まだ実感が持てないのですけど、立場や爵位、派閥なりはそれほどに大変なのでしょうね。バインク殿下でも苦労を漏らすほどなんですから、よっぽどなのだと覚悟だけはしておきます。それに、何を備えればいいのか分からないので、その辺は頼らせてくださいね?」
「はは、私の手の出せる範疇なら手伝わせてもらうさ。周辺が落ち着いたら、君とはまた会う機会もあるだろう。今はとりあえず、これの事に集中しておくのがよいだろう?」
そう言って鏡に映る映像に親指立てて指すサイラスさん。それはその通りだが、映像を見る限り殆どやる事なんてないようだ。ヘーベウス側は混乱に乗じての騎馬隊の突撃に為す術なく蹴散らされているし、馬が砦の周囲を完全に制圧した後の動きも速い。今更既存のバリケードなんて何の役にも立たないだろう。
敵兵を吹っ飛ばしながら砦の前まで来たモイラアデス国王と、その他の騎馬兵が躊躇なく馬を降りて、その足で砦の出入り口に突入していく。まあ、一度は僕の手で陥落した砦だから、抵抗する敵兵士も殆どいないのが現状であり、制圧にかかる時間はそう長いこともないだろうと予測できる。
さて、後は陛下が砦の牢屋に入っているだろう者達をどうするかぐらいしか見どころはない。モイラアデス国王に遅れること少し経ってから、バインク殿下が砦の制圧の人手を増やし、捕虜の確保や自陣への報告を速やかに指示をす。その馬上の姿が中々様になっている感じの印象を受ける。上から目線の言い方で失礼だろうけれど、マヘルナ王国を相手にしていた時よりも、この戦場での成長が大きかったのか、有体に言えば一皮剥けた感じがする。
周囲もそう感じているのだろう、指示を飛ばし報告を聞くその姿に、誰もが頼もしさを感じているように窺える。フォルトス国王も、今のバインク殿下を見たらきっと喜ぶだろうな。そう思っていると、映像の端で隠し窓が開くのが見えた。そこには弓らしき武器を構えたヘーベウスの兵士がいて、その標的をバインク殿下に向けて、今にも放とうとしていた。
陛下の付近の人間は誰も気づいていないらしい。僕も今気づいたところだし、グレイスやルルスの攻撃が届く前に、敵兵の放った矢がバインク殿下に向け放たれた。次の瞬間、敵兵はグレイス等に葬られた際に声が響く。が、放たれた矢は正確にバインク殿下の胸辺りを目掛けて加速しながら飛んでいく。そして誰もが遅まきながらに敵の攻撃が向けられたのだと気づいた頃には、時既に遅く、バインク殿下の胸に吸い込まれるように矢が届き、風穴が開くのだと瞬間的に想像した。
でね? 矢がバインク殿下を射抜きその身体が馬から矢の届いた反対側に突き落としたように落馬する。と言う感じで、戦争を終結させるなんてことが無いように、殿下の陰に潜んでいた椿が矢を
と、僕が打った手の一つがこれ、バインク殿下を陰ながらの護衛をするように椿に任せていたわけだ。以前も言った気がするけど、種明かしなんてものは、説明されると本当に、なんだ、そう言うからくりかって思われて、一瞬驚かれはするだろうけど、大抵は興味をすぐに削いでしまうことだろうからね。
それに、この護衛は万一に備えた保険的なものだ。今頃は椿から、倒れ込んでいるバインク殿下に説明がされていることだろう。砦の出入り口から中へ運ばれ外からの死角になる場所に移動させられた殿下。あれ、椿から念話で殿下から伝言を受けたらしい。なんでも、驚かせるのも大概にしろって文句を言われた。何て不条理な事だろうか、善意なのに。
さておき、僕等を乗せた馬車とサイラスさんの部隊が、本陣から人を乗せられるだけ同乗させ移動し、砦の付近に近づいた頃、兵士の一人が来て、殿下から話があると馬車を出入り口付近に着けるようにと言われた。もしかして、文句が言い足りないのか、それとも説教の類か何かだろうか? もしやその両方か? いやいや、まあ……。連絡を入れてないのは僕だからね、それも仕方がないか、そう諦めている僕がいる。
言われた通り、馬車を砦の出入り口に横付けし、本陣から連れて来た乗員を降ろした後、入れ替わりに素早い動作で僕の馬車に乗り込んできたバインク殿下。向かい側ではなく隣に乗り込んできた殿下は、はー、と深い溜息をついて、見せることのなかっただらけた姿勢に身体を崩され楽にした。相当の疲れ様であるらしい。トヨネが気を聞かせて飲み物を殿下の前に置く。
「んく……、っふぅー」
出された飲み物をすぐに喉に勢い良く通し、また深い息を吐く殿下。そしてこっちを見るその視線はジト目だ。
「お前、やるんならやるで一報くらいこちらに入れてもよいだろう? どういう手段かは聞かんが、驚かされるこっちの身にもなれ。やれ、砦を落としただ、やれ護衛をつけていただ、驚かされることばかりで、本当にたまったものではない!」
そこで、飲み物をお代わりして飲んだ殿下は、続きを仰った。
「だが、驚かされてもそのおかげで、味方の被害も少なく、捕虜になったヘルウェン側の人質も、ついでに俺の命さえ守ったのだから、文句は言えども感謝はする」
「そこは、文句を言わず、では?」
「このっ! どの口がほざく! お前はっ!」
「いはい、いはいれふぅっへ!」
そうやって馬車の中で騒いでいる僕等をよそに、砦の制圧が完全に為されたのは日が落ち掛けて夜に入る前の事であった。
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