第62話

 ♦♦♦


 ユピクス側の本陣の天幕で、もう少しのところで大波乱となっていた可能性があったのを未然に防がれたことを知らないオルクス本人と、付き添いの同行で離れた場所にいた為に波乱の前兆に気づかなかったサイラスの二人は自分達の馬車に向かう最中、天候が怪しくなってきたことに気づく。雪か雨のどちらかが早ければ数時間後、遅くても明日には本降りになりそうな気配を感じていた。


「明日戦端が開かれるとなると、少し視界に問題が生じるかもしれません」


「というと、馬車のあの鏡に映る映像に何か問題でも?」


「それは野外は多少視界が悪くなるかもしれませんが、砦の中なら問題ないでしょう。問題となるのは敵の仕留め方です。オフレコでお願いしますけど、大体は気づいているでしょう? 敵を仕留めているのが遠距離からの攻撃であると」


「ああ、それはまあ。あれだけ見せられれば嫌でも気づく。機密事項とやらで詳細は教えてはもらえないのだろうが」


 その言葉にオルクスが物言わず良い笑顔をサイラスに向け、その通りなのだなと受け取るサイラス。短い期間ではあるけれど、行動を共にすればこの幼子の事が少しでも分かってくと言うものだ。そんな二人がいくつかの天幕を縫って歩きながら馬車の近くまで来ると、先ほどから気にならない程度の騒がしさが、どんどんざわつきを増していくように聞こえて来た。


 聞こえてくる騒音はどうやら自分達の馬車の方かららしいと言うのが分かり、二人は顔を見合わせて駆け足気味の速度で自分の馬車の方に近づいていった。



 ♦



「何だ? この人だかりは……」


「やけに騒がしいから急いで来てみたら、騒いでいるのはあそこの集団ぽいですね。あれって、うちの国の魔術師とヘルウェン側の魔術師達かな? 恐らく張り合っていることから魔術師同士のいがみ合いと見て間違いなさそうですが」


「それはまずい、これから戦争だっていうときにいがみ合ってて大丈夫なのか?」


「それを僕に言われても……」


「いや、悪い、それは尤もだ。だが、なんでこんなところでいがみ合っているのか聞きに行くしかあるまい。君も嫌だって表情を前面に作って返事するのやめてくれないか。仮に、こんな場所で魔術合戦なんか起ころうものなら、君の馬車にも被害が行くだろ?」


「そうなる前にいさかいを止めるか、馬車を移動しますよ」


 それが妥当な判断だ、サイラスさんがそう言いながら近くにいた人に諍いの発端や経緯を聞き取りしに行く。そして聞いて呆れながら僕にその経緯を話してくれたのだが。


「今度は僕の馬車が発端ですか?」


 聞いた話では、最初に僕の馬車を見つけたヘルウェン側の宮廷魔術師がその造形や機構に興味をもって馬車を観察し出したのが始まりだったらしい。しばらく観察している内に、車内にいたサイラスさんの部下達がそれに気づいて出てみれば、中を見せろと強引に馬車の扉から入ろうとして来た。それをサイラスさんの部下が合計5人いるわけだが、中には機密文書扱いの書類が満載だし、馬車の持ち主である僕が不在であると観察を断られると、激高したその魔術師が馬車目掛けて魔術を放ったらしい。


 だが、馬車はトヨネによって扉を閉じられ、車体を魔術が襲ったにも関わらず馬車には傷一つ付かず無傷であった。まあ、僕の馬車はマティア特性の魔改造された技術に、ルルスが物理も魔術も弾く様な固定化の魔術を何重にも掛けた、言わば動く要塞、は言い過ぎか? 


 だが、その結果にも納得がいかず怒りが増すばかりのその魔術師は魔術を連発し出した。それをどうにか止めることができないかと、自国の宮廷魔術師に応援を頼んだサイラスさんの部下達。止めに入った彼等も火傷や爆風に乗った石や砂などで軽い怪我をしたらしい。そして応援に来たユピクス王国の宮廷魔術師筆頭と集まった魔術師達。相手も一人では分が悪いと見て何かしらの理由を付けて応援を呼んで、最終的に今の騒ぎにまで発展したらしい。


 聞いた僕も呆れるしかない、とんだとばっちりもあったものではないし、どちらかと言えば僕の馬車やサイラスさんの部下は被害者側だ。当の問題を起こした魔術師は、魔術の連発で魔力切れなのか、ゼーハー言いながらアンジェリカさん相手に聞くに堪えない啖呵を切っている。


「あの息切れしてる人って、確かにヘルウェン側の宮廷魔術師で間違いないと思いますけど、生憎あいにく僕とは面識はありませんね。でも、アンジェリカ殿と真っ向から対峙しているってことは、それなりの上位にある宮廷魔術師なのかも」


 そのように思った僕の考えだったが、予想は大きく外れたらしい。


「いや、聞いた話だと宮廷魔術師に入りたての人物らしい。それも怒りっぽい気位きぐらいが高い、我儘わがままな子供をそのまま大人にしたような人物と言うのが周りの評価らしい」


「なんですか、その傍迷惑な人柄の評価は……。とにかく、アンジェリカ殿にこんな細事で手を煩わせるわけにはいきません。ちょっと行ってきます」


「私も同行する。部下が両方に、違う意味で世話になったようだからな」


 そして僕等は、人垣を割って入りながら今まさに、魔術戦にでもなりそうな雰囲気の中心部へ足を踏み込んだ。



 ♦♦♦



 私の名はアンジェリカ・アンスパッハ。ユピクス王国の宮廷魔術師の筆頭で、第一位の席にいる者だ。いきなりだが、宮廷魔術師は世襲ではなく完全な実力派の世界。王族や騎士団、軍の上層などはある程度の能力は必要とされるが、大抵の地位は世襲の場合が少なくない。けど魔術師は違うのよ。魔術師ギルドや魔術師院、あるいは個人で日々魔力の保有量を上げ、魔術と言う能力をいかに磨き、効率よく行使するか。魔術の系統や使い方を一つ取っても枝分えだわかれする場合がある。可能な限り、あらゆる局面に対応できる力があり、必要な時に必要な魔術を行使する。平たく言えば、目の前で無様に息切れするようなお馬鹿さんがなれるものではない。


 まあ、国や組織によってその在り方が様々あることはあるが、この馬鹿丸出しのいかにも気位の高いお坊ちゃんが宮廷魔術師などと、どこのことわざだったか、へそで茶を沸かすだったかしら。私からすれば、ほんとにお笑いぐさだ。ヘルウェン王国はそれほど人材不足なのかしら。それとも他に理由が? そんなことを思う。


 あら、しばらくお馬鹿さんと対峙していたら、あの子が補佐役と人垣を分けてこちらにやってくるのが見えた。オルクス・ルオ・ヴァダム、元を辿れば被害にあったのはあの子の馬車と、補佐役の男性の部下達だ。やってくるのが少し遅かったけれど、殿下に呼び出されたと聞いているし、仕方がないことだろう。御気の毒様とねぎらってあげたいわ。


「アンジェリカ殿、細事に巻き込んでしまい申し訳ありません」


「部下がお世話になったと聞いております。お手数をおかけして申し訳ありません」


 二人が私の前までやってきて、申し訳なさそうに頭を下げた。周囲から事の発端から経緯まで聞いてから来たらしい。立場的には私の方が上だし、礼節通りならばそれが正しい。だが、私の方は良いのだけど、ヘルウェン側の魔術師の坊やが怒り狂ったように声を荒げた。


「おい、貴様等は何だ? お前達の出る幕ではない。さっさとこの場を去れ! さもなくば二人まとめて焼き尽くしてやろうか? どうせ、お前のような子供は物見遊山よろしく、陣地の後ろから陰に隠れて見物でもするのだろう? この私がいる勝ち戦の布陣だ。お前の親は貴族だろうが、お前個人は何の爵位も立場もないただのガキだ。この、宮廷魔術師であるサロモン・ベルギウス様がお前のような奴に時間を割くのも勿体ないわ! 分かったら付き添いの男とさっさと消え失せろ! 燃やされたいか? ああん?」


 ほら来た、本当に切れやすい沸点の低い魔術師だ。いや、出来の悪い魔術使い程度の坊やだ。そのくせ、自分の立場から相手が何もできないと分かっていながら文句を付けて言いくるめる。私も今の地位にいる前に、魔術師の登竜門である魔術師院や魔術師ギルドでこのような光景を過去に多く見て来た。最近は私を含めた上位の魔術師が、礼節をもって事に当たるので見ることも少なくなった方だと思っていたのだけど、こうやって立場を笠に着て言いたい放題のやからは、見えないところでこそこそといじめをしたり、徒党を組んで魔術の鍛錬にいそしむ者を出る杭を折る様に蹴落としたり、あからさまに立場や実力を見せつけるように相手を甚振いたぶる奴もいる。目の前のクズのようにね。ここは私が、と思って前に出ようとした、のだが……。


「私は貴方が攻撃した馬車の持ち主、隣にいるのは貴方を止めようとした者達の上官です。私には貴方を裁く権限はないが、被害者として申し出る立場が生じています。私の隣にいるのは私の補佐役兼観測手であり、戦場での私の行動を見届け、まとめて報告をする義務のある者です」


 私が出るまでもなく、その子は自分達の立場を主張した。彼の噂は王都で有名だったので軽く調べたこともあり、評判も評価も共に良い意味で高いのは知っていた。だが、彼が他人の力を当てにせず、自力で大抵のことはやってのけるという話も聞いてはいたが、これがその一端だと言うのかしら?


「ですので、貴方にはご自身の行動について責任能力を問われます。よって被害者である我等に現状を説明する義務が生じます。どうぞ納得のいく説明をなさってください。何故、私の馬車を観察した後、車内に無理やり侵入しようとしたのか。何故、乗車を断る正当な理由が説明されたのに、止めに入った者達を負傷させたのか。何故、私の馬車目掛けて魔術を連続で行使したのか。時間は有限、ここは戦場、貴方に割く時間はわずかでも手短にさせて頂きたい。さあ、貴方のとった行動の正当な理由をここで証言してください」


 これはこれは……。頭が回る利口な子だとは聞いていたが、それだけではないわ。自分の生じた立場を最大限に利用して、相手の痛いところをしっかりつかんで離さない。こういう子が私の補佐に欲しい! 一昨日に会ったルルス殿も味方に欲しいと思ったが、こんな近くに有能な子がいるじゃない。目の届く場所にいたのに見落としていたとはとても情けない! だが、今からでも遅くはない、是非とも恩を売っておくべき相手だ。それに、この子には一昨日にお願いを聞いてもらったばかりだし、ここは私の印象を少しでも良くしておいた方が先々で有効だろう。


「ぐぐ……、き、貴様ぁ……、わ、私は宮廷――」


「自分の立場を利用して逃げる気かしら? 私の名はアンジェリカ・アンスパッハ。名乗るのが遅れたけれどユピクス王国の宮廷魔術師筆頭、第一位の席にいる者よ! 貴殿がヘルウェン側の宮廷魔術師だと言うのはさっきも聞いたわ。ところで貴殿は何位の席にいるのかしら?」


 宮廷魔術師の……だ。彼は非常に聞き取りにくい言葉でぼそぼそ告げた。だが、私の耳はその声をしっかりとらえている。12位、と言った。


「ヘルウェン王国の宮廷魔術師、12位の席にいるサロモン・ベルギウス殿と言ったか? 良いだろう、この場には我々の他にも沢山の人の目がある。ここにいる者で加害者のサロモン殿の行動を目撃した者は手を上げて横5列になって整列せよ! 野次馬共は即刻この場から離れるが良い、ヘルウェン側の諸君らも同じだ!」


 集まっている者達は互いに顔を見合わせている。反応としては今一だ、もう一押し必要だろうか。私はそこで少し間を置いてから笑みを見せ告げる。


「ついでに諸君らに良いことを教えておいてやろうか。被害者の彼は、今はまだ見た目通り幼く、爵位もなく立場は低いが、我が方の国にも貴君等の国にも共に王族との伝手を持っている。加害者のサロモン・ベルギウス殿からの報復が怖いならば、この私が間に入ってとりなしてやっても良い。それに被害者のオルクス・ルオ・ヴァダム殿は、この戦争終結後に貴国の第5王女と婚約が決まっているそうだ。北東の戦場では戦果を既に山ほど積んでいる。それに、ここでの交戦にてさらに戦果を重ねることだろう。貴国の王太后様からは、戦果次第で爵位や領地を与えるとまで言われた者だ。見た目通りの幼さに惑わされないことだね。もしも今の仕事からあぶれても、ここで正直になっておいた方が身の為だと私は思うがな! これくらいで判断材料にはなったか?」


 命令や指示を出す立場になると、口調がついつい男のような勇ましい言葉遣いになってしまう私の話に、今まで周囲を取り巻いていた者達が慌てて整列し始める。理解力は並みだが、迷いが晴れて清々しいほどの素早い整列ぶりだ。表情が生真面目になっていて、最前列の者は少し勝ち誇ったような表情を、後ろに並ぶ者は少し苛立っている。まあ、目立つ位置に立てたのがうれしいのと、出遅れたのが悔しいのは分かる。表情に出すのは減点だが、泥臭い喧嘩や乱闘をするよりかはよっぽど良いがね。さて、舞台は整えてやったが、お前さんはどう動く? オルクス殿よ。


 私の視線に、意図を理解したようで軽く礼をされた。ふふ、要領も良いし理解力も良い。欲しい、この子が欲しい。あ、もちろん補佐にって意味よ? 私にショタっ気はないもの。さておき、彼はすぐに行動を始める。


「サイラス殿は、部下の人達と手分けして整列している人から聞き取りをお願いします。名前は漏らさず書き留めてください。整列の速さだけで損得が出ない様に正直に正確な情報を出してくれる方を優先してください」


「了解した。早速取り掛かる」


 良いわ、先々や人の感情理解して事を考えて動ける子は本当に人材として最高! 融通が利く頭の柔らかい秀才で有能な子だ。私は周囲を見て自分の部下を探す男性、サイラスといったかしら? 彼に指をさして教える。


「サイラス殿、貴方の部下は全員あっちよ。怪我は大したことなかったから、今頃は全員治癒を終えているでしょう」


「おお、感謝致します! では、御前ごぜん失礼します」


 サイラス殿が部下のところに駆けて行った。次にオルクス殿は従者に声を掛ける。今までそこに居た事さえ掴めなかった、パッと見で初老ぐらいの貫禄のある男性が馬車の横にいた。


「ケンプ、悪いけどユピクスの本陣の天幕にすぐ連絡を入れてくれ。まだ、そこでヘルウェン側の王族の方々が共に協議をされているはずだ。僕の名前を出して、あったことを全て伝えてくれ。細事さいじではあるけど、宮廷魔術師という立場ある者の犯行だ。戦端が開かれる前に報告を入れておくべきだろう」


「かしこまりました」


 さて、見ている限り打つ手は打ったってところかしら? これで後はないわよ? どうするのかしら、気位の高い坊や。そう思って見ていると、その加害者のサロモンが魔力を練り始めているのに気付いた。恐らくだが、ぼそぼそ口を動かしているのは詠唱だろう。まさかとは思うが、こんなところで――。


「オルクス殿、離れ――、くっ!!」


 ちぃっ! あのクズが放ったのは爆発に類する魔術だ。しかも、魔術を連続で放ったようで、耳をつんざき腹に響く爆音と距離が近かった為か足元が揺れて立っていることが一瞬だがおぼつかなくなる。私自身の魔術障壁は間に合ったが、オルクス殿は目の前で受けたはずだ。まさか、この期に及んで攻撃魔術なんて! それとも目くらましに足元を爆発させて、その場を煙に巻く為に放ったのか。可能性は低いが、できれば後者であってほしい。こんなところで、あの子を失うのは多大な損失よ! 私は砂煙舞う、先ほどまで加害者と被害者がいた場所に向けて、魔術で適度な風を起こして砂塵を誰もいないだろう方向に散らせる。


 そして私は見た。そこにいたのは加害者の襟首えりくびの服を掴んで立っているオルクス殿だった。しかも、どういうわけか、彼の服や身体に傷一つ、怪我一つ負っていないようだ。恐らく加害者は逃げる為に地面を爆発させて砂煙を上げて逃げようとしたのだろう。それを見事捕まえた、のだと思う……。それしか説明がつかないじゃない。それとも何? あの一瞬で彼が魔術障壁でもだして身を守ったとでもいうのだろうか? いや、よくよく考えてみなさいよ。あり得ない話ではない。彼はルルス殿と言う、実力のある魔術師を従えているのだ。魔術を習うべき相手が傍にいるじゃない。それに、彼が魔力を持っているのは北東の砦で分かっていたではないか。


 彼自身は魔術に詳しくないと、一昨日に会ったルルス殿との魔術談義に一切参加していなかったが、ルルス殿が時折言葉を濁した場面がある。それは弟子の話になった時だったり、教える側になった時によくあったと記憶している。ルルス殿はオルクス殿に仕えていると最後に言った。直接言葉に出さなくてもそうなのだろうと分かる雰囲気があった。彼女の主人はオルクス殿なのだろう。


 そして彼は、ルルス殿から魔術を習っている可能性が高い。何故その可能性に今まで気づかなかったのか自分でもわからない。ただ単に、私がお間抜けだっただけなのだろうけど。だが、増々欲しくなってしまった。これは一度、フォルトス陛下に相談してみようかしらね? 


 私は一昨日のような、胸の高鳴りを覚えた。魔術師院や魔術師ギルドに彼の席を設けて、その二つの組織から膿を少しでも取り除くことができないだろうか。戦場を前にする高揚感より、我等魔術師にとって益のある考えを閃いき、段取りを組む私の気持ちの方が勝ってしまったらしい。こんな、と言っては失言だろうが、戦争などさっさと片付けて、本国の国王の下に相談を持ち掛けたい気持ちでいっぱいだ。



 ♦



 まさか、問い詰めたら攻撃してくるとは思わなかった。腕輪の防壁機能セキュリティが無ければ危なかっただろうか。これがあるから習った魔術障壁を使う機会がないわけだが。いつのまにかトヨネが僕の近くにいたが、僕が念話で問題ないと伝えたので馬車の近くまで下がったようだ。


 それと、僕の手には魔力をありったけ使い切った感じのサロモンと言う人がいる。呼吸はしているので、恐らくは魔力切れだろう、顔色も悪く脂汗をかきながら気絶中である。さて、この後どうしようか。彼を引き渡すべきなのだろうけど、僕や馬車には被害がないとは言え、サイラスさんの部下達を負傷させた挙句に最悪なこの悪足掻きだ。彼の将来など僕が案じる意味はないし、その責任もないだろうから、とりあえず捨てとこう。


 僕の手から離れた彼は、その場でぐったりと倒れ込んだ。そして、アンジェリカさんには申し訳ないことをした。完全に巻き込んだ形になったのだから、彼女からしたらいい迷惑だろう。僕の立ち回りやすい形に場を整えてくれたこともお礼を言っておくべきだろうな。


「アンジェリカ殿、この度は誠に申し訳ありません。巻き込んだことと、現場のフォローまでして頂き、改めて謝罪と感謝を述べさせて頂きます」


「良いのよ。言っては悪いけど貴方達の方が気の毒だと思ったくらいよ? あの坊やがちょっかい掛けなければ何もなかったのにね。全部が全部、あそこでへたってるお馬鹿な坊やの所為にしておきましょう? 実際そうなのだから。ほら、お偉いさん方も来たみたいだし、私も付き合ってあげるからさっさと済ませましょう」


「そう言って頂けると助かります。そうですね、天候がさらに崩れてきそうですから手短に現場を片づけて、天幕に移動してから状況説明に入りましょう」


 そう言って、僕とアンジェリカさんは近付いて来たお偉いさん方、言ってみればバインク殿下やヘルウェン側の王族やその他の指揮官達。他に宮廷魔術師だろう見た目の人達がいらっしゃった。特にヘルウェン側の方々は渋い顔や怒気をあらわにした表情でおられる。自国の恥なのだから仕方がないと言えば、その通りなのだけれど。


 手早く現場の収拾を、サイラスさん達と手伝いに来た兵士達にまかせる。僕とアンジェリカさんは本陣の天幕に呼ばれて詳細を報告した。僕やサイラスさんの被害者としての言い分、後で加害者としてサロモン殿の言い分を聞くとしても、ヘルウェン側の立場は悪い。ただ、フォローはしておくべきだろうと思い、サロモン殿以外に大きな問題があったわけではないこと、ユピクス王国の宮廷魔術師筆頭が実害はないと証言したことで両国の立場がそれ以上悪くならない様に印象付けた。


 これから敵国と武器や魔術を交えるのに、協力国の関係に歪を生んでいる場合ではない。責められるべきは加害者本人のみで良い、と言うのが僕等の言い分でありフォローである。両国はそれに理解を示したわけで、僕等はすぐに解放された。ただ、僕が天幕の外に出たときには予想通りの空の雲の厚み具合から、雪がハラハラと降り始めていた。雨よりはましと思うべきか? 季節からしても乱層雲らんそううんが空を覆う頻度が高かったので恐らくは、と思っていたが。


 アンジェリカさんとは本陣の天幕を出てすぐに分かれた。彼女にも仕事があるのを止めてまで僕に付き合ってくれていたのだ。礼を述べて彼女の後姿を見送る。僕は途中で自分の吐いた白い息を見ながら、馬車に戻ることにした。ここでは特にやる事もないからね。


 馬車は騒動のあった現場から少し離れた場所に移動させた。トヨネから念話でサイラスさん達が先に戻っていると連絡を受けている。今頃馬車の中で書類の確認の続きでもしているのではないかな。指揮官や階級者の捜索には彼らに協力してもらった方が効率が良いし、先々の事を思えば都合が良い面もある。まあ、明日以降の事を言えば鬼や鼠が笑うと言うようなことわざがあったと思うが。ちなみに、こちらの世界では鬼に類する者がいるそうだ。新たに購入した奴隷のトモエから聞いたことだけど、あれは何の話の延長だったか。そんなことを考えて空を見上げて立ち止まると、急に寒気が来た。身体を冷やしてしまったかな?


 さて、変なトラブルで随分と時間を食ってしまった。風邪をひかない内に、僕も馬車に戻って熱めの飲み物をもらおう。僕は少し早歩きになって水分を含み始めた土の上を、歩き辛いなと思いながら進むのだった。


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