第45話

「待て」


 ……着けませんでした。おわり。


 いや、終わっちゃダメだろ。予定は未定とはよく言ったものだ。僕が宛がわれた部屋へ入ろうと取っ手に手をかけようとしたその手を止めたその声は、僕に待てと告げた。僕は誰だろうかと思いながら声のした方を振り向く。基本この城の中で僕より立場が下の人間なんていないと思っているので、身体ごと振りむいて何時でも礼がとれるようにするのが僕の基本姿勢だ。


 で、声をかけて来たのは見知らぬ人物だった。服装は煌びやかで派手なので、どこかのでっぷりした殿下を思い出したが、目の前の人物は背が高くすらっとした体系だ。白い服装に、肩にかかっている短い赤いマント。深い青い髪に茶色い瞳。それと、どことなく見覚えのある面影でもある。それと、服には特に勲章や階級章を着けていない。


 代わりにウルタル殿下が付けている王族の紋章付きの装飾品がちらりと見えた。これを着けていいのは王族だけであることに気づいた僕はすぐさま片膝をついて右手を胸に添え、頭を垂れながら左手を腰の後ろで軽く握る。一連の動作をした後、相手の言葉を待つ。


 すると、やはりと言うか、僕に声をかけて来たのは王族の方だった。


「ほう、作法も心得ているのだな。会ったこともない私が王族と言うのも見て取ってすぐに礼をとる。話に聞いていた通り、神童などと呼ばれるものは皆一様に何でもできるのか? まぁ今回は見かけたので声をかけただけだがな」


「発言をお許し頂けますでしょうか?」


「許す」


 僕は礼をとったまま視線を相手の足元に向けて告げる。


「作法については、我が家で両親や家令に厳しく躾けられたものです。確かに直接お会いしたことはございませんが、会ったことがなくとも殿下と見て取れたのも、装飾品に王族の紋章があったからにすぎません。私の事をどなたが神童などとおこがましく呼ばれているのかは存じませんが、私のことは噂話に尾びれ背びれが付いただけの事で、真実は単なるただの子供にすぎません。殿下のお耳汚しをした罪は、平にご容赦いただければと思います。以上でございます」


 ここで出していい言葉は、決して貴方は誰ですか? などと言った言葉ではない。そういう問答を許可されたわけではないからだ。述べて良いのは、この殿下が僕に対してかけた言葉にのみ。さて、相手はどう来るか?


「良い、噂話などというのは基本的にそのようなものだ。俺はそんなものに踊らされることはない。お前を直に見て判断するし、そのようなことで一々文句をつけるような小さい器ではないと知れ。ウルタルの奴が、やたらとお前の事を話題にするので俺も会ってみたくなっただけだ。

 まぁウルタルが言う通り、お前にはしっかりとした礼節があり、順応、応用、適応力があることは、このバインクがしかと見させてもらった。明日にはヘルウェン王国に戻るのだろう? 私も今日の晩餐に出席させてもらおうか。では、止めて悪かったな。次からは普通の礼のみで良い。では、後ほど会おう」


 そういってバインク殿下は去っていった。僕はバインク殿下が見えなくなるまで礼を続け、通路を曲がったのを確認してからゆっくりと立ち上がる。やめて頂きたい。ほんとにもう、背中に嫌な汗びっしょりである。


 こんなタイミングで第一王子登場とかいらんよ。僕は未だ鼓動が激しいのを我慢しながら部屋に入る。そして、そのままベッドへダイブ。うわー、もう今日の晩餐いきたくなーい。お家帰ってゴロゴロしたーい。……はぁ、できるわけないんだけど。言いたくもなるよ。部屋にいたのはケンプだけだ。僕は落ち着ける香り良い茶葉を選んで紅茶を入れてもらう。


 ケンプが出してくれた紅茶に礼を述べて、やっと落ち着けるとゆっくり香りを楽しみながら口に運ぶ。口に広がる風味と軽い甘みが心地よく喉を落ちていく。


「晩餐でボロが出なきゃいいんだけど、大丈夫だろうか」


「ほほ、ご主人様は大分お疲れのようですな」


「もう、頭の中で情報整理するのに大変苦労してるよ。この世界の情報が全然足りてない。舞台のシナリオの一部の内容だけ斜め読みしてる感じで、肝心の舞台に僕が立ててない感じ。ごめんね、愚痴っちゃって」


 何も問題ありません、と返してくるケンプはそれ以上特に何も語らない。静かなひと時だ。こういう時間をもっと多くとれればいいのだけど、今日の最大の難関である、もとい難関になった晩餐。ほんとに何故か出席してくるといった第一王子のバインク殿下はどういう人物か、さっきのやり取りでのイメージしか持てない。食事のマナーで雁字搦がんじがらめにされないだろうか? 晩餐は大体19時から19時半には食堂に向かうことになる。今の時間が16時過ぎ、なので約3時間あるわけだが、とりあえず頭の中で整理できていない部分をメモに書きだしておこう。大体それに1時間くらい、後は実家に軽く状況報告かな? 王族と挨拶して晩餐を滞在中に何度もやりましたなんて言ったらどんな反応を受けるか不明だ。父上と母上、ビジルズからは話のネタがないかを聞いておかないと、僕の話は大体ウルタル殿下に話してしまったことが大半だし、レパートリーがそれほどない。食事は大体30分から長くても1時間程で終わる。その間に間を持たせる話ができれば上出来だろう。だけど、バインク殿下が話し好きかどうかにもよるな。その辺りは状況を見て話せばいいだろう。



 ♦



 部屋にノックする音が響く。扉を開けると侍女さんが晩餐へ案内してくれるという。既に王族方はお待ちなんだそうな、それは急がないと。そして、案内された滞在中に毎度のことながら、魔道具を使っての軽い身体チェックを受けてから入室する。


 インベントリがある僕としては、インベントリ同様の能力がある空間創造などのスキルと言えばいいのかな? そういうスキルに対して、こういう検査って効果なさそうだな、などと現実的で益のないことを考えてしまう。現に調査に使用している魔道具は、僕の腕輪には何も反応しないのだ。後で聞いたことだけど、使われている魔道具は武器や毒物に反応するように作られているらしい。あーやだやだ、そんなものに怯えながら暮らす生活なんて想像もしたくないや。


 とにかく、検査を終えて係りの人に問題なしと判断され食堂へ入ると、宣言通り第一王子のバインク殿下と第二王子のウルタル殿下。奥の席に国王であるフォルトス陛下が座っている。


「お待たせしました」


「良い、明日の朝には出立するのだろ? 荷造りもあっただろうしな。さ、立ってないで席に着くと良い。食事のマナーもある程度守れば、バインクも文句は言わんだろう」


「陛下、私が小言でうるさい者であるような言い方はよして頂きたい。別に私は節度さえあれば、大抵の事には文句など言いません」


 さて、そんなやり取りに僕は、軽く苦笑い程度の表情を保ちつつ席に座らせてもらった。僕用に足場の付いた座高の高い椅子だ。それでも、見た目が豪華な食堂にあっても遜色ない立派な見栄えの椅子だ。まさか僕用に作られたわけではないだろう。恐らく王族の子供の誰かが使っていたものかな? そう思うことにしておく。


 食事の前に全員が片手を額辺りで軽く握りこぶしを作り、軽く俯いた状態で神に食事を摂れることに心中で感謝の祈りをささげる。ちなみに食事の終わりは片手を額辺りで軽く握りこぶしを作り、それに片手を添えて心中で祈りをささげる。


 日本式の手を合わせて、いただきます、ごちそうさま、と言うのはある地域や国では根付いている場所もあるし、この国でもされることはあるが、作法としては中位程度の扱いの作法である。なので、今現在行っている、片手を額辺りで軽く握りこぶしを作り祈りをささげる。この作法がこの国では上位の食事の挨拶なのである。


 食事の祈りが終わり、料理が運ばれてくる。基本的に食事の形式はフルコースで、出された料理を食べ終わると、次の料理が出てくる形式だ。ヘルウェン王国の僕が寝泊まりしている宿舎の食堂で出てくるような、お盆にどっさり料理をいっぺんに出される食事が懐かしい。さておき、基本的に僕から話しかけることはない。特別な要件があるときのみで、上位者がいる食事では、基本的に上位者が話をし、それに相槌ないし、合いの手を上手く入れるに留めるのが良い。基本出しゃばっちゃダメだということだ。それと食事を摂る早さも、上位者や周囲に合わせるのがマナーである。実に面倒なことだ。


「それで、オルクス。ヘルウェンへ戻ったらどうするのだ?」


「はい、特にこれと言って指示がなければ、職場へ出向き勤務することになると思います。当初は、ラクシェ王女の警護も含まれていましたが、王女が学院に行くことを諦めたのでその話は今のところ有耶無耶うやむやになって、白紙になっているのではないでしょうか? なので、向こうに戻れば数字とにらめっこしながら書類と格闘する日々が続くと思います」


「その年で、職場で働かされるというのは……、いくら人材がいないと理由を付けても無茶振りではないのか?」


「確かに、最初の頃は私ともう1人の職員の方としか軍務部という部署にはいなかったのです。なんでも、不正の粛正を行った直後のようで、蓋を開けたら職員が芋づる式に1人を残して、全員解雇処分されてしまったとか。私はそこに放り込まれたわけなんですが、最初の一月近くはもう何から手を付けて良いのかわかりませんでした。残っていた職員の方が仕事を把握していなければ、今頃悲惨な目にあっていたのではないかと思うこともあります」


「どんな状態なんだそれは……。よくそんな職場で仕事を続けられるものだな。俺なら上司に当たる人間に、これでもかと文句を言っていただろう。だが、お前の立場ではそれもできないか」


 ふむ、しかし、不正に対する粛清か……。こちらでもやるべきか? などと物騒なことを言い出し始めたバインク殿下。まぁ僕には関係ないのでそれは自由にやってくださいと心の中でだけ思っておく。それと、話は明確に分かり易く要所だけ話すのが良い。長々話し続けるのもマナーとしてはあまりよろしくないのだ。


「現在は、職員が採用されて安定しているんですけど。毎年、その職場では退職願いを出す者が多いらしいのですけど、今のところそういう人がいないので、安定しています。なので、今は新入職員が優秀だったことに恵まれたのだなと思います」


「ほう、それは良いことだな。この国でも人材は常にほっしていることだし、お前が向こうでの契約が切れたなら、次はこの国で働けばよい。良いポストを宛がってやろう」


「これ、バインク。オルクスは年頃になれば学院に入るということもあるのだぞ? 人材が欲しいのは分かるが、あまり無理を言ってやるな」


「む、そうでした。オルクスと話していると、年齢が近しいと勘違いしてしまいそうになるな」


「でしょう? 兄上。私も感覚が狂うときがあるのです」


 そんな話を食事を挟みながら行う。両親に聞いた話のネタも役に立てたし、目の前にあったフルコース最後のデザートも美味しく頂いたし、祈りをささげて晩餐はお開きとなった。接してみて分かったが、バインク殿下も基本的に問題のなさそうな人っぽい。それにウルタル殿下とも、フォルトス陛下ともやり取りを見ていると関係は良好のようだ。ギスギスしたところがなくてほんとによかった。そんな場面見せられたら、料理の味を感じることなく食事をそっちのけで、それぞれに対して立ち回る事を考えなきゃいけないところだ。



 ♦



 晩餐を終えてその後、昨日と同じく陛下の執務室で、2人だけで話し合った。東方にある桜日おうび国の人間や勇者の話を伝えると、若干驚いた風ではあるが、ああ、その話はなと次のようなことを言ってきた。


「日本とよく似た国。あるんじゃないかと思って探したことがあるから、もちろん知っている。だが、国が離れすぎているので興味はあれど、書物や話し程度で分かる範囲でしか知らんが、法術という特殊な術を使うとは聞いていたな。それに勇者か。確かにそれも、調べたことはあるので多少の知識はある。が、基本的にどちらもこの国と何ら関りを持ってはいない。魔王のことなど千年以上前の話なので意識することなく伝えなかった、と言うのがもろもろ伝えなかった理由だ。本を読んだり、小耳に挟むことで知ることになるだろうとは思っていたが、お主、エンカウント率半端ないな。とりあえず、両方とも特に気にすることはないだろう、というのがわしの見方だな」


「そうですか……。別に好き好んでトラブルを抱えたいわけじゃないんですよ? 僕としては平穏にのんびり、領地を運営し開拓していくのが望みなんですから」


「ふはは、何事もままならんことはあるものだ。それに案外、案ずるより産むがやすしとなることもある。そんなことより、今は目の前の大仕事に向けて身構えておけば良い。準備は進めているのだろう?」


「ええ、抜かりなく。今日ルパート・ワースノップと言う方に挨拶に行きました。僕の為か、ご自身の意向かは存じませんが、爵位を告げずに名乗ってくださったので僕も普通に名乗りましたけど。陛下が僕と同じ年齢の頃を思い出されたようで、神童の類かなんて口にされてました。その方が言うには情報収集と整理は順調だそうです。仕上がってまとめた情報は国に預けるようにと伝えてありますので、対応お願いします」


「彼奴か、懐かしい名前だな。分かった、そのことについてはわしの方で管理して、お主が戦場へ出立する前に渡せるようにしておく。ちなみに彼奴の爵位は侯爵で、サイラスが男爵だな。落ち着いたら覚えていくようにしておけ。それと聞いたところでは、子供に向かって爵位を名乗って悦に入るなど無意味なことで時間を費やすな、と言うのが皆の総意らしいぞ? 言い出したのは恐らくルパート辺りであろうが、お主には無用な計らいであったかも知れぬ、と今頃思っているかもしれんな」


「はい、最悪ポータル経由で受け取るつもりです。しかし、その様に気遣われてたんですね。だからサイラスさんをはじめ、会議で紹介を受けたときに家名だけを言ってから名前を名乗られていたというわけですか。そういえば爵位を言われた記憶がないなと思っていました。そういう理由があったのであれば、今更ですが納得がいきました。確かに、無駄な時間を省けたのは良かったですね。おっしゃる通り、爵位は今後覚えていくようにします。それはそうと、バインク殿下ですよ。いきなり来ていうことだけ言って去っていくんですから。うまく対応できたから良かったものの、対応を誤れば何を言ってくるかわからない方だと思いました。第一印象から何を言われるのか、戦々恐々として晩餐に臨みましたよ」


 周りにいろいろと気を使わせていたようだ。知らないところでそんなやり取りがあろうとは。知らないことではあったけど、確かに、今回はその気遣いのおかげで時間の節約になったのは確かだ。次にワースノップ侯爵に会ったら感謝を述べよう。それはそうとバインク殿下だ。今回、多少話せて人となりは何となく掴めたけど、最初の頃はどうなることかと思った。


「うむ、それに関しては迷惑をかけた。だが、あいつもウルタルやわしを心配しての行動だったのだろう。気に入らない奴、特に礼節のなってない奴や胡散臭い者にはとことん冷たい態度で当たるし、王族にあからさまにすり寄る者、人物像がはっきりしない者の接近に関しては特に目を光らせておるようだ。ただ、一度その狭い心の扉を開けば、基本的にウルタル同様、気の知れた仲になれる」


「そのようですね。でも今日はどっと疲れました。陛下には預けたポータルアイテムを設置できる家の手配と、陛下用に渡したものを管理して頂くのは前にお願いしましたけど。他はこちらで準備できますからね。手紙が贈り物の件も含めてお願い致します。

 何かあれば言玉で伝えて頂ければと思いますが、僕が対応に出ることができなくても、ガーディアンの誰かが対応しますので気兼ねなく申し付けてください。それと、言玉にはメッセージ機能もありますから、僕からも何かあればメッセージを入れておきますので手が空いた時にでも確認してください。

 基本メッセージは念話で入れておきますから安心して使ってください。ふぁー、これでやっと数日はのんびりできます」


 僕は陛下の前ではあるけど、二人きりだったのでソファーに体重を預けて伸びをした。お主も苦労してるな、なんて苦笑して労われたけどほんとにその通りだ。明日からはまたのんびりして、ヘルウェン王国までの帰路にかかる時間の間は実家で過ごそう。


 予定は未定、はもう当分結構だよ、と僕は思った。

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