第35話

 ふー。僕は一息ついて今書き上げた書類を3回見直して、処理済みの書類の束の上に置く。今何時だろ、もう16時半か、どうするかな? 平時の軍務部は通常16時半から17時の間で自由に退勤してもいいことになっている。けれど、僕やベルセリさんは立場もあるし、基本何もなければ17時に退勤している。30分と言うこの定時までの時間、長いと見るか短いと見るか。


 僕等の部署には1人当たりのノルマと言うのは明確にはない。が、自分の担当する書類が明日にはどれぐらい増えているのか正確な数が分からないので、ある程度の目安を付け多めに書類を処理しておくことを部署内部で義務付けるように、最初のうちに他の職員にも通達している。それでも退勤時間は16時半から17時と決められているので、それに従って各自のペースで退勤する。


 いうなれば、前もってある程度の余力をもって次の日に、仕事に当たれるようにしておこうということだが、新入職員は日々処理する書類の数をもってその自身の余力を把握していかなければならない。僕の場合は、最初ベルセリさんと2人で事に当たったので、もう我武者羅だったのだが、彼らが配属されて僕やベルセリさんにもかなり余裕が出てきた。


 ありがたい事だ。30分あるのなら、明日の分を少しでも進めておくか、書類の種類を選り好みすれば20枚前後はさばけるだろ。僕は提出書類の整えられたスペースに向かい。自分の分の書類を手に取る。すると、僕が行き来していた通路で、受付の窓口を担当していたクレシダさんが声をかけて来た。


「副部長はまだ書類仕事されるんですか?」


「ええ、30分ほどで片付く分だけですけど」


 そうなんですか、とクレシダさんは自分の机を見ている。これはあれだな、気を使われているのだろうか。年の幼い僕が残って仕事しているのだ。自分ももう少し仕事した方がいいかなと。


「クレシダさん、断っておきますが僕に気を使って、無理に明日の分までやろうとしなくてもいいんですよ。受付の窓口は16時半で閉めると言っても、普段窓口で受け付けをこなしながら、増え続ける書類を処理しているクレシダさん達受付の係りの人は、勤務上この時間に仕事を終えて問題ありません。個人のノルマや総合的な忙しさで明日に響きそうなら仕事をするべき時もあるかもしれませんが、そうでないのなら退勤して当然なんですよ」


 よく見ると、他の職員の視線が僕に集まっているようだ。付け加えて言っておくかな。


「受け付け以外の人も、16時半で自分のノルマが達成できていると判断した人は、ベルセリ部長に早引きする旨を報告して退勤しても問題ないんですよ。職務ができていれば問題のない、職場で認められている行為ですから。再度言いますけど僕に気を使わないでください。自分のぺース配分を守るのも仕事の内ですよ。では」


 僕はそう言って、自分の席に戻る。早めに終わる書類だけ持ってきたけど、さっさと処理してしまおう。




 ♦♦♦




 私の名はクレシダ・アクトン。今年の入職試験で採用された新人です。私の家族はこの城下の街で暮らしています。新人の中では少数派の実家通いなんです。それでも、実家からここまで歩いて30分ぐらいで苦にならない程度の距離なんです。就職が決まって働き始めてから既に1月以上を経過し、初月給も頂いています。この職場は仕事も覚えることは多く、日々書類に、人の受付に、と目が回りそうな忙しさです。噂では仕事量に音を上げて毎年退職する者が後を絶たないという職場だと聞いていたし、実際に忙しさを体験して身をもってこの職場の大変さが分かりました。


 けれど、私達新人がこうして音を上げないで仕事を回せるのも、実はキーマンがいての事なんです。それが今さっきまで私に話しかけていた、見かけの幼さに騙されそうになるけど、それは違うと毎日仕事をしていて、その現場を見せられて思い知らされる。彼の名はオルクス・ルオ・ヴァダム副部長。そう、まだ保護者の名前が取れていない年齢にもかかわらず副部長をやってる彼です。


 どういう育てられ方をしたら、あんな幼さで大人顔負けの対応ができるのかしら。私には妹がいるけど、彼より年齢は3つ上なのに幼さ丸出しの子供だわ。実家暮らしで妹ともよく話をするけど、職場でオルクス副部長を見てると感覚がおかしくなる時がある。それは、まだ私が普段の生活と、仕事をする現場での心構えの切り替えが甘いせいだろうか? 本当にそうなんだろうか? とわからなくなる時があります。


 混乱しちゃいけないわ。私は早めの定時で上がっても良いと言われたのだし、ここは副部長の言うように退勤しよう。でも、帰る前に一応使った机の整理をするのは忘れずにやっておく。副部長の机を見ていて見習うべきだと仕事を始めた頃から思っているから、自分に習慣づけているの。おかげで、実家でも褒められるくらい自分の部屋も整理整頓するようになったもの。


「ベルセリ部長、書類の整理と処理が終わりましたので、退勤しますがよろしいでしょうか?」


「ええ、問題ないですよ。お疲れさまでした」


 部長からもあっさり退勤を許可された。自身の勤怠表に判子をもらう。今日は妹に適当にお土産でも買って帰ろうかしら。私は自身の勤怠表を魔道具に通して退勤した。




 ♢♦♦♦



 あら、クレシダさん退勤しちゃうのか。私もしようかなー、なんて思ってみるも私の机の上には未処理の書類が数枚ある。明日に回すのは、明日の自分を苦しめる行為。その言葉を思い出しこれだけやっちゃおう。私、アネイ・アストリーはそう思っていました。誰の言葉かって? それは、我らが幼き上司の副部長、オルクス君。あ、普段はオルクスさん、もしくはオルクス副部長って呼ぶように気を付けてるけど。やはりあの見た目だもの、最初の頃は何度も呼び間違えそうになって困惑したものよ。今では副部長といいつつ心の中だけで君付けしてる。これもいけないことよって、同僚の同じ受け付け窓口担当で今日は休日のシプリアさんに言われたっけ。


 今では落ち着いて、オルクス副部長って呼べるのは、夜中に宿舎の自室で一人で練習した成果が出たのかしらね。まぁそれはさておき、私は書類と格闘していく。けど、頭の片隅で考える。


 さっきクレシダさんと部長の話聞いてたけど、オルクス副部長はいつも正しいことを言うわ。それに、自分の幼さを周囲に押し付けないし、気づかいは無用だって口に出してる。同僚達もわかってはいても、どこかで気を使っているのをわかっているのよね。幼いのに大人だわ。彼はこの先どういう大人に成長していくんだろう? っと、余計なこと考えてたら、書き損じしちゃったわ。書き直さなきゃ!


 おーわっあた、終わったよぅ! およ、時間も定時前だしいい感じね。周囲を見ると残っているのは部長と副部長と他数人ってところね。っと、その前に自分が使った机の整理整頓しなきゃ。明日の自分の為に、ね。




 ♦♦♦




 現在の時刻は20時を少し回ったところだ。俺はヒュプオトル、家名はない。今は仕事終わりに外の酒場で酒を飲みながら食事の真っ最中だ。職場は違うが同年代の奴と話に花を咲かせてるところだ。まぁ大抵は職場での愚痴だったりが多いんだけどな。


「それでよ、俺がミスったわけでもないのに、その仕事を俺のせいにしてくんのその上司。マジで殴ってやろうかと思ったぜ」


「うわ、ありえんなその上司。おっちゃん、酒もう一本追加で!」


 あいよっ! と、威勢のいい声で返事が返ってきて数分もしないうちに新しい酒の入った大型のビアマグが届いた。俺はグラスに入ってる方がいいんだが、暴れて壊す奴が多く、あえなくビアマグが採用されてるそうだが、とりあえず飲めればいい。俺は、肉を口に含みながら酒を飲む、うまい! ここに楽園はある! と、気持ちよく飲んでいるが、未だに愚痴をこぼしている連れの話を聞いていてふと、うちの上司二人が頭に浮かぶ。


『「私が19歳で、オルクス君が5歳です」』


 最初の紹介でそういわれた俺は、同僚達と共に混乱したのは今でも笑い話として思い出せる。確かに、採用面接の時に年齢が自分より下の上司でもうまくやっていけますか? と面接官に言われて、そりゃ中途採用の俺より若い奴が上司にもなりえるわな、とその時はもちろんですと答えた。


 初出勤の際、上司だと言われたのが、部長に19歳の女性と、副部長が幼い見た目とかではなく実際に5歳児なのだと言われたオルクス副部長だ。面接官の言っていたことはまさにこれかと、混乱に拍車をかけたのも良い思い出だ。


 けれど、俺は仕事の愚痴を探そうにも、出てくるのは仕事で書類に忙殺されそうな場面ばかりで、特に人間関係での愚痴はないし、職場の雰囲気も特に文句はない。書類のミスを指摘されるのは自己責任だし、あれ? 途中採用なのに順風満帆な職場に当たるな、なんて俺はなんて運がついているんだろうか、今更ながら思ってしまった。俺から愚痴の一つも出てこないので、連れの奴は、お前もなんかあんだろう? と問いかけてきた。


 だが俺には思い当たる愚痴の種がない。他の部署から提出されてる書類の書き損じや計算間違えを確認してから出せよ、と副部長には聞かせられない。その程度の愚痴だ。


「いや、今日はお前の愚痴にとことん付き合うから、さぁ飲めよ」


 はぐらかして、連れに酒を進めてやる。その後も食事と酒でふくれた腹をよそに、締めのつまみを食いつつ、連れのこぼす愚痴に相槌を挟み答えを返す。連れの奴はそれだけで、だろ? だろ? お前もそう思うだろ? てな具合で酔いが回って来たらしく、まだ呂律はしっかりしているが、この辺が切り上げ時だろうと、勘定を店員に渡して連れに肩を貸しながら店を出る。


 店を出たらすぐに夜風が吹いてくるが、ほてった肌には気持ちよく感じた。その時見上げた空は、星が満天できれいだった、とふと思う。仕事がなかった時に星空なんか見上げる余裕はなかったな、と。それが今までは、余裕で満たされているんだなとも感じた。


「さて、明日も仕事だ。宿舎に戻ってさっさと寝ちまおうぜ」


「おう? もう一軒行かねえのかよ」


「仕事場に遅刻なんてして、自分の今を立場を崩したくないのさ」


 俺の言葉によっぽど驚いたのか、きょとんとして俺の顔をまじまじと見てくる連れ。


「……お前、何か変わったか?」


 そんな質問をしてきた。が、別に俺は何にも変わっちゃいない。今の俺が余裕をもって生きてるだけだってことだ。まぁ説明するのもこっぱずかしいが、適当に返すのもなんなので。


「俺が変わったというよりは、周囲が変わったんだろうよ」


「へぇー」


 そいつも俺が返答した言葉に、何を言うでもなく返事してきた。何を言っているのかわからないが、まぁいいだろう的な感じが連れの奴から伝わってきた。


「ほれ、もっとちゃんと歩け。俺は肉体労働派じゃないんだ。絶対おぶってなんかやんねぇからな」


「ばーろー! 俺だってお前なんかに、世話になりたくなんてねぇや!」


「なら、もうちょっと踏ん張って歩け!」


「肩を貸す程度で、ヒーヒーいってんじゃねぇよ! 非力な野郎だ!」


「うるせぇよ、この体力バカが!」


 その帰り道、連れの奴と適当に言い合って帰り道を進む。さて、明日も仕事に明け暮れようかね。




 ♢♦♦♦



 ふむ、予想通り彼奴オルクスのところに連絡が来たか。で、彼奴は返答を先延ばしにしてわしに伺いをしてきたか。娘にも近づいていないようだし、本当に良い判断のできる奴だな、彼奴は。さて、どうしてやるのが良いかな? 


 まぁ娘が世話になったことでもあるし、ユピクス王国にはわしから釘を刺しておいてやろう。オルクスには、知らぬ存ぜぬと返答させようか。いや、まてよ? ふーむ。


「ヴァレン」


「はい、モイラアデス陛下、いかがいたしましたか?」


「ミリャンの奴はどうしている?」


「は、殿下は大会の当日より宮殿にて療養と名ばかりに実質、軟禁状態でおられます。特殊な魔道具で宮殿内の移動も制限されており、日がな一日宮殿にある自室で愚痴を漏らされておりますな。それが何か?」


「奴を旗頭に添えて、西か東に揺さぶりをかけようと思う。軍務会議でどちらに攻めるか協議する。明日から将校及び上級職を集め議論させろ」


「何と、殿下には荷が重いかと思われますが……、それにつける兵もそれではまさに……」


「犬死か? それは、奴につける兵が、奴を担ぎ上げている派閥のみでもか?」


「それは! ……よろしいのですか?」


「子を捨て駒にするのがか?」


 先ほどからわしの発言に、ヴァレンは自分がオブラートに包んだ発言、濁した言葉を台無しにされて立つ瀬のない顔をしている。そういう顔を見るのは実に愉快だが、あまりやりすぎるとへそを曲げるので、やるには十分な匙加減を取らねばならん。面倒な奴だが、それなりに頭はあるし、今どき珍しく己の地位や名声ではなく自国を中心にものを考え懸命に働いている奴なので重宝しているがな。さておき、話はまだ終わってはいない。


「あいつも14になる王族の子よ。それが、日がな一日何もせず宮殿の自室で入り浸っているとは笑い話にもならん。自らの失態をどうにか帳消しにする方法も考えずに腐っているのであれば、駒としてでも役に立たせるのが親の務めというものだ。それで今回の遠征で一旗揚げるなら、今回の件は水に流し軟禁を解いてもよい。まぁ一旗立てずに逃げ帰ってくるなら、再び軟禁ではあるがな」


「さようでございますか、では将校及び上級職を集め出陣の編成や準備に取り掛かります。して、予算はどの程度見積もっておきましょうか?」


「奴の現在の派閥に8割は出させろ、国庫から出す予算は2割程度に留めるように」


「それは……、ミリャン殿下の派閥が何かしら文句を言いそうですな……」


「手柄を上げれば国からの報奨金が出るとでも言っておけ。前払いの準備もできないのかと煽ってやればよい。それにミリャンを担いでいる派閥はそれなりに大きい、調子に乗せればうまく踊ると考えて担いでいるのだろうよ。ここで多少数を減らせた方が後々にも良いことだと思うが?」


「陛下のおっしゃる通りですな」


 ヴァレンは頭を下げて拝命を受けると退室しようとする。


「ヴァレン」


「は、陛下。ほかに何か?」


「彼奴を、オルクスをミリャンとは別の枠組みで出陣させよ」


「は? いえ、陛下。彼はまだ5歳の幼子ですぞ? 正気ですか?」


 ヴァレンがわしの正気を疑ってきた。こやつらしくもなくかなり困惑しているようだ。無理もないことだとは思うがな。


「ヴァレン、らしくもなく飾った言葉や濁した言葉なしに申したな」


「はっ! いやはや、申し訳ございません。気が動転しておりまして……」


「よい、わしは正気だ。誤ってもミリャンの指揮下になんぞ入れるなよ? 彼奴は個人で動いた方が面白いことをする気がするのだ。わしの勘がそう告げておる。何なら、共闘するユピクス王国から兵を引っ張ってくるのもいいかもしれんな」


「また、勘でございますか……」


 ヴァレンが呆れた顔をしてため息をついた。だが、わしの勘は時たまこういう判断を迫られたときに冴えるのをヴァレンもわかっているのか、文句を言いたげにはしているが、反対はしないのだ。


 まぁわし自身も子を突き放すというより、死地に追いやるような冷血漢のような判断は親としてどうかとも思わなくもないが、ミリャンは変な願望を抱く癖があるし、放置すれば日々金と物を浪費するだけでしかしないだろうとも思う。


 後、子供のくせに性欲が強いらしく見張っていないと侍女や女官に被害が及ぶ場合がある。なら、強制的に役に立たせる為の駒として外へ出して使う。それで諸外国の動向がつかめれば僥倖ぎょうこう。つかめなくてもそれはそれでよい。こちらは本気で動くのだと敵味方問わず周囲に知らしめる意味もある。それと、彼奴オルクスがそれに勘づいたら、どのように動くのか見ものでもあるしな。


 普段のあの落ち着きようで、退職者の多いといわれる職場でうまくやっているようだが、戦場に出たらあの幼い子供の化けの皮が剥がれるかもしれん。年相応に怖気づくか、泣いて逃げかえるかするかもしれんが、それならそれで使いようはあれど、わしの興味は若干引くがな。だが、戦場でも一旗揚げれるなら考えようも様々だ。地位も名誉もくれてやってもいいかもしれん。


 さて、お前はどう動く? オルクスよ。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る